武田俊

2024.4.5

空中日記 #118|「たいせつに、たいせつになさってね」

2月11日(日)

イオ、声を出して笑うようになってきた。試しに絵本でも読んでみようと、福音館の『かがみのえほん ふしぎなにじ』を読んであげるとうれしそう。光と反射は、彼女のいまの視覚でも楽しめるみたい。調べると月齢3ヶ月くらいの視力は、0.04~0.08弱。ぼくの裸眼視力よりややよわい感じ。試しに眼鏡を外して絵本をひらいてみる。なるほど、と思う。

2月12日(月)

祝日のようだ。たかくら、新見、ませ、とんかつさんくる。ませがしなぷしゅの絵本をくれ、新見は「これぬいぐるみ」といって包みを渡してきた。ひらいてみると、ばいきんマンのそれで、らしいなあ、と思いながらたずねると「世に悪と呼ばれるものにも、色んな価値観があるってことを伝えたくて」とのこと。

みんなでだらだら家でおかしを食べて、おしゃべりをして、桃鉄をやった。お正月みたい、とみんないった。ませはすぐ横になって、それを見ていたからか、たかくらも眠くなった。それぞれのしかたとスタンスで、みんなで「居ること」をした。イオへの興味の示し方もそれぞれという感じ。またすぐに来て欲しい。子どものいない仲間たちには、イオの成長を通して、子どものいる世界を感じて欲しいと、どうやらぼくは強く思っているみたいだった。

2月13日(火)

晴れ 17℃ / -2℃

春一番が吹いた。朝、白い食パンにピーナッツバター。昼、冷凍海老を使って海老チャーハン。ウェイパーの海鮮版の青い缶、あまり出番が少ないので使えたことがうれしい。
15時すぎ、はたさんとじゅんちゃんが駅前で集まって話しているというところに、イオを連れて行く。やっぱり友人には彼女のことを知ってもらいたいよう。はたさんに「抱っこしてみて」と渡すと、心配そうなうれしそうな顔で受け取ってくれる。自分が他人の赤ちゃんを抱っこしてみたいとき、安全面など配慮してしまって「抱っこさせて」となかなかいえないので、親側に立った今、積極的に渡そうとしている。いやだったり、こわいと思った場合は、そう伝えてもらえば、やめればいいわけだから、こちらが前向きな方が相互の体験の幅が広がる、という考え方は、以前の自分だったらきっと持たなかっただろう。

たくさんおしゃべりする。イオが途中でぐずったのと、女性同士でまだ話したいトピックもありそうだったので、同じフロアをうろうろすることに。ベビーカーを押していると、おばあちゃんふたりぐみから話しかけられた。
「あらああん、なんてかわいいのかしら」
「本当だわ、まあ、かわいらしっ! 何ヶ月ちゃんなの?」
「ありがとうございます~。ちょうど100日くらいなんです」
「そうなのねえ。いいわねえ。ふわふわで、美白! まるで白玉だわ」
「白玉ちゃん!」
そういわれて、うれしい。自分だけでは関わらない他者と、イオがいることでつながるという事実に、不思議な頼もしさのようなものを感じる。

ひとしきり話したあと、おばあちゃんたちは、「たいせつに、たいせつになさってね」といい、ぼくは子どもがするような威勢のいい声で「はい!」とこたえてわかれた。

2月21日(水)

滝口悠生さん、植本一子さんの往復書簡『さびしさについて』がとてもいい。さーっときれいに読めるのは一子さんの文章で、何か大切なものを手繰るようゆっくりと進むのが滝口さん。滝口さんはそんな自分のテキストを「もけもけ」といっていた。滝口さんの子育てに関する様々な考えと、それを書簡として相手に届けるためにていねいに言語化してゆくそのプロセスを味わうようにして。

2月22日(木)

くもり あめ
7℃ / 4℃

イオ3時に1回起きた。深夜のおむつ替えとミルクはなんだかいつもより時間がかかる。4時ごろ起きてきた母とバトンタッチし7時までもう一度寝る。寝れないけど。

ちゃんと冬に戻ったような日。朝、母のためにじゅんちゃんが買ってきたパンの残り。ソーセージの小さなロールパンなのだけど、ソーセージが2本。よくあるソーセージロールが小さくなってふたつぶん横並びにくっついたような形をしていて、かわいい。

