武田俊

2018.8.21

空中日記 #21|いつだったかぼくら、確かに高校生だった

8月7日(火)

たかくら、すぐるくん、大学時代の友人の女の子の3人でボーリングに行こうと話していた。新宿は空洞化していて、紀伊国屋とそのボーリング場しか存在せず、というよりボーリング場自体が巨大なショッピングモールになっている。

ぼくは300円しかなくボーリングができないため、みんなに申し訳ないけどカラオケにしよう、と提案した。内壁が真紅に塗られたエレベーターで58階に向かうと、カラオケがあった。でもそれはぼくの知らないカラオケで、巨大なフードコートのような共用の長テーブルがあり、そこにトトロに出てくるような昔の電話機が並んでいる。人々はそこに横並びに腰掛けていて、自分の出番となると左手にスピーカーを持ち左耳に当て、右手にマイクを持って歌う。つまり歌声は自分にしか届かず、じゃあいったいなんのためのカラオケなんだ! たかくらは「みんなでおどろうぜ!」と駆け込んでしまった。

というところで起きて、なぜかものすごく物悲しい気持ちになった。ぼくはボーリングに行きたかった。

大学生は夏季休暇なので、じゅんこもはじめての夏休みを迎えていて今日は家にいるとの由。「空中」に出かけて溜め込んでいるあれやこれの作業をガーッとやろうと思っていたが、それなら一緒に家で作業をしてもいいかなという気になってくる。それとは別に、とにかく新しく雑に使えるメガネがほしかったから、一緒に下北沢に行こうとなって、11時半まではそれぞれで過ごすことになった。

「館山の劇場に出てたのよ。最終日の次の日、町の魚屋さんが鮑をくださったの。一斗缶を半分にしたようなブリキの缶に海水が入っていて、縄で手に提げられるようになってたの。缶のなかの海水に鮑がいるのよ。当時は小岩に住んでいたから、館山から電車で小岩まで持って帰り、ちょうど夕食の時間に近所のなじみの寿司屋さんに持っていったら、店主が握りにしてみなさんにふるまって、喜ばれたの。おいしい鮑だった。鮑はひとつだと一匹と呼ぶのかしら、それとも、一個二個と数えるの?」

片岡義男『去年の夏、ぼくが学んだこと』(東京書籍)p.56

主人公のライターが、地方興行によく出かける女性ダンサーにインタビューした後に、追加で電話取材をした時の会話。時代は昭和。すばらしい、すばらしいと思いながらドッグイヤーをつくった。なんという会話、ありそうでなさそうでありそうな、現実と小説のレイヤーを横断するようなエピソード。小説の豊かさっていうか、世界を拡張させてくれるのはこういうありそうでなさそうなことや、それを通じて主人公が世界とどう関わっていくのか、関わりが変化するのかということに現れるのだと思いながら読む。

主人公は、はじめて小説を書き出そうとしている。テーマというか着想は、現実での出来事をベースにしていて、でもそこからどうやって小説的な飛躍をさせればいいか迷っている。なじみの店のマスターに過去の話をする。母親の美容室に予約をとらされ担当してもらった美容師と引き合わされた話。それは暗に見合いのお膳立てでもあったこと。その彼女とはじめて休みの日に出かけ、買い物につきあい、早い時間に寿司を食べ、恋文横丁のそばでコーヒーを飲み、井の頭線で神泉の駅を使って帰ろうという時に、円山町のホテルに「私たちも入りましょうよ」となり入り、以来そういう仲が続いたこと。彼女が千葉の美容室に勤務が変わってから会わなくなったこと。

「会わなくなってから二年以上になりますけど、年賀状は届いています。僕は返信を出しています。彼女はおそらく独身です。このエピソードは小説になりますか」
僕の質問に野田さんは次のように答えた。
「きみも彼女も、こちら側の現実だからなあ。このままでは、難しい。ひと捻りしないと」
「どう捻るのですか」
「そこにきみは存在を賭ける」
「わかりやすく言ってください」
「物語は終わらなくてはいけない。二人にはその先があるとしても、物語は、これしかない、と誰もが思うような着地点に、到達させなくてはいけない。そのためには、こちら側から向こう側へ、いかなくてはならない。そこを考えてくれ。考えれば、道はかならず開ける。(…)」

