武田俊

2022.12.19

空中日記 #82|pomeraと過ごす1週間

12月12日(月)

起きてすぐにポメラが届く。早く触りたいと思うも、じっと我慢。にんにくだれってやつの納豆と玄米、生卵。坂口恭平『継続するコツ』の続き。坂口さんの最近のエッセイは、まるで口述筆記みたいな文体で、ラジオを聞いているように入ってくる。これ、ぼくがニュースレターで実装したいと思っている文体だ、と思う。

『青の輪郭』3章の推敲を進める。ここは自分にとってかなり重要な章なんだけど、ここまでに書きすぎてしまっているので、ごとうさんと相談して削っていくことになった。削っていくというか、速度をあげていくイメージ。今が徒歩だとしたら、徒歩だから見える道ばたの草とか、気になった看板だとか、そういう小さなエピソードをぼくは拾いすぎている。それは細部の描写が美しい小説や映画が好きだからだと思うんだけど、でもぼくの文章の魅力や強みは、じつはそこではないような気が最近してる。

昼、たまねぎとささみプロテインバーとピーマンとしめじを雑に炒めて、袋入りラーメンに乗っける。あるものでびゃっとやる平日のお昼がけっこう好きだ。午後も『青の輪郭』。16時過ぎになんとかごとうさんに送稿。これでやっとポメラが触れる。

んで、いまこれはポメラで書いている。ぼくは普段USキーボードで、このポメラもUS設定ができるみたいなんだけど、キートップにステッカーを張り替える仕様になってて、それがめんどうでとりあえずJISで使ってる。心配だったけど、一応大丈夫そう。それよりも、キーボードの感度と打鍵が想像以上にいい!

僕は変則的なタイピングで、ニュートラルポジションに手を置けていない。だから無駄な動きが結構あるんだと思う。この小さなキーボードだとその無駄が最小限になるからか、むしろ普段より早いタイピングができている気がする。慣れてないからミスタイプ多いけど、慣れたらPCのフルサイズキーボードより早いかも。「青の輪郭」の新しい章のドラフトから、ポメラ採用してみようと思う。アウトラインモードでとりあえず日記書いてるけど、これはなかなかいい感じだぞ!

夜は、とんこつラーメンみたいな鍋。途中で味変できるのが売りみたいで、締めのラーメンがおいしかった。ふたりで暮らしていると、〆に中華麺ひとたまで半分ずつ、みたいにできていい。

小説の中の、小説的じゃない手つきについて思い出したりしたくって、千葉雅也『デッドライン』をちらっとひらく。この瑞々しさってなんなんだろう。

12月13日(火)

雪でも降りそうなどんよりとした曇り空。気温も下がっていて、起きているのに起き上がりたくない。えいやで出て、紅茶を入れて昨日の夜にファミマで買ったメロンパンを食べる。メロンパンにはいろんな種類があって、高級なものもいろいろ食べたけれど、ぼくの中の理想のメロンパンというのが生まれつつあって、それはしっとり系で、中にメロン味のクリームが入っているもの。メロンそのものはけっして使ってはダメで、あのややケミカルな空想のメロン味、を味わっていると幸せになる。

午前はニュースレターの執筆。pomeraだと一気にばっと書ける。加速がいい。一気に8枚くらい書く。

昼、昨日の残りのお鍋のスープに中華麺とたまごを入れたもの。こういうのが、案外高級なお店でディナーするより、ぼくは楽しかったりする。昨日の鍋に入れた舞茸のうまみや白菜のや豚バラの甘みが溶け込んだスープを、スーパーで買っただけの中華麺がすっていく時、昨日が今日を支えてる感じがする。食材のいのちと、今日の時分のいのちはつながっている実感がある。

