武田俊

2021.1.18

空中日記 #035|ぼくは会話が書けない

12月21日(月)

アオちゃんとハナちゃんがケーキをつくる動画が妹から送られてくる。ぼくらが一緒に過ごした3年ほど前のお誕生日には、ホイップクリームを左官屋のように伸ばすナイフでケーキを突いていただけのアオちゃんが、実に器用に土台のケーキを回転盤で回しながらクリームを伸ばしている。ハナちゃんはまだその真似しかできないけど、うれしそうにしている。こういう光景だけで、生き物がただ生きていくことを肯定できる気持ちになるから毎日送ってほしい。

写真家の黑田に依頼していた原稿のことで、その後どう?とLINEしたらこれは口語で話したほうが早いし深い、と思ったので通話する。的中。それでどこで困ってるかを聞いたところ解決策が思い浮かんだので提案、いいね!となって方向性を変えて再トライしてもらうことにした。散文的な感覚でなくっていい、断片で、ロングキャプシャンだと思えばいいと思うよ、ってぼくは言った。

そこからぼくの創作相談室みたいな話になった。結局悩んでいるのはぼくのほうだったのかもしれない。黑田がぼくについて語るぼくのことは、すべてがどれも的中していて、そういえばこの人はどこか魔女的なひとだったんだと思い出す。

「武田くんは自分が編集者だから、編集者としてそう有りたいって振る舞いを担当の人に求めちゃうんだよね?」
「そうだんだよ! そこでペルソナがわかれちゃうと、もうなんか著者でいられない感じになっちゃうの」
「でも、他人だからね」
「わかるよ。でもせめてぼくを編集者にさせないでって思う。だから連絡も向こうからもっとリードしてほしいし、お尻叩いたりしてほしいのよね」
「じゃあ、武田くんの編集者属性みたいなものができるだけ発生しないで済むよう、してもらいたいことを明確に伝えるといいよ。それが〆切つくったり段階的に連載しようってことにつながるかもしれないし」

うんうん、そうだよなあと思う。それから仕事の話もした。ぼくは自分が編集者として規模の大きなことをすることを恐れている、それはそういう仕事の仕方をすることで、自分の中の大切な部分や誠実にしたい部分を汚してしまいかねないからだ、というようなことをどちらかともなく話した。黑田はぼくが(今思えば)軽躁のまま突っ走った狂乱のスタートアップ時代を知っている数少ないひとの一人だ。

「武田くんは経済的にもそこそこ成功するひとだって思うけど、マーケティング!みたいにはならないでしょ」
「うん、大成功する人ってもっと資本に対しての野心がサイコパス的に高い人だって思う」
「そう。だから大きい仕事をしても、大切な部分が歪んだりしないよ」

最後に黑田は「書き手として尖るってことと、編集者として尖るってことが相反するって決めつけてない? そんなことないかもよ」と言った。

電話を切ったあと興奮していた。だからそのまま淳子に話したことを伝えて「どうして淳子も黑田もぼくがわからないぼくのことを知っているの?」と聞いた。

「あなたのことを知っているんじゃないの。ただ創作のしかたを知っているのよ」
と淳子は言った。

夜、オンプラ。ゲストはNEUT MAGAZINEの平山くん。リモートの回線不良で映像はつなぎつつ音声は電話から引っ張ってくるという変則方式になったのだけど、これはやってみると不思議なものだった。だってモニターの中でスマホを片耳にずっと当てながらテレカンをしている人物と、話したことなんてないんだもの。テレカンは両手がフリーだということに逆説的に気がつく。

寒かったからというか、風邪が怖いので電車で来た。帰りは明日が忙しくてやばいという押くんとタクシーで。おしゃべりしながら移動できるから、電車やタクシーもいいなってすっかり自転車人なので思う。喫煙所のある東京FMビルの8Fにあったちょっとみすぼらしいツリーに、オーナメント代わりにたくさんのクリスマスアルバムがぶら下がっていた光景が、なんだかさびしくて好きだった。

今日のプレイリストは笑っちゃうくらいシンプル。

週末のパーシモンホールが楽しみだ。

12月22日(火)

