武田俊

2021.8.25

空中日記#52|いなくなってしまった人たちに

7月31日(土)

朝、M.E.A.R.L.記事の編集と公開。グッと来る形にまとめられたので色んな人に読んでもらいたい気持ち。クリエイティブを任せてもらえてる媒体だと、編集を担当した記事についてはリードに力が入る気がする。どんなスタンスで記事をつくったのか、この記事をどんなムードで読んでほしいのか。その精神状態をセットアップさせるための、メタデータとしてのテキストがリードなんだろう。イントロダクションであることは機能。重要なのはマインドセットのインストールな気がする。

昨日、もしもし文化センターのおしゃべり会で盛り上がった、次月のおしゃべりのための課題映画の中から、土日でもそこまで混んでなさそうだった『サイコ・ゴアマン』のチケットを予約する。
でもなんか億劫になってしまって、行けず。結果として寄付に。

柔術は腰と四頭筋の痛みが抜けないのでオフにして、ジムに行く。下半身。あきらさんに相談してフリーウェイトのスクワットはよして、マシンでレッグプレスを中心に、レッグエクステンション、レッグカール。マシンなので最大負荷ではなく、20RMほどで。そのあとエルゴとエアロバイク。ひささびのエルゴはきつかった。休日のジムはほんとうのマッチョがたくさん。フィジークの選手みたいな感じ。

帰宅、入れ替わりでじゅんこがパーソナルに。あきらさんに通っているジムの設備を伝えて、じゅんこのメニューづくりに活かしてもらう。循環だ。

夜はキムチ鍋に鶏ハムとキムチを追加。これでじゅうぶんという気持ち。
夜、たかくらと久々にゲーム。steamでリリースされたばかりの『The Ascent』をプレイしてみる。突発的に配信もした。

これはクォータービューのRPGでサイバーパンク的な世界観が特徴。ハクスラ的な要素もあるのかな? 一番魅力的なのは最大4名のCOOPがあること。で、やってみてびっくり。まずこの手のゲームとしてはグラフィックが驚くほどに美麗。レイトレーシングの恩恵なのか。そしてマップの広大さにも驚く。これでほんとに3000円台でいいんだろうか……。ナラティブは英語直訳な感じも目立つけれど、会話部分は比較的ましな感じ。

最近では『バイオミュータント』がナラティブ面での大失敗として思いつくけれど、あれはローカライズだけでなくそもそものストーリテリングの手法に無理があった。というのも、登場人物が語るのではなく、自己紹介も特にしてこない語り手が「○○は○○と言っているようだ」と伝聞形式で状況を伝えてくるところ。これはね、もう完全に興ざめだし、その上でローカライズがうまく言っていないので、謎の日本語を伝聞で聞き続けるという苦行にも似た時間が支配しているわけだ……。

2時間弱遊んで、大満足。この世界を支配する固有名詞がなかなか説明されにくいので、あとで「日誌」などひもといて味わっていこうと思う。

 

8月2日(月)

体調おかしくあきらさんに相談。オーバートレーニング症候群の可能性ありとのことで、トレーニングは3日ほどお休みに。
立ちくらみが連続して廊下で立ち尽くしたりした。
午前にmtg、午後に作業とmtgを終えるともうダメで、その後の予定をキャンセル。こういう時にすぐ眠れるといいのだけど、昼寝が下手なのでダメ。
オンプラは往復ともタクシーで。カフェイン入れて、喋ってる間はなんとかなった。帰ってばたりと倒れ込む。

 

8月6日(金)

前の晩にドラゴンズの木下の訃報を聞き、ダウン。なんだって彼にばっかりこんな辛いことが続くのだと思うと眠れない。じゅんこを起こしてしまう。なんども「5年でも10年でもぼくの寿命を分けてほしい」と言い続けてしまう。CBDグミ、25ミリ含有のものを2つ食べて、背中をさすってもらいながら眠った。

