武田俊

2022.1.19

オレンジ色のモヒカン、ねずみ色のピカチュウ

1月10日(月)

日課をつくって初めて運用。これは効果絶大。
「今日は何をしよう?」「次に何をしよう?」と考えることは楽しいことでもあるけれど、どこかで完璧を求めていて、いつも「こんなはずではなかった……」と思ってしまうようだ。日課はそれを避けてくれる。考える前に動く。というか、手を動かす、身体をなぞらせる。そのあとに思考がついてくる。この流れが心地よい。

午前に4000字ほど執筆をして、でもそこに費やされたのは90分くらい。それでも脳がぽかぽかと温かく、そして心地よい疲労感がある。佐々木典士『 ぼくたちは習慣で、できている。』のおかげだ。

午後、警察署で免許の住所変更をしようと思ったら、屈強な警察官に「すみません、今日は祝日なので……」と平謝りされそこで祝日だったことに気がつく。気を取り直して新しいジムの契約。キャンペーンで半年間2500円くらい毎月ディスカウントされるプラン。その引き換えにプロテイン飲み放題、水素水飲み放題、日焼けマシン使い放題、契約ロッカー、などのオプションに加入しないといけない。どれも2ヶ月無料で使えるけど、解約しないと3ヶ月目から自動延長されるという昔のケータイ電話の契約のようだ。

「つまりいったん全部乗せするから、必要なものだけ残してねってことですよね?」
「はい、そういうことになりますね!」
体育会系出身のハキハキとした女性が、目をきらきらとさせてそういうので、1ヶ月は使ってみるかという気になった。飲み放題のプロテインは、自分が普段使っているのよりだいぶと粉っぽくておいしくなかったけど、それが高校の時のものの味に似ていて懐かしくなる。

 

1月11日(火)

だるだるで午後の日課をこなせない。
火曜はもうオフだと振り切ろう。その上で、オフ用の日課をつくればよい。どんなふうに休むのかをあらかじめゆるふわに決めてあげておく、というように。

『UFC4』でふと朝倉未来を模したキャラクターをつくってみる。全然似ない。

 

1月12日(水)

子どものご飯を食べたい、と思うのはだいたい調子がいまいちな時で、だから従ってあげることにしてる。それでじゅんこさんとオムライスを食べに駅ビルに行く。駅ビルにはオムライスの専門のお店がある。タータンチェックのTHEな感じのテーブルクロスで、NYはグラセンのオイスターバーのことを思い出し、ちょっとまえ品川のアトレにもできていることをりょうたくんとのインスタのメッセージで知ったことをついでに思い出す。

お店に入ると、ダークグレーのスーツが決まっているカーネルサンダースみたいな雰囲気のおじいさんが、ボックス席でひとり、ビールを飲み、なにかをつまみながら文庫本を読んでいる。はすむかいの4人家族、その中の小学校高学年くらいの女の子も文庫本を広げ始めた。ひとが本を読んでいるのはいいものだ。本の読める店・fuzkueの阿久津さんは、ひとが本を読んでいる風景が好き、祈ってるようにも見える、とも言っていた。

江國香織の小説『なかなか暮れない夏の夕暮れ』(とても好きな作品のひとつ)の主人公で資産家の稔は、本を読み過ぎてしまうせいで、恋人と別れた。江國香織は別のエッセイで、本を読んでいるひとは肉体はここにあっても、心は別の世界にある、だとしたら起きている時間の多くを本を読むか書くかしている自分は、いったいどこにいるのか、といったことを書いていた。その感覚が生かされた小説なんだろう。

ぼくは誰かとふたりで同じ場所にいて、それぞれが本を読んでいるという状況はけっこう好きな気がする。体はここにあるのに、心が向こうを向いている、ということに孤独や別離を感じるのか、あるいは、一緒にいる贅沢な時間の中でいったんばらばらに過ごしてみる、そして本を閉じたら、あらふしぎ、あっというまに二人また出会い直せている、と捉えられるかの違いかもしれない。

本を持って行き忘れてしまったので、オムライスが来るまでそんなことを考えていた。
届けられた熱々のオムライスを半分くらいまで進めて、ちょっと休憩と視線をあげてみると、スーツの似合うおじさんはビールをハイボールに変えて、はすむかいの女の子はオムライスのあとの小さなサンデーを食べながらそれぞれまだ本を読んでいた。今度はぼくもここで本を読みたい。オムライスはカレーと同じく、片手で食べられるのもいいだろうから。

 

1月13日(木)

お気に入りのビオトープで小物釣りをしようと思って、熱心に黄ねりをつくって出かける。黄ねりとは、卵の黄身と小麦粉を混ぜて練り上げた、ふななどを釣る時に使う練り餌らしい。Youtubeで調べてそれを練ってみた。けど、全然釣れない。上流で雪でも溶けているのか、この前に来た時より流れが早いのも影響していたかもしれない。ハヤのような小魚の群れの中に黄ねりをぽとりと落とすと、想像より早いスピードで流れて、驚いたかれらはぱっと群れから散ってしまう。

年が明けてからまだ魚を釣れていない。
なにかが釣りたい、と思って管理釣り場に行きたくなる。それでまたYoutubeを徘徊していたら(最近ぼくのYoutubeの履歴は釣りの動画で埋まってる)、過去の『釣り百景』の放送回を見つけた。葉加瀬太郎が村田基にエリアトラウトでの釣りを教わる回だ。何度もバラしてしまう葉加瀬さんに村田さんがレクチャーしていると、そのあいまからもう魚がかかってしまう、その時の葉加瀬さんの表情がたまらない。噛み締めるようじっと目を閉じて、魚がかかってもそのままレクチャーを続ける村田さんの言葉に聞き入っている。音楽家は、何かをじっと味わうようにするとき、目を閉じるんじゃないかな、そんなふうに思いながら見ていると涙が出てきそうになった。