外に出て、役所で紛失しちゃった国民健康保険証の再発行。けっこう待たされる覚悟をしていたので、サクッと終わって拍子抜け。ありがたい。いつものカフェで『青の輪郭』のためにpomeraのフォルダとファイルの関係をチェック。なるほどね。キーボードしかないデバイスでは、こうやってファイルを移動させるわけだ。で、そのままアウトラインモードで書いていく。なるべく読み返さないようにして、進めるもニュースレターの原稿のような速度では進まない。記憶の中の情景をたどりながら、作中の「ぼく」を歩かせていく。なかなかうまく行かなくて、なんでこんなにたくさんの小説を読んできて、読む技術ならそれなりにあるのに、思うように書けないんだろうと思う。具体的に、どれくらいの情報量で読者がどれくらいのイメージができるかとか、どういう文体を自分が好んでるのかとか、それこそ手に取るように自分ではわかるのに、それを自分の文章として出力するのが難しい。その考察をツイートして、これはある種の逃避だなと思いつつ、でもここにぼくのはじめての単著の別の、メタ的なテーマがあるな、と思う。なんとか5枚。めちゃ時間かかったけど、ずっと凍結していた書き出しだから、エンジンかけるのにこんくらいはかかるんだろうなと思う。だいぶ流れが見えてきたから、明日はもうちょっと進められるかな。

資料をいろいろ見ようと思って、書店でふらついて空腹に気づいて松屋へ。味噌汁を豚汁に変更するためのチケットを券売機で買っているとき、大学生のときの松屋は、すでに券売機だったけどそれを店員に見せる仕様で、「味噌変更いっぱーい」って彼らがコールしていたことを思い出す。もう、あのコールはない。

復活して再度書店に。暮田真名『ふりょの星』と阿部昭『新編 散文の基本』を買う。帰ってぐったりしたまま、スプラやる。たんたんとナワバリバトルをやると脳が気持ちいい。今はプロモデラーの金色でひたすら塗り、スペシャルのナイスダマを連発するっていう初心者プレイでしかないスタイルで遊ぶのが気持ちがいい。夜、お風呂で坂口恭平『継続するコツ』の続き。坂口さんは好きなことを得意な方法で運用することに長けている。ぼくは、やっと好きなことがわかってきて、けれどまだ得意な方法がわかっていないから、継続するのが難しいのだと思った。いったい、どんなやり方がいいんだろうか。彼ほど激しくないものの、認知特性は確実に近いのだから、どんどん参考にしていきたい。絵が描きたいことと、羊毛フェルトがやりたいことと、魚の木彫りがしてみたいことを思い出した。そういえばじゅんちゃんが前に、パステルを買ってくれていた。明日、一枚何か描いてみようかなと思う。風景か、魚か、そのどっちもか。

12月14日(水)

昨日までの快調さがうそのように、どんよりとした気分。なるべく通常運用できるように意識して、なんとか午前の「ミルクの中のイワナ」のMTGを終えて、けれっどそのあとぐったり。夕方の打ち合わせまで、なにもできない。で、夕方、ごとうさんと「青の輪郭」MTG。小説と映画、あとpodcastくらいで今他に特にやってないのに、なんで体調悪くなっちゃうんだろうと話す。それで、そうだよな去年の今くらいとは全然違う性生活で、それこそ今のぼくのことをうらやましがるだろうな……と思う。

それでも話していて、「青の輪郭」これはずいぶんと書きすぎてるわけで、ここまでの連載分を書籍化の際にどうするかっていうことと、書籍版の目次、そして直近の連載のことについて話し合うと少しずつ元気が出てくる。小説、自分の頭の中で構成を考えて書いてみても、書き出してみないとわからないことがけっこうある。書いてはじめて、次のシーンにつなげたいことを思い出す(思いつく)というか。エッセイだとこういうことはなから、不思議な体験だ。そして、これが小説を書くことの一つのユニークなおもしろさなのかもしれない。
「武田さんって、けっこう時系列にていねいに書くタイプじゃないですか」
文字数が増えていくこと、その対策としての回想形式について話していたときに、ごとうさんがそういったので「それは保坂和志の影響で──」といろいろ話した。

 

12月15日(木)

起きた瞬間から1日をあきらめた。それくらい久々に調子が悪い。布団から動けないのをなんとかソファまで体を持って行く。持って行くという感じが近い。自分の体のようではない感じで、自然とは動かせない。風呂をあたためて、阿部昭『散文の基本』をひらくと、冒頭に「書くこと自体のたのしさ」についてのエッセイが載っていて、小説家によるこういうことばっていいなと思う。でも、復帰できず。夜、じゅんちゃん材料買ってきてくれて、お好み焼きをプロデュースしてくれる。そのあとなぜかふたりで『閃光のハサウェイ』観る。『水星の魔女』以来、ガンダムづいてる我々。広大な宇宙世紀の中で、みんなそれぞれの時代を賢明に生きている。

