武田俊

2024.3.23

空中日記 #117|黙ったまま、部屋と布団入れ替わるのかっこいいよね

1月29日(月)

自治体のサポートの人が来てくれる日。自治体の指定業者の人が家に来て、赤ちゃんのお世話や家事のお手伝いなどをしてくれるサービスで、それが格安で利用できる。ぼくは知らない人が家に来たりそこにいたりするのが怖いので、出かけさせてもらう。カフェで作業。全然進まない。再販されたチバユウスケの詩集『ビート』をひらく。今書かなきゃいけないテキストはいくつかあって、そのひとつがチバさんが亡くなっていまだぽっかり穴が空いたままだから、それを塞ぐためのエッセイ。もう一個が、じゅんちゃんが妊娠中に書いていて、とても評判がよかったエッセイ。肝心のイオが生まれてから怒涛すぎて書けていないのを、なんとかしたい。

サポートの人が帰るまで外にいたら、じゅんちゃんから駅前に散歩に行くとのことで合流。どんなだったか聞くとサポートの人いわく、もうほぼ首はすわっているとのこと。あと、下半身の力が強くって、運動神経がよさそうとのこと。うれしい。歩いているうちに急にお腹が空いてどうにもならなくなって、目の前には最近できて開店するとすぐ行列ができるようになった家系ラーメンのお店があって、夜の部の開店が1分後だった。

ひとりで入ってみることにする。家系なので、油や味の濃さを伝える必要があるが、最初なので固め、とだけいった。最近できたお店なのに床はぬるぬるしている。開店即入ったのに、すぐに満員になった。キッチンもフロアもオペレーションの練度は高く気持ちが良い。すぐに着丼。なんだかラーメンブロガーみたくなってきた。特製なので刻んだ油揚げが入っていて、これはきっとスープを吸うだろうから美味しいだろう。

まずはスープから、と思ってすすると、これが……濃い! そうだわ、家系ってそもそもぼくは苦手だから薄めにするべきだったんだ、と思い出す。とにかく濃い。丁寧に作ってあるのがわかるスープで、旨み、塩味、コク、酸味のバランスがいいのはわかる。けど、あんまりに濃いので、すべてのパラメーターが振り切っていて、つかみきれない。そう、だから白米がいるのだよね。途中から隣に入ってきたガテン系のおじさんが同僚の若者に「家系は白米で『薄めるんだ』」といっていて、すごくよくわかる。でも、もうラーメン食べながら白米食べる、みたいなことをぼくは楽しいと思わなくなっているのだった。カウンターの上には緑色のきゅうりの刻んだ漬物が大きな鉢に入っている。すべてがトゥーマッチで、でもきっと大学生のころだったらそれをよろこんでいた気がする。

家にあった若林の『ナナメの夕暮れ』をひらく。お笑いとかの人が書いた小説やエッセイをあまり自分は読めないのだけれど、読んだら、とてもおもしろかった。2時間弱でぜんぶ読めてしまって、この時間でらくにこんなふうに読める読書というのが、睡眠不足でずっと頭痛に悩まされている自分にとって、とてもちょうどいいみたいだった。それに、若林のナナメな部分や悩みや発見は、かなり自分のそれと似ていた。なんだか読んでいると自分も書きたくなる文章。そしてそれは、ぼくが自分で設定した「よい文章の条件」のひとつでもある。

1月30日(火)

10時起。イオは昨日人生ではじめて朝まで眠った!快挙!えらい!21時ごろ寝ていたところを起こすようにしてお風呂に入れたあと、そのまま眠って、いつか起きるだろうなあと作業しながら待っていたところ、2時すぎてもおとなしかったので、そのままふとんを移動してリビングで寝ていたら、5時くらいに起きてきたじゅんちゃんに起こされてもまだ寝ていた。だんだん、脳その他の機能が人間っぽくなってきた感じがする。