久々に起きて灰色。とてもじゃないがジムには行けない。こんな状態でウェイトで追い込んだら間違いなく潰されてしまうだろう。幸いにも仕事の対外的な予定は18時からのイベントだけなので、心置きなく「しぬ」ことにする。鬱というのは生きていくためのエネルギーの枯渇、あるいは脳によるバグのことだから、暫定的な死だ、というのがここ数年の闘病の中での自分の感覚だ。

ワクチンのこと、コロナのこと、柔術のことについてずっと考えていた。
ここまで減量は順調に来ている。テクニックも、まず試合に出るにあたってのプランは自分の中で固まってきた。でもこの感染者が増え、中等症では入院もままならない状態で、ワクチンを打ててない丸腰の状態で見ず知らずの人たちと組み合うっていうのは、やっぱりリスキーなんじゃないか。いや、でもここまで仕上げてきたんだぜ、という間で逡巡…。
ふたりのあきらさん、に、それぞれ相談。ひとりからは「どちらを選択しても武田さんを変わらずサポートしますよ!」と来て、もうひとりからは「こればっかりは個人の価値観に依存しますが──」とことわりを入れた上で丁寧に自分の考えを聞かせてくれる。どちらのあきらさんもそれぞれのスタイルにマッチした言葉で関わってくれていて、ぼくはふたりのことが本当に大好きなんだな、と感動する。

自分が罹患するのはまだいい。それで迷惑をかけたり、人に心配かけたり、悲しませたりするのが嫌だ。取れる手立てを取り切れないまま、最悪のケースに進んだ場合、この未だよくわからない病に絡め取られて亡くなっていった人とその遺族たちに申し訳が立たない、と思う。人類を先に進める、というと大げさかもしれなけれど、望んだ治療を受けられないまま亡くなった人の無念は、そういうところに向くんじゃないかなと思うのだった。聞こえない死者の声を聞く、想像する。それは自分の仕事のひとつだろうと。

それでエントリーしたものの、欠場することを決めた。初めての格闘技、初めての本格的減量、初めてのパーソナルトレーニング、初めての大会出場。初めてだらけの記念すべき日になるはずだったけど、それを自らの手で折ることにした。仕方ない。後悔し無念に申し訳ない気持ちを感じるより、よほど清々しい決断だとあとで思える日が来ることを祈る。

ふたりのあきらさんに報告もした。でもでも、やはり悔しい気持ちが残る。ワクチンをもっと早く打てていれば、と思う。ただこんな趣味でやっている競技でこれほど悔しいのだから、このオリンピックにかけていたあらゆるアスリートたちは、もっと様々で複雑な悔しさを抱えながら出場している、あるいは出場できなかったのだろうな、と思う。あるいは亡くなってしまった木下は、その家族たちは、いったいどんな気持ちだったのだろうかと思う。

柔術をはじめて一番うれしかったのは、ずっと憧れていた格闘技史の枝の末端のはしっこに今ぼくが参加した、という実感だった。パーソナルトレーニングをはじめて一番うれしかったのは、あきらさんがぼくを含めて「ぼくら競技選手は」とWeで覆ってくれたことだった。ぼくは末端の趣味の、しかし出来る限り本気で取り組んでいるひとりの競技者、アマチュアアスリートとして、彼らのことをこれまでよりも親しい震度で想像できるようになった。想像ができる、ということは拙くとも言葉にできるということだ。それはぼくの人生の仕事のひとつだろう。たぶん今、瞬間的にぼくはそのために生きている。

夜、久しぶりにNetflixを立ち上げて『グリーンブック』を見る。とてもいい映画だった。以下感想メモ。

まず脚本がすばらしかった!
NYだから存在できる都会の上流階級の黒人のドク、都会だからマイノリティコミュニティがあってやっていけている低層階旧のトニー
人種と階層という2つの差別構造が、時に重なり時に離れる。公転周期の違いのように距離が変化する2人の友情関係。そのそのスパイラルを描いた脚本がすばらしい。
ドクの教養ベースの知性(手紙の書き方、マナー)、トニーのストリートワイズ(ケンタッキーの骨の捨て方、警官の買収、店での振る舞い)を交換し合うことのよろこび
それぞれのクセ、こだわりがみえる何気ないシーン
シリアスとユーモア、緊張と緩和
自分が何者かを知っているトニーと、何者かわからないドク
黒人でもない、白人でもない、男でもない私は何者なんだ、というセリフの痛切さ
音楽だから、つながりあえた、ということもあるのだろう
終盤のホテルのバーの片隅で、音楽について語り合うふたり
粗野な人間がでも素朴なことばで真理を得たアドバイスをする、というのは普遍的ないいシーンだ