 

12月16日(金)

いくらでも寝ていられそうな朝。起きて、ピーナッツバターを塗って米粉パン。じゅんちゃんがいるので、いくぶんましな気分。朝を一人で始めるのが苦手なのかもしれない。朝型になって、一緒に毎朝6時に起きるのを試してみたい。

体がなかなか動かないので、その合間に『散文の基本』の続き。小説を読み進める気力はないみたい。

いつもより早く家を出たら人身事故で電車がまったく動かない。タクシーも行列で、なんとか別の路線へのアクセスを考えてバスを選ぶも、どのルートがもっとも短時間で行けるのか、停留場がどれくらいあるか読み切れない。結果、40分遅れで大学に到着。ふたり体制の講義だからなんとかなったものの、来年度からソロでやるのだからこのあたり気をつけなければと思う。日中早めに都心に出て、あれこれ見物したり作業したりするべきなんだろう。

ゲストはBPM。後半戦しか参加できなかったけど、こうしてゲストに招いて仕事の話を聞く、ということでもない限り改めて聞けないことがある。その人の仕事哲学とかってそういう話。インタビューの腕が鳴るというのも、こういう話だったりして、講義を通してお互いのスキルや価値観を再確認しあえるというのは心地のよいものだ。

終わって神楽坂。今日は豚しゃぶのお店だった。到着するとえいちゃんがいて、なぜかぼくにサプライズで呼んだとのことだった。あとからけんすけも合流して、なんだか懐かしいメンツで忘年会のような感じに。みんな年をとったね、なんて話してもそんな気はしていなくて、関係性も年齢差も変わらないからなんだな、というこうして書いてみると当たり前なのに、なんだかその感じがとっても特別なものに感じられる。関係性が変わったら、ぼくたちはもっとお互いに会う機会がなくなって、久々にあったとき、きっとそれぞれに老いを感じ合ったりするんだろうな。だから願わくば、「なんだかんだみんな変わらないよね」ってずっと言い合えるくらいに会っていたい。

 

12月17日(土)

パステルの練習、2枚目。色ごとのレイヤー感がちょっとだけわかる。これは、つまり油絵の感覚でやるといいんだろと思う。ただし積層を繰り返したあと、ナイフでけずったりして「元に戻す」はできない。そういえばじゅんちゃんがこの間、パステルをしながら存在しない⌘+Zを押していた。

ゆうたろうから明日王禅寺に行こうと連絡がくる。釣りをしたいという気持ちと、休日で混んでいるであろう管釣り場に出かける微妙さの間でゆれるものの、友達に会いたいという気持ちで行くと返事。せっかくなら釧路ロケのあいだ、現地のリサイクルショップで入手したきり使えていないままのミッチェルをおろそうかなと思い、PEを巻き、この間の真鶴港ライトゲームの時に根掛かりで高切れしたままのカルディアのスプールもまき直して、リーダーを結束させる。横からじゅんちゃんが「そういう作業、前は半泣きでやってたのに、すいすいできるようになってるね」という。そういえば海でのルアーはじめたころは、FGノットが組めなくて組めなくて、ひとつやるのに40分くらいかかってたもんなあ。今はどれくらいでできるだろう、10分あればできるかな?

夜、なぜかファーストガンダムの映画を観る。『水星の魔女』と『閃光のハサウェイ』を観てからふたりではまってしまっている。広大な宇宙世紀でそれぞれの時代を生きる人たちのことを見ていたい、って気持ちな気がする。作画、テクノロジー的な側面で隔世の感、なんだけど、それでも全然見れる。やりたい、やろうとしたいことがちゃんと動きになっていて、それを補填するようにして見ると、むしろそれが楽しい鑑賞体験になってきた。

12月18日(日)

