武田俊

2024.3.7

空中日記 #115|わざ言語の発見とSAYONARA COMPLEX

1月15日(月)

8時前に出発。首都高にたぶんあたるローカルの高速道路が混んでてぞっとするが、豊田あたりですぐ抜けた。新東名を使って帰省するのも慣れてしまって新鮮さがなくなるのは寂しい。そこで新しいゲームとして、エンジン回転数を2500以下に止める、というのやっている。クロスポロはこの回転数で7速でちょうど時速120キロくらい。新東名、空いていると追い越し車線に入ってもっと出そうとしてしまうことは少なくなくって、燃費的にもこれは合理的な遊び。念願の駿河湾沼津SAにもこれた。帰宅して見てみると、たしかに急いでいた往路よりもかなりいい数値を叩き出していた。これはいい遊び。

一度自宅に戻って、電車で三宅さんの新作『夜明けのすべて』の試写に行く。アスミックの試写室ははじめて。メディア向け試写で知り合いと顔を合わせるのが苦手で、時間ギリギリにいくか、始まるまで下を見たりしていると、美学校の試写室で『ケイコ 目を澄ませて』を見たときに阿久津さんがいて、おわった後に駐車場で感想を話しこんだときのことを思い出す。ついこの間だと思ったのに、三宅さんはまた新作を完成させた。すばらしいことだと思う。

モノローグからはじまって、作品内に身体がなじんでいくと、光と語りに心が満たされていく。三宅唱の新作だ、と思う。フィルムがすてきなコンポジションで捉える美しい光の中に、物語の筋書きに直接寄与しないような、いろんなものが写っている。オフィスの共用冷蔵庫にたくさん並んだ炭酸水、高さ調整されきっていない自転車、ヨットのトロフィーカップ、歩きながら食べる蜜柑。それらの細部に少しずつ感情が押し上げられていって、山添くんがなかば押しつけられたような自転車にはじめて乗って出かけるときの、一瞬だけはにかむような口角が映し出されたときに、涙がぽろっとこぼれ落ちた。「ケイコ」のときは明確に、あとちょっとで、次あたりのシーンでぼくは泣いてしまうかもしれないな、と思ったような記憶があって、でも『夜明けのすべて』では予兆なく、涙がこぼれた。そういう映画なんだと思う。

1月16日(火)

三宅さんのほんとうにすてきだしありがたいな、と思うのは、今ぼくには自由に動かせるメディアがあるわけでもないのに、本人からメッセージで試写のお知らせをいただくことで、これはメディア人としてほんとうに幸せなことだろうと思う。余韻のまま、せめて感想をSNSにと思って、配給会社からのお願いに従ってハッシュタグをつける。今の生活では感想を書くことすらなんだか大変で、ひとつのエッセイを書くような気持ちと負荷がかかる。

アップしてみたら、やはりジャニーズのファンダムは強い。Twitterだけあっというまに伸びていって、1300いいね、9万ほどのインプレッションになっていて、じゅんちゃんに「ジャニーズのファンってやっぱすごいね」というと、それもあるけど君の感想がいいものだったからだよ、といわれる。そういう風に考えたいなと思っていたら、ジャニーズファンの人からの引用RTで感想を褒められ、また一段と映画が楽しみになりました、との投稿があった。こうやって肯定的なエネルギーが拡散していくのを見ると、SNS、ほんとうにすべてを捨ててしまえ、とは思えなくなる。

お昼、冷凍のシーフードミックスでパスタをつくる。わたるにもらった茅野屋のおだしの、野菜のブイヨンの扱いに少し困っていて、にんにくやたまねぎセロリが入っていたので、思いつきでそれらの粉末をいためた具材に混ぜ合わせ、そこに水を入れ、パスタを投入するというワンパンフライパンパスタの要領でやってみる。昔だったらやらない手間を減らすための粗いやり方が、今はとても楽しい。こういうつくり方をするときには、パスタはママーのものがよくって、ディチェコとかではダメ。ママーは4分でゆであがるので、すごいと思う。発明。

