武田俊

2019.2.18

空中日記 #025|過ぎ去った日がそこにあるように

10月21日(日)

ドキュメメントというイベントの中での、「ボーダーランド・ブックフェア」にて。企画であり司会であり先輩であり友人である安東さんは、2日で8本のトークを行い、2日目の最後を飾ったのは今年最も聴いているアルバムの一つである『告白』をリリースしたbutajiさんだった。以下はそのメモ。メモとしても、とってもおもしろいように思う。

butajiさんは、音楽が自分の部屋といっていた。

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話しながらまた自分の理解を深めること
どうしてこのままでいられないんだろう、生まれたからだよね。
作品を作ることは、灯籠流しみたいなもので自分をの課題が解決するわけはない
つくるほど問いは深まる。
一貫してポップスはつくりたい
複雑な言葉を、ポップスの形でつくりたい。共感のスパイスを必要とする
自己肯定できないのは、世の中に他者がいるから
自分の作品が、音楽が自分の部屋

10月23日(火)

あまりに自分にとって重要だった日のことを、人はどんなふうに記述できるのか。
今日が終わってから、この日のことを書けずに1週間が経った今、すでに記憶は断片的なものになってしまっていて、それでも、時間というものはリニアなはずが、僕はこの日以来、15年前の秋のある日の自分を、今と一緒に生きている。

この日の新代田キャッチボールクラブは、キャプテン會田さんとcinema staff辻さんが一緒にやっている「えるえふる」の、そのすぐ隣の串揚げ屋さんのチーム「白髭ボンバーズ」と試合を行い、そしてチーム創設以来初となる勝利を上げる。そして僕は、15年ぶりの勝利投手となる。

4時間借りていたグラウンドは、明け方に降った雨で少し濡れていて、でもそれが砂をちょうどいい具合に土に変えていてくれる。だからこのチームではじめての先発投手になった君は、まだ新しいマウンドに立つことになる。序盤は、例によって荒れている。おっかなびっくりに、しかもくせになっているインステップを気にしながら投げるから、右の股関節が回りきらず、それは昔からの悪癖で、だからボールはインコース高めに抜けていく。フォアボールとデッドボールで塁がすべて埋まると、打順はちょうど中軸で、事前の練習を見ていて明らかに上級者である相手チームのキャッチャーが打席に立つ。もう自滅することはいやだ。野手もどうしたらいいかわからず、静まりきったグラウンドはもういやだ。だからせめて早めにカウントを取ろうと置きにいったストレートは、おそらくもうその時点で相手の脳裏にはあって、だから当然のように高い放物線を描いた打球はレフトの頭を越える。

そして君は色々なことを、とても忌まわしい記憶を、思い出すことになる。
トラウマと言って、まったく差し支えないようなことを。
色々な時間を点在する、惨めな記憶を、マウンドの上で思い出すことになる。
無人駅の高校のグラウンド、近くの牛舎の臭気、秋雨、思いっきり降った腕とインハイに抜けた球、割れたヘルメット、罵倒、罵倒、罵倒、呼び出し、右ストレート、振り上げられた折りたたみ椅子、トスバッティングのネット、前蹴り、震える膝、跳ね返り際の右ストレート、左フック、右ストレート、鼻血、帰れ帰りませんの応酬。120キロのバーベルと、右膝前十字靭帯が切れる音。半地下のトレーニングルームと坂口安吾。トーキング・ヘッズのサイコキラーを聞きながら、泣きながらひとり踊った梅雨の日。あの雨は、半地下に降り注ぐ雨は、止まない。
そういった類のことを。
陰惨なことを。
それは思っているよりきついことだから、だからもうたくさんだ。

と、君はもう思わない。
この競技を、考えながらプレイすることを覚えた君は、もうたくさんだ、とは思わない。
イメージと実際の身体の動きの差分を、考え、修正することを君は試みようとする。
そしてそれは少しずつ成功する。
スライダーが決まり始めると、当然だがストレートが息を吹き返すことを思い出す。するとピッチングを組み立てる喜びというものに再会する。つまりそれはキャッチャーとの無言の、信頼と戦略をベースに置いた対話であることも思い出す。それが対話の中で、最も尊いもののひとつだということも思い出す。
それで、全部を、この競技の持っている美しいところと、それを好きだった時代の気分をあらかた全部思い出すことになる。
世の中の手触りが変化して、それが生きているっていうこと。
それもまた、全部思い出すことができる。

