武田俊

2021.3.15

空中日記 #41|ここぞとばかり愛を伝える

3月1日(月)

身体は全然もどっていなくって、今日唯一のMTGだった夕方のものをキャンセルさせてもらう。今日の自分の仕事は、何事もなくただオンプラの放送をいつも通り行い、こなすことなのだと言い聞かせる。
「休むのって仕事なんだよ」
といってくれたのはいつかのじゅんこで、彼女と暮らしはじめて最初にぼくが倒れたころにその言葉を耳にした時には
「そうか、ありがとう(ケッ、そんなぬるい話聞きたくないぜ……)」
なんて思っていたけれど、今はたしかに休息は仕事のうちだって思う。休むって文字面にネガティブなものを見出してしまうのはおそらく部活のせいで、だからチャージだって思うことにした。
イメージはロックマンがチャージショットのために溜めている感じ。あのシュワシュワという効果音とともに明滅しはじめるオーラ。今、あの状態にいるんだと思うと、休むのが頼もしい時間に感じられる。

それでも決断をしなければならないことがあった。
ベッドのヘッドボードに体重を預けながら、MacBookを膝の上でひらく。
そして土日の間じゅう考えていた言葉をタイプした。心は前回意識混濁するように倒れ込んだ4年前の冬のことを思い出していた。

びっくりするくらい急な勢いで焦燥感とアパシーが交互に訪れて、その無限にも思われるシャトルランのような時間が続くと、目の前には次第に見覚えのある辺り一面にコールタールが敷き詰められたような粘り気のある漆黒の空間が広がっていく。
やがて少し上方から、顔の見えない老人たちの行っている会議が漏れ聞こえてくる。
その声は次第にぼく自身に向けられる。静かな、しかし力強い意志に裏付けされたような確からしさで、様々な言い方でぼくが生きることを否定する。それが、ずっと続く。
自分の無力さを呪いながら嗚咽まじりになって、声をあげることも、何かを考えることも、いやそれどころか何もかもできなくなる──という4年前の悪夢のような体験が、そっくりそのまま今回も訪れてしまったのだった。

4年前、幸か不幸かラピッドサイクラーであることが、ぼく自身を悩ませた。そしてそれは今回も同様だった。
数日経って少し症状が落ち着くと、その時の辛さはどういうわけか具体的に思い出せないようなものに変わってしまっているのだった。それはまるで、恋人とつきあいはじめた時のような、世界がまるで自分たちを祝福するために存在しているような幸福感を、しばらく経つと心の中でもうまく再生できない時の感じに似ている。

実は、ぼくは辛くなかったんじゃないかしら。すぐ大げさに感じてしまう性格のせいなんじゃないかな? もう少し根性を出してがんばれば、また乗り越えられるんじゃない?
そう信じたい気持ちはとってもよくわかるよ。
でもそれは全部勘違いなんだ。
心が身体ごと機能を失うくらいダメージを受けてしまったこと、つまり象徴的に「死」んだことは思い出せても、君がその痛みを思い出せないのは、それがある種の機能だからだ。
君が、ほんとうに死んでしまうことのないように、身体はなんとかその機能を獲得し、今そのスキルが発揮されているだけなんだ。
だから、大人しく、もうこれ以上そこでストラグルすることはやめて、どうか身を引いてほしい。
君はもう、とっくに一度死んでいるんだよ。

そう言い聞かせて、ぼくは長いメールをタイプした。
失礼な言い方になっていないか。その上で伝えたいことは、漏れなく書きこめているか。
識字能力がまだ回復していなから、その編集と校正には不安が残った。
3時間ほどかけてなんとか書き上げて、エイヤっと送稿し、倒れ込みながらタクシーをアプリで手配した。

オンプラ、ゲストはMimeのひかりさん。新しいアルバム『Yin Yang』は、陰陽を表すことばだそう。オリエンタルな語感もあり素敵に思う。シングルカットされている『Headlight』をもうこの数週間ずっと聞いていたから、ここぞとばかり愛を伝える。話すたびに楽曲が頭の中を追送し続けて、歌の中で二人で話している感じがする。

