武田俊

2021.8.8

空中日記 #50|深夜0時の四谷三丁目交差点

5月24日(月)

9時起床、ホワイトチョコレート、コーヒー。
『小説の自由』の再読は、ほんとうに目から鱗というか今ぼくにとって必要な気づきがものすごく多くて、いい意味で全然先に進まない。久々に本をノートのようにしてしまう、書き込み型読書。しかし学生の頃のぼくはこの感覚をスルーして読んでしまっていたのか、と思うとほんとうに自分の読みを信頼できない。この中で保坂さんは三島の風景の描写をある意味で良くない例として取り上げていて、それは雑にまとめれば風景描写を心情の描写のために借りること、について批判的な目線で論じていて、それはまさにぼくが目下自分の文章の中で悩んでいることと重なるので、うんうんと読んでいる。で、そうでない例として志賀直哉が上げられていて、ああ志賀直哉、好きだったんだよ、ということもここで思い出す。ほんとうに自分が信頼できない。

で、即執筆に入りたいのだけど、今日はやらなばならないことがあまりに多いので断念。作業に切り替え。ひたすら企画、連絡、連携、設計。「M.E.A.R.L. ASSEMBLE」の告知もする。

昼、土曜のお昼ごはん、の気持ちでまたしょーもないチャーハンをつくる。玄米150グラム単位で冷凍してあるの、たいへんに便利。午後もひたすら企画、連絡、連携、設計。こういう地味な作業が仕事の大半で、それはとっても大切な作業で、だから誠実にていねいにと思ってやる。やるのだけど、やっぱりぼくの認知の能力はこの手のことをじっと重ねていくことに向いていない。農耕にあこがれる狩猟採集民のきもち。

妙に空腹でコンビニへ行くと、ずっと気になっていたプロテイン強化された低糖質のカップヌードルが売ってるのでおやつにする。プラスティックな食べものが健康配慮していて、その嘘くささが高まっていてとても魅力的なプロダクトだと思う。なんかいい感じのことをツイート。

夕方、5回目となりだいぶバイブスの整ってきた某社のコーチング。
コーチングという語を用いるのにはやや抵抗があるけれど、編集者・メディリサーチャーとして組織のリーダーと定期的に対話の時間を持って、社の現状の課題感からどう情報設計すべきか、という議論を重ねていくのはとても手応えがある。走りながらソリューションを理想的なものに組み上げていっている段階だけど、ひとつ編集というクラフトワーク、そしてその上位概念としての情報設計のよい使い方が導き出せつつある感じ。

夜、焼き鳥、チョップドサラダ、プロテイン。
オンプラ行く前にBCAA飲んで、SURLYの方で向かう。時刻は0時。
最近気づいたのだけど、この時間に自転車を走らせていると、住宅街に、幹線道路脇の歩道に、新宿のもう店も何もやっていないストリートに、四谷三丁目の交差点に、部屋着のようなかっこうで手をつないで歩いている若い、学生のようなカップルや、友達同士の集団のようなのを見かけることが多い。コンビニで買ったお酒やスナックなんかを持っていて、片手に缶ビールやチューハイを下げている。それで手をつないだり談笑しながら歩いていて、それを見るたびに胸いっぱいになる。

学生時分、結局一番楽しかったのは誰かの家に集まって飲みながら延々と語り合ったり、ガールフレンドを家に呼んで一緒にDVDを見たりしていた時間で、でもそれは結局「ぼくらいろんなところに出かけたけれど、結局部屋で過ごした時間が尊かったよね」って思い出で、今の彼らはそれとは違う。部屋で過ごすことしかできない世界で、夜中にそっと買い出しに出たり、手をつないで月を見たりするそれはぼくの思い出のそれとあまりにも切実さの濃度が違う。その差を思うと苦しくなって、ほんの少し涙で景色がにじんだ。

オンプラ、テーマは『スポーツ、やってますか?』ってことで、毎週セレクトする本、今日は沢木耕太郎『一瞬の夏』を持ってきた。これを最初に読んだのは、たぶん6年くらい前で、あの時は下北に住んでいて、それでどういう流れだったか、ゆうたろうと奥村と一緒に読んでいった。あの頃は今よりも頻繁に友人たちと会っていて、それこそ週に2,3顔をあわせることもしばしばだったから、互いにどこまでいったか話しながら読んでいた。

ゲストはThe Recreations、南葉さん。放送前から音楽話で盛り上がる。とってもチャーミングなひと。なんかbutajiさんがおしゃべりをしている時に立ち上がってくる雰囲気に、近いものを感じた。「武田さん、すごくしゃべりやすいです」と言われ、こう言ってもらえるのがとてもうれしいことってことを知る。