朝、アラームかけるのに失敗してたのか集合時間にすら起きられなかった。ゆうたろうの電話で目覚めてごめんねのLINE。車ぱっと借りて行こうと思ったら、朝7時の段階で2メートルおきに釣り人がいるとのことであきらめる。釣りしたかったのに、ちょっとほっとした気分。今シーズン、本格的な渓流・源流の釣りに目覚め、そのドキュメンタリーを撮っている身としては、試されている感じがする。管理釣り場での釣りを、今シーズンのぼくは楽しむことができるのだろうか。

昨年、王禅寺に通うことでぼくの釣りの基礎体力(キャスティング精度、レンジ感覚、フッキング、フッキング後のやりとり)が飛躍的に向上したのは確か。釣りは、釣れなきキャスティング以降の練習をすることができないから、その点で数釣りができる管理釣り場に通ったことは大正解だったと思う。だけど、通い始めから、数釣りを前提としているトーナメンターたちが、釣った魚を見ることもせず、ぞんざいな手つきで水面に投げつけるようにリリースするのを繰り返しているのを見たとき、喉元までぐっと嫌悪感がこみ上げてきたのも確かだった。命のやりとりを通して学び楽しむことと、命をもてあそぶことには、価値観として全然違ってもそれぞれが置かれている座標は驚くほど近いのだ。

ソファで『デッドライン』の最後ってどうなってたっけ、と思って読み返す。とてもとてもいい。ていねいなのに、スピードが早い。たぶん詩的な感覚で、論理的な小説的的な語りを放り投げているからだと思う。そのピッチが心地よい。そのまま『地図と拳』進めるも、なにか今の自分にはまらない。坂口さんのパステルの画集が届いたので、読む。

エクセルシオールにpomeraと本だけ持って出て、『青の輪郭』。ごとうさんと話して、書籍版の構成をイメージできて、あとは書き出すだけなんだけど、決まらない。本の最初の一行だから、力んでるかもしれない。でもここは力んでいい。最初の1行はめちゃくちゃ大事だ。阿部昭も『散文の基本』で言っていた。最初の書き出しが決まれば、あとは走っていけると。その最初の書き出しを考えるのが、なんとおもしろいのだろうと。
ただ一方で思い入れたっぷりに、ポエジーさ過剰でスタートする書き出しは重たいなと思う。ぼくはもうやらないけれど、最初の一杯目のビールのような。アサヒスーパードライのようなのどごしで、さらっとしてて、キレがよく、もうひとくちもうひとくちと脳が求めてしまうような。飾らない、けれどしっかりとしている書き出し。とても難しい。難しくてこうして日記に逃げている。逃避先が日記になる、という点でもpomeraはとてもいい。

今吉さんがなぜかこの多摩まで来てくれて、都夏へ。下北とは店の全然振る舞いが違ってて、ちょっとおしゃまな感じ。君、そんな感じだっけ、と思いながらダバダのお湯割り。海老しんじょのはさみ揚げみたいなのがおいしい。お店立ち上げの時からの名物的なことが書かれていて、下北沢の店舗にはもうずいぶんと行っているのに全然気がつかなかった。なんでかなと思ったら、下北で都夏を使うときって、計画的というよりも場当たり的な飲み会のときで、あのころのぼくたちはいつも何をどこで食べるかということよりも、誰とどんな話をできるかに賭けていた。Weで書いたけど、みんなはどうか実際のところわからない。少なくともぼくはそうだった。まだ自分が何者なのか、てんで怪しくて、だから不安で、そういう夜はとても怖かったから、いつも誰かと一緒にいた。一緒にいて、いつも今とこれからの話ばかりをしていた。今よりも、ずっと他者との身体的な距離が近くって、居酒屋で語り、バーかスナックに移って語り、コンビニで買ったハイボール片手に路上で語り、それでも語り足らず下北沢駅徒歩30秒の当時のぼくの部屋で語り、語り疲れて雑魚寝をするのも楽しかった。そういう2010年代の、あるひとつの夜の会話、そういうものをこれから「青の輪郭」で書いていくんだろうな。

なんだかみんなと別れてからの帰路、心がきゅうっとなって歩きながらじゅんちゃんに電話する。『水星の魔女』の最新話を見ていた様子。ずっとガンダムの話。「ガンダムを見ればね、色々迷ってても次に自分が何をすべきか見えてくるの」っていっている。わかる気がする。