午後ワンオペ。イオをつれて駅ビルをうろうろし、バナナジューススタンドでノーマルのものを買って飲む。ほっとする。ジュースの味わい以上に、この落ち着ける10分ほどの時間のことを、心から愛おしいと思う。帰宅して寝てくれたタイミングで包丁を研いだ。致命的ではないものの引っかかりを最近感じていて、でも研ぐ時間をつくれなくて、朝、砥石をとりあえず水を張ったボウルに突っ込んでおいた。それで夜、やっと研ぐ。朝の自分のほんの一手間が、この時間をつくってくれた。出刃、牛刀、三徳、ペティナイフ、全部をていねいに研ぐ。以前ならめんどうにすら思っていた作業が、自分をいたわり、自分たちの生活を言祝ぐごほうびのような時間の変わっている。

1月17日(水)

たかくらの次回の展示のためのMTGをやる。足利市立美術館でのグループ展に出すもので、俳句をアップデートしたいとのこと。冒頭、イオを登場させると、赤ちゃん奏者じゃん、といわれる。横向きに抱っこしてカメラに近づけた時の動作が、ギターを持っているように見えるらしい、はじめていわれた。

自動筆記連句を久々やると、やはり何も考えないことは難しく、自律した思考を止めるために、目に入る背表紙からいくつかワードを拝借していくと、だんだん無のまま反応していくことができるようになってきた。出来上がっていったものや、出てきたワードをついふたりで「これはいいな」とか「かっこいい」とかいいあうのだけど、評価の軸がないまま評価しているわけで、それがじわじわと笑えるようなおもしろさがある。ナレーションも録ってすぐ送る。時間がとれない中ではこうやるのがよい。

夜、うすいさんと新宿三丁目。久々の池林房。はじめてふたりでじっくり飲みながら話す。伊勢丹で働いていた時代にこのあたりはよく来ていたとのことで、20代、この百貨店で働きながら夜ごと新宿三丁目で飲んだりする青春時代の終わりって、どんな感じだったのだろうと想像する。それぞれのこれまでのキャリア、ファシリテーションについて、格闘技のあれこれ。縦横無尽。互いに自分の感覚を、他のジャンルのメタファーで話したりするから、抽象度が高いのに感覚が理解できて、話題も網目状に広がっていく。

なかなかうまく書くことを続けられていないことを話すと
「武田さんって常套句をできる限り避け続けて、自分の感覚を描写しようとずっとしてるじゃないですか。それってすごく大変なことで、そこから生まれるリズムがぼくは好きです」
とうすいさんがいってくれる。

常套句に乗ってしまったら、自分の体験したことや感動が全部類型化されたパターンに落とし込まれる感じがして、それは一緒にそこにいた人たちとの関わりごと、わかりやすい型にはめられて、自分は記憶してしまうのだと思ってる。唯一無二だから忘れたくないから書いておきたい、そういう思いからキーをタイプするような人間が、常套句を借りてそれを記述したとき、そこに残るものはなんなのだろうか。それはこれだ、とはっきりいえるわけではないが、少なくともぼくの信じる文学とはまったく違うもので、それを避けたいと思って昔から心がけていたことだから、語らずともテキストだけでそこに気づいてくれる人がいて、それをぼくに伝えてくれるという事実が、ほんとうにうれしい。救われるような気持ち。

2件目に花井くんの連れていってくれているレコードバーへ。他の人と来るのははじめて。ぼくの思う格闘技についての理想的な語りのひとつとして、当事者的な技術理解を伴った上での抽象的な語りがある、というような話をしたときに、「それってわざ言語ですね」と教えてもらう。技術伝承が行われる際に、言語化することが難しい場合「師匠」となる人が抽象度の高い比喩表現を使うことが多く、それが詩的な装いにもなる、というわざ言語。とてもいい時間で、常連と一緒でない時のマスターはいつもより優しく帰り道「とてもいい時間を過ごさせてもらいました」とお伝えする。うすいさんに生田久美子 北村勝朗編『わざ言語 感覚の共有を通しての「学び」へ』を教えてもらい、帰り道にポチる。

