武田俊

2021.9.5

空中日記#53|黒蜜わらびもち入りロイヤルミルクティーバー

8月9日(月)

山の日。いつものように月曜はオンプラが年中無休であるので、祝日だということを忘れている。
定例の某社とのコーチング業務、祝日なのでスキップになる。
柔術の大会の出場を、コロナの影響から欠場を決めたことですべてのモチベーションが下がってしまっている…。どうしたものか。と思いながら、ジム、今日は休むことにした。

夜、オンプラ。ゲストはレゲエDJの前島貫太郎さん。遅い時間なのにスタジオに来てくださる。コロナになってから基本的にゲストはリモートが主体になってしまったから、こうしてスタジオに来てくれる人には思わず「わざわざ来てもらってほんとうに嬉しいです!」と放送の、ゲスト出演枠の頭の挨拶のところで言ってしまうのだけれど、押くんに「気持ちはわかるんですけど、それだとリモートで出演してくれている人と差ができてしまうので、やめた方が……」と言われてから気をつけている。でも、手癖で思わず言ってしまいそうに毎回なってしまうな。

前島さんの新しいアルバムはP-VINEから。オンプラ月曜はほんとP-VINEさんにたくさんお世話になっている。
レゲエカルチャー、ぼくは全然くわしくなくって、レゲエにおけるDJというのは、ディスクジョッキーではない、という話から。それからメロウなトラックの話、2000年代の横浜レゲエ祭の話、拠点としている福生の町の話。

深夜に半蔵門で話す福生の話はなんだかとてもロマンティックで、それは今簡単に出歩けなくなっていることと、数年前ある人の案内ではじめてまともに福生を歩いた時間のこと、それからどんどんさかのぼって、大学生かそこらのときに山田詠美『風味絶佳』を読んだ時、それが映画になってたしか柳楽優弥が出ていたこと、高校生のときに『限りなく透明に近いブルー』を読んだ時、それぞれの福生像が前島さんの語りでもって遡行しながら繋がっていったからだんだと思う。

終わっていつもどおり、頭だけコーフン状態で、身体はふらふら。ふわふわしながら押くんと始発の都営新宿線で帰る。

 

8月10日(火)

オンプラ明け、11時起床。
珍しく予定を何も入れずにすんだ火曜で、どういうふうに過ごそうかと思っている間に午後になってしまう。
カレンダーに入れていた予定はひとつで、それはずっと狙っていたvhtsというブランドの新しい柔術の道着(GIという)の発売日だった。柔術人口が増えているのか、あるいはそもそもそういうカルチャーなのか、人気のブランドが新しいGIを発売するとその日のうちにすべてのサイズが完売してしまうこと多々ありで、なのでわざわざカレンダーに入れておいたのだ。

もともと欲しかったのは毎年発売されるその年のフラッグシップモデルのようなもので、それならロットもある程度あるだろうと安心していたら即完。ならばということで、この日発売されるNYエディションというものを買おうと試みる。シンプルだけど発色が良くて、なぜかルックの写真がヤンキースオマージュというもの。

それでサイトURLを叩くとぼくのA2というサイズはまだ在庫が残っていて、やった!と思ってシッピングのための情報を入力していくと思わぬ罠が。住所を入力するエリアにChromeに記憶させている英語での現住所をワンクリックで入れたのだけど、国籍を入れるエリアがない。どうも国籍だけプルダウンメニューから選択する方式で、なるほどなるほど、と進めていくと、肝心のJAPANがない。アルファベット順じゃないのかな、見落としたかな、と思ってなんどもメニューを上下に移動してみても見当たらない。どうも本国のECではJAPANは送付先対象がのようで、がっかり……。おとなり台湾は対応していたんだけどなあ。。国内代理店を調べることにして、一旦断念。

オートミールクッキーの実験。ver.2.0。今回は効率的にたんぱく質を摂取するために、小麦粉と砂糖のかわりにプロテインを投入してみることにする。オートミール70g、プロテインを1スクープだから20g、そこに砕いたナッツを入れて、大さじ2の水を入れてねりねりする。最初はバターを入れていたのだけど、今回は油はなしにしてみる。プロテインはマイプロテインのチョコバナナ味という暴力的にあまいもの。