午前はイオのお世話。お昼に昨日の残りの水炊きの残りをどうにかしようと思う。野菜が多かったせいで水っぽくなっていたので、ウェイパーを加えて、にんにく、ゆずこしょうを入れぐらぐら煮立てる。乳化したらいいと思った。玄米を洗って入れ、卵でとじて、ちょっと濃い味のパンチの効いた雑炊とする。上からネギとごまぱらぱら。これならおかゆ系がきらいなじゅんちゃんも楽しく食べるだろうと思ったら、おいしいおいしいといっている。

夜の番はやっぱり疲れる。おととい筋トレを久しぶりにできたのは、やっぱり朝まで寝たからだと気づいた。近くにできた建売住宅を、物は試しだ内見しようとじゅんちゃんが申し込んでくれていて、今日がその日だけどとてもいけない。ちょうどイオが寝ていたので、その番をすることにして、ひとりでいってもらう。本当はちょっと行ってみたかったが、参考までに見るわけで、まったく買う気のないものに対して、ものを売る人の仕事の時間をもらってしまうことに気が引けていたのも大きい。じゅんちゃんは、とても楽しかった様子。

夕方駅まで散歩。目的を何にしようかと思って、フードコートの子ども用のフラットな小上がりみたいなスペースに初めて行ってみようということにする。到着するとやたらめったら空腹を感じて、ラーメンを頼んで食べた。雨の日は抱っこひもで出かけることになり、そうなるとまだ自立したおすわりのできないイオは、フードコートに居場所がない。でもフラットなところなら、寝転がれるはずだ、と思っていたのだけど、予想に反してその床材はフローリングだった。しかたないので、ざぶとんのようなクッションをつなげてベッドにする。途中、おむつ替えのために、ふたつ下のフロアまで降りて交換して戻ってきた。ここはとてもいいスペースで、広くて、清潔で、おむつをなんと捨てることもできる神がかった場所。

夜、深夜番に向けて納豆と卵をうどんにからめたものを食べる。読書が散発的で、お世話のタイミングで中断するものだから、何をどこまで読んだか忘れ、また違うものを手に取る、ということをくり返しているので全然進まない。『さびしさについて』の続きが読みたいけど、完全に深く寝ているイオのいる部屋のどこかにあるので、もう探せない。

2月23日(金)

くもり、雨
4℃ / 1℃

冬に戻ったようなとても寒い日。と書いてみて、今のこの間の季節を春のはじまりだと捉えていることに気がついた。午前、管理会社からなくしてしまった駐車場の鍵が着払いで届く。これで明日、ちゃんと自分の車で出かけられる。踊りだしたいくらいうれしい。再発行が3000円、着払いが980円。約4000円で入手した、原状復帰の幸せ。キャスティングで明日のカワハギ釣りの用意。去年はカワハギのアタリ年だったらしく、替えの針が全然売っていなかったが、今年は多い。釣りが久々過ぎて、今何が自分に足りてないのかすぐにわからず、売り場を1時間くらいうろうろした。

イオ、どんどん色んなバリエーションの声を出せるようになっている。大人が近くにいて、けれどかまってもらえないときに、猫のような、んにゃー、というかわいい声を出す。それをもっと聞きたくて、視界にいるのに近づかない、ということをやってみると、たくさんしゃべる。かわいいけど、かわいそうなので、すぐそばに行ってしまう。

2月24日(土)

晴れ くもり
9℃ / 1℃

だいたい1年ぶりのカワハギ釣り。4時半にゆうたろうをピックして、久里浜まで。車内で「この感じ懐かしいよね」と話し合う。イオが生まれてから「個人」として色んな場所に出かけたり、友人と話すことが減っていて、そのこと自体にさびしさはあれど、むしろ数が減ったがゆえに1回あたりの体験から得られる感覚のビビッドさは高まっているともいえ、だからゆうたろうをただ迎えにゆくということの自体をうれしく感じている自分のことを、好きだと思える。

