武田俊

2019.2.25

空中日記 #026|「10分後に図書館がある」と詩人は言った

1月10日(木)

朝、目黒考二『笹塚日記』。
同じ町に違う時間他人が過ごした視線を取り入れながら、いまの町を歩くことを楽しんだりするための読書。

通院。下高井戸から世田谷線に乗るルートのことは嫌いじゃない。2両編成で、一両は後ろ向きに進む座席。そういう電車が昔苦手だったけれど、自分自身を後ろ向きに移動する生き物としての海老やイカのイメージで捉えながら車窓を眺めると、流れる風景や速度がなじんだものに見えてくる。無理のない移動。後ろから前にながれてゆく風景。それは楽しい。

夜、昨日の白湯の鳥のおなべを改良して、より強固な鶏感とにんにくと辛味を加える。辛味はじゅんこがスウェーデンから持ち帰ったやたら瓶のデザインがかっこよく、やたら辛味の強い何で出来ておるかよくわからないレッドホットチリペーストを加えて、新しいおなべに転生させていったら、いい味になってほくほくした。

この味がいいね、と自分で言ったはいいものの、はて食べたことのある味な気がしてきて、記憶を引き出してみたら天一のこってりラーメンに、にんにく薬味を落としたものに近くて笑った。にんにく薬味、ぼくが学生の頃は卓上にあったけど、彼ら、いつの日からか店員さんに頼まないといけないアイテムになってしまった。そのことばかりが思い出された。

遠隔でMTGをひとつこなしたあと、マセとそのまま1時間くらい年末からのできごとをだらだらとおしゃべりしていると、ケガしている間にあっというまの感じで時が過ぎたことが体感できた。

そのあとリハビリわ兼ねてキーボードタイピング。年末に骨折でおしゃかにしてしまったトークイベントについて、担当者とリスケの連絡。何やら巨大サービスが立ち上げる巨大メディアについての相談。また今度は大手企業が動画をつかったなにやらの相談。それのお返事などをしていたら、手より先に目が逝った。

明日は色々やることの計画を立てたいな。
久々にTrelloひらいて仕事のタスクまとめて、あと作品の方の制作とスケジュール切って、Dropbox整理して、NUROとか申し込んだり事務処理したり。そういう瑣末な作業をたんたんとしたい、ということはだいぶ調子がいいみたい。うれしい?うれしい気がする。

1月16日(水)

ヨーグルトを切らしてしまっていたから、朝は食べるものがなかった。朝食べるものがない場合、朝の時間をどう使えばいいかわからない。というより、何かに向かって(何かというか仕事だ!)その助走として朝の時間をつくっていくことをこの一ヶ月しなくなっていたから(なぜかといえば療養だ!)、余計に朝の時間の使い方がへたくそになっているのかもしれなかった。
だらーんとした時間の中で、太陽の日を浴びる。
南向きの大きな窓があるこの背の高い部屋は、一日中日光がはいるのがよかった。

昼、じゅんこがめずらしく家で作業をしていたので、一緒に外にでかけお昼を食べることにする。それでシャワーを浴びたり、どんな服だったら今の自分にも着ることができるだろうといそいそ準備をする。三角巾という存在は、普段の服を着ることをしにくくさせるから、前開きで大きなサイズの服、というのが必需品になっている。鏡の前に立つと、体は健康にもかかわらず運動が全然できないという今の状況が与えたもの(ゆるふわボディだ!)に、ぎょっとする。「ぼくってでぶになったの?」と聞くと「気にしすぎ!そんなことないよ」とすぐにかえってくるも、いや自分の変化は自分が一番わかっている、適当に返事をしているに違いない! とイライラしてくる。もう一生ご飯なんて食べない、今日も洋食屋さんになんか行かない、という気持ちになる。思春期かよ。