できあがったものは見た目麗しいよいクッキーだったのだけど、油がないせいか、表面が変にキャラメリゼされたような感じで、ぱきんという食感。お菓子作りになんでもバターとかショートニングとか、たくさんの油が入る理由がわかった気がする。これはエンタメ性に欠けるなあ…。柔術仲間に振る舞えるようなクオリティまで持っていくのがひとつの目標になった。

 

8月11日(水)

9時起床。1日1200kaclのハードな減量期を一旦脱して、1700まで食べられるようになった。そうなると何が変わるかといえば、「ただの楽しみのための食事」を取り入れる事ができる。1500だと、1食のうちの脂質や炭水化物を限界まで削ることによって、ちいさなちいさなおはぎ(成城石井で売っている「こはぎ」という商品)をなんとか食べることができるんだけど、1200ではそれも無理。じゃあ1700になると何ができるかといえば、これはもう、1食ならば好きなものを好きに食べることができる!これは生活のおおきな喜びだなあ、と思う。

10時、パーソナルトレーニングに行く。あきらさんと今後のトレーニングプランを練る。この日は、上半身と下半身の連動性を高めるためのトレーニング。あとブルガリアンスクワットを導入。8キロのケトルベルを持って、大腿四頭筋の収縮に合わせてぐっと肩甲骨を寄せて引き上げる。地味に地味につらい…。つらいから楽しい。

帰宅、お昼。
注文して届いていたZENBのパスタを調理してみる。これは黄えんどう豆100%で出来ているパスタのような丸面で、中華麺のようにもパスタのようにも使えるというやつ。1食あたりでたんぱく質15gくらいとれるすぐれもの。しかもちゃんとおいしい!かまたまのようにして、出汁醤油、生卵であえて、ネギ、鶏ハムを添える。これで1色35gくらいのたんぱく質がとれる。

15時、某社のメディアをみーんなWEB化していくプロジェクトのプレゼン。デザイナさんと一緒に作ったプランをmiroに起こして、そこにfigmaでつくったワイヤーなども入れ込んでもらって、miro自体を使ってプレゼンした。

miroはこのリモートワーク期間もっともお世話になっているアプリケーションだけど、そしてとても好きなのだけど実はぼくの認知にはあまり向いていないツールでもあることがこの日のプレゼンの用意をしている中でわかった。

というのも、テキストに対してエリアが決められた「紙」が自分の中での資料の基準になっていて、しかしmiroは閲覧者・記入者が自由に拡大縮小のできるものだから「紙」が基準にならない。
「紙」が基準にならないと何が起こるのかといえば、テキストの大きさ・級数の設定基準が消失してしまうので、見出しと本文をどれくらいの大きさで書けばいいのかわからなくなって、そこで手が止まってしまうのだ。
miroは銀河。ひとつの銀河系の中で拡大縮小をして、個別の惑星としてのドキュメントに自由に寄り引きをつけながら資料がつくれるツールで、だからビジュアル思考の人が優位になるんだと思う。

プレゼンは最終的にうまくいった。一旦先方の意見を集約してもらうフェーズに。
夜、柔術。先週はオーバーワーク症候群で休んでしまっていたから1週間ぶりでワクワクしていたら、なんと尾崎さんクラスはお休みでフリースパーとのこと。誰もおらずぽつんと待っていてると、竹石さんがやってきてくれて、ふたりで練習。
紫帯の人にぼくがいい練習の相手になんてなれないよ、と申し訳ない気持ちになるも、優しく教えてくださる。ふたりで1時間半くらい打ち込みとスパーをゆっくりおしゃべりしながら、考えがながら。話ながら練習できる時間はやっぱり豊かだ。

 

8月13日(金)

お盆休みっていつからなんだろう、と思っていたらもうお盆だよ、って教えられてじゃあ今日はもうオフにしてしまおうと思ったのが昨日。
21日に予定されている鯛釣りのための道具をじゅんやさんと買いに行く。13時に新宿の上州屋で待ち合わせることにしてでかけた。
久々に新宿。歌舞伎町に向かっていくと、先日読んだ記事のことが思い出された。TOHOビルの横に溜まって路上飲みをしている若者たちのことをトー横キッズ、とその記事では紹介していて、ああ、Twitterとかで最近見る、夜中に世紀末的に飲んだくれて倒れているあの光景か、と思う。でも記事を読んでいくとちょっと違って、かれらはアルコールだけでなくて、Twitterなどで出会った仲間たちと市販薬でODしたりしているらしい……。市販薬っていうのがなんかこの話のシリアスさを高めていて、うう、と思う。

