武田俊

2022.6.16

空中日記 #77

6月11日(土)

午前に途切れてしまった日記をえいや!と仕上げると、ほわんと自己肯定のできるあたたかい湯気みたいなものが足元から立ち上がってきた。その湯気の中で止めてしまっていた連絡などを小気味よく返していく。お昼はこないだつくったトラウトのカレーの残り。時間が経って少し味の中のまろみが増えていたから、ガラムマサラとレッドペッパーを追加して輪郭と鋭角を取り戻してあげる。

午後、どうしようかどうしようかとしているうちに夕方近くになってしまったので、ここでもえいや!でジムに。スクワット、レッグカール、スタンディングカーフ。スクワットは90kを10RMで3セット、不安なくできるようになってきた。レッグカールは61k、スタンディングカーフは145k。どれも10〜12RMで。もともと下半身のほうが上半身位比べて筋量の多い体だけど、間が空きながらのトレーニングにしては悪くないんじゃないか、と思えてきて心が喜んでいるのがわかる。

心の不調には高負荷のウェイトトレーニングが確実に効く、という思いを今回も確かなものにした。なぜなのか。おそらく重いウェイトを扱うため「それをすること以外何も考えられない」のが大きいんだろう。当事者以外の人がよくしてしまう勘違いとして、抑うつ状態=何もできずに動けない状態、というものがある。これは見た目としてはそうなっているのだけど、なぜ何もできずに動けないかといえば、当人の頭の中は高速回転を続けていて、常に自己否定を続けてしまっているから動けないだけなのだ。だからなんとか、えいや!で体を起こし「それをすること以外何も考えられない」という行為の中に身を置くことさえできれば、泥沼の状態から抜け出すことができるはずなのだ。その選択肢のひとつがウェイトトレーニングであって、ぼくの場合は車の運転も同じものにあたる。問題は、その時々の不調が、えいや!で体を起こしていいものなのか、寝ているべきなものか判定が非常に難しいところだろう。今日は、えいや!、が要所で効いてくれた。そのことがうれしい。

「筋肉は裏切らない」っていうフレーズ、じつは足りないものがあると思っていて、正確には「(私たちが筋肉を裏切らない限り)筋肉は(私たちを)裏切らない」だと思う。打てば響くのがぼくたちの筋肉で、そして打てば血流が上がり脈動し、自分の輪郭を改めて伝えてくれる。世界に溶け込み流れ出してしまうぼくの体と輪郭を、筋肉は負荷を与えることでとどめてくれるのだ。

しかし「筋肉は裏切らない」がトレーニング愛好家を越えてミーム化しているというのは、とても苦しい社会背景を想像させる。日々小さいものでもなにかに向き合い着実に努力を続ければ、たしかな報酬系が機能して自分に返ってくる、という生の実感が失われているからこそミーム化しているに違いない。じゃあいまどういう社会かといえば、これはシンプルで岸田政権が唱えている労働や貯蓄よりも投資を促す社会だろう。大衆の努力が大衆の幸せに戻ってこない社会。大衆の努力が資本家に搾取され続ける社会。だから生活の維持のために、投資という「ワンチャン」を要請する。すべて「ワンチャン」目当てのギャンブル化する社会。