武田俊

2018.8.7

空中日記 #019|出かけないか? 心が忙しないのなら

7月23日(月)

(早く記述が現在に追いつかない限り)
(終わってしまった日々を回顧して記述する限り)
(郷愁的なものになってしまうから)
(それは本望ではない)
(現在に読書は紐づく)

(それを書きたいので今回こそ早回しが必要だ)

と新幹線で思った。
名古屋出張、定期検診。片岡義男『去年の夏、ぼくが学んだこと』。
アピタで売っていたから買ってきた軟骨付きのバラ肉を、圧力鍋で煮てみたら、父親が「これはほんとうにうまいなあ」と4つも5つも食べた。
今までぼくが差し出した一皿の中で、もっとも彼に響いたものになった。

7月24日(火)

朝、母親の車を運転して、仕事を再開した彼女の職場まで送ると、
その足でぼくはコメダに向かった。
ひと仕事して、トキワバッティングセンターで5ゲーム。
母の仕事終わりに迎えに行って、そのまま名古屋駅にインし東京へ。
夕方、早稲田松竹でたかくらとフルーツ・チャン『メイド・イン・ホンコン』。
すべてのカットがすばらしく、しかし脚本は盛りだくさんすぎて、めちゃくちゃおしい作品だった。ミカド、木々屋。レバカツとレトロアーケード。
2018年の東京は、極東ではなく、東アジアだ。


7月25日(水)

心がせわしなく、常に変動する感情の中で倒れていた。

7月26日(木)

不思議なルートで蒲田に向かうことにした。
環八のバスにのり、田園調布。
そして、多摩川、からの蒲田。多摩川線ははじめてのった。好きな電車のひとつになった。

久々に涼やかな日になったので、『散歩の達人』の方と、とんかつさんと路上に張りでた席でいくつかのおばんざいと、ドイツソーセージで飲む。すてきな贈り物のやりとりが目の前でかわされ、そういうのは本当に最高だとなった。

オアシス。もんちゃん覚えてくれているのがうれしかった。たくさんの歌がゆきかい、その空間全体のためにまた個人の歌がいっときの気恥ずかしさとひきかえに、召喚されつづける数時間。うたたちよ。4年ほどまえ、ここではない場所で泥酔してカラオケをしたときに、ほとんどぼくは歌となり、歌としてその場にいた全員に感謝の気持ちを述べたことがあるが、その時の気分をいくぶんかマイルドにしたような状態になった。それは、本当に心地よい温度ではいった一番風呂のような感じだった。


7月27日(金)

本当に心地よい温度ではいった一番風呂が呼んだのは、夏風邪だった。
夏の風邪は冬のものに比べて、心淋しさがすくないのが救い。
日常の座標から死に近づくのが冬の風邪で、その彼岸でポジティブに生きている実感を取り戻すのが夏の風邪か。

7月28日(土)

今回、ドラマトゥルク的に携わることになった劇団・範宙遊泳の新作のリサーチのために山梨へ。たかくらとすぐるくんと。結局ぼくはこの2日間で車を運転することはなかった。他人が所有する車は、まあ、ね。でもゴルフ、運転してみたかった気もする。

旅程はぼくが組んだが、ぼくはこの町を知らない。他人の過ごした町をまったく知らないまま歩き回り、地のものを食べる日々は、しかし彼らは彼らで、自分たちの過ごした空間・時間をこうしてはじめて客観的に眺めることのできる時間のようだった。それはどんな感じだろうか。親しい友人と他人行儀のふりをしながら、遊んでいる感じだろうか。それとも、もっと学術的関心で故郷に触れるときのなにかだろうか。いずれにしても。いずれにしても、普通に日常生活を送っていたら到達のできない時間の束だ。

体調がすぐれない時、自室でいつも考えていることがある。
身体も頭も動かない時、ぼくはなんとか拡散する意識をまとめておくためにゲームをただ過集中でプレイしてやり過ごすという、謎の密教的秘技に習熟しているのだが、それをやっているとあっという間に10時間ほど経過したりしている。その10時間で何ができたか、と灰色の脳みそで考えてみても何も浮かばないのだが、実際こうして健康な状態で過ごす活動的な日々は、おどろくほど世の中には芳醇で濃密な時間軸が備えられていることが理解できる。それは、落ち着く。生きてない他人たちが編んだ時間の存在。

ただ車を走らせるだけでも、風景とかおりが流れていく中で、ぼくは意識の中で何度も生まれて死ぬ。流れていく感情の中に、生まれてはじめてキリンの赤ん坊が水面に触れた時の驚き、おののき、ときめきのようなものが潜んでいる。その発見の衝撃を、また次の風景がやわらく上書きしていくことは覚えているから、静かな感動を心の中に貯め、半分ほど開けた窓から入ってくる風を眺めている。

たいそう立派で近代的な中央図書館で、3人でL字型にテーブルを囲みながら大量の郷土史資料に目を通しているとき、そんなことばかりを思った。流れていく景色は実はページをめくる速度のことで、その瞬きのような行為の合間には人々の暮らしの形式が記されていた。本というのは、そういったものを紙面に定着させるためのメディアだという。そんな当たり前の定義として伝えられてきた事柄が、また生まれてはじめての感動として訪れたから、メモをとっていたミドリの無地ノートに記して文字として定着させた。ぼくは無地のノートしか使わないから、欄外というものがない。リサーチの結果とその走り書きを分けるフレームがないために、この日のできごとは、調べたものも気づいたことも感情も等しく本文として記述された。

それは、すべてが等しく本文として記述されたという点で、たぶん、小説に似ていた。

7月29日(日)

すばらしい収穫のあったリサーチツアーだといってよいだろう。
取材先でもらってきた桃があまりにおいしかったので(そして、桃という果実は恐ろしくファジーな存在だと思いしった)、できる限り最高なモッツァレラチーズを入手しようと思って小田急百貨店で入手し、ついでに伊東屋で追加の手帳とノートを買って帰った。

そしてはじめて、桃モッツァレラをつくった。
モッツァレラは味がなじみやすいよう、手でちぎった。
桃を切って並べ、エキストラヴァージンオリーブオイルと、デンマークのお塩と、ふつうの胡椒をした。レモンピールは忘れてきたが、素晴らしい代物となった。いったいこれはなんなんだ! この瑞々しさと、複雑な妙味。考えた人に勲章を、その人が負担に思わない程度に素晴らしい勲章を、あたえてほしい。