かれらが溜まっているというのが、旧コマ劇横の広場部分で、あのすっぽりと空いた空間になにか今の世界のやるせなさ(ほんとうだったら周辺の飲み屋でその憂さ晴らしが出来ていたはずのそれ)が、集まっているのだと思うとかなしい気持ちになる。

上州屋に行くとじゅんやさんがしょうぶさんと一緒に店員さんに相談しているところで、今回の釣りで使うためのテンヤというジグヘッドのような仕掛けの選び方を聞いていた。
6、8、10号という3つの重さから選ぶんだけど、メーカー各種色んな形状、色んなものをつくっているので選び方がわからない。値段も500円程度のものから2000円のものまで。高いものにはタングステンが使われているらしく、これがあると沈み込みが早いらしい。同じ重さでなんで水中での沈む速度が変わるのかわからない。だからもう、見た目で選んでしまう。

釣りは結局現場で数を重ねないと、こうした技術力の差とか、プロダクトの違いみたいなのはわからないから、とにかく数だ、と思う。でもわからないなりにモノを選んでいくのは楽しい。

新宿の上州屋は都心型店舗にしては広くて、色んな釣り方の色んな道具が所狭しと並んでいるのだけど、今回の釣り方(ひとつテンヤという仕掛けで鯛を狙う)について予めリサーチをしていくと、関連する仕掛けのエリアだけぐっと解像度が高く見えてくるのもおもしろい。これまで「その他たくさんのおもしろそうな仕掛け」だったものが、加えられた知識によって、急速に自分ごと化していく感じ。

ぼくの、横田さんに教わった知識+一夜漬けリサーチでの知識だけこれだけ浮き上がるように見えてくるのだから、釣り歴何十年ってベテラン釣り師のひとには、いったいどんなふうに売り場が見えているのかしら、と思う。
上州屋をあとにして、三人でバッセンへ。オスローバッティングセンターが工事中なので、新宿バッティングセンターへ。全然打てなくてへこむ。試合ではあれだけ調子がいいのにな……。

新宿バッティングセンターの回数券システムはおもしろくて、磁気カードではなくミシン目のついた昔ながらの回数券を買ってそれをまず窓口に持っていきスタッフにわたす。それで気に入った速度のブースを見つけるとそこの機械の上に無理やりつけられたようなインターホンがあるから、そのボタンをプッシュ。すると窓口の人につながるので「武田です。1ゲームお願いします」と言うと回数券を切ってくれるというもの。
毎回その光景をみると、そのとってつけた昭和な感じににやにやしてしまう。これはいいにやにや。

二人と別れて紀伊国屋へ。
日課の全フロア回遊をする体力的な余裕がなかったので、人文書と医学書のコーナーだけ回る。伊藤比呂美『ショローの女』、荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』、あと最新号の『新潮』を買う。もうすでにたくさん積んでるけれど、町に出るたびに増えるのが本である。

 

8月14日(土)

前日よく眠れなかったのか、起床時間が遅れる。10時起床。身体が重い。ジムに行って今日は下半身トレだ、と思うも雨が強くて、というか低気圧の影響されて立ちすくんでしまう。

鯛釣りにむけて、タックルを用意しよう。それをどのお店で買おう、というのを昨日深夜までずっとリサーチしたり考えたりを繰り返していた。迷っていたのはPEラインのこと。リールをお店で買えばその場でまいてもらえるわけだけど、目当てのリールが品薄で実店舗で売っているのか微妙。釣りは21日、間に合うか、ということでもういっそ全部今回はWEBで買って揃えてしまおう!という決心をした。

一番のネックはPEラインとリーダーを自分で結べるのか、というところ。これまでそういったものを人にやってきてもらっていて、でもそれじゃあ接待釣りじゃん。真摯じゃあないね、ということで自分で頑張るんだと思うと、途端に釣りというものが自分の中に組み込まれて来る感じがしてうれしい。結束をアシストしてくれるというギアも合わせて買う。

