武田俊

2021.1.28

空中日記 #37|南雲さんとえーえん

1月11日(月)

「武田はさ、今年写真集つくりなよ。たくさん撮ってさ」

 そういうふうにとんかつさんに今年のキャッチボール初めの時に言われてから、できるだけ出かける時にカメラを持ち歩くようにしている。数を撮るとわかることというのは確かにあって、というか数を撮らないと何もわからない。その日の光量に合わせたISOの決め方とか、その時に自分が魅力に感じた光の量を、実際カメラに入れるときどの程度にするべきなのか、とか。
 ぼくが今使っているのはかれのお古のX100F。
 フジのフィルムシュミレーションが使える。いくつかの中からぼくはクラシッククロームを選んで、それを少しずつ色味を調整した設定を何パターンか登録してみた。
 それだけで町を見る目が変わる。
 何かを見出そうとする目線は、住んでいる町自体を少し馴染みのない対象のように感じさせてくれるから、今住んでいる部屋に内見に来た時のような、おぼつかなさわとワクワクする気持ちがここに今、ある。

 午後、紀伊国屋に行って物色。前日に森山裕之さんがFBでポストしていたのを見て、かれが解説を書かれたという『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』を文芸文庫で買う。フラゲ。他に岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』、柳美里『JR上野駅公園口」、斎藤幸平『人新世の「資本論」』を買う。

 オンプラ。久々に新しい服を週末に買った。内側がフリース素材のGRAMICCIのパンツがあたたかくてあたたかくて、調子が悪かったのはただ寒かっただけでは? と思う。ゲストはKID FRESINOさん。この数年聴いてきたアーティストに深夜出演してもらえるのはうれしい。スタジオに来てもらう予定が緊急事態宣言ということで、リモートになったのは残念だった。
 時間も時間、というのもあってKID FRESINOは音声だけで出演になった。それでも、打ち合わせやトークの合間に、「キャハハ」という感じの乾いた笑い声を響かせるかれは、まさしくKID FRESINOそのものだったし、ぼくにはMVなどで大きな口を空けて笑う、あのかれの笑顔が見えていた。

1月12日(火)

 11時起床。起きたら完全にウツで、まずお風呂をあたためてそれを溶かす作業から始まった。めちゃくちゃに寒い日。オフにしてもよかったが、明日の柔術に向けてコンタクトの処方を取り、コンタクトを書い、さらに手っ取り早く使い倒すギを買いにいきたいというのが、心からのぼくの希望で、それを叶えてやれるだろうかと30分。ゆっくり湯に浸かる。

 じゅんこは今日も朝から放射線治療とタマビなので、ぼくの活動時間に家にいない。すると、いつもなら彼女にまず話してしまうような「今考えていること」を、Tweetすることになる。それでレッドブルの例の「正論」にまつわる広告について思うことをポストしてみた。

 火曜の午後は脳がジェットラグ状態にあって、それは言い換えれば「ここにはいない状態」で、だからかフラットに物事を分析できているような気がする。そういう時にTweetしたフレーズは、だからなのか人から人に伝播しやすい。それで上のものがある程度バイラルしていった時に、コピーライターの岩崎亜矢さんが、この広告についての意見で武田さんのものが最も共感できた、という旨の引用RTをしてくださって、それがぼくには存外にうれしいものだった。

