武田俊

2021.12.24

短歌の逆襲

12月15日(水)

いつだってさようならを伝えるのが苦手だった。
得意だっていう人のことは聞いたことがないけれど。
先週の火曜日に久々に大激震って感じのウツに襲われて、なにもできなくなった。
この規模は4年ぶり?
原因は様々で、しかし、これがもう一生もんの何かだってことはもう7年前に知らされている。
じゃあ資質が変えられないのなら、変えうるのはいつだってアクションプランと関係性だけで、だからそれらを同時に伝えた。

こころよく受け入れてくれて、そしてはげましてくれた。ほっとした。それでちょっと笑いながら「でもお二人へのリスペクトとかは、なにも変わりませんからね!」って、しんみりしないように、でも気持ちを込めて言う。にこっとみんなで笑いあって、ほっとしながらzoomを切る。北向きの部屋から南向きのリビングに出ると、部屋いっぱいに午後の光が溜め込まれていて、その中に身体ぜんたいを溶け込ませるように倒れ込んだら、つつーっと涙が落ちていった。そしてすぐ、エンドレスの「申し訳ない病」と「人に迷惑かけるくらいなら消えてなくなりたい病」に罹患する。難儀。

午後、新しいMacBook Proが届く。
からっぽになった心で、設定をすすめようと思う。
いつだってガジェットの知識があって効率的な人にあこがれてきたから、自分もそうあろうと思ってきた。それで移行アシスタントを使う時にはぜったいに有線でちゃんとつないで、データ移管をすばやくしようと思ってたのに、なぜかうまく認識してくれない。いや認識はするのだけれど、「ユーザの書類を転送する準備をしています」から一向にゲージが進んでくれない。
そもそも転送したいのは「書類」じゃないし。
アプリデータとか写真とか映像の方がずっとずっとたくさんのデータあるし。
仮に「書類」だとしても、規定の「書類」フォルダ、使わないタイプのひとだし、ぼく。

で、あきらめて、手動で行なっていくことにする。
いらないもの引き継がない、いい断捨離になりそうだ。
App storeの購入歴から必要ものをダウンロードし、同時にDropboxを入れ、データを抽出する。
OfficeやAdobe関連もブラウザ経由で。そうして整えていく過程の中で、この新しいマシンのすてきなキーボード、すてきなスピーカー、すてきなディスプレイ。そのすてきさに気がついていくことができて、それが日中失われてしまったこころを少しずつ温めなおしてくれた。

夜、わけあってちょーひさしぶりに短歌をつくる。
つくろうとして、ふと自分の中にかつて備えていた短歌のエンジンが完全になくなっているのに気づいて、近くの本棚にあった歌集をいくつかひっぱってきて、あのリズムの中に身を落とそうとする。
以下、ひっぱってきた歌集や本たち。こう見るとそこにあったのは、若手のひとのものばっかりだ。

手塚美楽『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』
阿波野巧也『ビギナーズラック』
吉田恭大『光と私語』
木下龍也『あなたのための短歌集』
木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』

いま、短歌集、ってタイプしたら、啖呵集って変換されて、夜中(現在AM1時半)の部屋に「ヒヒッ」って声がこだました。いいな、啖呵集。啖呵短歌今度つくってみたい。

久々の作歌は、すんごいおもしろかった。毎日1首つくろうと思う。

 

12月16日(木)

朝、スクワット。
80Kトライするもフォーム崩れ気味なので、まだ70にしとく。
ムキムキのおじいちゃんがいて、全然理論的じゃないトレーニングを昭和ストロングスタイルでがしがしやっていて、何はともあれ習慣化された行為の強さのことを思う。ぼくより上腕二頭筋太いんだもの。

午後はまるっと「MOTION GALLERY CROSSING」の収録。
久しぶりに短歌や詩について話すとき、様々な通り過ぎていった風景やかおりを思い出して、胸がツンとする。寒い日の朝に、その日はじめて吸った外気のようだ。ひとことずつ言葉を交わすたびに、詩のことば──論理を越えたところで試されることばのある機能──の感覚が再インストールされていくようで、ドキドキする。
短歌を評してもらう時間は、ちょっとした不安と引き換えに何か期待する時間だったなと思う。
何度も「創作を続けるための工夫」について質問してしまうのは、今まさにぼくがそれを取り戻したいからなんだと思う。

夜、じゅんこさんが買ってきてくれていた、半分に切ったおいなりさん、その断面にちょっとしたおかずが乗っているよ、というものなどをつまんで、すぐme and youのふたりとのインスタライブに出る。「今気になっているメディアは?」という質問に、木下龍也さんの『あなたのための短歌集』のことを話す。すべての印税を手放して、その全額で歌集を買って学校に寄贈するって、文化のサーキュレーションエコノミーみたいだよねーって。

起きている時間のほぼすべてを会話に費やすと、さすがに言語野が溶け出しますね。とろとろと溶け出して耳からはみ出ていった脳の断片で、さいごに短歌を詠むことができるのか……!

で、詠めたっぽい。

 

  ピクミンが教えてくれる引っ越したばかりのこの町の歩き方

 

12月17日(金)

このあいだのカワハギ釣りが楽しすぎて、そしてカワハギのことを好きすぎて、これこそ短歌にすべき題材だと思って奮闘する。最初カワハギを賛美する、という方向性で考えていたのだけど、どうしようもないものばかりが出来上がる。

なぜなのかわからないけど、短歌には寂しい感情や懐かしいきもちがうまくハマりやすい。エキセントリックなのとか言葉遊び的におもしろいものもよい、でもぼくの書き味はあまりそういったスタイルに合わない感じがする。

それで「カワハギくん、たくさんの針の中からぼくのところに来てくれてありがとう」という気持ちから進めていったら、なんとか形になったようだ。

 

この船の幾十の針をかき分けて来てくれたんだね君はカワハギ