武田俊

2023.1.10

空中日記 #84|読み初め、釣り初め、走り初め

 

1月1日(日)

記憶のないまま元旦へ。今年最初の読書はまさかの『風の歌を聞け』。プロットの分析にいいよとおすすめされ、読みながら断章ごとにプロットに分解していく。リバースエンジニアリング。魚をさばくことと一緒。分解することで、全体を知っていく。という作業がこの上なくおもしろい。

1月2日(月)

7時に起きて、昨日のピザを一切れだけつまみながら、コーヒーを淹れて部屋へ。「青
の輪郭」書く。自分の部屋にいても、社会がが動いていないことを感じるのはなんでだろう。とにかく、社会が動いていなければいないほど、ものを書くことはしやすくなる。
『風の歌を聴け』を分解したノートを見ながら、地の文と会話のバランスに注意する。とくに、会話をつなぐための地の文の展開と、比喩の使い方。気をつけないと、この部分は書き慣れてないぶん、手癖で進めるとパターン化しそう。

11時くらいになって、じゅんちゃんがマリールゥの粉でパンケーキを焼いてくれる。そこにジョンソンヴィルのソーセージと目玉焼きをあわせて、メイプルシロップをかける。マックグリドルの上位互換だ!とはしゃいで食べる。

午後、キャスティングへ。近辺でいちばん大きな店舗は、ひっきりなしに駐車場に車が出入りしている。とても混んでいる。目当ての船用のライトゲームロッドは、思ってたよりもどぎつい赤で塗られていて、ちょっとこれは使えない。その他は──と物色してみて驚いた。海のエサ釣りのロッドたち、ことごとくデザインがさえなさすぎる。大型店舗に行けば、まあ何かほしいものは見つかるでしょ、と思っていたのが大いに裏切られた。探していたリールもないし、がっかりしながら仕掛けだけ買う。

夕方、脳のリフレッシュに少しだけスプラをやってたら、たかくらがやってきたので一緒にナワバリバトルやる。楽しい。予定あわせてないのに、ふと友達と遊んだ放課後みたいな。

夜、じゅんちゃんがスプラやってるのを見る。つい口を出してしまうので、部屋へ。執筆の続き。どうも、プロットの段階で、文字数に対して、エピソード数が多かったみたいいだ。これ以上、説明的パートを削ることができなくなって、キリのいいところで、いったんごとうさんに送稿。セリフのあり方についての考えが変わって、大きく自分の中の文体というか、小説的テキストの構造の展開が変わった。ちいさなちいさな覚醒が、起こっているような感じがする。

1月4日(水)

釣り初めはデザインセンター釣り部の、本家アジサバ会のライトひらめ。エサを泳がせて釣るわけだけど、前日までイワシの在庫がなくてアジだと聞いていたが、急遽イワシが用意できたとのこと。アジの方が強くてエサ持ちがいいけど、イワシの方がうろこがきらめいて、アピール力が強くてひらめにはいいらしい。逆にアジなら青物の可能性が高まるとのこと。

今日はひとりで車に乗った。いつもびびって早めに出てしまう。それで横浜横須賀道路のの横須賀PAで時間を潰した。この時間にPAでひとりで時間を潰す。今までしたことがないことは、どんなレベルのものでもわくわくさせられると同時に、ちょっとさびしくてこわい。生きている人が誰しもが1度だけ必ず経験するのが死で、しかも生きている内に経験することはけっしてできない。生きながら死ぬ、ということはできない。だから、はじめての体験の時間の中には擬似的な死のかおりがひそんでいる。それがちょっとさびしくてこわい、の正体なんだと思う。

ひらめ釣りは前回いつだったかと調べると、2022年の3月とのことだった。このとき、ひらめを釣ることはおろか、おろしたてのライトゲーム用ロッドをしっかりと根掛かりさせてしまい、船長に声かけをうまくできないまま船が動き、そのままへし折ってしまったのだった。

海の状態はあんまよくないっぽい。でも、タイドグラフをちゃんと見てきたぼくなので、9時半の潮止まりから、潮の状況がよくなることを知っているので焦らない。そしてその時間から、やっぱりあたりが増え始める。大きなウッカリカサゴがまずやってきて、そのあとこれも大きなマハタが登場した。さすがにどっちのあたりもはっきりわかる強いものだった。そのあと、待望のひらめがやってきた。聞いていたパンパン、という前あたりはなくって、のそっとした重みだった。底にはりついて居喰いみたいな感じだったんだろうか。

これで目標クリアもう一枚、と思ったところでがっつり根掛かりし、はずそうとしているところで貼ったラインに爪がかかって、盛大に高切れしたのでひらめはおしまい。SLJへ。なんか釣れないかな、と1時間ほど粘ってみたけど、小さなエソがいっぴき。それでもよく来てくれたなと思いながらリリースした。

1月5日(木)

船で釣りにでた翌日はいつもこう、って感じの1日ぐったりデイ。

ちょっと前まではお風呂ではKindleしかこわくて読めなかったけど、最近文庫本なら持ち込めるようになった。バスタブのふたを半分しめて、そこに二つ折りにしたタオルを置き、その上で本を読む。多崎つくるの続き。こうして読んでいると、いつも自分のふたの間に本を落とすイメージが浮かぶ。イメージの中でお湯の中に落ちた本のページがふやけて、印刷された文字だけが水面に浮かんでくる。湯船から上がるとき、それが体にくっつく。そういう感じがいつもする。

1月6日(金)