車内、なにか子育てに関してぼくがいいことをいい、ゆうたろうが「良いフレーズで表現するよなあ」といった。そういってもらえるとうれしさが駆けめぐるから、いいつも自分のいったいいことについて、自分自身は覚えていられない。かわりに相手の声色や表情だけを覚えていて、これは幼少期からの特性だともいえて、だからぼくはいつまでたっても自分のことがよくわからないのだと思う。そのかわり、色んな人の表情や言葉は覚えている。

絶対何かを忘れている、と思いながら船にパッキングした荷物を運び、出向までにエサのあさりを塩で締めたり、しかけをとりつけたり、手返しがよくなるよう釣り座のセッティングをしていたが、何も忘れていないようで、これはぼくにとって奇跡のようなことだった。

普段は竹岡沖に行っていたが、この日は剣崎。北風が強く波が高い。客室に避難するも、むしろ振動と音が強くて酔いそうになり、外に出て風を避けるため身体を小さくした。

まずは基本の縦の釣り。感覚を思い出すために、ゼロテンの基本に立ち返ろうと試していると、ベラばかりがかかる。どうやら底にはたくさんベラがいるみたい。カワハギよりベラの活性が高いってことは、やっぱり水温が高いんだろうなあ、とこれは和田さんの推理。

しばらくしてやっと1匹釣れる。とてもうれしい。カワハギの、つつくような鋭角的なアタリが心地よくて、これが好きなんだよなあと思い出す。しばらく釣れて、止まり、釣り方を替える。集魚板をつけて誘って、宙で待つと、釣れた。他のひとは一切釣れてない時間で、どうやらパターンを見つけたらしくそこで3匹まとめられた。同じ釣りかたで和田さん、横田さんも釣れて、このままこれで行くぞ、と思ったら、15分くらいでパターンは終わった。

そのあと3時間弱、カワハギのあたりなし。まわりを見て色々試しても、ぼくの竿だと再現できる動きではなかったようで、ハマらない。迷子のまま14時半を迎えて帰航。合計5匹で、これまででワースト。和田さんがたくさんくれて、13匹くらい持って帰る。

三連休中日の夕方は、通常の渋滞に加えて、事故が数件。家についたのは19時で、高波の影響もあって、ふらふらに疲れている。シャワーだけさしてもらって、母に下処理を手伝ってもらいながら、なんとか調理する。じゅんちゃんも手伝ってくれたのだが、数匹作業をするとみるみる顔がおもしろくない表情に曇っていき「これから、魚は6匹まで!」と声高に宣言した。6匹までしか手伝いたくないとのこと。さびしい。

肝あえのおさしみははてしなくおいしく、お酒よりもむしろごはんがほしくなっていて、もうずいぶんお酒をほしいと思わなくなっていることに気づいた。体中が疲れで熱を持っているが、夜イオのお世話をする。全然苦痛じゃない。

2月25日(日)

くもり 雨
5℃ / 3℃

イオがよく寝てくれたおかげで、眠れた。母は午前に帰って行った。布団の中で見送る。じゅんちゃんが作業のため出かけたので、リビングにヨガマットを敷いて、そこでイオを遊ばせながら、昨日のRIZINを見る。リアルタイムの配信だと見逃したくない気持ちが高まるはずだから、それに対応して育児の手間をおしいと感じてしまうのかもしれないが、アーカイブ配信だから、都度止めながら見られる。

それを半日やって、全試合見れて、このやり方なら変わらず格闘技を楽しめるぞ、という発見になった。それと同時に、早く柔術を再開したい気持ちも変わらずあり、これは4月以降、保育園がはじまって、それとあわせて自分の今後の仕事のあり方を調整していくなかで、どこかでタイミングをつくられたらいいなと思う。今年、上半期のひとつのたいせつなミッション。

母が帰った反動か、てきとうなものばかりを食べたくなり、袋ラーメンで晩ごはん。『さびしさについて』の続きを読んだり、つかのまだらだら過ごしていたら、ん、ん、ん、とうなりながらじゅんちゃんがやってきて、色々話す。仕事の話に流れていって、2時間くらい、これからの自分たちの仕事のしかた、世間への届け方について熟議。不安が取り除かれるいい時間。