9月5日(水)
それから。
この夏をぼくは様々に過ごした。
それからというもの、
この夏をぼくは、夏が大好きな人や、早く冬が訪れることを心待ちにしている人たちと、過ごしましたとさ。
空中のみんなとキャンプに出かけました。ハイエースみたいななんちゃらキャビンというのを、ぼくは運転しました。帰り道はがんばって全行程をしましたら、その下道を選んだ帰り道に、甲州街道をあらいくんは100キロ近い速度で、セパハンの改造バイクで駆け抜けていきましたとさ。まるでクロールのような体勢で100キロ? え、しぬし。しぬ? しぬってどんな感じ? 命がかるい、とさ。あらいくん、しなないで。ビックマン詰め込んだエアーウォぉおおおたーーー癌は目に染みました。山の中でかばみたい、に、わらったら、けものがやってくるのか。そんなことはなく、川で糖分を洗い流しましたとさ。20分、いやもうすこしこれはトレッキングのそれでは、という道を降りていくのがへたでした。たかくらやおださんは、山の偏差値がもってしての高さでしたので、こわくない。下るときはつま先、というか母子球——あるいは中足——重心ということです。おわかりか。これが学びです。降りる前に登ったら名瀑飛瀑瀑布にたどりつき、滝は高さ15メートルほどから落ちていまして、上半身裸の我々8名は、自然と滝行をする。首折れます。すると叫び、みな、至りました。そしてなお、至りました。どこかすこし高いところに。高いけど気高くはない中空。空中。またかばみたいにわらったら、天狗のようなものになりますか?なりましたとさ。たち。たち?ジャック?タチ?あるいはぼく、たち、いつの日か、何かを焼いた、というだけではないキャンプの食事をすることを誓いたまえ。そのような休暇。旅は、脱臼。
■
この夏は少し夢みたいな時間で、それに慣れることができなかったから、怠惰を自分に許してみたら、恐らく10年ぶりくらいに過ごす休暇のような時間となった。夏休みというのは思えばそれが大好きで待ちわびていた少年時代、という記憶はぼくにはあまりなく、小学校の時の記憶では、それこそ友人たちと遊んだり、キャンプにも出かけたりそれなりのワンダフルだったように思うが、しかし中学そして高校となると、野球部での練習と壮絶な死のような時間で、ただやることだけがたくさんあり、毎日が筋肉痛の日々だった。毎日が筋肉痛の日々というのはでも、野球を続けていた高校の2年半の間の毎日が、全てそれであったこともまた記憶されていた。半年の受験勉強は、体が痛くないという点で健やかで、ぼくは恋愛をしていた。
そこに唐突にやってきた32歳の夏休みというものを、果たしてぼくはワンダフルにできたのかといえば、点としてはそうであり、面としてはそうではなかったのかもしれない。休みって、やらかい地獄。そういうイメージがあり、それならばそれならば、ぼくは穏やかな戦場の方がいい。日常は穏やかな戦場で、その休戦地として自宅とそこで過ごす時間があればいいような気がした。
日記ってなんだろう。
生きていく手応えって、なんだろう。
季節は流れていくから、そこで捉えた感触をその日そのままの形で定着して、きっとそれがいつか生きていくときのヨスガになるだろうから、未来への付箋として俺は置いておきたかったのだった。それを様々な人の愛する日記たちを目にした時に、彼らの過ごした過去の時間の美しさに思わず目がくらんでしまって、それに応えたい応えたいと思ってしまったから、必然的に記述する量が増えたことで、ぼく自身の日常が地すべりしてしまって、また2週間ほどの生きていったその手触りを過去の時間の中に隠してしまったというわけなのだろう。
緩やかで穏やかで他愛もない時間は美しく、しかし休みって、やらかい地獄。
それはどうももはや好ましくないようだから、穏やかな戦場のために、この空中日記の仕組みをつくることが急務だ。だからこうしてみることにする。
「日曜日からはじめよう」というエッセイを期せずして書いたのだから、そこでのアレをエッセンスにルールをつくる。
1.なんでもいい、メモでもいい。毎日残す。生き延びたログでよい。それで十分えらく、また魅力的である。
2.毎日更新しない。
3.推敲しない。
4.事実でなくたっていい。
5.日曜日に、1週間ぶんまとめてアップ。
6.月曜日に告知をする。
7.説明いらない、前段いらない、丁寧無用、通底した文体不要、箇条的事実歓迎、粗雑歓迎、誤字歓迎
今日のこと。
このところ広義のオープンワールド系のゲームの成り立ちや、UI、基本形についてずっと考えていたからか、様々な同ジャンルのゲームが混じった夢を見た。サンフランシスコ的な上り坂をぼくは歩いていて(『Watch dogs2』)、その移動速度の緩慢さに腹がったた。思ったより全然走る速度が遅い! そんな時ふと右スティックを回すように視線を移動させると、反対側の歩道脇に停まっていたマッスルカーに目がいった。幸い誰も乗っていなかったので、運転席側の窓ガラスを肘で叩き割りキーをいじくって(『GTA』シリーズ他)、エンジンをスタートさせ乗り込む。アクセルを一気に踏み込むと、車体がぐっと傾き、なぜかほぼ90度近い角度で上昇していく(このときだけ別のゲームのような物理エンジンが働き、それは昔のカーバトルアクション『ヴィジランテ8』の浮遊感だった。あるいは「セインツロウ」的なおばかオープンワールドのそれ。どちらもとっても好きだった)。大気圏を越えて上昇していくと(おそらく『No Man’s Sky』)いくつかの惑星が見つかり、手近なものをスキャンすると、比較的地球に近い環境を持ったそれだとわかる。上陸するかと近づいていくと、急にポップアップのようにネオン管で彩られた看板とホログラムのショーガールが浮かびあがる(たぶんここはティーザーで見た『サイバーパンク2077』の何か)。よく見ると看板はハングルで、立ち寄ってみたら韓国料理がたくさん並ぶマーケットのような町にたどりついた。都合よくドライブインのような仕様の店を見つけたので、ぼくは乗っていたダッチチャレンジャーのようなマッスルカーをそのフロントの前につける。カエルとなめくじを足して2で割らない! といった風貌のスタッフが窓から顔をのぞかせたので、運転席のドアの内側についているスイッチを押して、各銀河系の言語系統をもとに自動翻訳を行ってくれるAIユニットを立ち上げて注文をした。テイクアウトのチャイニーズを入れるようなボックスに入ったチャプチェは、少し甘酸っぱかった。
朝、なんか空いていたきのこの山。
昼、UFJ銀行で払いそびれていた国民健康保険を一括納付。去年の数倍近い金額にあわあわする。今年はあまり稼がないようにしたい。そのあと空中でMGS。ばきばきと2時間話し込む。何かが立ち上がっていく時の喜びとざわめきと。当意即妙で思考を展開すると、ぼくの前頭葉は活躍を取り戻すようだった。
夕方自宅で、遠隔まちづMTG。ざんっという感じで提案し、大体の記事の構成が固まる。これも当意即妙で脳が喜んだ。
夜、じゅんこと自宅でおすし。ゴーヤチャンプルウのあまり。
今月22日は三崎のミネさんとこでトークをするから、いしいしんじ『いしいしんじのごはん日記』再読。ぼくの空中日記は止まってしまった。でも、このくらいカジュアルに書けばよい! と思う。今日もメディア論。大人になってからの体系学習は、これまでのナレッジにシナプスがぱすぱす刺さってめちゃくちゃ健康的でよい。めっちゃおもろいやんけ、と思って、いつか教育に携わる日々のことを思う。