武田俊

2022.1.6

平日の午後、都心でハゼを釣るということ

もともとnoteの定期購読マガジンでやっていたエッセイ連載「生活のエスキース」を、こちらで再開したいと思います。当時のマガジンの説明にはこんなことを書いていました。

論考やエッセイ未満の、日々の気づき。それをエスキース(素描)のようにラフなタッチで、でも切実な気もちで限定された読者に向け書いていきます。 執筆中の書籍のこぼれ話、お仕事裏話、現在の読書、メディアについて、ときどきの文化的事象、ときどきのスポーツ、暮らしの楽しみ、お料理、魚、病と暮らしなどについての考察が記される気がします。

特に大きく変えず、生活の中に試作と思索の時間を作り直す気持ちでやってみます。

 

アド街の押上特集を見ていたら、スカイツリーのたもとでのべ竿を出しているおじいさんにぐっとカメラが寄っていく。なんでもハゼが釣れるらしい。
真剣な表情で竿先を見つめていたのが、インタビューがはじまるとなんともうれしそうに表情でこう言った。
「東京のこんなところでよ、スカイツリーを見ながらさあ、ハゼを釣る。こんなおかしなことはないよねえ」

世代的にぼくらの釣りと言ったら、なにはともあれバス釣りだ。
コロコロで『グランダー武蔵』というマンガが流行っていて、コミック誌を読む習慣がなかったぼくでも知っているくらいだから、けっこうちゃんと流行っていた。でもルアーはなかなか難しい。だからゲームの世界でも釣りをしていた。糸井重里監修の『糸井重里のバス釣りNo.1』、『川のぬし釣り』。美麗なドット絵の中で、ぼくたちは忙しかった。バスボートに乗って良型のバスを狙い、渓流の石の裏からカワムシを捕獲し、時たま出くわしたひぐまと闘った(そしていつもあえなく負けていた)。

でも当時、ぼくのメインの釣りは海釣りだった。
営業マンだった父が接待かなにか──とにかく大人の社会での付き合いのようなものの延長から釣りというレジャーが生活に再実装されて(かつてヘラブナ釣りを彼はやっていた)、それでぼくも連れて行ってもらっていたのだ。

まだこの世界の誰も眠りから覚めていないような暗い朝、助手席に座らせてもらい知らない道を走る。お母さんも妹もいないから、どこか男だけで冒険に出かけていくんだ、って気持ちが高まってくる。

「これ、お母さんには内緒だぞ」
そういって父は明け方のコンビニのカゴに、大きな魚肉ソーセージを2本突っ込んだ。車に戻ればのぼり始めた朝日が低い位置からぼくたちを照し、父はサンバイザーのケースからサングラスを取り出した。サングラスをかける大人が好きだった。

そうやって出かけるのは子どもにもできる釣りだから、堤防からのサビキ釣りやせいぜいサーフからのキス狙いのちょい投げだ。小さな黒い牙を向いてくるイソメに悪戦苦闘しながら針につけ、ジェット天秤でできる限りの遠投を試みる。軟式ボールを投げるよりも飛距離が出るから、気分は強肩の外野手だ。そんなふうにキスを狙っていると、ときたまハゼも釣れた。だからハゼっていうのは狙って釣るものではない、って感覚がある。

大人になってこの頃、前より時間とお金ができた。それでまた釣りをはじめてみている。大人の釣りはスケールが大きい。事前にちゃんと計画して、道具をそろえて。船を予約して朝の3時とかに出かけて鯛やタチウオを狙う。楽しい。でも、早起きして車を出して、船の上で8時間ひたすら海中の様子をイメージし続けている一日は、帰宅するともう全身の関節が脱臼したかのようなぐったり具合だ。