昨日は寝る前にカポーティ『クリスマスの思い出』を読んだ。

なんだか最近Twitterをうまく使えている感じがする。ただ自分がしたこと、頭の中で浮かんでいることを記述するだけのツールだと開き直れたからだろうか。日記の素だと思えばいい気がする。今日は自分のために時間を使っていい日だぞ、と言い聞かせる。精神的なピラティスみたいなことを火曜はすべき。

で、Netflixで『呪術廻戦』見ながらご飯を食べる。家族で食事をする時に実家ではテレビがついていて、みんなでそれを見ながら感想を言い合ったり、最近のことについておしゃべりしていたから食事時に何か映像が流れている状態をぼくは比較的好むようだ。町の中華屋さんやそば屋さんでニュースや野球が流れていると楽しいのもたぶんそれだ。

ただ火曜、起きるのは昼あたり。その時間にテレビをつけると地獄のような、まるで大衆を低次元の知識レベルに押し止めるかのような醜悪な番組にぶち当たるので、何か別のものを見たい。ただし長すぎないもの、そしておもしろすぎないもの。となると、このあたりの作品が自分にとっては丁度いい。それにポップカルチャーのインプットにもなる。

例によって少年誌的表現が苦手だなと思うけど、両面宿儺というマイナーなものをモチーフにしててその点の興味から見続けることができる。両面宿儺は4本の手と2つの顔を持、飛騨に降り立った古代の鬼神として『日本書紀』に描かれている。そのもととなるのはどうやら飛騨の奥深き山間で大和政権に逆らっていた義賊的な豪族だったとも言われていた(はず)。そしてそのことに興味を持った坂口安吾が『安吾の新日本地理 飛騨・高山の抹殺――中部の巻――』で書いている。

というのが一時期、飛騨観光協会の案件で四季折々の飛騨の地を訪れていたぼくのリサーチの結果である。あれは──1日に5件(都内でならまだしも地方では大変)の取材みたいな過酷な現場だったけど──楽しい仕事だった。と思って、探したらまだサイトがあった。
http://hidabito.jp/

12月23日(水)

なんで毎年年末になってはじめて、年末って忙しいなって感じるのだろう。忙しさでどうにかなるのが嫌なので、無理やり髪の毛を切りに行く。形は前回通りでちょっと伸ばしつつ、久々にカラーをすることに。といっても全体ではなくハイライト。多めにハイライトすることにしたらブリーチ段階で頭に大量のアルミホイルがつけられて、電磁波を避けて生きる宗教の信者になった気持ち。

数年前から冬場は少し伸ばしてカラーかパーマをすることにしているのだけれど、ここ2年はパーマだったことに気づく。色はお任せして暗めのブルー・グレーみたいな感じに。思っていたほど発色しなかったので、次回はヘアマニキュアで入れましょうとのこと。その方がビビットに発色するらしい。日常の中の化け学。

夜。2週ぶりの柔術。4回目、累計360分。デラビーバー→リバースデラヒーバ→ワンレッグ→Xガードの流れ、Xガードからの草刈とその亜種、2種類のコムロックと十字への展開を学んだ。複雑で脳、大混乱。初めて尾崎さんにスパーをお願いすることができたけど、何もできなかった。ひたすら引きづられ回転させられて清々しい気持ち。相手が知らない技を繰り出すと身体が常にスクランブル状態になるので、うまく脱力して体力マネジメントしたい。

今日から柔術のときはネルゲンボトルで薄めにつくったBCAA飲むことにした。現在の運用はマンゴー味。今までで一番おいしい。グレープは灰汁みたいなやな味がした。

12月24日(木)

『サイバーパンク2077』について現在のところもっとも素晴らしいテキストに出会う。マーク・フィッシャーから最果タヒにつなぐ、愛とペーソスに満ちたポエジー。
https://proxia.hateblo.jp/entry/2020/12/22/204031

何もまだ習熟していないにも関わらず、現状の生活の中で圧倒的におもしろいと感じる柔術のそのおもしろさについて考える。

朝からMTGが続いてへろへろのまま、何も用意していないイブを迎える。現状を起点にイブの幸福を最大化させるために、買い物に出かける。都合のよいチキンや都合のよいオードブル的なものをもとめることに成功。インスタントでプラスティックな資本主義的イブに万歳という気持ち。

 12月25日(金)