午後3人で散歩。もう散歩で行けるコースはだいたい辿ったので飽きてきた。じゅんちゃんが「1日1つエッセイを書きなさい!」と強めにいったので、それがちょっとうれしい。毎日過ごしているとたくさん書きたいことを思いつくのに、それを口に出してしゃべるたびに満足して忘れてしまう。とりあえずクレイジーソルトの呪いのことを書こうと思う。最近料理ばかりしているから、料理から派生したあれこれに思いを馳せやすい。

夜、じゅんちゃんがクリームシチューをつくってくれる。ごはんと一緒に食べる習慣がうちにはなくて、バゲットとかと食べていた。中高とバッテリーを組んだGくんの家に泊まったとき、クリームシチューが出て彼の家ではそれをカレーの時みたいに、ごはんに乗せていて驚いた。それだけじゃなく、ダイニングテーブルにはキムチが置かれていて、みんな福神漬けみたいにそれをシチューとごはんの境界線あたりに置いて食べている。時たま混ぜ込むので、その部分だけシチューはピンク色になった。なんて気持ちの悪い食べ方なんだと思いつつももうそこからは逃れられないわけで、同じように試してみると、これがなんともいえないおいしさで、それ以来たまにクリームシチューを食べるときには、この食べ方をしてしまう。クリームシチュー自体年に1度くらいしかつくらないので、だいたいキムチと食べている。変だけどおいしい。変だからおいしい。

じゅんちゃんの持っていた雨宮まみさんの遺稿をまとめた『40歳が来る!』をひらいてみた。彼女が活躍していた時代、サブカルチャーの様々を色んな人が語っていたあの時代のムードが苦手だった。大きな物語の喪失でもポストモダンでもなんでもいいんだけど、とにかくもうメインもサブもない時代に、彼らは自らのアイデンティティのために、もう存在しない境界線をあらためて引き直しているように思えた。たとえばAVを文化的に語ったりすること自体はおもしろい側面もあったと思うものの、それが苦手な人間を遠ざけるような、排他的なムードがあった。いやそれ以上に、作り手も語り手もある種の過剰さを作品の根幹的な価値に置いているようにみえて、それが一種の加速主義のように自分には思えた。

けど、雨宮さんに影響を受けた特に女性は、ぼくが想像するよりずっと多い。あら、この人も、という人がいたりする。彼女たちはどんなふうに読んでいたのだろう。

1月31日(水)

イオ、昨日も夜よく寝る。朝までは無理だったが、2時まで一気に寝てた。夜、1ターンしかおむつとミルクのタイミングがない、というのは新生児時代からしたら考えられないことだ。

きれ なかっ

2月4日(日)

これを書いているのは2月7日。
日記を簡素に書くために、iPhoneにざっくりとったメモをもとにまとめていこうと思い立った。遡って書くとき、これまではTwitterを見たり、カメラロールを見たり、Instagramのストーリーズのアーカイブを見たりしていて、これをやり出すと思い出したことのすべてを書かないと気が済まなくなる。この作業をしている間に、もっと本とかエッセイとか書けよ、と思ってメモることにしたのだが、その直後に、イオが生まれてから恐らく初めて、じゅんちゃんとかなりの言い合いをした。どういう風に決着がつけられたのか、思い出せない。

メモには「けんか」とだけ書いてあった。

2月5日(月)

大雪警報の日。
再びのけんか。昨日のムードを少しでも戻そうと思って、お互いをいたわる気持ちで「2人とも疲れてるよね。なんか10月にイオが生まれてから、まともに眠れてないもんね」というと「そうだね。ちなみに私はつわりのはじまった去年の3月からだけどね」と返されて、怒りをため込みながら黙ろうとすると無理であった。それぞれに違いはあって、だからこそ歩み寄りをこちらからかけている。けれどその歩み寄りのための言葉自体が彼女をいらいらさせるとして、それは申し訳ないのだけれど、だとするならば、むしろそちらから現状のムード回復のためのコミュニケーションを図ることも必要なのでは、と思うのだけど、それはいつもぼくの役割になっていて、そのことの不公平性について怒っているようだった。