結局家を出てぽくぽくあるき、もともと行きたかった町場の洋食屋さんはがっちりとしたおじさん二人組がちょうど目の前で入店していって、そこは地下の店舗だから中が見えない。きっとああいうがっちりとしたおじさんグループがたくさんいるのだろう、デカ盛りみたいなライスの量なんじゃないか、だとしたらこんな骨折している男とその妻みたいなカップルは取り合わせが悪い、きっと夕食は塩分控えめのメニューを奥さんが用意しているから、がっちりおじさんたちにとってこの洋食屋でのお昼ごはんが人生の中でも何よりの喜びであってだからあんなににこにこして入っていくわけで、そのオアシスあるいは楽園のムードを、自分たちの浮ついた存在で汚してしまってはいけない。

なんてことを考えていたらお店に入れなくなって、だから代わりに駅ビルの中のお肉のバル、みたいなところのランチにはいった。じゅんこはハーフパウンドのステーキを頼み、ぼくはハンバーグがライスの上に乗っちゃったよ、えへ、楽しそうでしょ、というプレートを頼んだ。楽しかった。

家に戻るとじゅんこは藝大に出かけていったから、たまりにたまった作業をどう行っていくかという算段を立てるつもりが、それが恐ろしいからかとりあえず手近の〆切のもののうち、触りやすいものから片付けていく、というやってはいいけない方法をとってしまう。それでも想定より作業に時間がかかる。

その時知らない電話番号から着信がきて、さっと出ると「あ、どうも○○です」という。こういう時に話す定型文がぼくの中にあって、そのフレーズは長らく使うことがなかったのだけど、すらっと口から出てきた。
「あー、すみません。なんでだろうな、携帯を変えたときからか古い番号のデータが消失してしまったんですよ。ごめんなさい。どちらの○○さんでしたっけ?」
それで名乗ってもらった名前を聞いて、ぐわんと驚いた。あまりに懐かしい名前で、10年ぶりほどの会話がはじまった。

大学の時につくっていた雑誌『界遊』にもたびたび寄稿してもらって、その時のぼくらのたまり場であるピロティ下で、一緒に安ウイスキーを飲んだり、たばこを吸ったりしていた詩人だった。彼のことをぼくはとても尊敬していて、言葉の使い方や選び方(鋭さ、たおやかさ、チャーミングさ)に、毎回作品をいただくたびに感動していた。ぼくは彼にパウル・ツェランを教わって、それはその後自分の中でとても大切な詩人の一人になった。

ぼくたちはその時乱暴な世界に対して、できるだけ真摯に「文学」を通して立ち向かおうという姿勢でいた。だからジャンルを問わない文芸誌のようなものを志向していて、だからこそそれぞれが日常接しない表現形式の作品にも、全員で読み込み、どのような意図が隠されているかを解読しようと試みたりしながら、掲載作品を吟味していった。俳句や詩など読んだこともない、というメンバーに対して、日常的に俳句を制作する子が、その読み解き方を教示しながら、逆にそれが評論となれば立場を入れ替えまた教えあい読み解いていく。その途方もなく時間がかかる編集会議の中で、詩を普段読まないメンバーからも毎回絶賛されていたのが、彼が送ってくれる作品だった。

「めちゃくちゃ久しぶりですね! うわあ懐かしいなあ。お元気でしたか?」
「それがね、元気ではないんだよ」
そのあと聞かされた彼の近況に、あとから思うとこれが絶句というやつか、と思い当たる反応をおそらくしてしまった。ことばが出るか出ないか、という状態で意識と器官がフリーズして、でもその間をそのままにしていたら相手にとって不可解だろうという意識がすぐに頭をもたげてくるから、口から「ああ……」という音がこぼれ落ちる。それが絶句、の正体のようだった。詳細を具体的に書いてはいけない気がする。だから今、2019年2月25日の今のぼくはUlyssesから直接貼ったこのテキスト群に対して、それが実際に記された時間軸を主体とすれば未来からの手段でもって改稿する。これは10年ぶりの突発的な親密さが与えてくれた極私的な情報であるから、具体的には書いてはいけない気がする。だからdeleteキーを叩きに、未来からのぼくはいまここにやってきて、UlyssesのテキストはそのままにWordPressのエディタを直接いじっている。それでも自分にとってほんとうの日記とは原初からそもそもこの世界と他者にひらかれたものであるべきだから、ぼくは少しだけ書き添えてここに置いておくことにする。身体と言語の自由さ。その自由度から得られる様々なものを世界は彼から取り上げていった。それはあんまりにもあんまりで、当然感想を記すことなどできないことだった。残ったのは生理的な反応だった。頭痛、謎の汗、そしてたまに生じるぼくの吃音。喉の奥から不必要に漏れてきたくぐもった音が、吃りによって繰り返された。

