武田俊

2024.8.26

空中日記 #137|カーブはちゃんと曲がりたい

8月1日(木)

ほんとうならば、下したはず大きな決断によって人生がひとつ分岐していた日。

うつだと食欲が落ちてやせる人が多い中、ぼくはむしろなぜか空腹を実感しやすく、でも動けないので太る。せっかくなので、気分にも合うから病人的にやせたいのに不憫だ。じゅんちゃんが夏休みなので、朝送ってもらって、『天穂のサクナヒメ』。こういう時のゲームは治療である。自分とは違うしかたで、世界の手ざわりを味わうことで、認知能力のリセットを促しているみたい。

昼、冷凍の稲庭うどんに、きゅうり、トマト、アボカド、サバ缶、かいわれ、たくさんのねぎを乗せたでたらめサラダうどん

いよいよ座っていられなくなる。後頭部の頭痛もひどい。ねどこで滝口悠生『ラーメンカレー』の続きをひらく。夫と妻がペルージャに行って、妻の昔の友人の家に滞在している。そのパートナーのチコはブラジル人で、こっそりビジネスで大麻を栽培してる。夫がそのご相伴に預かるシーンがあり、それは夫に10年前に同じようにもらったけど効かなかったウィードの記憶を思い出させる。

そこを読んでいたら、眠くなっちゃうからふだんはいらないけど、いま手元あったら助かるんだけどなあ、と思った。そう思いながら気づいたら寝ていて、これは昼寝の下手なぼくにはめずらしいことで、その間に5本くらいの夢を見た。そのひとつは、アイナ・ジ・エンドがステージから落ちないよう後ろから手を伸ばす夢だった。

保育園のお迎えの途中、イヤホンをさしてノリノリで自転車で歩道を走る中学生男子がいて、こういうものをどう防げるかを考えてる。イオがこれをしてほしくないのだ。まず自転車に乗る人の多くが、自分たちが本当は歩道を走ってはいけないことをそもそも知らないと思う。軽車両という概念のこと。そこだよな。歩きながら、イオが自転車に乗るようになった時、どう言葉をかけるのか勝手に頭が考えていた。楽しみに水を差すことはしたくない。興味を持ちながら、安全にルールや仕組みを学べるいいかたがいい。こういうのはどうか。

「それじゃあ、これからはじめてひとりで自転車を乗るイオちゃんに、ほとんどの子どもが知らない世界の秘密をおしえてあげようね」

なかなかいい気がするぞ、と思ったら少し頭の中の重たい液体がぷはーっと蒸発してゆくようだった。夜はさぼってお弁当。今日からCINEMA Chupki TABATAで『ミルクの中のイワナ』上映はじまる。

8月2日(金)

昨日偶然に読んだ鯨庭『言葉の獣』の1話が、たいへんに心に刺さった様子。朝起きてもそれを覚えていた。

AITの勉強会での記事の〆切。フィンランド出身のアーティストふたりの、気候危機に関する実践についての英語でのプレゼンテーション。現場には即時通訳の方がいる。その通訳の日本語と、AIによる機械翻訳のテキストをもとに記事として再構成していくのは、足し算の料理という感じ。おもしろいがマルチチャネル的作業で、想像より時間がかかり、かつ想像より認知負荷が高かった。

8月3日(土)

月曜まで延長してもらった〆切に対して、誠意ある対応は翌日の昼までに送る、だろう。と編集者としての自分がいうので、それに従った。すっきりとする。気候危機とアーティストの様々な実践知に、たくさん影響を受けたようで体があたたかい。ひとまず、次に買う車はEVにしたい。Instagramで今永が出待ち?のおばちゃんに、スタバのカフェラテを買ってあげている動画に出会う。

この勢いのまま、おぼえたてのlogic proでプラグインを駆使しながら、シンポジウムの音声を編集。10年近く前のエントリーモデルのボイスレコーダーで、客席200ほどのホールでのシンポジウムなんて、そりゃいい状態で録音できない。アーカイブのために3カメ体制で録画をしていたから、そのライン録音している音源がほしいと当日伝えたはいいものの、手配に時間がかかるよなあとも思っていた。ので、ひどくもこもこし、かつ反響音著しいひどいRAWデータをなんとかお化粧してみるつもり。