夜、どこかの在庫一掃セールでその素がワゴンセールにかけられていたから買っておいたシュクメルリの素を使ってつくってみる。本物は食べたことないが、数年前松屋でメニューが導入され、ネットニュースで話題になっていたのは見た。それも食べたことないが。見た目はクリームシチュー。味は思っていたのより、かなりにんにくが効いている。そしてベシャメルソースというより、チーズの風味が強いみたい。じゅんちゃん気に入って食べてくれるが、お互いに辛そうな表情。

この状況を打開するために、毎日寝る前に「帰りの会」をやろう、ということ。今日の振り返りとしてKPT(Keep/Problem/Try)をあげ、明日の予定を確認・共有する形にした。こういう時にビジネスの手法をさっと使うのが、自分たちらしいなと思ってちょっとだけうれしくなる。

Pの部分を話すとき「『ちなみに私は3月から寝れてないけどね』って重ねられたのがいやだった。マウンティングみたいだし、ただでさえ育児って性差で乗り越えられないことがたくさんで、それをなんとか埋められないかと思って生活してるから、こういうこといわれると何もできなくなっちゃう。全部むだな気分。だからすごくいや」と言葉がでて、ああそうなんだね、と思った。外在化!

夜、『不適切にもほどがある!』2話をU-NEXTで。じゅんちゃんは2回目。久々に次回が楽しみなドラマ体験。ミュージカルアレルギーが治りそうである。

2月6日(火)

くもり。0℃/6℃。
イオ、3時頃に起きた。半分寝てたので寝ぼけまなこでおむつ、ミルク、洗いもの、哺乳瓶消毒し、4時に交代。10時起床。めんたいこスプレッドを塗ったトーストとコーヒー。この時間、朝ごはんか、もっとちゃんと食べてブランチにするか迷ってきた。後者の方が効率がいいけど、寝不足の状態だからか、ちゃんとしたごはんは起き抜けに食べられない。でも育児タスクはどれも肉体労働だから、何か入れないと動けない。なので、やっぱり朝ごはんのようなのを食べることになる。

じゅんちゃんと昨日の話の続き。そこから転じて、これからの自分たちの生活のこと、仕事のこと、キャリアのこと、子育てのことをぐんぐん話す。じゅんちゃんは回遊魚のような感じで、自分のスキルや才能をフルに活用した仕事や研究を通して社会と関わることができていないと、うまく呼吸ができないような苦しさがあるみたい。GRのさらに上位概念としての視覚言語の探求、コロナ前のデンマーク、ニューヨークでの日々。3年間の停滞と乳がん、妊娠、出産。

一方ぼくは数社の立ち上げと経営。のち、小さなスクワッドを組んでひとり代理店のように仕事を仲間とつくるフェーズ。それでも追いかけてくる躁鬱の波。2017年からスタートしたラジオと大学の仕事。進まない著作の執筆。それを進めるために、顧問先企業へ契約解除の依頼、妊娠、出産。

4月から保育園にイオを預けるとして、それまでふたりで手分けしてやっていこう、ということ自体に無理があるみたいだった。攻撃的に働き方を再構築したいじゅんちゃんと、家や育児のことをやりたいが仕事も作り直したいし文章をたくさん書きたいぼく。これをまずえいやでつくり替える。ぼくは家事育児の全般を担い、仕事は二の次でとにかく残りの時間を楽しく文化的に過ごして書く。じゅんちゃんは外で無双する。それが一番いいんじゃないか、ということになった。ぼくたちの不安は、それぞれが特性を発揮できないまま、家事育児を暫時分担すべし、という今の状況にからめとらて生まれていたものらしかった。不安はあるけど、いつも心が動く方を選んできた。今回それはこっちだろう、そうふたりとも思っていた。

昼、じゅんちゃんが好きだから、冷凍の海老を使って、和風パスタをつくる。ディチェコのスパゲッティーニ、玉ねぎ、にんにく、しめじ、最後に辛くて大きな長ネギを刻んだの。ここ数日のふたりの緊張が、パスタを一口食べるごとに溶けていった。