ひかりさんに声をほめられる。
声をほめられることはこの仕事を始めた最初のうちこそうれしかったが、なんだか次第に表象としての自分を消費されている感じがして落ち着かなかった。それは心もとなさに似ていた。ほめるなら話の運びやファシリテーション能力をほめてしかった。
でも考えてみれば、その力を乗せて届けるビークルが声なわけで、それは思えばメディアだった。だから人は話されたことを含めて、きっと声をほめる。

3月2日(火)

今日こそは完全のオフにしてしまうぞ、と思った。
では何でこの日を埋めてしまおうか。リトマス試験紙のように手元にあった本(川上弘美の『東京日記』の2。このシリーズはさっと読めるし、いつ読んだっていいものだからすべてカウンターキッチン下の「いつよんでも楽しい生活の本」コーナーに置いている)をひらいてみると、読めさえするが曖昧だった。まだ識字能力が回復していないのだ。
ならばゲームだ、と思って『UFC4』でオンライン対戦をしてみると過剰に自分の攻撃性が高まってしまうのか、普段なら測れる相手との距離感を見失いランク下の相手に無残な負け方をしてしまう。これも違う。

なんだかちまちまとやるものがいいな、と思って先週そういえば買っていたSwitchの『牧場物語』をちょっと進める。畑を拡張し水をやり、その間に最短経路で鉱山に入って採掘を行い、残りの体力とのバランスを鑑みて適宜食事を摂る──。
これも、ちょっとよくなさそう。過剰に効率主義的な頭になってしまって、運用を滞りなく行うことにエネルギーを全振りしてしまう。

新見、たかくら、ませのLINEグループに状況をお知らせして
「なにかローグライクとかでおすすめある?」
と聞くと色々帰ってきてそれを調べているだけで2時間近く経つ。
そもそもひたすら自動生成されるダンジョンに潜り込み、レベルを上げアイテムを獲得する。死んでしまった場合はアイテムもレベルもすべて失って、元の拠点に強制帰還させられるっていうローグライク型のゲームがぼくは昔から苦手だった。恐れていたといってもいい。費やした時間を証明する成果が失われるということへの畏怖。

「でも、ローグライクは死を繰り返すっていうゲームでしかできない体験でもって描かれる稀有な物語形式なんだよ」

唐突に新見が言う。
おうおうおう、いいこと言うなあ。じゃあやろう。どうせやるならオーセンティックなものを、と思って年末にこれまたSwitchで出たばかりの『風来のシレン5+』というのを買ってみる。ダウンロード販売は調子の悪い人間にとって、ほんとうに助かる。

きめ細やかなドットで描かれる和な世界が美しくって、これは『川のぬしづり』シリーズで体験した懐かしい日本的なドットだって思う。小学生の時に多田ちゃんの家に通って、そこで頭の中心が痛くなるまでプレイした、その時間の中で触れた「大自然」の手触りが蘇る。記憶の中のつくられた自然の美しさにつながって、それがうれしい気持ちを思い出させる。
序盤こそいいものの、しばらくストーリーが進むと慣れない手つきからムダにシレンを殺してしまう。シレンに与えられる無用の試練。それが繰り返されて、しぬ。
少しずつコツがわかるたびにダンジョンの先に(本作では塔の上、より人間界から離れた場所へ)進むことができるが、さらなる難所が待ち受けていて、しぬ。

死ぬたびにシレンはそれまで大切に集めたアイテムと、泣けなしの金で鍛えてきた装備を全て失う。レベルも1に戻ってしまって、序盤のステージのスライムのような扱いの雑魚キャラ(しかしもふもふとしていて少しかわいい)たちに担がれて、拠点となる町に強制的に送還されてしまう。ここにただ時間だけを溶かしてしまった、という絶望があるが、新見が言っていたように、しかし「次回はこうしたらいいんじゃないか?」っていう泣けなしの知識がプレイヤーには残される。

