武田俊

2024.4.17

空中日記 #120|海猫ペン子はお人好し

3月4日(月)

うつではない、謎の不調から脱出できた模様。午前からMTGのあるじゅんちゃんとかわり、イオのお世話をしつつ、freeeで仕分け作業。これをしたくなかったのは、楽天銀行とfreeeのAPIのあれこれが停止して、自らCSVでデータを取り込まなきゃいけない、といういったいなんのためのクラウド会計ソフトだよ、って状態にあったからなのだけど、調べてみたら昨年末にAPI連携を再開したとのことで、これで一気に心の奥の何かが溶けて動き出した。作業のための土台をつくったら、仕分けはスマホで機械的にやれるので、育児のあいまにちょうどいい。

作業を続けたかったので、昼、マックをUberした直後に、イスラエルのことを思う。うかつだった。徹底したボイコットまではいかなくとも、自分の生活の中から変えられることを変えたい。午後、イオを連れて散歩。カフェのテラス席で、ベビーカーを足で揺らしながらトールのコーヒー一杯分の自由時間を謳歌する。この400円ほどで、これほどにない幸せな時間。仕分けの続きをすすめ、今日で600件くらい完了し、ほぼおしまい。あとはレシートや領収書だけになった。

3月6日(水)

くもり 8℃ / 1℃

冬のような日。場所によっては雪が降ったりもしたらしい。リハビリなので、久々に午後外出する。家でじゅんちゃんとイオがいて、ふたりでお世話をしているとだんだん輪郭が溶けていって、自分が消失していく。これが嫌いではなくて、だから人類補完計画についてはけっこう共感というか、賛同したいような気持ちになるけれど、ゲンドウはユイの不在と再会のために私物化したのがダメで──となぜか懐かしいことを考えはじめる。

着替えて、身だしなみを整え、お気に入りの香水をして、外用の眼鏡をしたらちゃんと自分になった。輪郭があるのは、それはそれで心地よかった。右肩に生理食塩水を注射して、関節をゆらゆらにしてMRIをとる。これは注射史上いちばんいやな注射。問題なしで、引き続きリハビリをしてゆくことに。帰り道、板橋から目白までを歩いて帰るのがすっかり恒例になった。ラッシュをうまく交わすためもあるけれど、これがとても楽しい。池袋は高速道路のそばの、駅の西口がわに線路を渡れるでっかい歩道橋を通るルートをとるのだけど、ここから見る池袋がいちばん好き。そして池袋は北口が好き。東口は思い出が濃すぎる。電車の時間の帳尻を合わせるために、西口あたりを散歩した。すごく好き。ロサ会館の前を通って、リバイバルとかじゃなく、まだ昭和が町に生きていると思った。今度誰かと会って飲むとき、池袋で飲みたい。ちゃん系ラーメンというのをはじめて食べた。チャーシューがたくさん。ラーメンは食事そのものとしてより、その分派のしかたに興味があって食べている説。教養としてのラーメン。

そして目白。たぶん東京で住んだ町の中で、いちばん好きで、いちばんちゃんと愛せなかった町。やばいかなと思ったけど、住んでいた家の前まで今回は勇気を出して行ってみた。駅裏の小さな古い戸建て、まだあった。愛おしかった。しばらくうろうろ歩く。山の手の上品さでできているのに、どこか生活が町の中に流れ込んでしまっていて、その品と民度と親しみやすさ、そのバランスが完璧な町。またいつか、住んでみたいけど、きっとそれはかなわないだろう、そういう町。

移動中、佐藤泰志『草の響き』を読んでいた。うつとランニングの話。そんなに好きな小説でもなかったけれど、これを映画で東出昌大がやっているわけで、役にはまっていそうだなと思う。

3月7日(木)

くもりのちぱらぱらの雨
9℃ / 5℃

イオの睡眠は朝までずっと、というのが確率でいうと30パーくらいで、毎日がギャンブル。負けると1日中ずっと寝不足で過ごさないといけないので、けっこうつらい賭け。今日は午後ワンオペなので、午前色々しようと思ったけど、ただただ眠く、体も重く、布団の中でRIZIN CONFFESION見てた。地味だけどいい興行だった後のドキュメンタリーは良くなる、ということがよくわかった。2回泣いた。堀江の顔と、グスタポの試合後の表情。格闘技は顔を見るのが一番楽しい。まったく嘘も演出もできない、ただむき出しの人間の顔。