食べ終わってソファに座っていると「なんか全部大丈夫になってきた」とじゅんちゃんがいう。
そして
「なんだか楽しいなあ。ねえ、将来どんなふうになりたいって思ってるか、今イメージできたよ。どんなのだか分かる? 当ててみて」と続けた。
「そうだなあ。どこか気持ちのいい土地を見つけて、お家を建てる。ぼくたちにぴったりのお家。──それで、その後みんなでキャンプに行く」
せっかく家建てたのにキャンプ? と自分でも思っていると
「あ、なんか当たった!」とうれしそうにいう。

私、しゅんくん、イオちゃん。それぞれに好きな感じのお部屋があって、そこにぴったりのそれぞれの本棚がぐるりとあるの。大きなリビングもあって、そこには毎週、すごくすてきな人が遊びにくる。ホームパーティとかじゃなくて、その日は半分パブリックみたいな空間になってて、そこは学びの場でもある。そんな感じだから、しゅんくんは得意の社交で、すてきな人を呼んでほしいの。それぞれがそれぞれでいられる、開放的な図書館みたいなお家。

じゅんちゃん通院。夜ごはんも外で食べてくるとのこと。うれしそうに出かけた。ぼくはイオと散歩。外が冷凍庫みたい、とLINEが来たので、白い耳のついたフード付きのもこもこベストを着させ、フリースのおくるみをし、ベビービョルンのウィンターカバーで完全防備でベビーカーに乗せる。雪は残っていた。駅ビルの中をぐるぐるし、6000歩。寿司屋と迷って、海鮮丼屋さんでテイクアウトする。

夜、アジ、まぐろ、カンパチ、サーモンの海鮮丼(890円)と、海老だし入りの味噌を使ったお味噌汁。具はわかめ、長ネギ、あぶらあげ。長ネギは白いとこを斜め切り。U-NEXTで『日曜の夜くらいは…』9話を見ながら食べた。ほんとうに独特なドラマ。たまらなくなって涙が浮かぶことが多いけど、たまにちょっと無理あるくない? という展開や台詞も。けれど、とてもいい。もう終わってしまう。育児の合間にドラマを見るのが最近とても楽しい。

イオとじゅんちゃんが寝たあと『龍が如く7』。歴代最高傑作といわれ、ファミ通で40点満点をとっていた8をやりたくて、そのために途中で投げ出していた7をやり直している。9章まで来たけど、RPGもいいなと思えてきた。ハローワークっでジョブチェンジするのが楽しい。あと、このキャラの質感とギャグのキッチュな組み合わせがこのシリーズの好きなところ。先はすぐ読めるけど骨太なテーマとナラティブもよい。今の自分の頭に、なおちょうどいい感じ。若林正恭『表参道のセレブ犬とカヴァーニャ要塞の野良犬』を読みながら寝落ち。

2月7日(水)

イオ、3時前に起床。こっちは寝ついてから40分くらいだったので、何かと思う。そしてとても空腹。18時に食べてから何も口にしないまま寝つけたのに、こうやって起きると異様に空腹なのはなぜだろう。おわんで食べるどん兵衛を食べても落ち着かず、食パンにいちごジャムを塗りスライスチーズを乗せたものをこしらえる。バターを塗る手間がおしいけどジャムだけだと味気ない、と寝ぼけた頭が判断してぼくにつくらせたもの。おむつミルクして、4時前。まだバトンタッチには早い。寝れるかなと布団に戻ったら、イオの泣き声で目を覚ませたのは7時前だった。

朝のバトンタッチの時、お互いに声かけもせずすっと部屋と布団を入れ替わるのかっこいいよね、とじゅんちゃんがいった。スムーズな労働としての育児のかっこよさ。

2月8日(木)

晴れのちくもり
10℃ / -2℃

書き間違いで合格してしまった認可保育園は徒歩40分の場所で、辞退するしかない。となってからは併願で申し込みしていた認証保育園が頼みの綱だった。そこから無事通えると連絡がきて、ほっと一息。じゅんちゃん、ほっとしすぎて魂の抜けたような顔。10年弱一緒にいるけど、はじめて見た。そのあとうれしそうに、「尾崎豊の『卒業』の歌詞の「支配」を「保活」に変えると、完全にじゅんこの今の気持ちになる! 見て!」と強く言われたけれど、なぜかあまり興味が持てず見ない。