帰り道、晴れ。もう完璧に朝だ。すこし軽躁のようなものを感じる。眠れない。

 

5月25日(火)

11時起床。たぶん7時半くらいにやっと寝つけたので、もう少し寝ていたかった。うだうだ。
サンドイッチとアイスコーヒー。録画しておいた「プロ野球ニュース」。で、『小説の自由』のつづき、と思いつつ、昨日紹介してしまったことで読み直したくなり、沢木耕太郎『一瞬の夏』。

昼、もう今日は家からでないって選択もありだったけど、カメラを持って鴨のラーメンを食べに行く。食べに行きたいわけではなくて、手頃な距離の、いつもと違う道を歩けばなにかすてきな光を採取できるのではないか、という魂胆だった。ラーメン、味を覚えているので感動はなし。それなら蕎麦を食べればよかった。

写真を撮りながら最寄り駅まで戻り、紀伊国屋。尾崎さんの新作の掲載されている『小説新潮』とレジの横にあった善本喜一郎『東京タイムスリップ 1984⇔2021』を購入。帰宅してどっちも読んじゃう。尾崎さん、というか荻堂さんの新作『スモーク・オン・ザ・ウォーター』はネパールが舞台のハードボイルド。短編とは思えない、強いキック感で読み応えがある。作中に登場するドラムを久々に吸いたくなったし、同時に大学1年時によく一緒に過ごしていたキムちゃんがドラムを愛飲していたのを思い出す。

なぜかHpから払い戻しがあって、ぼくが注文したOmenについてカード決済時のセキュリティにかかりキャンセル扱いとなったとメールが届く。なんてこと! しかももう在庫はないのだよ。がっつり落ち込む。

夕方、mameとユニクロのコラボアイテムの報。とっても複雑な気持ち。mameさんの心意気というか、生産手段についての目配せなど浅くとも知っている身だから、なぜ人権問題真っ只中のユニクロと? と思ってしまう。

夜、おそば。でもネギがなくって、昨日のチョップドサラダに使うつもりであまっていた新玉ねぎの刻んだのがある。八王子ラーメン、と思う。頭の中で土井先生が「ねぎ、ってついとるわけですからね、仲間なんです。ぱーっと入れてしまえばええんですよ」と言うのでそうした。並行して低温調理で鶏ハムをつくっていたので、それも載せちゃう。ええですやん。鶏ハム、ゆでる前に香辛料とともにすこしのお砂糖を練り込むようにして塗布すると、やらかくなります。

20時半、にいみと今週の授業の打ち合わせ。その最中に、大変不快な引用RTポストを見ず知らずの人にされていてげんなり。ワナワナする。なんとかMTGを終えるも、どうもかなり心地が悪かったようで、久々に幻聴に近い症状に襲われる。頭の中で書くのもおぞましい言葉たちが飛び交っていて、でもそれはぼくの感情を忠実に再現したものとは程遠く、その乖離に困惑するっていう、おそらく最も調子が悪い際に起こる症状だった。浴びせられた言葉そのものというよりも、それを相手が語るに至った感情や境遇やそれが育んだ思考のようなものがぼくの中に入り込んで、実存とマッチしないままそこに置かれているような気持ち悪さ。強制的に内面化させられている感じ。おそらく、それに対しての拒絶反応としておぞましい言葉が頭の中で反響し続けているんだろう。

ひとまず頭の中から、このおぞましい言葉たちを追い出したい。そのために身体を傷つけたり、この部屋中のものを破壊したい。そういうなぜか当人の中ではロジカルにつながっている破壊的な衝動を鎮めるには、たとえばCBDと思ったが、こんな時に限って切らしてしまっていた。壁に寄りかかり体育座りをして目を閉じた。何も好転しなかった。知人の自死で調子を崩してから、なんとか時間をかけて執筆と生活のために整えた時間がすべて無に帰していた。世界は完璧に崩れた。

夜中になってとうとう自分では自分の身体が自制ができなくなりそうだったから、ぐっすり眠っているじゅんこに助けをもとめた。AM2時半だった。たぶん瞳孔が開いていて、身体は小刻みに震えていた。それを実感していたが自分では修正することができなさそうだった。そんな人が夜中に声をかけてきたら、こわいと思う。でも彼女は手慣れたもので、最初向き合って話しかけていたのを、すぐに横に並ぶ形に姿勢を変えなんども背中をさすってくれる。それで1時間くらい。少しずつ落ち着いてきたころ
「だいぶよくなってきたね。もう大丈夫よ」
と言われてぼくは
「そうやってすぐに改善に持ち込もうとしないで」
と応えた。
それは一見恩知らずのような言葉だけど、ぼくとしてはこの自身の中に入り込んでしまった他者の悲しい記憶のようなものと、ほんとうは向き合いたいのだった。実際にはたぶん身体が耐えられないできないのだけれど、ほんとうはわかり合いたいのだった。だからせめて、この状況を身体がつらくとも味わっておく必要がある気がしたのだった・
すべてが通り過ぎたあと、お腹がなぜかすいていて、あたためた玄米にたまごをかけて食べた。
CBDグミを摂取して寝る。

