武田俊

2018.7.5

空中日記 #005|おんどりが、鶏肉になるまでの日々へ

7月4日(水)

とある案件で、コピーライティング。
コピー、特にタグラインを書くときの心づもりというか、自分になじみのある作業としては、詩歌、とくに短歌や俳句など短詩表現の作品をつくる時の感じに似ている。その時の運動神経をぐん、と起動させて、ひたすらに案を練り上げていく。ボディコピーはもっと散文的だが、エッセイまでロジカルな心の動きではない。たぶん散文詩に近いような気がする。

もちろんこれは惹句なので、作品ではないが、いきなりモニターに向かって唸ってみてもああこれじゃあだめだまともすぎる、散文的すぎるといったものしか出てこないから、ミドリの無地のノートを引っ張り出して、そこに油性のすべりのいいボールペンを用意してある程度乱暴もののような気持ちで滑らせていくのがよい。水性ボールペンではグリップが効きすぎて、脳(たぶん右脳)と右手のつながりと運動が、ボールと紙面との摩擦でブレーキングしてしまう。滑ったほうが、いい。そのスリッピングが、次のワンフレーズを運んでくる。そんなイメージ。そうやって何案もつくってから、ようやくkeynoteのテンプレートに落とし込んでいく。

夕方のMTGまでの移動で、『愛のゆくえ』再読の続き。序盤に、たくさんの人が主人公が務める図書館に自作の本を持ってくる。『さようなら、ギャングたち』の詩人の教室のモチーフになったシーンのひとつだが、ここに登場する本すべてを読みたくなってしまう。決して誰にも読まれることなく、しかし著者が何かそれぞれの動機に突き動かされて形にしてしまった本たちだ。

夜、とうとうこの日がやってきた。
2週間半ぶりに動物性蛋白質を解禁するのだ。
できるだけ、スマートにヘルシーに。
そこでぼくはもともと買ってあったホットプレートを取り出すだろう。
かぼちゃ、なす、その他すべての夏野菜をそこで焼き、その片隅でひっそりとひょっこりと鶏肉を焼いてこましてやろう! 趣向を凝らしたにんにく醤油、デンマークから淳子が持ち帰ったスモークソルトにあらめのブラックペッパーを混ぜ込んだもの、とっても素敵なゆず胡椒。そんなものたちを用意して、存分に食べてしまおう。そういう算段で、その素晴らしいアイディアのおかげで今日は一日大変優雅に過ごした。すべての業務における作業のうち、ひとつひとつの動作所作に喜びが伝わっていくようで、そんなぼくの今日の作業は恐らくその時周囲にいた人達を幸せな気持ちにさえさせるものだったが、今日ぼくは一人きりで作業することの多い日だった。もったいなかったと思う。

肉屋さんで、とっておきの、そのお店で扱う限りもっとも素敵だとされている鶏のもも肉を買ってきた。
「家畜は合理的に商品化された食品だから、食べません」
そう先生は言っていたが、日常的にジビエを入手する方法をまだぼくは知らないので、今日のことはどうか許してほしい。そう思いながらにやにやして、ぼくはお肉を買った。

家で用意をして、焦らないように野菜ばかりをまずプレートに並べた。
鶏肉は、すぐ自分の右手のそばに置いた。
とてもとても愛情を込め、皮目からしっかりと焼いた。
余分な油は、その都度キッチンペーパーで拭き取ることさえした。
あぶらの一粒ひとつぶが、粟立ち、揮発するさまをずぅっと見ていた。

どうやら、焼き上がったようだ。

ぼくは往年のピッチャー(想像の中では村山実)が、ザトペック投法で振りかぶって投げ込む時のようにゆったりと箸でつまんだ鶏肉を口の中に運んだ。大きく、そしてゆったりと力まないで、前歯でまず噛み込み、そして舌先を巧妙に使って徐々に奥歯での咀嚼へと促した。肉汁が味蕾に突き刺さるようで、その中にはあらゆる味がした。それは幼少期のぼくの味覚が甦ったかのようだった。どうか大げさだとかうそつきだとか言わないでほしいのだけど、小さなころ、ぼくはミックスジュースを飲ませてもらったとき、そこに入っているすべての果物の輪郭を舌先で感じることができた。情報量が多すぎて、だからミックスではなくひとつのフルーツでできたジュースを好んだのである。それはひとつのりんごジュースだった。

鶏肉に戻ろう。チキンバック!
 そうこの時の咀嚼は、これまでに経験した咀嚼行為とは全く異なる甘美かつ繊細な運動だった。すべての意識をお肉に充当させてはいかがか?そうしよう、と試みた結果だったが、その意図は当事者の想像を越えて成功した。燃えよドラゴンズが流れかけたので、これは得点の喜びに等しかった。噛み込むごとに、その鶏が過ごした人生の名シーンが、頭の中でいっぱいになった。彼はちょっとしたアクシデントから鶏舎を抜け出し、彼にとって広大な草原に駆け出していくところで捕獲されたにわとりであった。惜しかった。しかしありがたいことだった。ここに運ばれてきて、こうして食べることができてありがたいことだった。合掌の代わりに、ふかく嚥下した。