武田俊

2018.7.24

空中日記 #015|ありがとう、サルエビたち

7月14日(土)

(過去の記述が現実に追いつかないので)

(3倍速で)
(書きます)

結局ろくに眠れず。
朝4時横田さん迎えに来る。
上総湊から、5時半出航。ベタ凪。でも最初少し酔う。
本命はマダイ。テンヤというジグヘッドのような重りと針が一体化した仕掛けで、そこに生き餌のサルエビをつけて底まで落とし込み、しゃくりながら動きをつける。
まずは生簀にいるという、サルエビを回収してから沖へ。
東京湾千葉よりは遠浅で、水底まで30メートルほど。
腕に神経を集中させて、テンヤが水底に着地する感覚を得る。
そこからしゃくる、海老が後ろ向きに跳ねる様子を想像しながら。
30分ごとにどんどんポイントが変わる。船長の「上げてくださーい」という声で、
みんなが一斉に仕掛けを上げ、移動の合間に手早く餌をつけかえたり、テンヤの色や重さなどを交換していく。
エンジンが弱まるといそいそ準備し「どーぞー」という声で、一斉にまたテンヤを沈める。
それを何セットだろうか。港に戻ったのは14時を過ぎていた。
ぼくの釣果(ちいさい順)は

・かなりちいさなカサゴ
・トラギス大小2匹
・中位のカサゴ
・なかなかいい型のカサゴ
・なかなかいい型のホウボウ

だった。
帰り道アクアラインで事故があり、地獄のような渋滞となった。
7キロ進むのに、1時間半かかった。
歩いたほうが早いよね、そういいながらなんとか進み横浜で下ろしてもらった。
ぼくはこころもとない発泡スチロールのクーラーボックスが心配だった。水がこぼれないか。ホウボウが東横線の車内で流れていかないか。着席した瞬間に寝た。くたくただった。家に帰って、すべての魚たちのうろこと、えら、内臓をとって、また寝た。うろことりと、小出刃がほしいと思った。

7月15日(日)

身体中がまっくろに焼けていて、ああまっくろだと思った。原因を振り返ればつまりそれは野球と釣りで、夏休みの小学生かよと笑う。

・かなりちいさなカサゴ
・トラギス大小2匹

▶からあげ

・中位のカサゴ
・なかなかいい型のカサゴ
▶煮付け

にする。からあげは船のおばちゃんが「片栗粉よりも、てんぷら粉がいいわよ。ぜったいよ」と言っていたのでそうしようと思ったがない。というか、てんぷら粉というのはなんのことだろう。薄力粉だろうか、と思ったら、小麦粉、卵、ベーキングパウダーなどが入ったものだということ。ない。わざわざ買いに行くのもめんどうだから、家にあったたこ焼き粉をそれとした。だしが入っているから、下味を一緒につけられるだろうなんて思ったら、これが大成功だった。これまで食べた魚の唐揚げの中でナンバーワンだった。どちらもしっかりあげたので、太いところ以外中骨もたべることができた。

ふたりなので、これで十分。
ホウボウはあしたにする。

7月16日(月)

内見。
あるプロ野球球団が、かつて選手のためにつくった分譲マンション、というのを見に行く。築三十数年、しっかりとした分譲は味がでる。見た物件は、メゾネッド型の3LDKで、螺旋状に伸びる階段といい、昔の物件にしては天井が高いところといい、実家のそれに似ていた。

夜、ホウボウ。
迷った。刺し身に十分できる型だったが、1日半経っていた。
悩み抜いた末、アクアパッツァにすることにして、じゅんこに材料を買っておいてもらった。

ホウボウをたっぷりのオリーブオイルで焼き付けるように両面火を通してから、ストウブに白ワインと刻んだにんにく、ムール貝のかわりのアサリ、冷蔵庫にあった玉ねぎ、イタリアンパセリとタイム、トマトを入れる。セミドライトマト、入手できたらよかった。

こういう風に、ちゃんと素材から調達して料理をするのは久々だったので、少し力がはいる。分量も感覚を失っていたので、大量のイタリアンパセリとタイムに包まれたホウボウはクリスマスリースのようになった。あるいは出棺直前の棺。味は大成功。

とって、さばき、下処理し、調理し食べるすべての工程を自らで行うということ。すばらしい時間だった。生きているという気分。なぜ普段は生きている気分を得られにくいのかは、考えるに値する課題だろう。とかく、がんばって通貨を稼ぎ、これをがんばりに見合う品に変えることで幸福と充足を得ていく、という生き方はぼくにはマッチしないようだった。しかし、そういった幸せをちゃんと肯定していこう、そういう幸せをインスタントに否定することは決してあってはならない、そう思った。そういった一連の考察の機会を与えてくれた、餌のサルエビに感謝したい。ありがとう、サルエビたち。

7月17日(火)

このサイトをロンチした。公開した。
公開をおしらせするためのテキストを書いたら、今、良しと思っていること悪しきと思っていることの全部のせといったものができた。ともかくみんな見てくれ、まだ出会ったことのない人よ、読んでおくれという気持ちでそっと放流した。