朝、BONUS TRACKの定例。新しく敷いたシステムにみんなが慣れ始めている感じがして、それは最初緊張していたり牽制しあっていたコミュニケーションが打ち解けはじめて盛り上がりを見せる飲み会のそれに似ていてうれしい。

キッチンエリアで何やらビリヤニをみんなで食べる、みたいなムードになってきたけど、ぼくは新しく鎌倉通りにできたマルキ食堂に淳子と一緒に行ってみるという約束をしていたのおいとまする。

ラーメン屋さんに行くと自分がさもラーメンクラスタの人間になったかのような感じがしてい楽しい。自分が感じた旨味のバランスとかを、「キレのよい魚介系の旨味とコクとその奥から甘みすら感じられる鶏ガラの旨味」みたいにわざと表現してみるのもよい。

そのあと下北沢を散歩していると北口サイドに新しくできたビルとコメダを発見。ブロンプトンを折りたたんで入ってみると、ボックスが2席メインだがちゃんとコメダだった。各テーブルにはコンセントも配備してあり、座ると視線が交差しないような高さに背の低いパーティションが設けられていて落ち着く。そして想定していなかったのは、都内でコメダに入ると帰省しているかのような気持ちになること。擬似的な帰省としてのコメダ、ちょっといいかも。

12月26日(土)

先週の金曜は今期最後の講義で、学生に出した「レビューを書いている」という課題の講評だった。全部で40名ほど受講しているから全員分授業内で触れることができないので、良いものをいくつか選ぶことにしてる。基本的には優秀なものから選んでいくことになるんだけど、その中でレビューとしての質は決して高いとは言えないものの、どうしても選びたい作品があった。

その生徒がレビュー対象に選んだのは吉本ばななの『キッチン』で、推敲があまりていねいにされておらず誤字や脱字がちらほら。でも強く目を引いた箇所があって、それは作中人物のみかげへの目線だった。

その生徒は「心地良いソファのことだとか、窓から見える景色だとか、私が普通に暮らしていたら特に気にかけないだろうことをみかげはとても大切にしているように見えた」と記していて、それがぼくは小説が読者に与える効果や影響のうちもっとも美しく素晴らしいもののひとつだと思った。

存在しない人物が、その生活の中であるものを「とても大切にしているように見え」るということ。その想像力の羽ばたきこそ、ぼくが文学を実学だと思っている重要な部分なんだって思い直させてくれて、だから授業でも口角泡を飛ばす勢いでこの部分が大事なんだってモニター越しの40名と新見に向かって話した。新見は、うんうんとうなづいていた。

なので、久々に読み返したいと思ってでもどこにあるかわからないからKindleで『キッチン』。冒頭からハッとするフレーズがある。

「どうして、私を呼んだんでしたっけ?」
私はたずねた。
「困ってると思って。」親切に目を細めて彼は言った。「おばあちゃんには本当にかわいがってもらったし、このとおりうちには無駄なスペースが結構あるから。あそこ、出なきゃいけないんでしょう? もう。」
「ええ、今は大家の好意で立ちのきを引き延ばしてもらってたの。」
「だから、使ってもらおうと。」
と彼は当然のことのように言った。
彼のそういう態度が決してひどくあたたかくも冷たくもないことは、今の私をとてもあたためるように思えた。なぜだか、泣けるくらいに心にしみるものがあった。

ぼくは全然会話が書けない。口語を書き言葉にしたときの違和感に、正面から立ち向かえていない。『キッチン』これからお風呂で読むことになりそうだ。

午後、『佐々木、イン、マイマイン』を観に武蔵野館に行く。プロデューサーは汐田海平くん。汐田くんは大高さん徳至くんと一緒に、MOTION GALLERY STUDIOを立ち上げるときのメンバーで、ぼくはそのコピーなど言葉まわりの制作で関わったからその時になんども飲んでいて、ガッツと熱量のある同世代の友人の一人として頼もしい気持ちだったから、どこかで必ずこの作品を観たいと思っていた。

予約時には10名に満たなかった座席が、当日には8割近くが埋まっていてうれしい。映画は──素晴らしかった。27歳、うまく行かない東京での役者生活、不意にバイト先の倉庫で出会ってしまったかつての同級生、そこから思い出されるお調子者・佐々木との思い出……。好きじゃないはずがなかった。多田と飲むシーンでは今はなき神保町・酔の助が出てきて、それは真利子哲也監督が撮った『宮本から君へ』のそれと相似形で、なくなった店に好きな作品が内在していることがなぜだか救いのような気持ちになった。

