武田俊

2024.3.17

空中日記 #116|お味噌汁としてのスパイスカレー

1月22日(月)

朝、まだイオがほしがるちょっと手前からミルクの用意をして、いつもなら冷水で急冷するところ常温で放置して冷ますことにする。そこで生まれた時間のあいだだけ読もうと思って、リニューアルした岩波『世界』をひらく。人文的な、ロジカルな文章が育児をしていると全然頭に入ってこなくて(たぶん慢性的な寝不足だから)、かわりに詩的なものならすんなり入る、ということはひとつの発見としておもしろかったのだけど、これだけ世界が危うい状態にある中、どんな言論が可能なのかは感じておきたくて、論壇誌なら断片で構成されているから読めるだろう、と思ったのは正しかった。

といっても、たくさんは読めないので、武田砂鉄さんの対談連載と大澤聡さんの論考だけ読む。「TOMagazine」の世田谷号で大澤さんと大宅文庫に行ったことが懐かしい。大澤さんは、「かんがえる」をひらがなにひらいていて、そのリズム感や開放的なムードが、すごくよかった。こういう部分を大切にする書き手だということを思い出した。

じゅんちゃんとイオ、今日から2泊3日で産後ケアの宿泊へ。久々のひとりに興奮して、何をしよう、どこへ行こうと考えてみるも、そもそも体力が全然足りないので、家で本でも読むかと思っても、もう続きを読むことができず、ゲームしてごろごろして初日は終了。

1月23日(火)

イオの病院での写真が送られてきた。病院でも朝は家お同じで、高速手足バタバタダンスをしているよう。その瞬間を撮った写真が、無重力空間を遊泳しているようで笑ってしまう。病院の中はエアコンが効いていて、ロンパースいっちょうなのもあって、むちむちの太ももがかわいい。家でもはやくこの状態で過ごしたい(かわいいから)。

映画を見に行ったりしようか。見たいものなら死ぬほどある。と思うも、結局ぐったりとして終わる。休息が圧倒的に必要、ということだけがわかる。

1月24日(水)

夕方にふたりを迎えに行く前に、かわちゃんにベビーカーを譲ってもらうことになって、それを車で取りに行く。東京の東側に首都高を使って行ったことがなくって、途中から未知のルートなのでそれがとても楽しい。知らない道を進むこと自体が旅だ。家の前について、子どものこと、仕事のこと、立ち話が進む。かわちゃん、クロスポロが気になっていて、いいじゃんいいじゃんといって、そのまま運転席に座る。この感じがかわちゃんで、それを懐かしくうれしく思った。譲ってもらったベビーカーはバガブーってイギリスのもので、あとで調べたらベビーカー界のロールスロイスといわれたりするいいものらしい。ベービーカー界、にはじめて触れる。しっかりとした重厚感があって、頼もしい感じ。その分重くて、これなら都の助成のポイントで頼んだBABY ZEN YOYOといい感じで使い分けられるかもしれない、と思ってラゲッジに入れようとすると、バガブーを入れたらもういっぱいになった。なるほど。

その足でふたりを迎えにゆく。早く着いたのでコメダに行った。地元にいるころは行ったことがほぼなく、なのに都内で入る度に懐かしい、と思うコメダ。年末の荻堂さんトークのときに来られていた早川の溝口さんにもらった間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」の見本というか、お試し読み版をひらく。やっと読むことができた。ほとんどがひらがなで書かれていて、それに最初ひるんだのだけど、しっくりきて可読性を下げることがなかった。それでも思ったよりは読み進められなくて、これはシンプルにぼくの脳の状態の問題なのだろう。

時間が来て病院へ。2日離れただけなのに、イオのことが好きで好きでたまらなく、あんまりかわいく思えるので、これを食べちゃいたい、というのはわかる気がする。自分ならどんな風に表現できるだろう。頬ずりをして、そのまま溶けて消えちゃいたい、かな。でもそれはちょっと違う気がする。

1月25日(木)

イオ、後頭部にしゃりっとした感触があって、見てみると、髪がよじれてドレッドみたいになっている。寝返りのように首を頻繁に動かすようになったので、よじれてしまったよう。病院のベッドの繊維との相性か?