寝る前、保坂和志『小説の自由』を再読。カポーティ『冷血』の話。そうだ、『冷血』なぜか読んでいなくて、買っておいたのだった。明日から読もうと思う。
滝口悠生『長い一日』は今日は読めず。大切に少しずつ小分けにして読むのにぴったりの作品だから、それでいいかな、と思う。

 

8月7日(土)

朝、まだ灰色。ジムは行けず。急ピッチでの減量は一時ストップなので、摂取カロリーを1200から1700に上げた。PFCバランス(P:150g、F:45g、C:180g)を自分でつくってみてあきらさんに送ると「完璧ですね!」とのことでうれしい。

1日で500kcal増やせるというのは、これは画期的なことでデザートっぽいものを食べることもできるし、おやつも考えれ食べられる! と思うとすごく幸せな気分。朝はいつかこういう日のために買っておいた、有機のグラノーラをプロテインヨーグルトに入れてみる。クリスピーな食感というのは脳の快楽に直結するものだけれど、その食感を実現するためには多くの場合たくさんの油脂が使われていて叶わなかった。でも今なら食べられる! ココナッツと小さなチョコの入ったグラノーラ。びびりながら食べる。とてもおいしい…。30gで150kcalなので、これならビビらずに食べてもいいな。

柔術田町クラスは見送り。ワクチン完了までは、限りある人とだけ深く関わるのがいいかなと思う。明日のスパーは行こう。

昼、コンビニで冷やし担々麺。これも今なら気をつけながら食べられる感じ。昨日精神力をフルで使ったせいか、疲労が抜けず苦手な昼寝にトライ。難なく眠れた。やはり参っているんだろうなと思う。

カポーティ『冷血』。取材で得た情報が丹念に記されていく。2つのシーンが交互に描かれる。静かで、でも淡々とした怖さがある。『オーバーヒート』について、つまり自著について千葉さんが語る時、この作品をオートフィクションと呼んでいた。事実をもとにしたフィクションや小説にはいくつかの呼び名があって、私小説やノンフィクションノヴェルなどが一般的だけれど、オートフィクションはぼくにはあまり馴染みのないものだ。

それで調べてみた。autoは英語ではなくギリシア語のそれで自分自身の意。wikiレベルでそれがわかる。じゃあ書き手は? と思ってざっとみると、ウエルベック、ジョルジュ・ペレック、マルグリット・デュラスなどの名が並び、あー、と思う。他にもプルーストや、ヘンリー・ミラーの名も。その中に、前から気になっていながら読めていなかったフィリップ・フォレストを発見し、2冊注文。金原ひとみがその名も『オートフィクション』という作品を過去に書いていたことも知り、これも頼んだ。

鶏ハムづくり。今日はホタテのスープで煮てみる。

ジム、上半身。ダンベルプレスもやる。ベンチ45kで10RM回せるようになってきた。今日からクレアチンを投入。

夜、サラダ、鶏ハム、しゅうまい。しゅうまいはやっと食べられるようになったもの、小さなやつを5個食べた。サラダはひよこ豆、ピクルスを乗せた。

野球、金メダルおめでとう。森下、伊藤、栗林。若いピッチャーたち(そのうちの二人はなんと新人!)が、この時期にこの国際舞台で金メダルを手にした経験は、今後のキャリアの中でどんなふうに生きていくのだろうかと思う。すごくすごく大切なひとつの達成だろうと思う。

寝る前、栄養学の勉強。『冷血』少し読む。寝る前に読むものではない。