武田俊

2018.8.15

空中日記 #020|世界を説明するための入り口へ

7月30日(月)

ぼくの預かり知らぬところで、あまり心地よくないミスが発生していたようで、イライラとして過ごした。クリエイターに「発注」をするということ。「発注」の質について考えていた。

7月31日(火)

山梨リサーチで入手した、有形無形を問わない資料の整理。
手書きノートの信頼性の高さ、のようなものを感じる。

8月1日(水)

阿久津さんと滝口悠生さんとのトークで、青山ブックセンターへ。村世界の自治会や、臨時のMTGなどがあって、かつ後者はかなり想定していないところでのバタバタが発生したため、田町から表参道までタクシーに乗る。普段乗らない町から町への移動は、急いでいたとしても新鮮でおもしろい。

阿久津さんの本が出るという時に、ぼくは「さあ出版記念のイベントでは誰に出てもらいます? 保坂さん? 滝口さん? 阿久津さんはお二人にあったことがあるんです?」「いやあ、それがないんですよ。話したこともないし、見たこともほとんどない」なんて会話をしたことを思い出しながら、おしゃべりを聞いていた。遅れてきたぼくは最後尾に座っていたから、どんな人が客席にいるのかなあと見渡すと、左前方に本屋準備中の鈴木さんがいて、右前方に遊ちゃんがいた。

B&Bでの保坂さんのトークのときは、Daily Coffee Standのゆうくん、遊ちゃん、じゅんこ、とまるでファミリーのように横並びに並んで「阿久津さんしゃべれるかなあ」「緊張してそう」なんて見守っていたのだけどその時に遊ちゃんは、おしゃべりの一挙手一投足に笑い、乗り出し見ていた。それがとってもよかったので、今日はどんな顔をして見ているのかしら、と思って表情を随時盗み見するというあまりお行儀のよくないことをしていたのだけど、今回もおしゃべりの一挙手一投足に様々な表情と動きで反応していて、ああこういうのは本当にすばらしいよ、と思いながらぼくは慌ただしく過ごした日中の、パラレルワーク・マルチタスクをこなした時に特有の状態である「過集中過ぎて行動が散漫になっちゃうよ」状態になっていたため、二人のトークはまるで聞き過ごさないままに、人々の表情を読み取ったり、ノートにメモをしたり、流れが停滞したときにはSlackを開いて仕事の返事をしたりと忙しく過ごした。それでも話は聞き漏らしてはいないはずだった。

終わって、お客さんがサインの列に並んだりしている間に、一人の男性が話しかけてきて、それが大地さんだということがわかった。阿久津さんの日記に登場していて「内沼さん、しょうくん、大地」と書かれていたその人物だとわかり、ああ、この人がかつて阿久津さんのかきあげた最初の原稿を読み、さいこうだと褒めていた人だとわかってほっこりとした。大地さんはずっとくしゃくしゃの笑顔で笑っていた。

打ち上げには確か海月というお店にいって、そこには会場に来ていた金川さんや小林さんと一緒にいった。色んな話をして、生食で食べられるかぼちゃや、ゴーヤの炊き込みご飯や、とうもろこしのメンチカツ(MVP)などを、凍ったレモンのレモンサワーとかと一緒に楽しんだ。途中から黑田もやってきて、その日彼女はなんだかいつもよりお姉さんらしく、きれいに見えた。そうしたら隣に座った阿久津さんが少しもじもじして、席間を空けていたのがおかしかった。

時期に閉店時間がやってきて、河岸を変えてカレーとギネスがめっぽうおいしいというバーでおしゃべりは続いた。日記は、いつドライブがかかって、小説に接近するのか。滝口さんが昔つくっていた小冊子の、へんてこりんな名前、などについてしゃべっていたらもう2時で、幸せな夜はここらでお開き、という感じになった。内沼さん、阿久津さんといっしょにタクシーに乗って帰る道が、なんだかまたしても大人になってからの青春の一コマとして記述されていた。

8月2日(木)

新しい、はじまったらまた定期的なものになるだろう案件のヒアリング。だーっと思いついた課題解決方法について話す。課題をただ解決するよりも、こういうヒアリングの時は、先方がすでに課題だと認識しているものの奥にあるだろう潜在的かつ本質的な課題をどう照らしてあげられるかが重要で、それがPJにかかっていると思う。ぼくのスキルセット的には、ここが1番能力を発揮できる部分で、ここでうまくいけばあとは人の力を借りながらなんとかできる。ので、ちょっと強めにアクセルを踏んでしまってしゃべり続けた気がする。