かなめさん、さいとうさんからもらったギフトのスープがおいしい。午後、奥村とMTG。会社の輪郭を整える作業と、子育てのあれこれ話。同世代の、育児をしっかりになっているパパ友がもっとほしい。いるはず。出会いたい。

2月9日(金)

晴れのちくもり
10℃ / 0℃

イオの4種混合の予防接種2回目の日。今日はぼくひとりで出かけることにしていた。育児に関わることで、およそ1人でできることは、できるだけぼくひとりで行いたい。そうやって父親が公共空間で子どもを1人で連れている風景をちょっとだけでも増やすことが、自分なりの社会運動である。

なんてことをぼんやりと考えて実行しているのだけど、実際は毎回どきどきしている。平日の昼間、父親と赤ちゃんがふたりでいる、という光景はそこまで多くなくて、だから増やしたいのだけど、だからなぜだか緊張している。そういえば、車にイオをひとりで乗せて、ふたりだけで移動するのもはじめてのことだ。着脱式のベビーチェアの乗せて部屋を出て、機械式駐車場の操作をしている間、地面に置く。いつもはそこから車を出すあいだ、じゅんちゃんに見てもらっているけれど、目を離して放置するのは怖いので、身を縮めながら一緒に入り、後部座席に固定する。OK。この動作の流れを今後も固定化させようと思う。

ちょっとの恐れと、父と子ふたりで予防接種にくるということの誇らしさを一緒に抱えて病室に入ると、そこには同じく父と子ふたりきりで順番を待っている親子が先にいて、はしごが外されたような恥ずかしさがある。そのあとにじわっとやってくる小さな連帯感。

乳幼児はたぶんみんな注射を怖がらなくて、それはそれがどんなものかわかっておらず、かつどんなものかを記憶できないからで、針が腕を通過する瞬間の痛みでもって、ワーンと泣くけれど、それが引き抜かれたらたちまち、けろりとしている。それを4回くり返す。それで終わり。あたりどころが定まっていたのか、2本目のあとに少し出血した。きれいな朱色で、イオの血液をはじめて見た。同じ人間なんだよなあ、と当然のことを感慨深く思う。まだこの子をどこか、人間の外側にいる、高貴な生きもののように思っている節がある。

夜、下北沢であんどうさんとねおさん。先に着いたので、駅前のTSUTAYAの本屋さんで、長井さんのはじめての小説集『私は元気がありません』を買う。サイン本。そのあと陣太鼓で戦国やきとり。とても混んでいる。ねおさんに自慢するためにsteam deckを持って行くとあんどうさんが「これは、信長の野望ができる?」と3回くらい聞いてきた。サイバーパンクを立ち上げた状態で渡すと、うおー、といいながら触っていてかわいい。しばらくして帰ってきたとき、視点がまっくらな地面ばかりを写していて、うまく操作できなかったことがわかった。

終電まで歌。ぼくはひたすらチバの追悼。

2月10日(土)

鍵っ子さんの主催する、ルグウィンの『文体の舵を取れ』のワークグループの顔合わせ。この本は実作、それもグループでの相互批評を目的にした課題が設けられていて、初読自、どの課題も魅力的だけど、ひとりでやってもなあ、と手をつけずにいた。あらかじめ作ってくださっていたNotionがすごくよくできてて、そこに感動。zoomで自己紹介をしたら、緊張した。もともと人見知りで赤面症気味なのが、最近人前でしゃべってないから戻ってきている感じ。

最初の課題の事例をひとつ読んでみよう、ということになり、ぼくが音読する。抑揚をつけながら読もうと思うも、思っているより控えめになってしまう。それでも声を出して読むのは楽しいもの。課題、はやめに手をつけたい。書くことを楽しめるようになること、そして自分の表現の引き出しを増やし、それをスキルツリーのように俯瞰して眺められるようになること、が参加の目的。