同前 p.108

近年の片岡義男の作品は、かれが20〜30代を過ごした60年代後半〜70年代を舞台とした青春小説が多い。とくに過去の書き手の「こちら側」にエッセンスがありそうな主人公が多い。つまり必然的にその人物は、これから小説を書こうとしている、といったケースが多い。そのことがぼくの現在を支援している。支援されていると思いながら、でも決して気負うことなく楽しく読んで過ごしている。

8月12日(日)

起きた瞬間にテレビをつけて、部屋じゅうに甲子園の風を呼び込んだ。試合をみたり見なかったりしながら、重たいからだに甲子園の風を呼び込んだ。

最近、これは『きみの鳥はうたえる』を試写で観たときから感じていることだけど、20代の頃にひとまわり以上上の大人が「若いってのはそれだけですばらしい」とか「若いうちにもっと色んなことをやっていればよかった」とか「若いうちの苦労は買ってでもうんちゃら」のように話してきて、そのたびにうんざりしてきた様々なセリフのことを考えている。というのは、そのようなセリフに込められていた本質的な気分や気配、気づきのようなものが32歳のぼくには理解ができはじめたかららしかった。

じゃあそこに通底するものはなんなのか、といえば、それをまだ具体的に言語化にできていない。ただ、そんな素晴らしい気づきを代々使われてきたテンプレ的なお小言のような言葉に託して若者に話す、ということだけは、これだけは言葉を扱う人間としてやっちゃだめだろう、とか思いながら、甲子園を観ていた。若い人が、10代の人間が何かにひたむきになっているだけで、その表情を見ているだけで何かを救われたような、かつ爽快な気分になるのは、しかし、いったいどういうことなのだろうか。

夕方、ロロのいつ高シリーズ最新作「グッド・モーニング」を観るために早稲田どらま館。本当は昨日行く予定が、体調がぐるぐるしてきたので今日にまわしてもらったのだった。しかし時間がギリギリで、また早稲田という絶妙な場所に今の自室から行くのにベストな工程がわからない。Google Mapと路線検索を横断しながら駅まで歩く。ルートは2つで、小田急→千代田線→東西線→徒歩、というものと、小田急→山手線→馬場からタクシーに絞られた。選ばれたのは後者で、馬場には駅前ロータリーにタクシー乗り場があって広いやすいのと、小田急から山手線の乗り換えに路線検索上は7分が見込まれていて、ホームからの工程を把握している立場からすると、うまくやればその1本前に乗れるだろうと目算を立てられたからだった。

それで後者を選んだ結果、なんとか開演10分まえに滑り込むことができた。馬場下町の交差点を左に、といえばどらま館に到着できる。受付のところにももちゃんがいて、昨日のことを詫たあとすすっと中に入った。すでに満員ぎりぎりだった。高校演劇のフォーマットにのっとり、10分間の仕込みののちに、60分のお芝居。女子高生2人の、学校がはじまる前の朝、駐輪場での女子高生「逆乙女」と「白子」ふたりの会話劇。役者二人の魅力がすばらしく、こういった友情のはじまり方もあるよね、そのあとちょっと疎遠になったりもきっとするけど、不登校になっちゃってた「逆乙女」にとって久々に学校に出てきた時の朝におしゃべりができた「白子」の存在は大きくて、その後なにかちょっとした問題が起こった時に、彼女がそれをすくい上げたりするものね、と二人の高校生活の未来までが見えてきた。とっくに高校を卒業している役者二人が、まんましっかりといつ高の現役生だった。