 2015年あたりにぼくたちは世田谷区のすみっこのとある場所で、ADの重冨さんとたかくらかずきと松田将英でアトリエをシェアしていた。その場所は重冨さんが生前にお世話になっていた著名なフードディレクターの方が使っていたハウススタジオで、その縁で借りれることになったのだった。
 その時期にぼくは重冨さんと仕事をさせてもらって、ひとつ大きな催事のコピーを書かせてもらうことになった。もともと広告畑の人間ではないないぼくに、扱う言葉が魅力的だから、という理由で振ってくれたのがうれしかった。だから少しでも、付け焼き刃でもいいからコピーのことを勉強しようと思った。重冨さんにはもちろん、電通や博報堂でコピーライターやクリエイティブディレクターとして働く知り合いに、尊敬するコピーライターとその仕事を聞いて回った。そこで仕事と名前がしっかり刻まれた人の中に、岩崎俊一さんと岩崎亜矢さんがいた。その過程で中学2年の夏に、父親に「コピーライターってどうやったらなれるの?」と聞いて、何冊かそれらしい本を買ってもらったことを思い出した。
 そこで書いたボディコピーのように長いテキストは、朝日新聞の15段広告に重冨さんのつくったビジュアルと一緒に掲載された。デビュー戦が朝日の15段なんて、きっとすごく恵まれたことなんだろうと思ってうれしかった。

 ひとつとなりの世界で働く、同じことばのひとに、ことばやその感覚で捉えた世界への目線を褒められることはこんなにうれしいんだなーって、ただ引用RTをされただけなのに1日中飛びはねるようにして過ごした。
 帰ってきたじゅんこに、また飛び跳ねるようにして報告すると「そのよろこび方を外の世界でも出せるようにしたらいいのにね」と言われる。

1月13日(水)

 昨日寝る前、急にスイッチが入ってmiroで柔術のフローチャートをつくることにした。柔術はMMAの寝技以上にたくさんのポジションとスイープとパスガードがある。ギ、の存在がその乱数をさらに増やすわけだ。で、それぞれのポジションから様々な技が派生して、それを今はひたすら覚えながらスパーでは試していくわけだけど、そもそも三次元の空間認知が苦手なので覚えたものがすぐ抜け落ちて再現できなくなってしまう。
 なので、それを平面に定着させたいって思った。どのポジションからどんな技が派生可能化を図式化すれば、長期記憶に落ちやすいのでは? じゃあmiroだ、と思ってはじめたら時間が溶けたけれどだいぶ頭が整理された。

これは出来上がった現在のスキルツリー。オープンワールドのゲームならプレイし始めて数時間って感じの習熟度で、それがちょっとかわいいなと思う。一番世界の広さにワクワクさせられる時期なのかもしれない。

 午後は「MOTION GALLERY CROSSING」の収録。4本録り。今日はSDGsをテーマに近藤ヒデノリさんと長谷川ミラさんがゲスト。緊急事態宣言下中につき、夏以来のリモート。リモートに慣れてから対面収録が始まったときには「リアルってこんなに疲労する!?」ってくらい疲れて、九段ハウスの高級そうな(実際高級なのだろう)ソファに収録後倒れ込んだりしていたけれど、今度はリアルに慣れたのか久々のリモートが恐ろしく疲れた。使用する認知のスキルが異なる感じ。リアルの認知資源で臨むと、それの枯渇が想像より早くに達成してしまう感じ。オフロードをスポーツカーで走ったり、舗装路を4WDで走ってしまうようなエネルギーのロスのしかた。

 夕方には収録は終わったが、そのまま20時近くまで長井さんも交えて今後の打ち合わせ。それがラストストローだったっぽい。終わったあと普通に食事をして、そのあと何なら自室で作業をしていたはずが、開いたメールに明日届く本棚の配達時間が午前となっていて、しかしそう依頼したつもりはなく、かつその時間には受け取りが不可能だった。

 だからWEBにアクセスし受け取り時間の変更を試みるも、すでにそれは不可能、という表示が目に入った途端息切れが始まって、心拍数がどんどん上がっていくのがわかった。うわ、久々にこれはやばいなと思ったら目からもう涙がこぼれていて、頭の中には処理ができないタスクが大量に積まれたようになってその後遅れてきた焦燥感のようなものに体全身が包まれた。震えてたましいが口から飛び出そうなあの感じ。

 昔だったら手当り次第そのあたりのものをひっくり返したりしていただろうけど、それは後で自分を悲しませることにしかならないって体が覚えていたのか、体を小さく折り曲げたままリビングに向かった。じゅんこがソファに座っていたのが見えたから、そのまま体をその足元に投げ出すようにして顔はお腹の下に潜り込ませたまま「まただめな感じになっちゃった」というと、彼女はすぐに悟って背中をなでてくれる。自分の声が完全に震えていることに、そこで気がつく。