朝、オートミール、成城石井のプロテインヨーグルト。前日の深夜になぜか買っていた、セブンイレブンのたくさんたんぱく質がとれるよ、ってシリーズの茶碗蒸しも食べる。食べながらこれも昨日買った伊藤比呂美『ショローの女』を読む。書き出しからすばらしい。

今は日本にいる。熊本に住んでいる。三歳の雄犬のクレイマーと暮らしている。そして早稲田大学で教えている。早稲田は東京の新宿区にある。そして、こんにゃくにハマっている

この力の抜け方!こんなに脱力して書き始められたら、と思ってドッグイヤーをつくる。それに、この唐突なこんにゃくのくだり!なんてチャーミング。昼すぎまで読み進める。エッセイ、というとどういうわけか女性作家のものの方がぼくにとっては魅力的で、それがなんでかといえば、自身によってつくりだされる生活習慣というか、そのリズムに魅力を感じるような気がする。往年の男性作家によるエッセイはどこか社会評論じみてしまうものが多いし、自分の好きなものや生活についた語るとき、どこか文化評論的になったり、あるいはいいものを選ぶときの「消費者としての美学」めいた感じ、目利きとしての俺、が前景化してくる感じがあまり得意ではないのかもしれない。

じゃあ逆に好きなエッセイを書く男性作家は? と考えれば、ぱっと思い浮かんだのは内田百閒、色川武大、檀一雄の3名。
内田百閒で好きなのは、ほんと多くのファンがいうように、たとえばあの蕎麦やの話。毎日同じ時間に同じ蕎麦やから出前を頼むのは、それが特別おいしいからではなくて、毎日その時間にその蕎麦を食べることがおいしい、というようなその生活哲学のようなものの魅力。
色川武大と檀一雄のエッセイに通じるのは、食べるものについて考え、自分で手を動かしてみる、ということか。
頭の中で考えていること、以上に、身体を動かしてその実感とともに記されるひとつの思想、いや思想未満の生活実感のようなものにぼくは一番惹かれるのかもしれないなあ。

お昼、じゅんこ手製のゴーヤチャンプル、玄米、インスタントのおみそしる。インスタントでもあたたかいスープがあるとほっとするね、と言い合いながら。

『ポケモンユナイト』を3戦くらい。ランクはそのまま。プレイヤーレベルが20になる。そのまま続けてSwitchで気になっていた『Dreamscaper』をダウンロードして、プレイしてみる。これは夢と現実の世界を行き来しながら進めていくというローグライク型のアクションゲーム。開発チームはわずか3名で、ゲームを立ち上げるとまず製品版がリリースされるまでの開発の流れと、ベータテスターやコミュニティへのお礼のメッセージが表示された。こういうのってインディタイトルならではの楽しみだ。

プレイフィールもとってもいい。主人公や登場人物に顔がないのが少し怖いけど、夢の中でのアクションパートと、現実世界での成長要素のバランスがいい。獲得した武器にまつわるフレイバーテキスト、夢の中でひらめいたアイディアを現実のカフェの中でスケッチすると、次回の戦闘パートでアイテムとなって登場するというシステムなど、秀逸。

夢パートで主人公の過去にまつわるエピソードが少しずつ開示されていくナラティブの見せ方も大変好み。私小説の中を歩き回っているような、オートフィクション的な楽しみに満ちていて、これはすてきな、かつ今の自分にとってタイムリーな作品に出会えたきがする。途中から中日巨人戦をテレビでつけながら、カウチでプレイした。中日は今日もチャンスを活かせなくてイライラする。途中で電源オフ。

夕方、今週の日記がずっと止まってしまっている。どうにか再開して週明けにはちゃんとWEBにアップしたいなと思い、カフェとかで作業が進むのは適度に人がいてしゃんとするからだな、と思い、それを自宅で再現するには……。で、インスタライブで日記執筆の状態を配信してみることにした。途中鍵っ子さんが現れて、コメント欄で会話をしながら書くことになって、これは同じ空間で人と一緒に作業している感じに似ててたのしい気持ち。