作品もだが広報物も出色で、とくに傘連判状を模したポスタービジュアルは、この座組がどんなものであったかを言葉なくして物語ってくれている。役者と監督が共同で脚本をつくり、汐田くんと出会い作品になった。そういうひとつの奇跡のような物語がものづくりの現場にはあって、だから真摯に向き合いたい。監督はかつて新宿武蔵野館でバイトをしていたそうで、だからこの劇場でみられてよかった。

下北沢へ。劇場を出て電車に乗っても余韻はむしろその濃度をましていて、駅前に降り立ったならばそこにはさっきまでの登場人物たちが無数に行き交わしている青春の町並みで、だから動悸がした。待ち合わせまで時間があったから、花泥棒に行ってカウンターに座りランプの下で買ったプログラムを開いた。汐田くんのテキストのところで、より仔細なこの映画ができていくまでの物語が記されていて、劇中のラストシーンで感じたのとおなじような熱いものがこみ上げてきてページを一度閉じてコーヒーを啜った。

時間が来て店をでると二人とも遅れるということだったから、下北沢の全域をとりあえず歩き通すことにする。駅前の南口から王将へと至るルートは、ぐらばーが移転してしまってからすっかり歩かなくなっていて、いくつも新しい(そしてすぐ撤退しそうな、撤退となっても構わないという感じで出店していそうな)店に変わっていた。ひとまわりしてほん吉さんへ。「この小説はさ、ゴダールの映画でにも出てくるんだよね。どんな映画なのかは、ちょっとこんな場所では言えないような話だからさ……」と連れの女に話しかけている丸いメタルフレームをかけた男が話していて、これが大学生くらいの若者だったら微笑ましいけれど、ぼくと同年代か少し上くらいに見えるそういう年齢だからイライラした気持ちが教え寄せてきた。なんというダサさなんだ!

それでも一通り棚を回遊して、みすず書房から出ている『前田愛対話集成Ⅱ都市と文学』と庄野潤三『星に願いを』をもとめようとしているとネオさんがやってきた。時短だしどこに入ろうかねと話して、結局都夏に入る。久々だけど、下北に住んでいた時のお正月にたかくら、こんちゃん、もしもしなどで都夏に入ったことを急に思い出して選んだらしかった。

すぐに安東さんも来て、今年のいろいろを話す。メディア界隈にはひどい話が多かった。そういうものをちゃんと批判する精神と言葉を持ち続けること。お刺身や鹿やいろいろを食べた。ネオさんは「鹿食えっかなーどうかなあ。あ、食べれた! 全然だいじょうぶ!」と言っていて、年末にひとの初めてに立ち会えたのが、なんだかじんわりとうれしい。

最後にぐらばー。今年最終営業とのことで年末のごあいさつができてよかった。お母さん、在庫処理とばかりにたくさんの食べ物を出してくれるも食べきれず。日付が変わる前に解散。これ続けていきたい。もう一山を追わないで変えられるように。

12月27日(日)

ROTH BART BARON「けものたちの名前」ツアーファイナル@パーシモンホールに行く。よく考えたら、今年ライブに行くのが初めてかもしれなかった。オンプラを担当することになった2019年は、ディレクターの押くんと一緒にたくさんのライブに出かけた。ときには一緒に週3でライブなんて時もあったくらいだから、改めて今年の異常さに気がつかされる。

パーシモンホールは目黒区とはいえ八雲のあたり。駅でいえば東横線の学芸大学になるから、自宅からは交通の便が著しく悪い。こういう時こそブロンプトンだろう! となって自転車NAVITIMEで調べてみると環七をひたすら下っていくルートで30分を切る。電車だと1時間近くかかる計算だから、やっぱり東京都心の最強移動手段は自転車だなと思う。

環七をひたすら下っていると、世田谷通り以南はぼくの日常的なテリトリーから離れるので、どんな町なんだろうと楽しくペダルを踏んでいると、上馬ときてそのあと野沢という字が見えた。地名は記憶を運ぶ。野沢、野沢、野沢龍雲寺、野沢龍雲寺前のバス停、とつながって、あ、これは最初期のシノドスの記憶だと完全にそれらが結ばった。