2日ぶりの育児の作業は愛おしい。イオさん、ミルクを飲んだあとなど、鼻を鳴らしてよろこぶことがあって、それをずいぶん前からぼくは「ぶひぶひ丸だ」と思っていた。ぶひぶひ丸、それはいったいなんなのか。どんなキャラクターなのかはわからないのだけど、鼻が鳴るたびに「お、ぶひぶひ丸がやってきたぞ」と思うようになっていた。

だから時折口に出して「ぶひぶひ丸ちゃん」と呼んだりもしていて、するとじゅんちゃんが真顔で怒ってくる。なんでだめなのか聞いてみると、「いじめられちゃうでしょ」という。そんなのわからない、というと「自分が呼ばれて嫌な呼び方をしないで」というから、ぼくは愛を込めてぶひぶひ丸と呼んでいるし、自分が呼ばれても嫌じゃないと反論すると、「わかった。じゃあ今日からインスタとTwitterのアカウント名、ぶひぶひ丸に変えてよ。@stakeda から @buhibuhimaru に改名したらいいよ」といわれて、確かにそれはできない……と納得した。

先週たかおかさんから聞いたのを参考に、1日のSNSの使用時間にiPhone側から制限をかけた。育児のすき間にSNSは相性が良すぎて、見ているだけで貴重なすき間時間がなくなってしまう。試しに60分に設定したら、自分の投稿を書いたり、インスタではメッセージのやりとりもするからか一瞬で溶けた。90分で試運用。

成城石井で念願のイイダコの入ったキムチが変えた。おひとりさま1つ限りのラス1。書店で絲山秋子『神と黒蟹県』など買う。FBで「本が読めない」と書くと、育児経験者から「わかります! 長編小説が読めなくなりました」とコメントがあって、ぼくは小説は読めるので、返事がすこししにくかった。育児を通した体験や感覚って共有できてこその安心感みたいなものがあって、それを互いによすがとした対話が良しとされるムードが濃いので、こういった小さな認知の違いが、逆に強く浮き彫りになってしまう。『神と黒蟹県』まず、架空の黒蟹県のマップからはじまって、心が躍る。

夜、土鍋で肉豆腐をつくった。すぐにできておいしくて楽しい。土鍋でつくれば保温性も高いからそのままダイニングテーブルに出せるし、楽しくなる。楽で楽しいがいちばんよい。身を助ける。

1月26日(金)

夕方、3人でフードコートに行く。バガブーは3ヶ月ではまだ早そうなので、ビョルンで背負っていく。実際は胸の前に抱いているのに、どうしても赤ちゃんを運ぶ感覚が強くて、背負っていく、と発話してしまう。ふたりともお腹が減って、ぼくは海老味噌ちゃんぽんというのを頼んで、じゅんちゃんはフライドポテト。それを食べているあいだに本格的にお腹が減ったようで、韓国のお店からヌルンバというものを買ってきた。未知。本人はビビンバだと思っていたみたい。食べ方が書いてあって、じゅんちゃんがそれにまったく順じないので、どきどきする。説明書通りに最初はやるのがぼくは好きなやり方。だけど、自分の食べものではないから、できない。困る。昔はこういうときに、けんかをしていたけど、今はそこまでにはならない。今度ひとりでちゃんとしたヌルンバを食べに、ちゃんとしたお店に行ってみようと決める。

夜、たかくらとただちゃんとTwitterスペースで、話題の『パルワールド』についてしゃべる。新旧の親友で、ゲーマーで美術家のふたりに聞いてみたいことがたくさんあった。ファシリテーションしながら質問をぶちこむと、多田ちゃんが「キラーな質問ぶつけてくるなあ」といった。途中でだんだんこれは加速主義の話だ、という感じがしてきて「パルは早いから」といったら、それが対話の中で流通しはじめる。最後にパルいという形容詞になって、これは2014年にぼくが「これからはエモいの時代だ」と先取りしていった時の感じに似てると思った。対話が対話を呼び、記憶と接続される。こういうのがいい時間。

1月27日(土)