終わって出て、そうロロのお芝居っていうのは、こうやって劇場から出たあとの生活にしっかり馴染むというか、余韻や衝撃というより、生活に立ち戻るための運動を支援しているところが魅力なんだよな、ということを思ったりした。それで劇場出口には『グッド・モーニングの脚注』という冊子が置かれていて、はてこれはなんだろうと思いながら一部抜いて、たばこに火をつけながら読み読みとしていたら、これはとてもよいものだから、腰を落ち着けて読もうと思ったものの、ももちゃんとの打ち合わせも控えていたから喫茶店などの飲食店に入るのも微妙なところで、そうだ前から中を歩いてみたかった、この馬場下町の角の穴八幡宮に行ってみようと思って足を進めた。

神社がいいのはもれなく鎮守の森に囲まれているからで、流鏑馬奉納をしていたというここは、外から眺めている分には気がつかない広さをたたえた場所だった。その木々に囲まれたベンチで眺めた冊子には、作中に登場するモチーフについて、主宰と俳優による思い出の解題というようなものだった。エネルゲンやイトーヨーカドー、おはスタやめざましテレビについての語りが、いつくしみとユーモアを持って書かれていてその感じにしたしんだ。ぼくは毎朝6時代に朝練のため通学する高校生だったから、その、まだ1日のはじまりの気配を宿す前の学校や、校舎、駐輪場の感じ、そこに射す光については、個人の体験を通して知っていた。物語に体験が、全く別の世界のことなのに——かたやひとつは物語の中のおはなしなのに——馴染んでいくさまが心地よかった。

意識はまた青春をうんちゃら言ってきた大人の言動に含まれていた、何かすばらしい気づきに持っていかれた。あとちょっとで核心が掴めるんじゃないか、そんな核心の浅瀬まで、干満に引きつられながら思考はたどり着いた。つまり、人間が社会化する(させられる)前のごく限られた期間で体験する様々な事柄や、その時の人間関係の中に含まれてい、純度の高いピュアで素朴な他者への関わり、が大人に青春を振り返らせる要因として発動している気がした。その魅力におそらく、はじめて気がつくのが30代ということなのかもしれなかった。20代はまだ青春の只中だからなのかもしれない。

横断歩道の向こうから、ももちゃんと、三浦さんや役者、スタッフの方たちがやってきたから「とってもよかった。穴八幡宮で脚注を読んでいたんですよ」と話したら、少しうれしそうにしてくれたのでうれしかった。日曜日だから馴染みのお店が休みなんだ、というももちゃんと、日曜の学生街はお店ぜんぜんあいてないねー、なんて話ながら神楽坂まで散歩した。それで内部構造が複雑で、キッチンまわりを回廊上に座席が配置されているタイ料理屋に入って、シンハー、ハヌマーン餃子という名前のそれ、腸詰め、レッドカレーの鳥の炒めもの、生春巻き、パッタイなどを食べながら、打ち合わせというか戦略会議というべきものを行った。MVPはパッタイ。ももちゃんと話すと、ずうっと昔からの友達だもんね、という気持ちになんでだかなるから、その時間がこういう風に存在することが、存外ぼくはうれしいようだった。

それで帰り道に、このあいだ蒲田のオアシスに出かけた時に、明け方にふらふらしていたあのおじさんが歌っていた、あの歌を聞きたい! となって、その時の写真をiPhoneから引っ張り出してGoogleに聞いてたどり着いたのが、高橋真梨子の『君の海に』だった。冒頭のサビ部分をなぞるギターリフでぞわりとして、それで何がよかったって、それはやっぱりぼくが反応するから歌詞のはずで、そのパートはやはりというか歌謡曲だからというか、サビにちゃんとあった。

