武田俊

2018.7.29

日曜日からはじめよう

我々は、月曜日が苦手らしい。

ブルーマンデーでも、サザエさんシンドロームでも例はなんでもいい。少なくともこの印象的なネーミングの2つの例は、国籍を問わずぼくたちが、週が開けることを恐れながら、そこから目を背けるようにしながら週末を過ごしていることの証だ。その憂鬱はいつからやってくるのか。ある人は日曜日の夕方からだといい、またある人は土曜日。どこか遊びにでかけたその帰り道あたりから始まるのだという。

ぼくがこれまで出会った中で、もっとも重症なサザエさんシンドロームの罹患者は、新卒から大手ゼネコンで働いているある友人だ。彼はその週の仕事を終えた金曜の夜、同僚や上司から誘われる飲み会から、様々な言い訳を駆使してなんとか逃れる。そしてまだ混み始める前の電車に飛び乗り、自宅の最寄り駅そばの小さな歓楽街にある、行きつけの小料理屋に足を運ぶ。初夏ならまだ日は沈みきっていない、そんな時間帯だ。

古くは町の天ぷら屋だったというその店カウンターは、かつて大量の油を使っていた業態にも関わらず、驚くほど清潔だ。当時の店主の几帳面さを引き継いで磨かれたその一枚板のカウンターが、凛とした佇まいで彼を出迎える。その中ではひとりの女がぼんやりと座っている。いったい何歳くらいなのか、三十代後半にも五十代にも見える面長の女将は、その日の仕込みを終えて、壁にかけられている古い時計をぼうっと眺めながらその日の客を待っている。

ひとりきりのカウンター。そこで時々の旬材を使ってつくられた薄味のお惣菜で、瓶ビールをちびちびと飲み始めると、一週間分の疲労が指先と足先から徐々に空気中に抜けていく。疲労がアルコールと入れ替わったかのような開放感に包まれながら、彼は静かに飲む。
しかし、もう少し味の強い肴を頼み、ビールから日本酒に移行するあたりから様子が変わる。はて、先週も同じことをしていたのではないか。いやむしろ、先週どころではない。もうずっとこうしているし、またこうしていくのではないか。

独身時代と違って、土日全部を使って、自室でだらだら過ごすこともなくなった。週末の彼を外に連れ出すのは今年で3歳になる息子で、平日顔を合わせることがない分、父親の顔を忘れさせまいと、彼はそれに応える。

そして、また月曜がやってくる。そう思うと先程までの開放感は胸の奥の方に引っ込み、驚いてその引っ込んだ先を探すと、ちくりとまち針のようなものが刺さる。まち針が示すのは裁縫のためのルートだから、つまりそこには離れ離れになってしまった布がある。先週も同じ位置にまち針を刺したことを、彼は思い出す。本格的にほつれてはいけない。だから彼は、またまち針を刺し込み、毎週離れ離れになりかけそうになるなにかを、縫い合わせようと試みる。

「そういう気分で飲む酒って、なんだかつらそうだな」
ぼくは取材後に立ち寄った有楽町のガード下にあるもつ焼き屋で、数年ぶりに再開した彼にいった。
「そう思うだろ? それがさ、そうでもないんだよ」
彼は到着したばかりのもつ煮をかき混ぜ、その中から器用にこんにゃくを拾いあげながら話を続けた。
「そうやってさ、一人で日本酒飲みながら考えるわけだ。幸せって、ひょっとしたらこういうものなんじゃないかって。いやわかってるよ。若い父親のやせ我慢なんだろうな。でも、そういうものにこそ憧れてたのかもしれない、ってさ」

ぼくはどう返したものか迷って「なんだよ、かっこいいじゃないか」と答えた。それはほんとうに心から得た感情だった。けれど迷ってしまったのは、そう話しながらこちらに目線を送った彼の焦点が、あいまいだったからだ。ほんのり狂気を帯びたその視線は魅力的で、はなからぼくを貫通してその先にある月曜のしっぽをとらえていた。
「まあ、自由業者で子どものいないお前にはわからないかもなあ」