午後、不思議なイオンに行く。車中でROSSOの「シャロン」がかかり、「これはね、チバが冬生まれのアベフトシへのあこがれのような思いを書いた曲でね」と解説をしていたら、懐かしいコードが胸に刺さり、目がぼんやりとかすんでいく。アベフトシがいなくなり、それにあこがれたチバユウスケすらいなくなってしまった世界で土曜日、自分に妻がいてさらには子どもまでいて、そのふたりと車でショッピングモールにいくような世界があるとは思わなかったし、その車中で「シャロン」を聞くだなんて。こみ上げるものが止まらず、嗚咽しながら、でもハンドルから手をはなさない、カーブはちゃんと曲がりたい。

不思議なイオン。ここにはほんもののマトンビリヤニがあるのだ。フードコートでイオは、これまでになく機嫌がよかった。世界のすべてを信頼しきっていて、目に入るすべての人に笑いかけていた。それはとてもすばらしいことだと思った。1Fの書店は不思議でもなんでもなく、ふつうの郊外型モールに入っている書店なのだけど、文庫ランキング1位が『百年の孤独』だった。キャズムを越えているような感覚。いったいどんなに人たちが、ここでこの本を買ったのだろう、と思いながら写真を撮る。このモールの中のカフェチェーンで、ここで『百年の孤独』を買ったひとで集まって、読書会をしたいなと思いつつ帰る。

8月4日(日)

神奈川近代文学館でやっている庄野潤三展に行く。展示情報を見たのはたぶん初夏で、会期そこそこあるからどこかで行こうと思っていたら、今日までだった。それに気づいたのが今週はじめで、まる1日の自由時間をもらって、朝イチ車で出かける。道中読みたくなるかもと思って講談社文芸文庫の『夕べの雲』を持ってきたが、車なので読めない。せっかくなので、助手席のシートにちょんと置いて横浜まで行くことにした。

事前に調べておいたパーキングは港の見える公園の裏手で、そのあたりは瀟洒な、日本が豊かだった時代に建てられたとおぼしきヴィラの横だった。調べたらわかることだけど、調べないことに意味と味わいがある。今はそういうことを信じてる。白亜、角張ったキューブのような壁面とシュロが印象的で、駐車場には現行の高級車はもちろんだが、ヴィンテージなボルボとワーゲンバスがきれいに手入れされ停められていて、その品のあり方がとても心地がよかった。

開館の9時半につくと、すでに8人ほどがロビーにいて、阪田寛夫によるインタビュー映像を見ていた。10分ほど遅れたようで、2周目までの途中にかけて、都合ぜんぶ見てから展示室に入る。最初のパネルを読みはじめてからすぐしゅるしゅると自分の輪郭が溶けていって、庄野の過ごした時間を生きた。

たくさんメモしたがここにはこれだけ書きたい。初期の代表作『静物』に苦戦していた庄野に、佐藤春夫がまず1として書く、次に2、3。書けるところから書き、出来上がってから順番は入れ替えたらいい、というアドバイスをしたという話。自分のことのように読んだ。

読む展示は時間が溶ける。2時間が経っていて、ふらふらとしていた。併設のカフェで「かきまぜ」をいただくつもりだったが、満席近い上「本日は人員が少ないためお時間いただきます」との張り紙があったので、そのまま車に乗って帰ることにした。以前だったら想定していたプランが実行できないとなるとパニックを起こしてたが、「かきまぜ」を食べれなかった思い出にしよう、と思えるようになった様子。

夜は所沢でやのと会う。10年ぶりらしい。それぞれの10年を話す。いちばんぼくの病気がひどかった時期で、短期記憶が壊れているから色々とあいまい。だけど彼と京都で会った日に、もうどこに出かけたかもあいまいだけど、何か生きていること自体の気持ちよさの片鱗を味わい直せた瞬間のことだけはおぼえていた。

最後のお店でキャプテンモルガンがあったので、それでキューバリブレをつくってもらう。キューバリブレと夏、の組み合わせで思い出し、『未必のマクベス』をおすすめする。