武田俊

2018.7.30

空中日記 #016|青春と相似形

7月18日(水)

三宅唱監督の最新作『きみの鳥はうたえる』の試写で、美学校へ。ぼくは原作者である佐藤泰志のことを思うと、ほんとうにいつも泣きそうになってしまう。芥川賞に5回ノミネートされ、でもとれず、家庭では荒れ、最終的には自裁した。41歳だった。クレインから作品集が出版され、そのあと彼の作品たちは映画になっていった……。決して相性のいい作家ではなく、好きな作品がたくさんあるわけでもない。でもこう書いているだけで泣きそうになってしまうから、この日もマークシティを上がっていく時からすでに目頭があつくなりそうだった。せっかくだから予告を埋め込んでおこう。

映画は、まったく素晴らしいものだった。

「こういう青春映画を、今この時代だから観たいんだよ!!!」
そういう潜在的に自分が抱えていた気持ちに完全に答えてくれる作品で、いくつかのシーンでは涙をこらえることが不可能だった。それは例えば、柄本佑、石橋静河、染谷将太がクラブに出かけた時にOMSBがラップするシーンであるし、大柄な柄本佑がふたりを肩に抱えるシーン。あるいは、染谷将太が灰皿の吸い殻を捨てたあと、コーヒーの出がらしをそこにていねいに入れる。生活の中の小さな所作のひとつひとつが、その人の人となりや感性や大切にしている価値観を表すということ、映画とはそういった表現であるということのうれしさが体中にあふれた。

幾度かすばらしいセリフがあって、でもそのあとのシーンでまた感動したりしてしまうから、それをいつも忘れてしまうことをぼくは思い出した。植草甚一スタイルを導入しよう。つまり、小さなメモ帳とペンを常にポケットにしのばせて、上映中にノールックでセリフやシーンをメモするのだ。

おそらく原作にそのまま登場するだろうモノローグで、「僕は空気のように実直で気持ちのいい青年になれるような気がした」というようなフレーズを、キャッチアップした。これはそのまま三宅監督の人となりに重なった。三宅さんがふだんの生活の中で人と関わる中で恐らく大切にしていて、ぼくもそんなにたくさんではないけど取材や、食事を一緒にさせてもらった時に感じたあの気持ちのよさが、作品全体ににじみ出ていた。

劇場を出てからもじんわりと幸せで、ああ青春っていいなあと思いながら近くの駐車場に隠れるようにして煙草に火をつけることにした。気温は35℃を越えていて、すぐに汗が流れ出した。首を吹きながら煙草を吸った。青春とは、きっと、お金や物質的に豊かでなくても、人間が誰しも美しく豊かであれる奇跡のような時間なのだ、と思った。全員かっこよく、気持ちのよい連中だった。同時に、32歳になったぼくは、これまで20代の暮らしの中で「ああ、お前くらいの若いうちに、なんていうかもっと色んなことをして、色んなところに出かければよかったよ」と話していたおっさんや親たちのことを思い出した。

……わかる、と思った。当時はクソつまんねえこと言ってないで、さっさと寝ろと思っていたが、わかってしまった。つまり、青春とは(人間が誰しも美しく豊かであれる奇跡のような時間なのだから、だからこそ)かけがえのないものだから、色んな場所で色んな人に出会っておきたかった(それが人生を豊かにしてくれるって今なら思えるから)なあ、ということだったのだろう。だけど大丈夫だ。宿命的にぼくの青春は残念ながら継続していて、どうも今世中には終わりそうにないからだ。なぜか最後はハードボイルドな気分になって、そんなことを考えながら火を消そうとしたら視界の隅に、ひょこひょことこちらを窺っている痩せた男がいた、

「あれ、あ〜、やっぱりそうですよね。武田さん〜」

誰かと思ったらfuzkue阿久津さんで、え、なんで阿久津さんぼくのこと人違いしかけたの、とゲラゲラ笑った。阿久津さんもたいそう感動したようで、あそこがよかった、ここがよかったと、話した。そうだそうだった、と思って、阿久津さん〜ぼくプレゼントしたい本があるから、こないだAmazonで店宛に送りました、でもお店じゃなくって家に帰ってから読んでくださいねたぶん近日届きます、と伝えた。そのままどっかでコーヒーでも飲みながらゆっくり話したかったが、ぼくはこのあと新代田キャッチボールクラブの初試合という、この週もっとも重要な用事を直後に控えていたところだった。神宮球場に行かなきゃだから、せめて渋谷駅まで一緒に歩いていこうということになった。

それはほんの10分未満の散歩だったが、なんだか映画の中の柄本佑と染谷将太の間での親密さ、と相似形のような空気を感じてうれしかった。佐藤泰志の「黄金の服」のことを思い出した。この青春小説のタイトルは、ガルシア・ロルカの詩の一節から取られていて、書誌データによると「『若い人間が、ひとつの希望や目的を共有する』ことの隠喩」ということだった。そこに惹かれて、ぼくは「STUDIO VOICE」に書いたシンガポール滞在記の中で、劇団・範宙遊泳のメンバーたちとのエピソードを記す際に引いてきたのだった。宿命的にぼくの青春は残念ながら継続していて、どうも今世中には終わりそうにない。ぼくたちは、今こそ黄金の服をともに着る。シンガポールで、渋谷で、神宮球場で。

『新潮』でのエッセイについてどう思ったか、と尋ねた阿久津さんにぼくは、阿久津さんのテキストをはじめて読む人にとって、イントロダクション足りうるいいものだと思った、と話した。彼はすこし安心したような顔で、ああそれならよかったと言った。そして、あ、ぼく渋谷駅までだと行き過ぎだ、このあたりで〜、といった。そうやって別れて、ぼくはタクシーを捕まえて神宮球場に向かった。