(↑のシーンは11:20あたりから)

 

1月14日(金)

年末年始に本を読んでいたら、唐突に「自分は自分が思うように本が読めていない」と強く感じて、それを好意的に受け止めようと思っていたのだけど、そうはいっても理想的な読みに近づきたいなという気持ちがある。それで三中信宏『読む・打つ・書く 執筆をめぐる理系研究者の日々』に習って、書評を打つことにした。みなか先生のように、何よりも自分の執筆のための読書、自分のための書評というイメージで、評すること以上にログとして残すことを大切にしたい。それで書logと名付けてみた。

書log: 『ぼくたちは習慣で、できている。』

ざっと560字ほど。気楽で自分で読み返すにもよさそうだ。
ブックレポート的に、目次や各章のサマリーを載せてもよさそうだ。
何をやるにもまずは自分自身のために、が今年のキーワード。

 

1月15日(土)

今日出会ってゆかいだったもの・こと。

新宿で乗り換える時、めちゃくちゃ派手な服でキメキメな小学校低学年の3人組がいた。とくに一人だけの男の子がすごい。オレンジ色に染め上げた髪が、往年のパンクスのようなまごうことなき直角に立ち上がったモヒカン。オレンジが根元からきれいに染め上げられていて、ごく最近カラーリングしたのがわかる。ネオンカラーの緑のトップス、紫色のパンツ。ダンスチームなのか? お衣装感がすごい。ほおと見とれていると、リュックにつけられていたピカチュウのポーチだけがめちゃくちゃに使い込まれてねずみ色みたくなり毛羽立ってて、その取り合わせがすごくよかった。

柔術のかえり、芝浦運河に照り返す夕日がきれいで写真を撮ろうとしたら、ちょうどモノレールが横切ったこと。いったんカメラアプリ閉じてたから、あ、あ、と言っていたら、ちょうど横を通りがかったおじさん(やたらイカつく半グレ的ジャストサイズのスウェットの上下にハイテクスニーカー)が、めちゃくちゃでかいからあげを食べながら歩いてたこと。「2千万、2千万」ってつぶやきながら。

新橋で乗り換えるとき、そういえばニュー新橋ビルがなくなったとかなんとかって聞いたな、ちょっと見てみるかと思って記憶に従って歩いていたら、全然辿り着かなくて、なくなったのか着かなかったのかわからなかったこと。

最寄りのスーパー。閉店前の惣菜売り場で、鳥の半身の大きな丸揚げをじっと見ていた5歳くらいの男の子の凄みのあるまなざし。

 

1月16日(日)

小名木川にハゼを釣りに行く。
つり人』の記事を読んだらこの場所は、東西南北水門に囲まれているからふつうは冬になると深場に戻り穴を掘り産卵するハゼが、陸封されていて釣れるという。しかも釣れる時間は夕方のチャイムが鳴る16時半から20時のあいだに限られているらしい。

14時半釣り場についた。
記事の時間より早いけれど、まあ何も釣れないってことはないでしょう、と思って用意する。のべ竿にお手製のシンプルなミャク釣り仕掛けをつけ、糸を垂らす。エサはお決まりのボイルホタテ。イソメのほうがエサ持ちはいいけれど管理がらくだし、慣れてきたらいい付け方ができるようになった。ポイントはホタテの繊維に対して垂直に針を立て、ひっかけるようにすること。するとぽろんとホタテが針につく。

けれど、びっくりするくらいアタリがない。小名木橋からクローバー橋方面に少しずつ移動しながらやってみても、なにもアタらない。ハゼを狙ってこんなことはなかったので、戸惑う。ほんとに冬に釣れるんだろうか…。

16時になってゆうたろうがやってくる。
かれはシーバスを狙いたいようで、ちょっとずれて一緒に釣りを再開する。それで16時半チャイムが鳴って少し経ったころ、とくん、という小さなアタリがやってきた。ん? と思ってアワセてみると、小さなダボハゼがついていた。2022年初フィッシュはダボハゼくん。本命のマハゼじゃなかったけど、魚のいのちに貴賤なし! それ以上に、今年ここまでボウズだったので魚が手元に来てくれたことがシンプルにうれしい。

本命のマハゼはそのあとすぐにやってきた。
さっきよりも重たいどぅん、というアタリにアワセるとぐんと竿先がしなって、心地よい抵抗感が右手の指を通して肘あたりに訪れる。上がってきたのは15センチほどの良型だ。これこれ!という感じ。そのあとも立て続けにいい型のマハゼばかりが釣れる。夏から秋のビビビというひったくるような電撃的なアタリと違って、ウーハーの低音のようなどぅんというアタリは、慣れてくるとこれはこれで面白いものだなと思う。19時半まで竿を出して、30匹くらいのマハゼが釣れた。秋シーズンに旧中川でやっていたよりも、型も数もいいなんて、びっくりだ。

それにしてもそのまんま記事の通り、16時半から釣れ始めたのはいったいなぜなんだろう。
ハゼの生態にはまだわからないことも多いらしい。環境にユニークに適応していった命との駆け引き。いつくらいからこの現象が変わっていくのか、定期的に竿を出して検証してみたいな。