午前に「青の輪郭」MTG。ぼくもごとうさんもうまく新年の社会にライドオンできていない様子。今回もまた執筆のお悩み相談タイム。というか、話しているうちに、自分の悩みについて個別具体的に気づけていく、というような時間。でも、こういう時にでもぼくはあまりにも流暢にしゃべり続けているから不思議だ。まるで、最初から今日このことを相談したかったんだ、というふうに。実際は、さっきまで悩みの根本がなんなのかわからなかったのに。ごとうさんには、どんなふうに見えてるのか、気になってくる。
『風の歌を聴け』のプロット分解読解が効いたのか、これまでよりもセリフのバランスに気をつけて書けているものの、書けば書くほどに「そういえばあのことも書きたかった」とか「なら、時系列的にはこの手前に入れておかなきゃ」みたいなことばかり考えてしまう。するとどんどん文字数が増えていき、プロットや目次通りに進行しなくなってしまう。全員を連れて行く、という裏テーマを果たすために、という意識がさらに文字数を増やしていく。
「どうしたらいいのかわかんない!」
「……思うに、武田さんの悩みって、この展開と構成と時系列の問題をぐるぐるしてませんか?」
「そういえばそうだと思う。登場人物のエピソードはここで回収しなきゃとか、ここで出しておけば伏線になる、とか」
「そこで詰まっちゃうよりは、厳密な時系列とかは本にするときでいいから、今は『このことは絶対書くべき』ってエピソードを中心に、各話読み切り、くらいの気持ちで書いていくのがよくないですか?」
「え、それ書きやすそう。ってか、そういえば最初のころ、そんな風に自分でもいってた気がする」
「たとえば、映画だって思うのもいいですよ。パーツからつくってもいい。順撮りじゃなくてもいい」
「そっか。思い出の断片からパーツつくって組み合わせて──フランケンシュタインだ!」
ここで、フランケンシュタインってワードが出てきてから、ぐっとこの書き方で大丈夫だという確信みたいなのが生まれた。断片からキメラ的に生まれた、思い出の怪物。

そのまま、ハタのあらと身、ひらめの昆布締めをごとうさんにおすそわけにいく。指定された座標はマンションの入り口で、彼女がエントランスから出てくるまで、自転車を壁に立てかけて、そのホリゾンタルフレームのトップチューブに体をあずけて空を眺めていた。学生時代だったか、こうやってロードバイクで女の子の家に向かって、部屋から出てくるのを待っていったことがあったな、と思った。

夜、お好み焼き。ひらめのあらでとった出汁で、舞茸と葱だけ入れておすいもののようなもの。ソースの味でわからんくなると思ったけど、清廉としつつもしっかりと旨味の乗った味はちゃんと解読できた。「釣りびと万歳」アマプラで見る。スペシャルで、金子貴俊がトカラ列島でGTを釣るというやつ。GTとか大物を南海で豪快に釣る、ということにあまり興味がないのだけど、でも見てるのはおもしろい。何より、船の中で4泊するっていうのがいい。

1月7日(土)

朝、届いたばかりのNIKEペガサス39がどんなものかと思って、お試しランニング。軽さ、クッション性、その他のバランスがとてもいい気がする。半分断裂してる右膝の前十字靱帯が、最初こそぴりついたけど、後半は問題なさそうだった。

夜、わたると飲むために新宿へ。久々に会う人との待ち合わせ直後の話っていつも一緒で、「いつぶりだっけね?」となるわけだけど、これがぼくはけっこう好き。話していたら8年ぶりだってことがわかる。池林房へ。よく来ていた場所だけど、コロナ以降飲酒をしなくなったので、めっきり足が遠のいてしまった。

この間、パンクラスのPPVを見ていてその様子をストーリーズにあげたところ、わたるはキックとMMAをはじめていて、自分の先生も今大会に出場してるから応援してね、ということでそこから話が盛り上がって、じゃあ飲もうぜ、ということになった。格闘技の話をリアルでできる友人、というのがお互いほとんどいなくって、一気に盛り上がった話す。

「なんで俺たちは大学の時、格闘技の話しなかったんだろうね?」
と自分で口にした疑問は愚問で、なぜならそんな暇ないくらい、ぼくらは一緒に熱心にバンドをやっていたからなのだった。そのときの、おそらく大学でいちばんの思い出のひとつを、それぞれの記憶をつなぎなおすことで、今一度召喚させていくような対話。店を移して、数少ないYouubeに上がっている動画を、わたるのAirPodsをわけわけして聞いていると、体ごとあの時のあの場所に戻っていく感じがする。心地よい魔術のような時間。懐かしむということは、おそらく生き直すということに似ている。

結局朝まで話し込む。結局、ぼくら二人の中で一番記憶に残っていたのは、2007年の学祭。ぼくが審査する学祭実行委員に向けて曲間でアジったオーディションに合格し、bonobosとScoobie doの前座として、野外イントレのステージで1000人の前でライブしたことだった。おもしろかったのは、その中でも一番記憶に残っていたのが、ステージから見た、ボアソナードタワーのガラスの壁面が強烈に反射していた夕焼けだった。2年間のバンド活動の中でいろんなことがあったし、おそらくほぼすべてのライブは撮影していたし、何なら写真もたくさんあった。その中で一番はっきり覚えていたのが、ただの一枚の写真もない、あの時の夕焼けだった。存在するはずのない写真が、ふたりの頭のなかにずっとあって、その夕焼けの光は、今すぐに取り出して見せることができそうなくらいな、ずっとすぐそこにあったということ。

1月8日(日)

もう朝までは無理だ……。釣りの時とおなじような、ただただグロッキーな日。