武田俊

2018.7.23

空中日記 #014|魚釣りのための前乗り

7月13日(金)

定例会議を終えて、横浜を目指す。明日は横田さんたちと釣りにいく。船に乗り込んで海釣りに出かけるというのは、おそらく小学校ぶりのことだった。ぼくはバスロッドしか持っていないので、道具はすべて借りることにした。3連休。当初予定していた三浦半島から出る船はすべてうまっていて、だから富津の方から出る船をチャーターして鯛を狙う、そういう事になった。船は明日朝の5時半に出る。横田さんはあのかわいらしいルノーのカングーで迎えに来てくれるけど、時間的に到底ぼくの自宅に寄る余裕はなかったから、それでぼくは横浜に、というか桜木町に宿をとってみた。能動的な遊びのために、さらに能動的に前乗りするというのはどんな感じだったか。それを確かめてみたかった。

横浜はなじみのない町だから、ひとまずチェックインを先にすませることにした。桜木町の駅を降りてGoogle Mapsを頼りに歩くと、そこはもうかの野毛のはじまりである野毛小路アーケードのほぼ入口に位置していた。チェックインを行い、コインランドリーについてたずねる。というのも、この日の午前は最近参加した草野球チーム・新代田キャッチボールクラブの練習があり、そこで使ったトレーニングウェアを先に洗っておきたかったのだ。22時までということで、先に洗い、その間に回ってみたい店を探す。

FBを立ち上げるとメッセンジャーで横田さんから指定された持ち物の中に、クーラーボックスが入っていたことに気がつく。持ってない。買いにゆこう。調べると関内に上州屋があることがわかって、ちょっと距離があるが歩いていくことにした。暑い。関内の駅を過ぎて、ハマスタのある公園を入るルートをとる。この日試合はなかったから静かなハマスタを横切ると、横浜の町が好きになった。適度な都市、道の広さ、適度な人口密度、歓楽街と海。どんどん好きになっていった。

その時、向こう側から歩いてまもなくすれ違うかという女性が足をとめて、やおらスマートフォンを構えぼくの向かって右斜め後ろの中空を狙いシャッターを切った。続けて何枚か連射した。何事だろうと振り返った瞬間、網膜に写し込まれたのは赤紫色に全体が染められたあまりに絵になる夕焼けだった。にっこりとして、ぼくも振り返り何枚か撮影する。目を元に戻すと、その女性と目があって、軽く会釈を交わす。横浜の町が、またこの短時間の間に好きになっていく。



クーラーボックスを選んだ後、野毛の町に繰り出そうと思うが、歩いていくうちに一人ではなかなかチャレンジする気分ではなくなり、そばのぴおシティというなかなかイカしたビルのB2Fにあるもつ焼きやに入った。長机が何枚かあり、そこに腰掛けて、キャベツ、レバー、白モツ、カシラ、ポテサラと、生ホッピーを頼んで『マンゴー通り、ときどきさよなら』をひらいた。向こう側の壁にかかったテレビでは、ぼくのしらない競馬を流していて、その付近には常連と思しきおじさんたちが馬券とホッピーを片手に真剣ながらも軽やかで陽気な眼差しを向けていた。

『マンゴー通り、ときどきさよなら』は、とにかく目次を見た瞬間からその魅力的な章タイトルにやられてしまった。たとえば特に魅力的なそれはこんな具合。

マンゴー通りの家
猫の女王、キャシー
わたしたちのいい日
ライス・サンドイッチ
暗いうちに疲れたままで起きるパパ
火曜日になるとココナッツ・ジュースとパパイヤ・ジュースを飲むラファエラ

左手にはおじさんのふたり組が差向いでガツ刺しをつついている。
右隣にはスポーティーな男、ギャル風のスタイルのいい女、ぽっちゃりとした女、の若い3人組。
どちらも会話が途切れると、ぼくの方に視線を送ってくる。本を読む人間を見たことがないような目つきで。でも、そこには興味はあっても悪意はなく、だからぼくは居心地が悪くない。

そうやって久々に一人で酒を飲み、もつ焼きを食べながら本を開いていると、こういう風に過ごしていた学生の頃を思い出した。平気そうな顔で色々なところにでかけていたが、毎回ぼくははじめての東京の町や店にびくびくしていた、から、常に本を持ち歩いていた。いや、そうでなくても本は持ち歩いていたが、本をひらけば、そこはぼくのパーソナルスペースになることを知っていたから、それは精神安定剤以上にはっきりとした効能をもたらせた。どんなアウェイも、片時だけ半径1メートルのエリアはぼくと書物の空間になるから、そこで息継ぎをするようにして数杯飲めば、もうあとはいつもの場所と同じような気持ちで過ごし、そこにいる人たちと交歓することができる。それくらいの社交性がぼくには備わっている。それを徐々に知っていくのは、読書のもたらす新たな楽しみをしることにすらなっていた。

朝4時に横田さんがホテルのロビーに迎えに着てくれるから、21時半で退散した。どうせ部屋に戻っても釣りのことを考えて眠れないんだろうな。そう思ったらやっぱりそうで、うまく眠れないままベッドの中で目を閉じていた。知らない町の知らない部屋で出張でも旅行でもないのに、ひとりで眠るということ。