1月18日(木)

新しいiOSからジャーナルという公式の日記アプリが使えるようになっている、と聞き早速アプデした。調べたら昨年段階でそうなっていたようで、この手の情報はかなり早くから入手してロンチタイミングですぐ使いレビューしていたのに、なんとも出おくれてるなあと思う。しかなたい。で使ってみたけれど、挙動もUIもかなりDAY ONEのそれと似ている。プラットフォーム側が、自身のそこでリリースされた他社アプリをがっつり参照して公式としてリリースしていく、という流れだとしたら、けっこうエグいしつらい。

昨日のうすいさん飲みの楽しさと一緒に「わざ言語」の本のことを興奮混じりでじゅんちゃんに伝えると、持ってるよ、とのこと。さすがだし最近ほんとうにこの手のことが多い。4000円くらいの本だ。急いでAmazonの注文をキャンセルしながら、はじめてこのくらいの価格の本を買ったのは高校生のときで、小熊英二の『民主と愛国』だったことを思い出す。今価格を調べたら定価6930円で、出版年は2002年。ひょっとして価格は上がっているのだろうか。いずれにしても高校生からしたらそれはとても本1冊の価格ではないわけで、気合いが必要だった。手に取ったとき、興奮した。

CHAIが活動終了とのメールでお知らせが届く。今日の18時発表だから、それまでは黙っていてねと。デビューから8年だという。これからだったのにという気持ちと、高校の同級生たちと8年やったバンドなら、新しいことやりたくなるよなという気持ちが同時に訪れる。はじめて彼女たちのライブを見たのはluteを始めたころくらいで、たぶん2016年とか。下北沢のTHREEだった。まだそのくらの箱でやっていた。五十嵐さん古屋さんと3人で、フックアップしていきたいアーティストの一組として視察のような気分で見に行ったのに、演奏力の高さからただただ楽しくなってしまい、ただにこにこしながら踊っていた。リズム隊のスキルとぶれなさ、そして低音の音圧がその時点からとにかくやばくって、ぼくは終演後ふたりに「ゆら帝のライブ見てるかと思いましたよ!」と興奮まじりに伝えた。

SXSWに一緒に行ったのは2017年の3月で、その時はまだ契約まで至っていなかったソニーミュージックのスタッフも視察の我々に同行していた。ライブを行うための手配がなぜか整っていなくって、五十嵐さんがその場でメインストリートのベニューいくつかと交渉して、その1件でゲリラ的にできることになった。確か電柱か何かから電源をとってギターとベースのアンプにひっぱり、ドラムはカホンをかわりとして即興でのライブ。なのに、やっぱり彼女たちのビジュアルと、良い意味でギャップのある演奏力の高さでたちまち人だかりとなり、ぼくたちはその様子を撮影していた。道中アポなし、具体的な企画もなしで、ここという場所で彼女たちが踊るという体裁のMVも撮った。それが「SAYONARA COMPLEX」だった。

1月19日(金)

青木真也のnoteで大晦日のRIZINでMMAに初挑戦する皇治の試合のためにコーチをしていたときのことが書かれていて、読み返したら完全にわざ言語、だと思った。試合が近づいていく中でのこと。

皇治さんは(中略)新しいことをインプットして技術を覚えることが楽しくなっている節があって、強くなることではなく上手になる方にベクトルが行っていて、それでは勝てないので試合1ヶ月を切ってからは勝つために皿に守られた技術を削っていく作業でした。