尻上がりに調子が上がっていって、それを僕は相手チームのダグアウトから飛び込んできた発言で知った。そっか、これが尻上がりってやつか、と笑ってしまった。試合前に
「武田くん、喝を入れられるのと、褒められるのどっちがいい?」
と種市さんに言われて
「どちらかというと褒められて伸びるタイプですね(照)」
と返したから、途中からショートに入った種市さんは僕をべた褒めしてくれていて
「ピッチャー、完璧だ!」
「かっこいいよ! これは打たれない!」
なんて言われるたびに、どういう顔をしていいのかわからないから、と思って出てきた返答が「チャス……」だった。

チームが逆転したイニングに僕はマウンドを降り、會田さんと交代した。
會田さんがマウンドに立った時、これは本当に嘘みたいな話だけど、それまでの曇天が少しずつ晴れ、その雲間から金色の光が差し込んで、マウンドを照らしたその時、今日は勝てるんじゃないか、と思った。
そして新代田キャッチボールクラブは、初めての勝利をものにした。

そのあと銭湯に入ったり、えるえふるで飲んだり、相手の串揚げ屋さんで飲んだり、またえるえふるで飲んだりして、本当に素晴らしかった。応援歌をかけながら飲んだ。試合に来られなかったとんかつさんは、今までで一番残念そうな顔をしていた。彼を含め色んな人からそれぞれの理論でアドバイスを受けていたゆうやさんは、「もうなにを信じたらいいかわからないよ〜」と言いながら笑っていた。それを見て僕も笑っていた。全員が全員笑っていた。さらに僕と會田さん、じゅんやさん、種市さんは、ヘロヘロになりつつもう一軒寄って飲んだ。ヘロヘロだったのは、僕と會田さんだけだったかもしれない。投手は酔うということは、大人になってから知った。あまりにもセンチメンタルで、エモーショナルでハッピーな日になった。

立ち飲み屋は、野球選手のものまねをしながら飲むのに最適な場所だと知った。

10月24日(水)

起床というのは、目を覚ますことと身体を起こすことが連動する動作だけど、この日、目は覚めても身体を起こすことができなかった。右肩まわりと、左の大殿筋が
バッキバキだった。苦笑するほどで、それで苦笑して、もう一度ベッドに入って。

10月29日(火)

朝起きて、洗濯物やお茶を入れたり。てきぱき過ごすも体がついてこない。山の中にまだ一部が残っているような気分。もう一度ベッドに戻るとここ数年で最も深い眠りに落ちていった。

お昼はみそラーメン。

そのまま村へ。たかくらもどってきてる、長久さんいる。ほむらいる。作業。

夜、おすしかう。鯖の棒鮨。30%引きって、イメージより値引きされる。
使ったことのない食器用洗剤を買うとき、小さな生活の喜びを感じる。
この数百円で、まだまだ知らない生活にぼくたちはダイブできる。
ウィスキー買う。チーズを生ハムで巻いたの買う。
もうすぐ引っ越すこの町には、まだまだ知らない他愛のないものが満ちていて、それを愛用している人のことを考えたりする。
キャンプのジャーニーマップをじゅんこと。ジャーニーマップも色々だ。

11月28日

範宙遊泳『#禁じられたた遊び』がの公演が無事終わった。
ドラマトゥルクというか、編集という形ではじめて関わった。
主宰の山本卓卓と初夏あたりから、リサーチや対話を通じて戯曲を練り上げていったわけだが、それでもまだわからないことがひとつある。

戯曲は、いつ完成を迎えるのだろうか。
というか、
演劇は、いつ完成を迎えるのだろうか。

けいこの中で戯曲は姿かたちを変えていくはずだと思ったから、できる限り稽古場にでかけたいと思っていた。それで完本してからの通し稽古に足を運んでいたのだけど、そこで現場との認識の不一致があったり、通し稽古というものが役者に与える負荷なんてものをぼくはまったく想定できていなかったがために、ディスコミュニケーションが生まれてしまった。その中で、それでも戯曲は役者の声を通すことで立体化し、それが(テキスト上で)想定した効果からずれてしまっていたら、その箇所を修正してゆくという作業が発生した。