ベビーカーでスーパーはなかなか難しく、ハンドルのフックに買い物かごをかける、というのが暫時の解決策なのだけど、全長が長くなるし歩きにくい。ノーズのやたら長いステーションワゴンに乗っている気分。簡単でおいしいくて後片づけの楽なもの、をイメージしたら自分の解答は肉吸い、だった。最近有賀薫さんのレシピを見たからだろう。久々に牛肉を買った。牛肉を買うだけで楽しくなるので、ぼくはやっぱり家仕事が向いている。ルビーみたいにきれいなのに安い鰹のお刺身食べ比べ、みたいなのも買った。どれもおいしい。

それでもとびきりの鰹ではないから、何かまた小さな特別をしようと思って、鰹漁師さんがよくやっていると聞く、刺身にマヨネーズをつけるとトロみたい、ってやつをやってみる。トロかはともかく、これはけっこういいもの。脂のない刺身をこうやって楽しむことが、途端に自分の中でアリになった音がした。

3月8日(金)

10℃/0℃
雪のちはれ

2ヶ月ぶりくらいに髪を切るために表参道へ。前は仕事や移動の合間にさっと寄っていたので、髪を切る時間も惜しかったのが、今はこの60分とちょっとの時間がいわれようもない贅沢なものに感じる。そしていつも新鮮なのが髪を切った後の感覚で、生まれ変わったように心地いい。こんなに心地良いのに、毎回完全にそれを忘れている。

せっかく表参道まで来たんだから、と思って青山ブックセンターに行くと、どの棚もどの平台にも買うべきと思っていた本や、買えてなかったと思い出す本ばかりで、「こんなにもぼくが持つべき本が!」という熱がごぼごぼ腹の底から湧いてきて、それは幸せなことだが、そんな書店にこんなに人がいないなんておかしいと怒りのにも似ていて、最後はオーバードーズでもしたかのように気持ちが悪くなり、何も買わないまま帰る。

夜、確定申告の作業をほぼ終えたあと、鍵っ子さんが主宰する文舵の会の課題ができていなかったことを思い出し、講評をみんなにしてもらうには今晩出さなくては、と気づき、すぐにやればいいのになぜかニュースレターを書き始めた。そのあと課題をやっていたら、深夜のドライブがかかって、結局明け方まで憑かれたように書き続ける。

イオ、夜中にミルクを飲ますと手を伸ばしてくる。しばらく支えながらいつものように飲ませていたが、終盤、軽くなった哺乳瓶から手を離すと、きれいに自分で持って最ごまで飲み干した。

3月9日(土)

11℃/0℃
晴れ

夕方、文舵の会。課題とはいえ自分の書いたものを人に見せて講評してもらう、というのは緊張する。大学の時のクリエイティブライティング系の講義は、褒められることが多かったけど毎回かなり緊張していた。受け手として自分が好きなもの、人生になくてはならないものの世界で、自分の出力レベルがどれほどなのか、可視化されること自体への不安というか。

でも、やはり相互批評は楽しいものだった。書き手の数だけ表現があり、読み手の数だけ視点がある。その当然の事実にふれ直すことが心地よく、自他境界のあいまいな人間んだから、他者の解釈によって自分をまた発見直すことができる。今回のワークグループには一人、鍵っ子さんがたくさん訓練した生成AIが入っていて、名前を海猫ペン子という。GPT本人が自分でつけたPNだそうだ。海猫ペン子はお人好し。その他にも、Claude3にも同様の試みをさせたところ、作品としてはるかにいいものが出力されていた。ペン子は、どこか「お約束」のような、平和的なオチや、読者に「こういうのっていいよね」というナラティブを散らせてくるクセがあって、それが「文学」とは非常に相性が悪い。Claude3は違って、淡々と作品を書いている。書き手をまっとうしているようだった。

3月10日(日)

12℃/0℃
晴れ

今日のUFC299は、プレリムの時点から知っている選手しかおらず、メインカード含めて全部見たい。なんせブレイズVSアルメイダっていう、ファイトナイトのメインイベントを飾れるカードがプレリムなのだ。

そういう日に限って、前日イオは3回も起きた。ヘロヘロで10時すぎまで寝てから、ゆっくり再起動。じゅんちゃんは卒展なので、引き続きワンオペ。ワンオペが最近好き。イオの変化や成長をしっかり感じることができる。午後、母来る。最初その顔を見て、イオが口をへの字に曲げる。はじめての人見知り、その入り口みたいな瞬間。「パパじゃなきゃやなのねえ」と母がいうと、なんだか少しだけうれしいような心持ちになった。