じゅんちゃん仕事で終日出るので、ワンオペの日。

朝思い立ってスパイスカレーをつくる。家にスパイスを常備するようになって、たぶん5年くらい。カレールウをそれ以来買ったことがない。「スパイスカレーに凝る男子なんて……」って揶揄するのが最近何かでバズっているようなのを見たけれど、あれは全然わかってない。この世界には凝らないスパイスカレーがあるのだよ。なんならカレールウのカレーよりも、よっぽど時短でおいしくつくる方法だってある。ルウのカレーは煮込まないとおいしくならないけど、スパイスカレーはすぐおいしい。なんならつくり置かない方が、香りが立ってよい。なんていうか、煮込み料理っていうよりも、お味噌汁のような気分でぼくはつくります。

今日のカレーはさらに簡単で、大量の手羽元とキャベツ、たまねぎをストウブで無水調理した果てにスープとなったそれを、改変するもの。スープあたためている横で、マスタードシード、カルダモン、シナモン、クミンのシードをテンパリングして、ホールトマト入れてマックス強火で煮立てて、そこに基本のスパイス3種入れて、にんにくとしょうがも入れて練って。それをスープに溶いて味を調えるだけ。実作業、15分弱。そしてとてもとてもおいしい。

午後、やっぱり現在の状況ですべての内包しうる表現ジャンルがゲームなのだから、色々気になったものは片っ端からプレイしたいと思って、「ファミ通」で風来のシレンシリーズの新しいのがリリースされているのを知っていたので買ってみる。「ファミ通」毎週呼んでいるけれど、一番ちゃんと読むのは伊集院光のコラムだったりして、これが案外次に買うゲームの参考になるのであなどれない。

不思議のダンジョン系というか、元祖ローグライクというか、この手の死にゲーはずっと親しんでこなかったジャンルで、なんでかといえば理由は明確で愛着を持った装備などが死んでしまうと全部消えてなくなるからだ。装備どころかレベルもまた1からで、じゃあなんでそんなものプレイする必要があるのかと思う。そう思って触ってこなかったのが、この数年ではむしろ憧れに近づいている。というのも、装備もレベルも死ぬとゼロになるけど、そこに到達するまでのプレイヤー自身の経験や記憶が力となり先を目指す、というゲームのあり方は、実はかなり躁鬱者におけるウツエピソードからの復帰に近いからだ。

ウツは象徴的な死で、ほんとうに毎回個別具体的に苦しく、その苦しさの前ではこれまでの学びは何も生きない。じゃあどうするかといえば、ウツから抜けたあと「次はここまで深く落ちないように気をつけよう」となり、その気をつけ方は普段の自分の暮らしから感じることや、そこでとったメモなどを活かすプレイングが必要で、また深く落ちたなら「今回は何がまずかったのか?」と考えて次回に活かす。完治という概念のない病を持ったぼくたちは、これをひたすらくり返すことでなんとか寛解の連続として人生を生きている。だから、きっとこの『風来のシレン6』も、ぼくはいい感じでプレイできるはずなのだ。

と思うも、やってきてないのだから、学びがないわけで死にまくる。むずい。むっちゃむずい。アイテムの役割がわからないまま、死んでいく。これはやりがいがある、な?

1月28日(日)

ONEを見ていた。なんで普段は感じないのに、今日はストロー級の試合を楽しく見れないかなと思ったら、レフェリーが大きいのだった。こうなると、とても小さな人たちがなんとかがんばっている、という風にどうしても見えてしまう。カメラワークやアングルにも問題があったかもしれない。青木さんの試合、急遽リザーブファイターに相手が変わり、2階級下の選手だから、あまりにも体格差のある画になっている。「最後」といっていたのに、ケチがついてしまってかわいそうだな、と思いながら、最後まで見て、武尊の試合はやっぱり心がぐっと動くも、全体を通して興行としてはどうだったんだ、という気分。PPV、5000円の価値はあるのだろうか。ぼくは見るけれど。

イオ、最近おむつを替えてほしくて泣いているとき、そばにいって服のボタンを外し始めたくらいで察してにこにこし始めるようになった。