「んー、何があったの? 大丈夫、大丈夫。大丈夫だから、ゆっくり話してごらん?」
 そう言われて伝えなきゃと思う時、自分の中の混乱が少しずつ人にわかる形で整理し始められる。その作業はいつも、どういうわけか自分ではない誰かがしているように感じる。とっさに荒波に揉まれてその勢いのまま海底に激突したはずが、言語によって整理を試みていくと、少しずつ浮上して水の色が明るくなっていくように、周囲の状況が目に入ってくるようになる。ここまでの復帰がほんとうにほんとうにぼくは早くなった。
 それでも臨死体験なのは変わらず、明日の予定の大幅な変更の必要を感じながらうずくまって息を整える。

1月14日(木)

 シナプスが完全に焼ききれた、という感じ。すべての予定をばらして寝た。寝さしてもらった。やはり4本録りは大変、というより危険。ぼくのように他者に擬似的に内在しながら会話をモデレートするやり方を徹底したら、たぶん無理なエネルギー量の作業なんだと思う。柔術と同じく、体力の運用を身につけたい。クロスガード越しの相手の手の動き、荷重のしかたを見ながら力を抜いていい状態、を見極めていく時のような仕草で。
 夜、どういうわけか古谷実『シガテラ』をベッドで読む。一瞬でこれを読んだ2005年の夏のことを思い出す。ぼくたちはえーえんに南雲さんが好きだな、と思う。南雲さんが、というか、南雲さんに夢見たり期待したり伝えられなかった何か、それを何度でも思い出すこと自体が。

1月15日(金)

 朝倉未来と一緒に住む夢を見た。豪勢なマンションのお風呂場がなぜか土まみれで、みんなお湯が溜められなくてこまっていた。起きたら頭の中灰色で、それを溶かすためにお風呂に入って、すぐに出かけられる格好にもなんとか着替えたにも関わらずそこまでが限界だった。
 カウチで倒れ込みながらSpotifyを覗いていたら、スカートの『ストーリー』が入っていて、これはずっとサブスクにはなかったもの。調べてみたら 10周年記念 新作アルバム『アナザー・ストーリー』が出て、そこに収録されたようだった。一番好きな曲だからうきうきと聞いた。「おばけのピアノ」も入っていた。歌詞がだいすきだ。


1月16日(土)

「BOOK LOVERS HOLIDAY」のため、BONUS TRACKに行く。
 外に出たら春みたいなあたたかさ。
 コートはやめにして、マウンテンパーカを着ていくことにする。
 土日にイベントでBONUS TRACKに行くのは仕事と休日のお出かけが半分ずつ入り混じっているアクティビティで、だからなのかぼくはいつも到着すると帰りたいような気持ちになっている。なぜだか感じる強いアウェイ感。
 なので、自転車を停めたらまずいつも花ちゃんか獅子田くんか阿久津さんの姿を探すことになる。
 そういえば前回は家を出たとたんにあられが降ったんだった。それからもうひとつきも経った気が全然しない。去年から時間の流れが変わってしまった。日常から余白みたいな時間がなくなって、みんながそれぞれの持場で現在に必死に対応している感じがする。この速度に慣れることができるのかしら。

 阿久津さんところでコーヒーを買う。森奈ちゃんがいて、あけおめ〜という。森奈ちゃん久々。マスクをつけた状態でひさしぶりの人に会うと、その人の情報量がすべて目元に集約されるから、そこをじっと見る。森奈ちゃんの目はかっこいい感じがした。
 だいぶ場に体が馴染んだから、ふらふらしてきます〜と言って、まずrn pressの野口さんのところへ行く。年末ぶり。あったかくてよかったねえ、と言いながら会社の話。ぼくも年度内に会社つくるんですよ、と話して、登記や印鑑のこと。話しながらKAI-YOUを立ち上げたので2011年だから、登記なども全部自分でやる形で会社をつくるのはちょうど10年ぶりなんだってことに気づく。ディケイドやん。あの時のたくさんのきらきらした時間を、もう一度取りに行こうって思う。