けいこの中で、戯曲はさらに「編集」され、それは戯曲というテキストが、そもそも役者の身体と舞台という空間を必要としているからなんだろう。

じゃあ、演劇はいつ完成されるのか。

今回の作品は、役者の中には明確な演劇のキャリアがない、初舞台だという人が含まれていて、ぼくはひそかにその人物が本番の舞台である吉祥寺シアターに入ってからどんな風に変わっていくのか、あるいは変わらないのか気になっていた。そして彼女は劇的に変わっていった。セリフの濃淡がつき、途中から笑いが起きるシーンが生まれた。その箇所をテキストで読んでいる時、ぼくは「ここ笑えるシーンだな」と思いながら編集をしていたのだけど、実際の舞台ではシーンとしたままだった。「そうか、そういうものかもしれないな」と思っていたところ、彼女のパフォーマンスによってある回から明確に笑いのおこるシーンになった。
その時、この舞台が完成されたのかといえばそれはまた違って、演劇というものはある水準以降、完成しないものなのかもしれない。

クラシックミュージックも同じか、と思ったけど、彼らには明確に表現の全体を定着させた譜面がある。演劇には戯曲しかない。
いつかまた年がたって、この作品が再演されるとき、また完成に向かったりあるいは遠ざかったりまたは完成の定義が変わったりするのかもしれない。

12月7日(金)

引っ越しを控えているから、部屋の中はダンボールだらけで、そもそもその作業をするのが億劫だなと思ったから後回しにしていたら、じゅんこが全部やってしまった。3次元の空間処理が何よりも苦手だから、本当にぼくはやくに立たない。ダンボールにものを詰める順序もわからないし、配送業者のことばかり考えてしまうから、彼らが持ち運びやすいようにするためには、今目の前にある物品を大小どちらのダンボールに詰めるべきかがわからない。わからないのでそのまま突っ立っているわけだから、これはじゃまだ。ということで、3日間、ビジネスホテル暮らしをすることにした。ちょうど仕上げなきゃいけない原稿もたくさんあるから、カンヅメだ。

そう思って、大塚の駅前のビジネスホテルに逗留することにした。
新宿はおそらくインバウンドの観光需要なんだろう。アパホテルなんかが、シングル1泊で15000円もした。そのほかのホテルもそのくらいで、むしろ直前なのもあって空きなんか全然なかった。それでどこか近場ではずそうと思った時、大塚、と思って楽しくなった。バッティングセンターと飲み屋さんと荒川線が交差する町。

それで意気揚々とでかけたはいいけど、楽しかったのは初日だけで、そのあとはずっと鬱々と過ごしていた。資料も足りずモチベーションも上がらない。出張とはわけが違って、都内でひとり部屋で過ごすのはあまりぼくには向いていないようだった。夜は飲み屋に出かけたが、大提灯は楽しかった。新しく人工的な飲み屋街ができており、そちらの博多スタイルの焼きとん屋?のようなところにも出かける。味は悪くないが、一人客を想定していないのか、料理のひとつひとつのサイズが大きかった。それでも久々に一人で入る飲みやは楽しくて、いっぱいのホッピーセットに対してどのようにつまみを頼むか、それを按分して食べていくか、ということを計画しながら進めていくことが楽しい。机上の運用である。

12月9日(日)

新しい部屋に引っ越して2日目。
まだ間取りになれず、廊下を歩くのにもあたふたとおぼつかない感じがする。早くダンボールをすべて片付けたいが、1室混ざった和室(ここが最高の空間になる気がする)の畳を傷まないようにしたい。ならどうするかと思って調べたら、ほぼ同サイズの合板でもなんでもよいからとにかく板を敷きなさい! ということで、じゃあホームセンターで切って持ってくるか。軽トラ貸してくれるし、と思ったけどひとりで軽トラはやや不安なのもあり、今日まで買えていない。