さよならの歴史が 逆戻り出来たら
鳥に生まれて 飛んでく 君を探すため
責めるように消えない やわらかな微笑み
君の密やかな優しさ
僕の海に蘇る

高橋真梨子『君の海に』

調べてみたら、作詞は高橋真梨子自身だった。
Aメロのメロディーがとっても好きなのだけれど、歌詞はサビが好きだった。でもこの曲、「さよならの歴史」としたほうがよかったのじゃないかしら? それでなんでカラオケボックスよりカラオケスナックが好きで、同時代のポップスより歌謡曲が好きなのかを考えながら帰った。おそらく、これは他のところでも書いていることだが、いっときの気恥ずかしさと引き換えに、あの頃の自分を通り過ぎていった風景や歌を召喚させるというところに反応しているようだった。その空間が好きで、そうやって歌われた歌は、上手いかどうかにはあまり関係がなく、その歌を通してぼくがその人が生きたであろう物語を生き直している。それがぼくにとって、あまりにも心地いいようだった。なんで他人の人生の物語に、こんなに惹かれるの。

8月13日(月)

起きた瞬間テレビをつけたのが、昨日の敗因だったのではと思って、起きた瞬間に阿久津隆『読書の日記』をひらくことにした。朝ごはんをじゅんこが用意してくれていて、それはソーセージをあぶったものと、スクランブルエッグだった。じゅんこはすでに食べていたから、ぼくは一人で食事をする時に行儀が悪いけど決まってそうするように、左手で本を開いて肘で抑えながら読むことにした。10月からはじまって、ようやっと3月まできた。3月の阿久津さんはベン・ラーナーを読んだり、色んな作家がインタビューを受けているやつを読んだりしていた。ボルヘスが色んな迷信を信じてしまっているエピソードが引かれていて、なんだかぴったりなイメージだったから笑ってしまった。その反動で、その本をポチった。しかし外国人名のカタカナ表記はむずかしく、ウィリアム・サローヤンなのかサロイヤンなのか。ぼくはサローヤン派。

それにしてもカレーはおそろしくおいしかった。それでまだコーヒーを口に含んでいないといういけない日だったため野方のDaily Coffee Standに行ってコーヒーを飲んだ。それから考え事を、しないといけない日だったため今日はそれを起点にしていたのだけど新井薬師前のロンパーチッチに行って考え事をしようと思って、それでぐるっと高円寺野方と通ったわけだったけれどそれでそうやってロンパーチッチに行ってカフェオレとガトーショコラを食べた。

阿久津隆『読書の日記』(NUMABOOKS)p.482


ここではっとなって、というのはぼくが苦手で、ぼくがいいなあと思う人が持っている生活様式というか、何か考え事をするためにそれにあった場所に出向いたり、環境を整えたりということをするのが、その発想を持つのがぼくはなぜだか苦手だからだった。それでいまロンパーチッチというのはどんなお店かと調べたら、ジャズ喫茶のようで、新井薬師という土地はもう本当にたくさんの思い出にみちみちている場所だからいつかきっと行こうと思った。できたら、考え事をすることを起点とした1日で、その考え事をする場所として。

さて活動を開始しようと思って、でもなぜか力が入らない。それでまた寝た。起きたら汗だくでしかし熱っぽいわけでもないし、これはいったいどういうことだろうかと思った。それでもいくつか、関わりをやめた媒体のSlackを離脱するためにみんなに挨拶をしたり、でもぼくがチームオーナーだったためその権限委譲を誰にすべきかと話していたりして、それでやっと離脱することができた。やめたものは見ないのが健康的なのは間違いなく、それを先方から促してもらえなかったので、もうぽんと自分から抜けることにした。それはなんだか必要以上に疲弊することで、そういえば契約解除書類を返送しなきゃということで、収入印紙をコンビニに買いにいくからもうお昼もなにか買ってかえろうとじゅんこと出かけた。しょうもない中でもおもしろいしょうもない物を食べようと思って、焼きラーメンのようなのとどら焼きのようなのを買って、帰って書類を作って食べて、食べながらまた『読書の日記』を広げた。

それで食べ終わったもまだ本が読みたかったので、ダイニングテーブルから出しっぱなしにしているHelinoxのタクティカルチェアに移動して、続きをよみよみしていた。「ユリイカ」のアメリカ文化特集号の中の、大山エンリコイサムのテキストが引かれていて、かっこうよいと書いてあって、引かれていた文章はたしかにとてもかっこうよかったので、ぼくは自分の書棚から掲載号を取り出して読んだ。