「皿に守られた技術」わかりそうでわからない。それがまたぐっとくる。

横抱きでミルクをあげると途端に空気を飲むようになったので、縦抱きであげることにする。けど、どうやって? と思って、調べるのはしゃくだったので、授乳クッションを浅めに使って対面させることで、比較的角度をつけることに成功した。これあげやすいし、顔が見えてよい。全部飲み干したイオはそのまま寝てしまって、その様子を動画で撮っていたら、夢でも見てるのか、何度かにやっと笑った。夜、ねぎのあたまと一緒に塩漬けにしていた豚肩ロースをストウブで煮る。煮物は目が切れるのでよい。ゆで汁はスープにして、豚は切って、ねぎ、酢、砂糖(のかわりのオリゴ糖)、しょうゆ、オイスターソース、ごま油でぱっとつくったタレで食べた。ほろほろと崩れるおいしさで、じゅんちゃんの目がぱっとひらいた。

1月20日(土)

夜、たかおかさんとごとうさんと国立を探検する。国立と谷保の特集がアド街であって、特に国立がとても素敵に思えた。中央線沿線じゃなかったら、住みたいとすごく思って、でも同じ多摩のエリアの町ならば、探検すればいいじゃないと思っていたら、たかおかさんがお店を予約してくれた。

うなちゃんというお店に17時に集合で、若干遅れて行ったらそこは前に車で通って、ここ雰囲気すごいけどあまりに玄人なお店だなあ、行ってみたいけど無理かなあ、というところだった。曇りガラス越しにのれんが見えて、あれ出てないってことは閉まってる?と思ったが、恐る恐る引き戸を開けたらコの字のカウンターはすべて埋まっていて、2階とのことだったので、がんばって通路といえないほどの狭いすき間をすみません後ろ失礼しま~すといって、階段までたどり着く。こういう時、とっさにその場にあった愛想のいい声が勝手に出てくるのは自分の数少ない好きなところ。

2階はなんというか和室で家で、すでに5つほどの座卓全部を人が囲んでる。階段上がって目の前にごとうさんとたかおかさんがいた。家全体が傾いていて、ごとうさんが「傾いてますよね?」と気にしていた。確かにこれはけっこうな傾き。いわれて気になってきたけど、がんばって気にしない。メニューはなく、串のうなぎがコース的に一通りやってくる。うな重か蒲焼きをつけたい人は焼き時間があるので、最初にいう、とのこと。白焼き、くりから、など食べた。全部おいしい。くりからというものをはじめて食べて知った。

隣の老夫婦というにはちょっと若めのおじさんおばさんから、この付近の古いお店の話を聞く。邪宗門がなくなって、40年前からそのまま残ってるのは、こことロージナ茶房くらい。この建物は道路拡張工事のときに、移転してないで、レールを引っ張って建物ごと持ってきたのよ、とのこと。通りで傾いてるわけで、傾いたまま持ってくるなんて初めて聞いた。

2件目どうしようとなって、もうお腹はいっぱいだったから、ロージナ茶房へということになる。入ったらけっこう飲み的に使っている人たちもいるみたい。そこで急に「あの、武田さんですよね?」と聞かれて振り向くと、ぱっとわからない男の子がいた。顔と名前の一致度がかなり高い人生を送ってきたので、ちょっとひるむ。話してみたら、ああ、という子で、新宿渋谷ならまだしもなんでこんなところで、という疑問はそれぞれが持っていたから、聞かれる前になぜ今日ここにいるかを説明し合っていて、それも含めてゆかいな時間だった。

席に着くと1品ずつ料理もオーダーして、とのことで、結局おつまみの盛りあわせとピザを頼んだら、そこそこちゃんとした量で、けれどれも「品のある昭和」な盛られ方でうれしくて食べてしまう。体調の話、ストレスの話、ストレッチの話を、穏やかにして、こういうのいいなあと思う。こういうのが今はいいなあ、と思う。

1月21日(日)

寒い日。イオはもらいものの服がたくさんあって、その中にモンベルの暖かそうなフリースがあった。これだ! と思って着せたら全然サイズがまだ大きくて、宇宙服を来ているみたい。子ども服の、見た目のサイズ感と実態がまだ自分の中で合わない。UFC297をしっかりと堪能して1日終わり。