武田俊

2024.8.22

空中日記 #136|わがやのぎゅうひちゃん

7月8日(月)

週末のオープンキャンパス時のワンオペのかわりに、今日はぼくが自由にしていていい時間。これがなかなか慣れず、つい何か育児にまつわるお手伝いをしそうになる。午前、日記の入稿や各種連絡しつつ、イオとふれあう。

13時、滝口さんと主夫互助会で待ち合わせ。めちゃくちゃ暑い38℃の日。事前に調べていたおそばやさんでぶっかけおろしそば。ちょっと薄暗い日本家屋的な陰影の室内がとてもいい感じだったのだが、つゆがあまり好みでなく、おしゃべりに夢中だったので味もつかみきれなかった。最初ならせいろにすればよかったのだ。

行ってみたかった喫茶店が臨時休業で「暑いからですよ、きっと」といいあいながらスタバに河岸を移す。コールブリューをトールで頼むと「あ、これは珍しい! ラッキーレシートが出ました。ご存じですか?」とうれしそうに店員さんがいうから、これはさぞすてきなことだと思って説明を聞いてみると、QRを読み取ってアンケートに答えると、コーヒーがもらえるというものだった。シンプルにコーヒーをくれればいいのに、このがっかり感と1通のアンケートデータ、どちらに価値があるのだろう。

育児と家事のあれこれを他にもたくさん話したかったのだが、途中から執筆・創作論というか、武田の創作お悩み相談会のようなたいへんぜいたくな時間に。もったいないのでここには書かない。お別れして帰路、『文藝』だけさっと買ってカフェに入り、教わったことを記憶の限りに書き出す。そのまま滝口さんの「連絡」を読む。とても幸せ。

厨房から、バイトの若い女性スタッフ同士の会話。
「ねー、最近わかったんだけどさあ」
「え、なあに」
「ソーセージって、ご飯の方が合うと思った」
「ふーん」
「え、なんかないの? パンじゃなくて、ご飯だよ?」

たまらない会話。
ぼくもなんならご飯の方が合うと思う。

「せっかくだから夜ごはんもすませておいで」と出がけにいわれたことを思い出して、せっかくなので入ったことのないラーメン屋さんに行ってみる。はずれ。勢いだけでする孤食は、いつも失敗しがち。帰宅してイオを寝かせてから、柴崎友香『わたしがいなかった街で』。単行本が美しい。

7月23日(火)

イオ、せきと鼻水がすごいので保育園はお休み。だいぶこなれてきたので、これくらいの体調不良では動揺しないが、予定をぜんぶキャンセルしないといけないのが大変だ。とても楽しみにしていた食事の予定をリスケさせてもらう。今日はプライベートな予定だったのでまだよいけど、絶対に外せない仕事の予定だったら、いったいどう対応すべきなのだろう。

具合が悪い小さなひとは、だいたい機嫌が悪いので、ずっと泣いている。離乳食もふだんの半分くらいしか食べられない。かわいそう。けどこの周波数帯の音を聞き続けていると、どれだけかわいい我が子でも気が滅入ってくるってもので、自分もかわいそう。かわいそうなふたりで、夜まで過ごす。

深夜、思い立ってパソコンにマイクをつないで「武田俊の聞くエッセイ」を録った。早く寝てしまうか迷ったけど、しゃべりたいと思った瞬間にしゃべる、というのが大事。そのまま編集。ひとり語りだと、エアコンなどのホワイトノイズをカットするのがとても楽な反面、ぼくは沈黙を恐れているのか、一気にたたみかけるようにしゃべっているので、ブレス音が巨大なことに気がつく。熱弁したあと、すはあ〜! って息を吸っている。全力でクロールをしているかのよう。しゃべり続けないとしぬ生きものの呼吸といった印象。気持ち悪いので、がんばってトリミングした。

7月24日(水)

イオの熱は少し下がったけど、鼻水と咳が残っている。車を出して病院へ。今日はおしりかぶれの時、とてもはげましてくれった美魔女系おばちゃん先生。マスクだからさらにそう感じるのか、いずれにしてもアグレッシブなアイメイクを見ていると、こちらもやる気が出てくる。保育園で数人コロナが出てるみたいで、と話すと「お父さん、検査はされますか?」という。するリスクがあるのかとたずねると、かわいそう、っていう親御さんもいらっしゃいます、といわれ、なるほどそういわれたらしたくなくなってくる。悩んでいると
「あ、でも大丈夫です。わたし上手なので!」
と先生。すばやい手つきで、あの忌まわしい綿棒の長いやつをすすっと鼻に入れた。これが自分以外の人の鼻に入るところははじめてみたけど、びっくりするくらい奥にまで入っているのだな。脳に到達しそうでこわい。コロナは陰性で、ただの風邪だと知って想像よりかなり心が落ちついた。