夜、古くなったキムチでキムチ鍋。ゴーヤチャンプルの残り。
伊藤比呂美『ショローの女』を再開。またハッとする部分に出会う。本人も書きながらハッとしたシーンで、書くということのおもしろさは、こんなふうに書くまで自分が気づかなかった感覚に、書くことによって初めて出会ってしまったということに顕著に現れる。こういう瞬間のために書くことの価値がひとつある、と強く思う。
夜、それぞれ作業をしながら、なんか甘いものをと思って一緒にセブンイレブンに行く。こうして甘いものを買って食べることのできる生活はなんていいものなんだーと思いながらアイスケースを物色。毎日のようにラインナップが変わっていて、たのしい、と思いつつもちょっと恐ろしい気分になる。

『7プレミアム 黒蜜わらびもち入りロイヤルミルクティーバー』というものを見つけてかごに。もうひとつ迷って、同じ7プレミアムの抹茶アイスも。
帰り道、しかしなんでロイヤルミルクティーに黒蜜わらびもちなんて合わせたんだろ、めちゃくちゃな組み合わせじゃないか、と考えていた。けど、ふとあ、これリファレンスはタピオカミルクティーなんじゃないか、と思う。興味もなく自分には縁のない飲みものだなあ、と思っていたものが不意に生活の中に入り込んできた妙な感じ。味は、悪くないけど、わらびもちはいらないかな、という感じ。

8月15日(日)

今日もつよい雨、寒い。秋のような気温。
朝、成城石井で買った全粒粉のカンパーニュ。これはなんだか不思議とみずみずしく、ライ麦の酸味が心地よいもので、しかもなぜだか300円と安い。3枚、SKIPPYを塗って食べる。脂質は計上されるけどこの食べものはポジティブな感じがする。

午前、ジム。ジムに行くとなぜかそのことを伝えたくなる。午前は身体が重たくウツっ気がたまっているから、それになんとかカタをつけてぼく、ジムにちゃんと来られたよ! っていうのを世界に伝えたい。だから、みんなもそれぞれ頑張ろうぜ、ストラグルしていこうぜって例によってすぐ何かを連帯したがる自分ってなんなんだろう、と思う。接続と分断。下半身のメニューで、それはつまりスクワットなのだけど、合わせてデッドリフトを2パターンやることになっていて、でも必要なパワーグリップ的なものを今日も忘れてしまって落ち込む。いっそ上半身やる?それならそれでいいんじゃない?と思うも、そうなると来週のトレーニングの流れが狂ってしまう。と思って、スクワットと、あとレッグプレス。スクワットは60kで、レッグプレスは100kで、そのあとエアロバイク30分。

お盆なので、スケラッコさんの『盆の国』が無料後悔されている。コミックスで再読しようと思ったら、押くんに貸していたことを思い出し、「トーチ」で再読する。なんど読んでも名作だ。夏は、特に初夏ではなくこの8月の晩夏は毎年ふわふわとした気持ちで過ごしているけれど、それはどこかただならぬ感じ、世界が曖昧に溶けていく感じがしていて、それは子どもの頃から感じていたことで、今更になってそれが此岸と彼岸が地続きになって生と死が入り乱れる季節だから、ということに身体で気づいた感じがする。
そう考えると、お盆という季節に終戦が重なっているのはなんて因果なことだろうと思うし、ぼくにとっての高校野球というのはゼロサムゲームの極地として「死」の象徴のひとつでもあって、色々納得がいく。

インスタで何かよくわからないプロジェクトに関連して、「今をときめくクリエイター」的な人たちがセレクトプレイリスト、が公開されているのをストーリーズで見る。
どんなもんかな、と見ているとどうにも既視感だらけで──っていうのは、今トレンドだからだろうAORやフィーチャーファンクの楽曲を散りばめながら、その中に大瀧詠一とか、なんなら久石譲だとかを「ほらこの辺に繋がってるってわけですよ」的な浅はかで表層的なスノビズム──げんなりする。その他はもっととくになんでもないラウンジっぽいものが並ぶ。
せめてせめて、編集者でもライターでもいい、自分が何かの作り手であるという自負があるなら、なんいかそのセレクトの中で一点突破できるような、自分の好きな音楽の中のハードコアな部分を指し示してほしいなーとどろどろした気分に。

