武田俊

2018.7.6

空中日記 #007|7人分の合理的な死

7月6日(金)

目が覚めると、麻原彰晃を含むオウム真理教関係の死刑囚に対して、本日死刑執行されるというニュースが流れていた。TVをつけると、どの局も総出でそのニュースを流しているようだった。ザッピングをしながら報道に何かしらの差異はないか、と追っかけていたが、どこも代わり映えしない情報だった。徐々に自分の中からポジティブなエネルギーが失われていくのがわかり、これはまずいなと思っていたら視界がぼんやりと灰色に変わっていった。やっぱりだ、と思った。カーテンレールからつるされているじゅんこが最近買ってきて大層かわいがっている観葉植物(名前を知らない)が、ひどく禍々しいものに見えてくる。吊られているからだ、と少ししてからわかった。

とにかくぼくの暮らしているこの国では、本日これから国家として人を殺します。皆さん良きに計らえ。そういう宣言が、メディアを通じて1日のはじまりに広く伝えられるという国であることがわかった。こういうニュースが流れるということは、裏では何か巨大な陰謀が蠢いており隠したいものがあるということだ、それを想像できない一般大衆達はマジで哀れだ衆愚だ、といった発言が至るところでなされる。それは好きにやったらいいが、そういった責任が介在しない無敵の人たちによる発言に耳を澄ませてしまうと、自分の中で均衡を保っていたはずの、社会と正義と個人の生活の関わり合い方、それぞれの交流の仕方がとたんに崩れてしまう。毒にしかならない発言にわざわざ耳を傾けてはいけない。なのに、傾けた。ずぅっと前から知っているのに、また傾けた。灰色。

陰謀なんてない。
巨大な権力も人間が形作っている以上、人間のやることだ。合理的な判断をもとに行っているわけで、注目させたいニュースがあるということの裏には、隠したいものがあるのは当然だ。ひとつひとつのアクションには、近しいケースではどう結果が転んだかを裏付けるデータが紐付いている。それをリサーチしながら、的確だと思われるチョイスをしたまでだ。ただそこに、人間7人分の死が吊るされていた、というのが今回のケースなのだった。合計7人分の合理的な死。

灰色の世界では重量が増し周囲に水がはられたかのようで、それをかき分けるようにしながらぼくは努めて一般的な態度でその場所に向かい、一般的な態度でMTGをこなし、一般的な風貌で帰宅した。その間も視界はずっと灰色で、モノトーンというよりはすべてが淡いグレーで統一されている。すべてが最背面になってしまったような風景を振り払うために玄関のドアを打ち捨てるように開け、一連の動きの慣性を全部使って前宙をする時のようなかっこうでベッドに身体を投げ捨てた。玉置浩二を歌っていて、穏やかな気持ちになるはずがどんどん情感がこもってしまい、ティーンネイジャーみたいに枕に顔を埋めて大きな声で「あの頃はぁぁあ、何もなーくてぇええ!」
とうたった。暗い情熱のようなものが胸を満たし始めたから、怒りが、レジリエンスに変化していったのだな。その回路がまだちゃんとあるな、と安心したようでじきに眠りについた。