こういうことを乾いた風に乗せるように嫌味なく話せるところが、ぼくは好きだったなと思い出し、だからこそ「いや、おれも月曜の朝はきついんだ」とはいえなくて、次の言葉を探るようにテーブルに視線をさまよわせた。互いのグラスが空きかけていたから「そうかもなあ。まあ、今日はもう少し飲めよ」とホッピーのナカを追加で注文した。ぼくたちの間で変わっていないのは、学生時代からのこういう飲み方だけなのかもしれなかった。

自由業者であるところのぼくは、同業の仲間たちとハードに飲むことが多かったから、彼とぼくの間でいいバランスを保っていたそれぞれのアルコール分解能力は、この数年で大きく均衡を崩していた。千鳥足で駅へと向かう彼に「またじきに飲もうな」と声をかけ、ぼくははてどうするか、と思い悩んだ。時刻は二〇時に達するかどうかというところで、普段ならまだ飲みはじめてすらいない。とりあえず銀座方面に足を進めることにした。

やっぱりあの焦点の合わない目のことが気になった。同じ大学の同じ学科に通っていたころの彼は、あんな目はしなかった。というより、むしろ狂気に憧れるくらい健康的で没個性的なやつだった。ぼくはそういう彼のことが好きだったのだ。「あいつの文章は天才的だよ」「あいつのギターソロって、本当に素晴らしいよな」と他人の技術に対して素直に喜びを得ることのできる能力を持つ彼に、当時濁った目をしたサイドにいたぼくらは何度となく救われ、彼みたいなやつが気分のいい大人になる世の中であってほしい、と願っていた。それがいったいどうしたっていうのか。

気がつくと、閉店間際の伊東屋の前にいた。ぼんやりと光る室内灯が心地よく、中に足を踏み入れた。何か買うものはないか、と考えた時、今年は4月はじまりの手帳をまだ買っていないことを思い出した。

普段はそんな選び方はしない。一年使う手帳なのだから、いつも決まった銘柄のものか、新調するならば入念に事前リサーチをしてから売り場に行くのがぼくのやり方だった。入念に調べすぎて買うことを断念する年すらあったが、そのやり方でないと新しいものを買うことができない。けれど、その時ひょいとそのダークブラウンの革張りの手帳を引っ張り上げられたのは、それが日曜はじまりだったからだ。

彼が金曜からすでにウィークデイの呪いにとらわれていたのは、週末に家族と出かけなくてはならないから、ではなかったはずだ。むしろ彼はそれを幸せに感じているのだ。では、なぜかあの目になるか。きっとそれは、世界が轟音を立てて再起動を図る月曜の朝に巻き込まれ、強制的に自らをも再起動させられている、というその感覚によっていたのではなかったか。

だとしたら。

ぼくはその思いつきに心を踊らせながら、迷わずレジに走った。閉店の準備を進めながらレジ打ちを行うスタッフの前に、その日最後の客たちが数名先に並んでいる。

月曜の呪いから逃れること。そのために、新しい週を日曜日からはじめればいいのではないか。世界との関わりを再度つなぎあわせるタイミングを日曜日の朝に設定し、新しい関わり方のリズムをつくることができれば、あんな目をする必要はなくなるのではないか。その時、家族との外出は、呪われた日の前日のものではなく、もっと特別で、再現性のない、まったく生まれたての一日になるのではないか。

「ご自宅用ですか」という問いかけに「贈りものなんです」と答えると、スタッフは小さなため息をついて、承知しましたといいながら手早く包装紙で手帳をくるんだ。

これは彼に贈ろう。そしてこの思いつきを、自分の生活にも取り込もうと思った。なんだかこのアイディアは、自分ひとりを救うだけのものではない気がして、それがとてもうれしかった。今日は金曜日。このあとまたどこかで飲むだろう。けれど来週という一週間は、日曜日からはじめよう。そう思ってぼくは手帳を右脇に抱え、銀座線に乗って西へ向かった。