もう少し、ふだんの暮らしの中に釣りを持ち込むことはできないか。そんなふうに思っていた。

調べてみると、ハゼ釣りは3メートルほどののべ竿と、シンプルな仕掛けで出来るらしい。何より釣り場が浅い汽水域の川なので、都内近郊で楽しめる。江戸時代から庶民に愛されてきた釣りなのだ。
「誰でも釣れるのに、奥深い。こんなおもしろい釣りはないですよ〜」
見つけたハゼ釣りYoutuberの言葉にあてられて、ひととおりの道具を揃えた。ぼくのはじめてののべ竿は、RGMというブランドのポップなカラーがすてきなもの。持っているだけで指先がうれしさを伝える新しい相棒だ。

火曜日。
深夜ラジオの生放送の余波で、半日オフにしているこの時間をハゼに捧げてみようと思う。
13時半、釣り場についた。都営新宿線の東大島駅は旧中川の真上にあって、この川の両サイドが全部釣り場になっているから、駅徒歩5分でハゼ、ということになる。護岸はきれいに整備されていて、公園のようだ。えさはイソメではなく、ボイルホタテ。近所のスーパーから買ってきたそれに針を垂直に突き立てて引っ張ると、ぽろりと繊維がはがれ落ちていい具合に針にかかる。それをやさしく水中に、祈りを込めるようにして放る。運河には波が立たないから、なめらかな水面はローションを流し込んだかのように、とろりとしている。

おもりが底についたら、ハリスの分だけちょっと竿を上げる。しばらく当たりを聞き上げて、反応がなければまたおもりをちょんちょんと底を叩くようにする──。動画で習った通りの動作を繰り返すと、すぐに想像よりもはるかに強いひったくるような電撃的なアタリがあった。

あ、あ、とひとり声を上げながら、フッキングをすると、10センチほどのマハゼが体を踊らせていた。体中にじんわりとうれしい温かみが広がっていく。1時間半後、ぼくの用意したバケツには10匹以上のマハゼとダボハゼの群れが泳いでいた。

竿を下ろして、腰をかける。
こんな時間が東京都心のこんな場所で味わえるってことに、なんだかおかしみを感じる。ああ、押上のおじいさんが言っていたのはこういうことかと思ってにやにやしてしまう。同時に、今のこの余白の時間は、不安を押しつぶすようにして全ての時間を仕事に充てていた20代のあの日々が作ってくれたのに違いない、という考えが、いくぶん冷えてきた空気とともにやってきた。
疲れていたなあ。そのことに気づいてもいなかったんだな。

ハゼたちがゆうゆう泳ぐバケツに、ふいに手を入れてみたくなった。驚かせないように握った手を入れ、それをゆっくりと解いていく。最初こそ慌てていたハゼたちが次第に落ち着きを取り戻すと、ぼくの手はその環境のストラクチャーとなる。目を閉じてじっと動かずにいる。すると、たまにハゼたちが退屈しのぎのように体を手にぶつけてきた。いのちたちの、しなやかでたくましい動きたち。目を開けるとどういうわけか、涙で景色がにじんでいた。

あっというまに夕暮れ。近くの公団なのか、あるいはその側の小学校なのか、17時を告げるチャイムが鳴っている。川岸に腰掛けたまま、釣り場に出るまえにコンビニで買った大きな魚肉ソーセージを取り出して頬張った。30代、平日の午後、東京都心。そんな場所にすら、まだ知らない冒険の形がこんなふうにあるということ。

そろそろ帰り支度をはじめようとしていると、ぼくの前を横切るようにして4人組のおばちゃんたちがやってきた。誰々さんが、なになにでね、えーそれなに、ひどーい。そんな話を交わしながらぼろぼろののべ竿で、ぼくが半日かけて手に入れた数のハゼをまたたくまに釣っていく。

楽しみのためではなく、生活のためにある釣りを目の前にして、ああまったく叶わないと思う。自分の釣りと比較して叶わないなあと思っていながら、その実今日の釣りの楽しさがまったく毀損されていない。同じハゼ釣りの中にすら、それぞれの釣りがバラバラのままともにあるということ。その感じが愛おしくて、釣り上げたハゼを眺めながらまたひとり、にこにこと笑ってしまう。