武田俊

2022.1.25

永遠に「Goodだよ〜!」

1月17日(月)

オンプラに出かけるのは終電で、西へ引っ越したから少し遠くなった。そういう時間の乗り換えはラグが大きくて待つことはいいのだけど、効率の悪さに気持ちが悪い感じが拭えない。それで調べてみるともう一本遅い電車にするとラグは少なく、かわりに四谷から半蔵門の東京FMスタジオまで歩く、というルートが見つかる。徒歩18分。夜の散歩に悪くないなと思って、そのルートを採用してみる。

四谷の地理がないからどんなルートか楽しみだったのがなんてことはない、笹塚から自転車で通っていたその道で、なーんだという気持ち。でも歩くと町の流れが違って見える。自転車だと四谷段階でもう半蔵門なんて着いたようなものだったけど、18分、考え事をしながら歩くのにちょうどいい。このあたりは会社ばかりだから、この時間はくらい。そんな中煌々と誰もいないWE WORKの明かりが灯っていて、それを目の前で働いている工事現場の作業員とガードマンを照らしていた。

1月18日(火)

ゆうたろうが湾岸エリアで撮影したあと、豊洲で釣りをするけどどう? と言われてて魅力的すぎたけど体力不足でやめにする。かわりに午後の散歩。駅前で予定していたよりたくさんの本を買う。吉田隼人『死にたいのに死ねないので本を読む 絶望するあなたのための読書案内』、諸隈元『人生ミスっても自殺しないで、旅』、グレゴリー・ベイトソン 『精神と自然』を買い、別の本屋さんでなかしましほ『たのしいあんこの本』、ペク・ジョンオン『ペク先生のやみつき韓国ごはん おうちでかんたん! 家庭料理レシピ』を買った。自殺、本、精神、あんこ、韓国料理、がいまぼくが寄せてる興味関心ごとらしい。死の淵から本と料理で生き直そうとしている感じが、如実にでていて笑っちゃう。

『人生ミスっても自殺しないで、旅』は目次のつくり方がとってもよかった!気になるひとはURLみてみてほしい。なのに『死にたいのに──』から読みはじめていた。久々に読むタイプの文章、懐かしい気持ち。大学のころをなんでか思い出していく。1章は私小説的な技法で書かれたテキストで、ああぼくも自分のものを書かなくては、と思いはじめる。私小説的な技法といえば、町屋良平『ほんのこども』を読みたいんだった、でもとんかつさんに「武田はきっと食らうから、調子が戻ってからね」と忠告を受けていて、それでどきどきしてまだ立ち読みしかしていないんだった。読みたい本がほんとうにたくさん!

そしてあんこだ。あんこには最近いい縁があるみたい。
和菓子をつくってみたい、あんこをまずつくってみたいって欲望は去年から持っていたのだけど、テレビでどら焼きやさんの番組を見て「どら焼きをつくりたい!」となり、Dマガジンをひらいたら「BRUTUS」があんこ特集だった。はじめてのあんこづくり、みたいなレシピも乗っていたけどちょっとそれがいまいちで、勢いづいて本屋さんで探した本の最初のレシピがあんことどら焼きだった。おやつづくりは全然やったことがなくて、小学校のときのホワイトデーのお返しでクッキーを焼いたことと、昨年の減量期に食べられるおやつがなさすぎて、オーブンレンジのオーブン機能ででたらめのプロテインクッキーをつくったくらい。自分ちのキッチンからどら焼きが誕生しうるなんて、すっごくわくわくするじゃない〜!

1月19日(水)

年末にたのしみに注文していたタナカカツキ『今日はそんな日』と鍵っ子さんの『タスクノート』が届いて、すぐに読んでみる。カツキさんの具体的な日課の作り方、もっと知りたいなあ。何人か登場するキャラクターのモデルがわかっちゃうビジュアルで楽しかった。

それで『タスクノート』つくってみる。毎日をおなじ日課で過ごすのにぼくの今の仕事のしかたはあまり向いていなくって、難敵が3つくらいある。

①月曜深夜からのオンプラ
②それの余波がやってくる火曜日の存在
③毎日やることがバラバラな編集のしごと

これらをどう日課として、具体的なタスクに落とし込めるのだろうか…いや、無理だな…とやる前に勝手に諦めてしまっていたのが去年まで。でもやる気はやらなきゃ起きない、という脳のしくみを知ったいまのぼくは、まず完璧を目指さずやってみること、を選ぶことができるのだ!この圧倒的かつシンプルな進化を祝福したいきもちで、『タスクノート』をひらいた。

いちばんやりたいのは執筆だ。
なんとしても今年に本を完成させたい。
で、誰からの邪魔も入らないのは朝の時間だ。それを拡張して午前中はすべて創作に捧げるゴールデンタイムとしよう。日課のサンクチュアリだ。じゃあまずはそこからタスク化だ。午後は──いったん今想定できるものを置いてみて、習い事や趣味もそこのはじっこにつけておこう。夜か──これは日記たちだけでいったんいいや。このノートは4週間で1見開きになっている。だからまずこのプロトタイプで2週間運用してみて、そんな自分を観察しながら過ごして、随時アプデしていこう。

今年はぜんぶそういうふうにやってみよう。
頭の中でこねこねするんじゃなくて、一旦手をつけて眺めてみる。外在化させて見下ろして、そのあとで内観するということ。エスキースを恐れない。ネームから名作はうまれる。そういうことを着々とやる。愚直にはやらない。「とりあえず手をつける」は愚かじゃないどころか、そこからしかはじまらないのだからね。