 

5月25日(水)

11時起床。想像よりバッドではなかった。
3食家で玄米とつくっておいた鶏ハムを食べたらしい。
午後から少しずつ作業ができるようになる。

夜、柔術に行けるまでに回復した。20時に尾崎さんと待ち合わせて、iPadでの執筆環境を考える。現状想定できる縦書きエディタは、結局pagesがなんだかんだいいじゃん、ってことになった。ScrivenerはiPadではろくに動かせないないなあ、という気持ち。しかし人物でも、作業環境がデバイスを検討する、というのはなんでこんなにおもしろいのだろう!

クラスはハーフとデラヒーバからのスマッシュパス。ひとつおぼえると、色んなポジションからも使うことのできるたいへんにお便利なもの。こういう技術を覚えると、スキルツリーの成長が早まる気がした。あとは、腕十字をかけるときにクラッチを外すには、引くのではなく、むしろ押すというのも工学的でおもしろい。

 

5月26日(木)

たいへん忙しい日。
7時半起床。9時から新しいプロジェクトの最初のワークショップ。じゅんことコンビを組んで仕事をするのも、これだけがっちりやるのははじめてだろう。想定していたワークから少しずれ込むも、フレキシブルに工程を変更しながら修正したことで、ここにたどり着けるのか、という場所に入り込めた気がする。全員に楽しい手応えが残っているのがわかる。ぼくもじゅんこも、当意即妙というかインプロ的なケースで知性がうまくワークするタイプなんだな、と改めて感じる。がっつり2時間。

14時から「M.E.A.R.L.」の定例、しっかり90分。そのあと別のMTGで60分。次に著書のMTGで60分。仕上げが「M.E.A.R.L. ASSEMBLE」のオンライントークで90分。ゲストは中田一会さん。コロナからの生活の変貌が、最終的に現在編集長を担当されている『こここ』につながって行く流れが、鮮やかというか必然だった。キーワードは互助会、だっただろう。最終的に編集長互助会をつくろう、という結論が出せたのはよかった。ほんと、編集長って孤独なのです……。しかし1日5コマはやっぱり大変で、しかもぼくには自動発動スキル「うきうきファシリテーター」がついているので、つい会議を回してしまう。ファシリテーターで5本はけっこうけっこうだ。

中田さんに影響を受けて、手持ちX-E4をWEBカメラとして使うために色々試す。が、なぜかモノクロでしか表示されない……。2時間くらいかけてあれこれやったけど改善されず。

脳を散らすために夜、モンハン。そしたら脳が溶けて日記書けず。寝る前、呉明益『自転車泥棒』のっけからおもしろい。そして呉さん自身によるイラストレーションの細密さに驚く。

 

5月27日(金)

10時起床。朝ごはんなし。コーヒーアイスで。今のマメはつなぎなので、早くいいやつ買いたい。

11時、ごとうさんと連載のMTG。レイアウトのことなど作業していると、いよいよ動き出す感があって楽しい気持ちになる。使えそうな写真をピックしていたら、そうだ写真新世紀のためのセレクトまだちゃんとできてないじゃん……と焦る。

昼、駅まで行って吉野家。つまんない。男がひとりでパッと食べられるもので、チェーンではなくてちょっと楽しいもの、っていうご飯がほしい。気楽さ以外の豊かさをくれ、という気持ち。そのまま紀伊国屋をぶらっとまわり、佐久間文子『ツボちゃんの話』を購入。のっけから亡くなった日のできごとからはじまり、ワッとなり、そのまま一気に読んでします。ぼくが大学時代に坪内さんの本を読んで影響を受けていたのは、なんでだろうと考えて、それは古典と同時に現代の風俗というか暮らしや俗っぽいものまでを同じ射程に入れながら語ることをしていた人だから、という気がしてくる。あるいは、自分自身の生活を書くことをいとわない人だったからかもしれない。

夕方、授業。前期のワークも今日でおしまい。みんなどんなインタビュー記事をつくってくるだろうか、楽しみ。みんなの作業時間は新見とのおしゃべり時間でもあるので、それも楽しい。X-E4やっぱりモノクロでしかMacにつながらない。フジに問い合わせメールを送ってみることにする。