シノドスが最初期、芹沢一也さんと荻上チキさんによるクローズドのセミナーとして開催されていたころ、ぼくと新見は仲俣暁生さんの回に一緒に出かけた。その会場だったのが当時の芹沢さんの自宅のあったこのあたりのマンションだった。野沢龍雲寺前というバス停が最寄りという情報を見て、当時中央線沿線と西武新宿線沿線くらいしか都内に馴染んでいなかったぼくは「一体どこだよ!」という気持ちでバスに乗った。白が基調となったきれいなメゾネットのマンションで、トイレが1Fにあって「男性も座ってください」とのことだった。21歳、そこで志願してお手伝いをさせてもらうことでセミナーに無料参加させてもらい、人生で最初の名刺をつくってもらった。

柿の木坂通りに入ると一気に町並みが変わって、品の良い目黒区の住宅街という趣が増す。お屋敷のあいまに、めちゃくちゃセンスのいい植物屋さんが目に入る。地図を書いている今は、それがBOTANICAL ARRANGEMENTS TSUBAKIって店だとわかる。きっとたくさん雑誌に載っているようなお店で、しかしそれを記事ではなくこうやって足を使って見つけたものだとなんのバイアスもないから、ただ率直にすてきなお店だ、行ってみたいと思える。

パーシモンホールは見覚えがあって、なんでだろうと思っていたら『TO MAGAZINE』制作時に必要な資料が同じ敷地にある八雲図書館にのみ存在していて、それを取りにきたことがあったからだった。その時も電車は使っていないはずで、だからこの道のりに記憶が反応したようだった。

アオイくんと押くんと合流して2席へ。傾斜がしっかりとついたホールの2Fなんて、どれくらいぶりに入るだろう。そわそわしながら、回りを見ていたらすぐに暗転してライブ始まった。そもそもホールでアンプをたくさんつないでライブをすることが、音響的にどんな意味合いを持つのか、どれほどの難易度があるのかぼくには想像も及ばないが、それがとても大変そうだということだけはわかっていて、しかし1曲めの出音一発で、このチームがこの場所で自分たちを鳴らす上での様々なトライをしてきたことが伝わってくるようだった。

それからの2時間はあっという間だった。途中、三船くんが席を立って踊ったっていいんだよ、とアナウンスするとみんな曲に合わせて立ったり座ったりを自分のタイミングや気持ちの上がり方に合わせて楽しんでいた。ぼくは横でまるで指揮を振るかのように音の波をとらえているアオイくんの勢いを借りるように、首と腰と足を連動させてリズムをとった。そのまま目を閉じれば、この一年のことが思い出されて、三船くんの顔が思い浮かんで、そしてROTHの音楽が全部を包んだ。

ドラムセットは2つ用意されてて、新しいドラムの人と中原くんが交互に叩くのだろうと思ったらまさかのツインドラムだった。二人の織りなす地鳴りのようなリズムは、なんだか太古から人類がビートのもとに集い歌い踊ってきた、という事実を強烈に感じさせるし、そこにはこれっきりでバンドを離れる人物の過去の集積と、これからバンドに参入する人物の未来を帯びた時間軸が交差していた。過去と未来の時間が螺旋状になんども重なっていく、そのビートがこの日のステージの基礎建築となっていた。

終わってホールの展示を見ていると、ジオラマラジオのレンくんとマネージャー安東さんがいて、ご挨拶。今年もっとも聞いたアーティストたちが一緒にいるのがうれしい。順番を待って三船くんともご挨拶。3人でコーフンをそれぞれの形で伝えて別れようとすると去り際に三船くんが「武田くんも気をつけて、がんばってね」と言った。それが恥ずかしいようなうれしいような気持ち。

ブロンプトンは通常クロークとして稼働しているだろう物販ブースに預かってもらっていて、無事「美術館やホールにブロンプトンを預かってもらう」という体験もすることができた。その後タクシーで渋谷へ。押くんがたまにいくお魚の居酒屋に行って、マグロの希少部位とお刺身盛り合わせなど。アオイくんの新居話などする。暮らしを楽しむことの、なんと創作的なことだろう!