こういう、なんであの人に限ってそんな目にあってしまうのだろう、ということが思えばこの数年頻発というほどではないにしろ、身の回りで起こっている気がした。人にいわせれば、高校野球という呪いが溶け、やっと本当に気持ちの良い姿勢で野球に向き合いはじめたぼくが、投球骨折というケガを追って手術と入院、ということになったのも同じような悲劇だった。

でも続くんだよね、人生だから。
ガーンとなった状況でおしゃべりを続けていると、彼は絶望しているわけではなくて、自分の置かれた状況をどううまく捉え直すか、ということをがんばっているようだった。いや絶望はしているのかもしれない。だけど、このおしゃべりを通してポジティブに自分の状況を捉えなおそうとしているのかもしれなくて、だから次第に電話をしてくれたことがうれしくなっていった。寄り添って話を聞こう、ぼくにできるのはそれなんだ、と思って聞いた。そして思い出したこと、自分も体調を崩してみんなでつくった会社をやめた時の気持ち、そのあとの人生の波乱や治療のこと、などを話した。
「あなたも大変だったんだねえ」
と彼はいった。それが、言葉以上の共感、エンパシー、よい意味での憐憫がつくる親密さのようなものを呼び込んで、ものすごく心のひだが過敏になりつつもその周囲にじんわりと温かいものが訪れた。お互いにその憐憫のベールに包まれて、気がつくとぼくは電話をしているあいだじゅう、ずっと目をつむっておしゃべりを続けていた。九州のどこかにある詩人の実家と引っ越したばかりのぼくの部屋がつながっている。点線だったそのつながりがこの憐憫のベールの湿潤としたぬくもりによって、目には見えない確かな実線に形を変えていく。それは次第に輪郭を帯びていき、よくよく考えてみたら指だった。世田谷と九州のその町からそれぞれ伸びた指が、互いにからまって、爪、相手の指紋や指の節のしわを探っていた。そこにあったのはまぎれもない体温だった。生きているんだ。思えばぼくら何回も死にかけて、今、生きているんだ!

瞼の裏側に西日が入り込んで、血の色の向こうに10年前の彼の姿がぼんやりとした輪郭で浮かび上がって、そこには青二才のぼくもいた。陽炎みたいに血の色の中でぼんやりと立っているその二人の幻影を、骨折した腕といっしょに抱きかかえてあげたい。たくさんのことがその身におこるけど、とりあえず2019年まではだいじょうぶだから、と伝えたい。そのことを保証する。君たちは生きている(何度も死線を越えながら)今も(これまでも)生きている。

「あなた、本が好きだったよね。最近読んでよかった本はありますか?」
と聞かれたから、僕はこれまで避けていたサリンジャーがどうしてなかなかよいんです、大学の時にサリンジャーが好きだったような奴らって完全に自分のことをホールデンだと思っていて、ほらぼくって繊細だからさ、ってムードを出していたからケッと思って、じゃあぼくはドロドロしたものだよ、と思って無頼派! とかやってたんですけど、これがいいんです。そういう自意識が薄れていった状態で読むサリンジャーは、完全にイノセンスで世界と向き合ってるってことに気づけていいんです。と話した。あとびっくりしたのが、『ライ麦畑でつかまえて』が出版されたのが1951年で、その翌年に『老人と海』が出ているんです。こんな対照的な作品が、同じ時期に!ってびっくりしました。と続けた。そのあとヘミングウェイといえば『移動祝祭日』がとっても好きですと話した。