午後、何か不穏な空気を感じる。なにか終末の気配を察した。その余韻というか予感を携えたまま少し遅れて夜の会食に出かけると、ははーん、なるほどそういうことか。それならば、早くいってくれよなという感じのムードだった。悪酔いした。思ったこと、感じたことを言えないような場にはできる限り出かけないよう努めているが、不可避的なものもある。そういう時は、かなしい。

8月3日(金)

RAILSIDE BARの日。到着するとほとんどスイカにあらかじめウォッカをぶっ刺しておきました、って暴力的なメインコンテンツがほとんどなくなっていて、そのウォッカまみれのスイカをしゃかしゃかして、食べた。それでは飽き足らなく、ジンをかけて食べたりもした。太鼓の達人をした。前日スナックアーバンで開かれていたボロ文庫イベントに行くことができなかったので、かわりにこの日持ってきていて、それをアンディに見せた。ぼくのボロ文庫は、関川夏央『水のように笑う』、『現代歌人文庫 村瀬道彦』、椎名麟三『自由の彼方へ』、武者小路実篤『人生賛歌』だった。

様々なすでにお会いしているけど、あまりしっかりとおしゃべりしていなかった人と話すことができて、それがぼくの何かを支援していたから昨日のかなしさは徐々に大気中に溶けていった。そのかわりに序盤のスイカのものと思われるアルコール濃度が体内で増していって酔った。みんなは屋上で花火をしていて、ぼくはその匂いをかぎながら、夏よ…と思って寝ていた。

8月4日(土)

はじめてヤフオクをつかって購入した、リコーのオートハーフが届いた日。かわいいのがきたよ!

8月5日(日)

終日家。執筆のための準備。

8月6日(月)

昼から「空中」でずっと作業。 MTGひとつはさんで、紙ものを久々にやることになったので色々と準備。夜、新たに村世界にやってきたやしろくん、もてくんと軽くおしゃべり。楽しい仲間が増えるのはうれしいこと。

夜、ネコメンタリーの放送を観る。ずっと見ていたい。60分番組だったらよかった。保坂さんがGoproのセッティングをしているところで、にやにやした。低い声のまま「シロちゃん、オイチイの」といっていて、にやにやした。シロちゃんのごはんの時間が細かく書かれているカレンダーのカットは、にやにやできなかった。

さて、猫についてだけど、これはたしかどこかで保坂さんはすでに書いていたような記憶があるけれど、「保坂さんにとって猫とはなんですか」というひやひやする問いに対して、保坂さんは「世界を説明するための入り口が俺にとって猫だから、猫がいるから花の美しさがあり、冬の寒さがありっていう、世界を感知する存在があるから世界が輝ける」と語っていた、そのシーンで「ハッ」として直後に「ああ、なんていうことなんだよ…」となって、目が涙であふれて、羽根木公園とおぼしき公園の風景がただのあわい緑の乱集合となった。他にもあって、それは手書きで原稿を今書いている保坂さんが「こうすると、楽しいの。こうすると、これはもうほとんどサッカーというかフィールドスポーツなんだよね」といった感じのことを話していたところと、「小説が思考の形態なんだ」というようなことを話していたところ。

「世界を説明するための入り口」について、観終わってからずっと考えていた。
ぼくにとって、それはなんだっただろう。本か、と思ったが、それは世界を説明するための、ではなく、年代も座標もバラバラに散らばっている様々の世界の断片への入り口であって、まだ説明することは不可能だった。じゃあ、じゃあ、と思って、またハッ、となって、それは、ほんとうは野球のはずだった。そのような入り口として、ぼくは野球に親しんでいたはずだった。ある呪いのせいで、そのことが確認できなくなっていて、それが最近野球を再開したことによって、溶けかけた呪いの襞の向こう側に、「ここが世界を説明するための入り口です」という看板がかかっているようだった。もう少し、それをぼくははっきりと見たい。

それで胸いっぱいになって、でもぼくはまだ『ハレルヤ』を読めていないし、買ってもいない。柴崎友香『公園に行かないか? 火曜日に』だってまだだし、そもそも読書記録も止まっているし、というか、手元に30冊くらいまた気づいたら積読している。でもそれでも、いいのだ。幸せだ。