夜、買いものがてらカフェへ。この3日間ではじめてまともな作業時間を持てた。書店で吉本ばなな『はーばーらいと』を買って、それを開かず村井理子『ある翻訳家の 取り憑かれた日常』の続き。読むほどやる気がでる不思議な本なので、もうすぐ終わってしまうのが悲しい。こういう日記が書きたい。笑えて、元気が出て、やる気も出るやつ。それがいちばん難しい。

7月25日(木)

ある出来事があって、それはぼくたちにとってとても想定外で、どう対処すべきかずっと話し合っている。二転三転したりしながら、時に感情的にもなっていて、恋人同士のときってこういうことはよくあってそれで互いを知り合ったし、結婚も初期にはままあったけど、これは久しぶりのこと。いつかこの日からのことを書けるようになったらいい。今はまだ、いい。

夜、こひらさんに音声編集の相談。猿田彦珈琲に急ごしらえのカウンターのようなものがあり、そこに並ぶと作業がしやすかった。事前にまとめたドキュメントをこひらさんはほめてくれた。質問の順に、コンプレッサーの考え方、プラグインの順番や仕組みを教わってゆくとすぐ2時間が経った。

い志いの牛タンのお店にゆく。どういう流れか、タンのことをコンプというのが流行って、ゆでたんはゆでコンプになっていった。色々食べたが、ほろほろの繊維になったゆでたんがやはり優勝。どて煮は味噌じゃなかったが、いろんな部位の破片が入っているので楽しい。

7月26日(金)

イオはやっと保育園登園させられた。灼熱の帰り道に、セブンでアイスコーヒーを買うのがこの上なくぜいたくな気分。家にコーヒー豆のストックがあるのに、道中に飲み果たしてしまうという横暴さ!

帰宅して母と長電話して、色々話す。ハッとすることばがたくさんひらめくようにして出てきて、こういう親に自分もなってゆきたいと、まっすぐに通り抜けるように思う。昼はつめたいおそば。前に静岡のどこかのサービスエリアで買った、わさびなめこを乗せた。

夜、BOOKS CALLING2回目の収録。廣田さんとただ本に感謝しあうこの3時間くらいの時間が、どんな飲み会よりも楽しい。どの本を持って出るか散々迷って、津村記久子『サキの忘れ物』と滝口悠生「連絡」が掲載されてる『文藝 2024秋号』にして、その場で後者に決めた。やっぱり直前に読んでいるものの方が、話しやすい。前者は「読むエッセイ」で紹介しよう。

車での帰路、堀さんから「BOOKS CALLING」の感想と合わせて、おすすめの曲がLINEで届いた。聞きなれないラッパーふたりの楽曲で、雨が降る予定の公園で本をひらいて待っている、というラインが流れてきて、本について散々語り合った雨降りの帰り道、車の中で聞くのに最適な1曲だった。それで首都高、アクセルを踏み込んで、トータル5回リピートして帰った。

7月27日(土)

乳児のほっぺたにいちばん質感が近いものは、ぎゅうひだろう、とだいぶ健康になってきたイオを抱き頬を寄せて思った。わがやのぎゅうひちゃん。健康だと血色がよく、機嫌もいいのでかわいく感じる。

今日は代官山でAITの気候危機とアートのシンポジウムに。駅についてうまれて初めての日傘をひらく。肩幅いっぱいをちょうど隠す程度の小さな日陰が追ってきて、高校球児だったころの真夏の練習中、次に雲が影をつくってくれるのはいつかと思って空ばかり見ていたことを思い出す。

7月31日(水)

朝、保育園に送って、そのままセブンで野菜生活を買ったまでは良かった。たくさん作業するぞ、と思えていたのもいい。それが部屋に戻って、まず期限の近い大学の成績評価と登録の準備をしてたら15分もするの座れなくなった。

あれ!と思いながら、ダウン。ぱったりと電池が切れたように。イオが生まれてから、世界そのものと距離を感じるようなまっすぐに落ちるうつが減った。その分、「これはうつなのか? さぼりたいだけでは?」という、あいまいな落ち込みが目立っていたが、今日はぱたりとエネルギーが切れた。本も読めない。ゲームしかできないあたり、これはやはりうつだろう。アニメ化したタイミングなので、少しだけやって積んでた『天穂のサクナヒメ』をプレイする。稲作シミュレータ&アクションRPGで、じょうずに米をつくるとサクナヒメが成長する。そのバランスが本当に絶妙。というか、ほぼメインは米づくり。そしてこれが、びっくりするおもしろさである。

イオ、夜にはじめてキウイを食べる。複雑な顔をする。