午後、伊藤比呂美『ショローの女』の続き。自由闊達、天衣無縫、って感じの視点がやっぱり心地がよくて、かのじょのテキストのリズムを染み込ませるようにゆっくりゆっくりと読み進めていていく。
続けて『スペクテイター』のパソコンとヒッピー特集。巻頭言から読むと、ぐぐっと目を見開いてしまう一言が。

赤田さんによるこの巻頭言、あからさまに現状のWEB、ことにSNSを中心とした言論空間に憤っており、それがこの後の特集で語られることになる70年代の西海岸におけるヒッピーカルチャー、それとクロスオーバーして生まれた「パーソナルコンピュータ」の歴史へと接続されるわけだけれど、これを書いた彼がその後、25年前のQJの記事での小山田圭吾の発言によって、壮大なしっぺ返しをそれこそSNS発で食らうことになる、とはこの時思っても見なかったんだろうな、と思う。

「いじめはエンターテイメント」ではない

そして今書きながら読み直したけれど、やっぱりこの騒動に対して最後に赤田さんが自ら記したテキストは、ほんとうにがっかりするものだった。『ホール・アース・カタログ』に惹かれ、ヒッピーカルチャーに間接的に影響を受け、そのカウンターたる部分を自分の拠り所にしてきたサブカル言論人やメディア人──それはちょうど自分より一回りちょっと上の世代にあたるのだけど──に学生時代から違和感を感じていたものが(当時はこれって畏敬の念なのかな?とか思っていたが、違ったようだ)今はっきりと形になって、現象として現れた、顕現した、と思った。

夜、冷凍していた鹿肉をなんとかしたいけど、ローストするのはめんどうだなと思って、シチュー的ななにか、お腹のあたたまるなにかがほしい…と思う。野菜室を見るとしなしなになりかけていた、オクラが見つかって、オクラのあたたかいの、と思ってガンボ!と思う。で、ストウブでガンボをつくる。唐辛子を効かせすぎて汗をたくさん書きながら食べた。

届いたエメラルダスのリールにはじめてPEラインを巻く。原理は理解しているし、横田さんからはやり方を図解したイラストまでいただいた。あとはやるだけ、なのだけど、やってみるとこれがなんとも難しい。ペンを通して回転できるようにしたPEラインを足で挟んで、それでリールでまきとっていくのだけど、ぴっちり巻くためにはある程度ラインにテンションを書け続けたい。それを足の摩擦で調整するだが、一定のテンションを継続的にかけるのがなんとも難しい。それでミスって、あ、と思って巻き戻そうとすると、思いのほか間違ったところが「手前」で、そのため足元には巻き戻しのために溜まっていったラインが絡まり合い、まずそれをほどくところから作業が再開されるっていう地獄。1時間くらいかけてなんとかやり終えた。あとで思ったけど、靴下を履いたらいい感じの摩擦になりそうで、次回試したいと思う。


タリバンがアフガニスタンをほぼ制圧した、というニュースが入ってきて、え、どういうこと? アメリカが支援して安定した政府がなんとかできていたんじゃないっけ、と思って調べると、アメリカ軍の撤退が今月末に予定されていて、それに乗じたのような形でタリバンが首都を制圧。各国の大使館員が国外脱出している、というかもはや大統領も脱出済、とのことで頭がくらくらする。アメリカからしたらこの20年がまったくなかったことになるわけだ。

何より衝撃だったのが、コロナのこともあってこの未曾有の事態を遅い時間だったこともあるのだろう、テレビでまったく報道していないことだった。じゃあ自ら情報を取りに行くしかない。Feedlyに登録してある各国のニュースメディアを、深夜、ベッドの上で巡回する。中でもしっかりと論じていたのが「Newsweek」のこの記事だった。

これによれば、もともとタリバンが中国に接近していたこと。反米で繋がっていくことで、今双方に強いメリットがあること。そのためにタリバンは国内から対中国へのテロリストが出現しないために措置をとることに合意していること、などが報じられている。となると、アメリカがテロリスト国家撲滅のために20年書けてやってきたことが今振り出しに戻され、そして中国が一瞬でそれを達成させた、ということになり得る、ということで、これは一体なってシナリオなんだ、と思う。

中東の歴史を全然知らないことが恐ろしい、と思う。ベッドの中でいくつかの入門書を注文。眠れない。CBD25ミリ含有のグミ2つでなんとか眠る。