「なるほど。そうしたらちょっと探してみるよ」
「お体に触るかもしれないから、Amazonでぱっと買うのもいいでしょうね」
「あ、でも家の図書館で探そうかな」
「ん、お家に図書館があるんですか?」
「そう、10分後くらいに図書館がある」
「……そうなんですね。あ、電話またいつでもかけてくださいね」
「ほんとう? いいの?」
「もちろん! ぼく今自由な時間で仕事しているので、でれる限りでれるんです、電話」
「じゃあ、またかけちゃおうかな。長い時間ありがとね」
「うん、じゃあ!」

そうやって会話は終わっていった。少しずつ終盤、ことばがほどけていって、それでたぶん自宅そばの図書館について、そのように話したのかもしれなかった。聞く限りの容態だと車椅子移動なのかな。そうしたらそれは自分の意思でコントロールしきれない移動になるのだろう。だとしたら10分歩いたところに、ではなく、10分後に図書館はあるのだろう。10分後の図書館、そのことをしばらく考えていて、その感じを忘れたくなかったから、さっとUlyssesを開いて
「詩人、電話、10分後に図書館がある」
とだけメモをした。

1月17日(金)

朝昼兼用で納豆ご飯。冷凍してたご飯が思っていたより大きかったから、納豆2パックという暴挙に出る。こういうことでも贅沢な気持ちになれるから、得な性格だと思う。作業部屋にこもって午前集中したあと、午後は美容室へ。石川くんに新年のあいさつをする。話題はやっぱり年末の骨折のことになる。もうずいぶんたくさんの人にこの話をしてきたから、どうすれば彼らにより興味深く聞いてもらえ、より折れた時のエピソードでしかめっ面をしてもらえるかがわかってきた。

今年のテーマをちゃんと決めていないけど、まずひとつあるのは「自分でつくるとおいしいね」というのがあって、これは料理でも文章でも、自分でつくると同じレベルのものでもおいしく感じるのだから、自分でつくって味わう、ということを気負いなくやってみようということ。

もうひとつ漠然と思っているのは「強さのとらえ方を変えること」。これは自分のためにとても大切で、もう強力な負荷に耐えながらがむしゃらにがんばる、という年齢でもないし、そういう生き方がいい加減あわないタイプの人間だということもわかってきた。その意味で、自分をもっと甘やかしながら、がんばりかたを変えてあげたい。パワーやスピードではなく、しなやかな動きから生まれるノビ、みたいなものを目指したい。そう思っていたから、髪の毛、イメージを変えたいとなったけど強くハイライトを入れたり、斬新な髪型にしたりするのではなく、人生ではじめてパーマをかけてみることにした。パーマを自分がするというのは昔から抵抗があって、なよなよというかフェミニンな気がして避けていたのだ。仕上がったふわっとしたくせっ毛は、なんだかでもいいものだった。

夜、ベッドで目黒考二『笹塚日記』。しらないお店が知らない時代に住んでる町にたくさんあるということ。

日記がむずかしいなあ、と思うのは、とっても書きたいことがある日と、どうもそうでもない日があることで、例えば昨日。ひょんな電話のことで紙幅をたくさん使ってしまったため、夜にfuzkue阿久津さんとDaily Coffee Standのゆうくんとの定例会での会話など書けなくなってしまった。紙幅とつかったけどデジタルなので実は関係なく、ただ昨日は日記に時間をかけすぎてしまったのだった。

自分は日記で何を書きたいのか。
恐らくそれは明確で、その日にあった出来事と、そこでの心の動きや機微をあわせて記録しておきたいのだと思うが、いかんせん心のほうが何事においてもぐいぐいと動きまくってしまう特徴を持っているものだから、ひとつのエピソードだけで4000字とかになってしまう。落とし所をどうつけるか……。今年は何事も続けたり、あるいは終わらせたり、ということにトライしたい。なので日記も、続けていけるためのフォーマットを開発する必要があるんだろう。ぼくの中の理想の日記は、たぶん阿久津さんのそれなのだけど、あれはお店という定点にいるからこそ可能で魅力的なフォーマットだろう。

じゃあそうでないものは、となると、ぱっと出てくるのは川上弘美『東京日記』。短くて、でもそこに世界を捉える時の独特のチャーミングさを持った目線で、日々が切り取られる。ただこれはやはり小説に近いものだと思う。