「アメリカ文化とアルターエゴの行方」という論考で、「市街のエスノグラフィー」という章に入っていた。これはかつて読んでいて、いいなと思ったものだったので再読したらどうかと思ったが、再読してもかっこうよかった。そうか阿久津さん高校・大学の先輩カーと思った。大山さんは、ぼくはちゃんとした面識はないが、関わっているまちづくりのPJでがっちり関わっていたクリエイターのひとりで、なんだか縁を感じていた。

それで思い出したのが、このアメリカ文化特集号の中で出色だと個人的に思ったのは池田純一の「多分これからも都市の空気は自由にする」で、これはスティーヴン・キング『メルセデス・キラー』に関しての論考だった。ラストベルト地帯で起こるベンツを利用したシリアル・キラーに白人の退官刑事が挑むという話なのだが、序盤のハードボイルドの名作のスキームをなぞった展開から一気に変わって、後半に主人公を支援するのが優秀な黒人の高校生と、統合失調症を患っている中年女性で、そのトリオの活躍が多様性が、魅力的なのだった。それを知ったテキストで、とってもよかったのでその時、阿久津さんに勧めたのだった。

そうかー、出たのが1月号でそんな話をしたのが2017年の3月だったのか、と懐かしんでいたら、阿久津さんはケルアック『オン・ザ・ロード』のスクロール版を読み始めていた。ケルアックは同作を高速で書いていたからタイプ紙を替えたりもしなかったから、生原稿は巻物のようになっていて、改行などもほとんど行われていない。その体での草稿版が、このスクロール版で、登場人物も全部実際の人物名になっている。3週間でこれを書いて、それで『オン・ザ・ロード』はできあがったのだった。これをぼくは「ユリイカ」の話をしたときに、そのかわりとしてというような感じでおすすめしてもらったのだった。それで渋谷東急の丸善ジュンクに出かけて1冊見つけたのだけど、ぼくは改行や余白を含めて読書を楽しむタイプだから買うのに躊躇していったん見送ったのだった。

買っておけばよかった、めちゃくちゃに今、スクロール版を読みたいと思った。けど手元にないため、そのかわりに河出書房から出ている世界文学全集の『オン・ザ・ロード』を開いて読みはじめた。『路上』の頃にも読んでいるし、この青山南訳の『オン・ザ・ロード』でも読んでいるはずが、なぜかそのドライブ感を忘れていて、めっぽうおもしろい。めっぽうおもしろい読書が、はじまったのだ! という喜び。それで1日がもうだいたいいい感じになった。

夜は、この間カルディで買ったマッサマンカレーのペーストをもとに、とりにく、たまねぎ、なす、パプリカ、マッシュルームなどを入れて手抜きのマッサマンをつくって食べた。たいそうじゅんこが喜んでいて、うんうん、夏にいいよねえ、いいねえ、といいあった。お酒は飲まなかった。あとモッツアレラとトマト、買ってきたオクラのごまあえも食べた。そのあと彼女はぼくの発注をもとに、イラストを描いて納品してくれた。

それで今午前1時10分、これを書いている。明らかに日記を、ぼくは書きすぎている。阿久津さんのように、お店を開けながら、こまめに書く時間の持ち方をできないぼくにとって、この量は多すぎる。でも、書き出すと思い出すきらきらしたものすべてを定着させたくなってしまうから、バランスが難儀で、なので時間を決めて書くことにしようと思う。それこそちょっと昔、4つの媒体の編集長を兼任するとう謎な働きかたをしていた時に、試していたポモドーロ・テクニックでも使ってみようと思う。すべての作業を25分で区切り、5分インターバルを入れるというやつ。トマト型のキッチンタイマーから、ポモドーロと呼ばれている、あのちょっとかわいい名前の由来をもつあのやつを。