7月5日(木)
この日記をどうつけるか。朝なのか夜なのか。こまめにやるのか、一気に書き上げるのか。事実レベルはどうするか。推敲は行うのか。ルールがまるでないままはじまっているので、とりあえずは
・毎日ちょっとでもいいから書く
・トーンはそのときの気分で(きっと呼んでる本に左右される)
ということでやっていけるのではないか。
ただ今書いているのはいわば負債分なので、この日の日中のことが思い出せない。Googleカレンダーを見る限り、打ち合わせが3本ほどあって、自宅→代々木八幡→表参道→田町→代々木八幡→下北沢と移動していることがわかる。がんばっていたのだ。そして最後が下北沢だということを特定できて、その日の夜のことを思い出した。
編集者の先輩である安東さんがシンガポールから1週間ぶりに帰ってきたのはこの日の前日のことで、ふらっときたLINEにお返事をして、下北沢で夜落ち合うことにした。
「生のね、魚をこうくーっと食べたいものだ」
そう言っていたので、先についたぼくはにしんばを覗いた。しかし、長テーブルが並ぶ店内はいっぱいのようで、これは実に8回目くらいの嫌われ方だった。にしんば、一回も行ったことないなあと思い、ひとまずB&Bで落ち合うことにした。B&Bは都築響一さんのイベントをやっていて、ぼくはイベントをやっている時の書店が著しく苦手なのだけど(だってそれは、招かれざる客という気がするし、ともすれば無料で立ち聞きしてムフフとしているタイプの客だと捉えられる可能性があるからだ。いつだってどんな業態の店でだって、そちらの店員さんには「ああ、素敵なお客さんだ!」と思われていたいのだ)、がんばって書棚の間の回遊した。さも探している本がなかなか見当たらないんだよお、という雰囲気をできる限りのスタイルで醸し出しながら、何冊か本を抜き取った。
選ばれたのは平田俊子『スバらしきバス』というバスについてのエッセイ集で、幻戯書房から書き下ろしで出ている時点で、スバらしい本だということが理解できた。装丁がまたとてもよく、バスの行き先表示版をもしている表1を撫でるようにして、見返しあたりをみているとこの本も緒方修一による仕事だった。最近の緒方修一の仕事として最もぼくに知られているのは、fuzkue・阿久津さんの『読書の日記』でこれも最高だったし、マイオールベストタイムエッセイ集の座を長らく守り続けている平出隆『ウィリアム・ブレイクのバット』も彼の手によるものだった。平出隆は装丁家としても活躍する詩人であるから、この本の造本が素晴らしいことはさらに素晴らしいことなのだ。もうひとつ、スティーヴン・キング『書くことについて』の文庫本も手の中にあった。書くこと。この畏れ多くもぼくが再開させようと思っている営為について、何かしらの精神的補強をともなうリファレンスを必要としているようだった。そういえばバス、田中小実昌の『バスにのって』という本も、これは大変好きな書物のひとつだ。
というようなことをしていたら安東さんが来たので、にしんばはいっぱいなんですよ、いつ東京戻ったんですか? 昨日? じゃあ昨日の今日で、今日ですね、という会話をして行き先を失ったぼくらは、「生の魚をね……」ということを思い出して魚真に行った。22時近くになっていたけど、カウンターに通してもらえた。
お刺身の盛り合わせ、水なすの海老あんかけ、とうもろこしの素揚げ、何か菜のおひたしといったものを、仲良く鳥飼の水割りでいただくことにして、その時が来た。昨日の鶏肉とのやりとりを思い出して、また意識のすべての充当することによって、その魚が過ごした日々のイメージが去来するかどうかをぼくは確かめることにした。したのだが、自分も行ったことのあるシンガポールでの話を興味深く聞きはじめてしまったことと、にわとりに比べ魚はその活動領域が広いからか、あまりかの人生のメモリーが召喚されなかった。それでも魚たちは無垢で、ぜんぶが美味だった。魚真はえらい。この値段でこれができてえらい。安東さんはアジフライをいつもショー油でべちゃべちゃにして食べるのが好きで、この食べ方をぼくはいつも好ましく思って真似をしてきたが、今日はその手前に来ていた海老あんかけのなすのあんかけのあまりをまとわせることにした。大成功した。そうしてぼくたちは、いつものように、下北沢の母のもとへ出かけることした。
ビルを立て直すから年内でいったんおしまい、という話をして、ぼくはここに運ばれてきた4年ほど前の下北沢の生活のことを、またいつものように思い出した。アサリの入った煮物を出してもらって、それをハイボールで楽しんだ。たくさんの喜びと怒りについて笑いながら話し、終盤はその会話が歌のようになってしまった。店を出るともう2時を回っていて、すぐお隣のコインランドリーでは若者が洗濯をしているからその洗剤のにおいが鼻をくすぐったので、当てられた。
「1時間一本勝負ですかねえ」
といって、カラオケに行くことにした。1時間で終わるはずがない。
コート・ダジュールはいつの日か、持ち込み可能になっていたから、上海シャオツーみたいなもんですね、とゲラゲラ笑って黒霧島のボトルを持ち込んだ。1時間で終わるはずがない。このビルはもともとナタリーが入っていたところで、地下にはIBIZAという恐らく一生縁のないダイニングバーがあり、上にはカラオケのコート・ダジュールがあるから、地中海ってこと。ナタリーは今はでっかい岩盤浴になっている。
自分たちが人生で死にそうなくらい感情が昂ぶっていた時期の曲、をいくつか歌ったら朝になった。安東さんが歌った玉置浩二「メロディー」がずっと頭を離れないまま帰宅した。
なつかしいこの店のすみっこに置いてある
寄せ書きのはじのほうきみと書いたピースマーク
みんな集まって泣いて歌ってたね
あの頃はなにもなくて
それだって楽しくやったよ
メロディー いつのまに大切なものなくした玉置浩二「メロディー」より
突発性難聴になってしまった母親が「これを聴いていると耳鳴りがずいぶんましになって、寝られるの」と話していた曲のひとつだった。