これは──躁鬱に似ているって思った。
実感を込めて、強くハッとするようにしてとらえた。手元の画面の中では、まだシレンが立ち上がっていない。
なんども擬似的な死を繰り返して、そのたびに少しだけ対策を打てるように知識を持ち帰って生き返る。それでまた冒険に出て──また少し進んだ先で死んで……。それを(一時的には寛解し得たとしても)人生のあいだじゅう繰り返すようにして過ごしていくというのが、躁鬱者、もとい双極性障害を生きるということのある意味では本質だ。
でも、プレイヤーでありながら主人公であるぼくたちは、蓄積された知識をそのままに、次のターンに引き継ぐことができる。装備だって失われることはない。つまりこれはいわゆる、*[強くてニューゲーム]*ってやつだ。

でも一つだけ、『風来のシレン』やローグライクと躁鬱が違うことがある。
ぼくたちの象徴的な「死」は毎回個別具体的な絶望がトリガーになっていて、だからいつもその隣で、プラクティカルな死がこっちを覗いているっていうことだ。

3月3日(水)

Twitterで誰かが、ひな祭りのことを「シスターフッドの日」と呼んでいて、喝采したい気持ちになった。

夜、久しぶりの柔術。9回目トータル1080分となった。

 

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3週空いたら、少しだけ身につき始めていた「柔術感」みたいなものが、ごっそり抜けていて大変だった。体力の運用もわからなくなり、4本目のスパー終わりに吐きそうになった。なんとかチャリで帰還して、家でちょっとだけ吐きながら、楽しいなあ、めちゃくちゃ生きているわ、って思う。

3月6日(土)

雨かもしれないって予報が外れて、午後から晴れ始める。最高気温21度。
リスタートしはじめた本のために、はじめて東京で暮らした町をひたすらに歩いて見ようと思って、まず沼袋に出かける。黄色い電車の止まるのんびりした町は、雰囲気はそのままに、しかし区画が少しずつ変わっている。

住んでいたころから再開発反対運動も起こっていた平和の森公園は、鬱蒼としていた木立がばっさりと刈り取られて、キリンレモンスポーツセンターという施設が誕生していた。調べてみたら(中野区立総合体育館)と書かれていた。

麺彩房のつけめんは、変わっていなかった。
でも机の上には衝立があって、誰か友達が「すべてのラーメン屋はコロナによって一蘭化した」って言っていたのが思い出された。ここのつけめんは、多くのラーメン屋のつけめんがそうであるように、麺の量を無料で増やすことができる。並が200、中盛が300、大盛りが400グラムで住んでいた19、20歳のころのぼくはにこにこ顔で大盛りを頼み、それをさらっと食べ終え、そのまま向かいのLIFEに入って何かお菓子を買って自分の室に戻っていたはずだった。

卒業して何年かして懐かしくなって食べに来たときは、中盛がもはや限界だった。
だから今日、どの量を頼んだらいいのかわからない。いやわからなくなるだろうなって、前日の夜ベッドの中で思ったから、寝る前にiPhoneで「つけめん、量、選び方」といった具合で、なんとも頼りないほどダサい検索ワードを入力して調べていたのだった。
到達した一つのサイトに、なるほど、とも、いやそりゃそうだろとも思うことが書かれていた。

「並か中盛で迷ったら、並にしましょう。それで食べたりないかもしれない場合は、煮玉子をトッピングするのがおすすめです。100グラムの麺よりも、煮玉子のほうが食べやすいですよ!」

それでも現場では迷いが生じた。
なんたってここの麺は、本業の製麺所で打たれたとくべつなものだからだ。
その麺が、氷水でぴしっと〆られたあとには、ただただなめらかな光を反射する美しい線状のものに変化することを、そしてその喉ごしが素晴らしいことをぼくは知っている。だからそんな素晴らしいものを無料で増量してくださるなんて! と思うも、大人しく並にして煮玉子をつけた。

そこからひたすら歩く。
新井薬師の商店街は、ただしいまちの商店街としてあった。空気の中の水分が増えてきていて、それがゆるく感じる。雲間から時たま光が降ってきて、そのゆるまった空気をきらきらと光らせていて、そういう生活の場が照らされている状態をいいなあと思う。