 最近撮ってる写真の話、野口さんの地元の土地の話、たくさん話す。
「武田くんの写真、めっちゃすてきじゃない〜」と言われて、いま写真をほめられるのはうれしいなって思う。濵本奏さんの写真集『midday ghost』がとてもよくて、こんなふうに光を見たいと思って買う。北村みなみさんのZINE 「友達のいない女の子」も買う。

 アルテス鈴木さん、タバブックス宮川さんとも話す。鈴木さん、読者の人と対面して本を売れる機会がこうしてあってとてもうれしい、と言ってくださる。ぱっとその時出なかったけど「それは読者もなんですよ」って伝えたかった。
 阿久津さんに「ぼく橋本さんと話したいー」と言って、一緒に十七時退勤社のブースに行ってお話する。橋本さんの『本を抱えて会いにいく』と笠井さんの『日日是製本』を買う。
 

1月17日(日)

 昨晩、何やらひらめいてTwitterにいいことを言っていた。

 毎日写真を撮るようになって写真集を眺めるのではなく「読める」ようになった気がする。光への感受が変わった。柔術もそうだが、作り手側の体感、知識を得ると、見ることのできる解像度が圧倒的に飛躍するんだなあ。ヘタの横好きでもいいから、やりたいことはすぐやろう。世界はそこから開ける。
 「読める」と感じるのは、たぶんこれまで情緒のみで光と風景を感受していたのが、そこにメカニカルな視点が加わったからなんだろう。作られ方を実際的な感覚で想像できるようになったことで、「読めた!」と思ったのだろうな。

 最近、ぼくはぼくにとってとてもいいことを、たまに言うようになった。そういうものをぽんとTwitterに置くと「この人とは感性や認知の感覚が近い感じがするなあ」という人からハートがついて、ゼロ年代後半にTwitterが楽しかった時代のことを思い出す。
 それでたかくら、新見、マセのLINEグループに
「ぼくってたまにいいこと言うよね!」
 と書いてみたら、唐突すぎて自分で笑ってしまった。

 仕事部屋の本棚を半分つくる。
 この部屋に残された壁面はのこり2つで、今回買ったのは窓の下に設置する背の低い棚。
 もう何度も日記に書いているけれどぼくは三次元の空間認知が苦手な脳を持っている。きっとこのまま展開図を展開できずに一生を終える。
 だからたかが本棚でも強敵だ。しかも2架ある。今日はじゅんこを頼らない。おとこのお嬢さまだってたまには本気を見せるわよ! と思って取り組んだら1時間半後、ぜえぜえいいながらも2架の本棚ができあがっていた。あとはボンドをつけたダボ穴のところを乾かして、棚板を入れて本を入れよう。そう考えたら、ここまで自力で進めることのできた自分を、とてもすばらしいもののように感じる。

 夜、斎藤さん、新見、マセで久しぶりにZOOM飲み。
 近況を話し合う。新見が珍しくワインを飲んでるので理由を聞くと、夕食に洋食を出してもらったからだという。こういう聞き方だとこの人はプライベートなことを具体的には話さないんだよな、と懐かしいような気持ちになる。
「洋食っていっても色々あるでしょ、なあに?」
「んー、ハム、ソーセージなど各種、かな」
 と言って、カメラに見せてくれる。なにやらちょっといいもののようなハムやソーセージを食べていてうらやましい。
 
 たくさん色んな話をして楽しかったが、やっぱり対面であって、同じ店で、同じ風景と気温の中で、同じものをつまみながらそれぞれが好きな酒を飲み、そこで話すこととは全然違うんだなっていうその差異ばかりを思ってしまった。あまりにも大きな差異。