1月20日(木)

朝、ジムに行ってみるとマッチョが少なく老人が多くてよい。
マッチョの人たちがいると「おおお! ぼくもがんばるぞ」となっていいのだけど、かれらは一回のトレーニングが長い。使いたいマシンがなかなか回ってこないこともあるので、有酸素主体のおじいちゃんおばあちゃんは安心な存在だ。笹塚のジムにはまあまあのマッチョはいたけど、この町にはフィジークとかの選手なんだろうか、みるからに本職のマッチョという人がいる。本職のマッチョは筋肉が大きいだけでなく、その繊維が立体的に立ち上がっているような感じで、まさに際立つ筋肉たちなのだった。大きさでなく繊維が際立つには、いったい何をしているのだろう。脂肪をめちゃくちゃに減らす?

1月21日(金)

調子崩す前に引き受けていた、連続で若手アーティストにインタビューし続けていく案件の取材パートが完了。取材はいつだって楽しい。今回みたいな同じ必須質問をそれぞれにぶつけていくタイプのものでも、相手の人となり、キャリア、口語を扱うときの手つきによって取材のしかたはかなり変わっていく。インタビュアーである自分について自己開示を多めにするときも、相手の話の土壌の上でだけで対話を完結させる場合もある。その判断がたぶん全部うまくいって、とても褒めてもらえてうれしい。自分で興味があるのは、自分がどういった対話の運びを即時選択しているのか、っていうところ。何がトリガーになって、どういう問いかけ方をどういう判断のもと選び出しているのか。無意識のむこうがわが気になるなー。

Kindleの積読は読み忘れる。
でも分厚いエンタメ寄りの小説は、どこでもぱっと読みたいからKindleが向いている。そうやって買って忘れていた小川哲『ゲームの王国』を読み始める。カンボジアの話。いまのところゲームはまだ出てこない。出てこないのかもしんない。

1月22日(土)

山中湖にわかさぎを釣りに行ったら衝撃的なまでのボウズであった。行けなくなったじゅんやさんの仇をとるべく100匹釣ろう、いや200釣れたらいいな、そしたら車でお家まで持っていってそっとドアノブにかけてあげたい。そんなことを思っていたらボウズであった。

それはそうとして、今ぼくが勝手に最も親近感を抱く人物というのがいて、それは釣りの友人の息子である4歳の男の子。みだりに幼児の名前を出すのはなんかいけない気がするから、冬太くんということにする。冬太くんと書いたけど、ぼくは彼のことを冬太さんと呼ぶ。なぜなら彼の一人称が冬太さんだからだ。この日、冬太さんはピンク色のフリースを着て、震えながらやってきた。

冬太さんは言葉が上手で、その扱い方のチャーミングさにぼくは憧れを抱いている。ハイハイをしながら2語文をしゃべっていたと聞く、自分の知らない自分のかつての姿に彼を重ねているのかもしれない。冬太さんは世界のすべてが気になっていて、大人の全部の話題をちゃんと聞いている。疑問があるとすぐに聞き、まわりの大人が「それはね──」と教えるとじっと聞き、聞き終わると「おぼえましたー!」と言ってちゃんと覚えるのだ。動作のひとつひとつが口語となって現れ、そして記憶されていく。それがいちいち感動的で、感動は心の浅瀬でずっとこだまするから、ぼくもなにかを覚えたときには「おぼえましたー!」ということになってしまっていた。今も新しいことを覚えると「おぼえましたー!」と言っている。

けれど幼児の発達は早い。
すでに冬太さんは、なにかを覚えたときに「おぼえましたー!」と言うことがなくなったらしかった。言わなくても覚えられるようになったというのが、発達ということなのだろう。

わかさぎのドーム船を降りたあと、寒さから逃れるようにしてぼくらは湖畔のほうとう屋さんに出かけた。すぐにやってきた熱々のほうとうを食べていると冬太さんは唐突に「冬太さん、ほうとうってだいきらい!」と大きな声で言った。おいしそうに食べていたので不思議になって「あれ、きらいなんですか?」と聞くと、「ほうとうってことばの感じがきらいです!」と言う。なるほど、響きかあと思いながら、お店のひとが勘違いしたら悪いなあと思って、少し話の向きを変えようと「冬太さん、じゃあほうとうのお味はどうですか? かぼちゃ、好きなんでしょう?」と聞くと、なんともかわいらしい声で「Goodだよ〜!」と言った。習っているという英会話の影響で、Goodがいくぶんネイティブなのが、またチャーミングだ。

だからそれがまたぼくに移った。
家に帰ってからじゅんこさんと話すたびに、ぼくは「Goodだよ〜!」と言う。冬太さんは日単位で成長していくから「おぼえましたー!」と同様に近い将来「Goodだよ〜!」もまた言わなくなるだろう。だからかわりにぼくが言い続けよう、と思った。言語取得とそのもたらす感動のアーカイブとして。

1月22日(日)

久々の高速道路の運転は、思っていたよりも疲れたみたいで今日はぜーんぶ休むことにする。『ゲームの王国』を読んでピザを食べ、「UFC270」を観て『UFC4』をプレイした。野球シーズンに試合を見たあとパワプロで復習したりリベンジしたりするのと同じ感じ。今日のダブルタイトルマッチ、フライ級はモレノ、ヘビー級はガーヌを応援していたのにどっちも負けてしまった。並行世界で勝たせてあげる。