あおい書店に行こうと思ったら、そこはブックファーストになっていた。それでも書棚のあいだを身体にまかせて回遊していると、徐々に自分と棚の座標の関係があきらかになっていて、ぼくが住んでいた時とほぼ同じ位置に同じロジックで本が陳列されていることがわかった。2Fのエスカレーター脇に並ぶ棚──そこは書店員が独自に並べている──を気に入っていて、そこで深沢七郎の『生きているのはひまつぶし』を買ったのだった。
漆黒の表紙に、特色のビビットなピンク色の2色刷りで、にんまりとした顔で笑う深沢が、形のいい女性の乳房をあらわにしてこっちを向いている写真がプリントされていたそれを、19歳のぼくはどんな気持ちで手にとったのだろう。この棚では確か大西巨人の『縮図・インコ道理教』も買ったはずだ。人文棚もとってもすばらしく、ここでニューアカの続き、のような著者たちの本をたくさん立ち読みした。人文書はひとつひとつだから長時間吟味して、とびきり、と思えるものを自宅に持ち帰っていた。
ばーっと棚を流して、文庫になっていた江國香織『物語のなかとそと』を買った。

ブロードウェイに並走している飲み屋街は、テナントの一部は入れ替わっているものの、雰囲気はそのままだった。一歩一歩進めるたびに地面から思い出が立ち上ってくる。そして足の裏から徐々に鼻先の方へ、その具体的な記憶が循環するように身体の中をまわりはじめて、次第にぼくは2005年の中野のまちの中に溶けこんでいくようだった。ここにいるのに、ここにはいない。それが散歩のおもしろさで、16年の時を越えて、自分の実態があっちとこっちにパラレルに存在している感じ。視線だけは常にあたりをさまよっていて、そこには今ここを生きる人たちの一つのコロナ禍での春の休日の形がある。

第二力酒蔵が営業をしていて、何かの本に掲載されていたこの店のクォータービューで描かれた箱庭的な内装をこのパラレルな身体でもって体験し直してみたいと思ったが、あいにくつけ麺が消化されていない。名酒場で肴をまともに頼めないような状態で入店するのは、失礼だ。そう思って何度か入ったことのあるダイナーというか、ロックバーというか、そういう店に入ってみる。そこでハーパーのソーダ割、そのあとサザン・カンフォートをロックで。

散歩の楽しさは、やはり自分の輪郭があいまいになって、ここいながらここいないことだと思った。それを長時間繰り返していると、記憶の中と現実との間があいまいになって、次第に自分は町に溶け込み同化していく。そうして人々を眺めてみると、「みんなこの町に暮らしてくれてありがとう」という感謝の念がこみ上げてくる。ここで生きている人たち、みんなことを大好きのように思う。町として。
今よりももっと自分の体調も情緒について、理解もコントロールもできていなかった20代の頃。仲間たちとへべれけになってカラオケに行った時のことを思い出した。その日は大げさに騒いで歌うようなムードではなくって、ただひたすらみんな自分が好きな曲だけを選んで歌っていた。
いっときの気恥ずかしさと引き換えに、自分の好きな歌を召喚させ、自らの声帯の震えでもってその歌のよさについて語り合うようなカラオケがぼくは好きで、次第にみんなの歌の中に溶けていった。
自分の番が回って来た頃には、もうほぼぼくの実態はそこには存在していなくって、だからまわってきたマイクを手にしてこう言ったのだった。
「みんな今日はたくさん歌ってくれてありがとう! ぼく、実は歌なんだよ。歌そのものなんだ。だからみんながこんなにたくさん歌ってくれて、とってもうれしい」
一同は目をまるくさせて一瞬沈黙し、そのあと「武田今日完全にキてるなあ〜」と言って大いに笑った。

20時になって多くの店が閉まると、人々は駅前に集まっていた。そこで缶チューハイを空けて車座になってこれからの夜をどうするか話している若者たちがいた。かれらから、何か無茶をしたり、自暴自棄になって酔っ払ったり、その勢いでろくに知らない相手と寝たり、そのあとの朝なぜか楽しかったり、あるいはたいへんな後悔をしたり──どうかコロナよ、かれらからそういう時間をこれ以上奪ってくれるなと思った。
このまま電車で帰るのがいやで、東中野まで歩くことにする。身体はくたくたになっていて、あるきながら眠ることもできそうだった。本日の散歩、大成功、総計20000歩。

3月7日(日)

お天気よくない。
昨日は奇跡的な散歩びよりだったようだ。一日中寝て暮らす。