武田俊

2021.2.15

空中日記 #38|改札で別れて、21歳

1月18日(月)

 日記を読むよろこびの大きな部分として、その日の食事の描写が挙げられる。
 というかエッセイでもなんでも、ぼくは食事のことが描かれている箇所が大好きで、もうそれを楽しみに読み進めているといっても過言ではないくらいなんだけど、最近自分の日記に食事が一切登場しないのはもっぱら平時は「沼」ばかり食べているから。
「沼」を中心に組み立てて、たまにハレのものとしてしょーもないジャンクフードとか、コンビニで買ったようなお菓子を食べているから、そこに特別な気持ちも日常を運用している気持ちもないから日記に出てこない。つまらない。もっと書きたくなるものを食べなくてはいけない。

 橋本亮二『本を抱えて会いにいく』を読み終える。
 静かなじんわりとした、よろこびがある。
 出版社の書店営業のお仕事をぼくはイメージでしかしらないから、まずそれがどんなふうに組み上がっていくかを楽しむ。そのあとは、もうただ橋本さんの書き味に体を任せるようにする。
 本があって、会いに行きたいひとがあって、お子さんがいて、昼にはタッパー弁当がある。その暮らしの愛らしさ、いとおしさ。それを自身で、しっかり抱くようにして。まっすぐに、でも穏やかに差し出される言葉は強くて美しくてやさしい。

 オンプラ前にダンベルプレスとダンベルフライを3セットずつ。どこかから抜けてしまったウェイトの習慣が、月曜だけ戻ってきている。火曜はオフとして、水、木、金と部位とメニューを改めて決めて仕切り直したい。筋トレして悪いことなんて一個もない。力もつく、基礎代謝もあがる、柔術や野球の土台になる、メンタルだってわかりやすく安定する。
 じゃあなぜ習慣は途切れるのだろう。むむむ、と思う。憂鬱の波が病むことがない病だからしかたない、としたくない。

 オンプラ。今日はゲストなしで、MUSIC PLANETとしてアフリカ音楽特集をやる。旅行に行けない今、せめて音楽でサウンドトリップを、という趣向。メッセージテーマも「行ってみたい国」で相乗効果があった。
 押くんの配慮というか意図で、ぼくの月曜日はイントロに合わせた曲紹介をあまりやっていないのだけど、実はちょっとあこがれがある。いかにもFMって感じで、かっこよくやってみたい。けれど、本職ではないぼくがそれをがんばるっていうのは、ちょっとお過度違いな感じだし、それをやりたいというのはなんか現場でサインをやたらもらうインタビュアーみたいなミーハーさすら感じさせてしまうかもと思って言えない。
 でも今日の特集内ではどれもイントロで曲紹介の構成になっていたから、ようしかっこよく決めていい気持ちになろって思ってたら、出だしからいきなり間違える。いつもそう。

 プレイリストは「昔ハマった邦楽」。
 毎回押くんと一緒につくっているけど、今日はまさかのfuzzy controlがかぶった。
 ぼくは聞いていたのは高校生の頃で、まわりに聞いているひとがほとんどいなかったからびっくりした。そうしたらたぶんあれは池下のUP SETだったんじゃないか。まるちゃんと一緒にライブに行ったことを思い出した。ファジコン、演奏がうまいんだよな。
 それでコーフンして、ふたりしてきゃあきゃあ懐かしい楽曲を入れまくる。
 ひととおり入れたというところでなんか息が切れてて、押くんが「……なんかドッと疲れちゃいましたね」と言って、たしかにすごく疲れてる。カラオケにいったあとみたいで、オンエア前から無駄に体力を使ってしまった。

 帰り道、EAUさんのインターンの子が笹塚で一緒に帰る。押くんの学校の後輩にあたるのかあ。ヒップホップが好きとのことで、どんなの聴くのと聞いてみると、めっちゃありますけどkzmとかYENTOWNとか好きですという。それで二人で去年聞いたジャパニーズヒップホップで、何がよかったか話す。
 kzmだったら、BIMくんのアルバムに入ってたやつで一緒にやってるの、めちゃよかったよね、と言ったら、「ONE LOVE」ですよね、めっちゃ聞きました! とまたきゃあきゃあ盛り上がる。
 盛り上がったついでに家の場所を伝えあって、おすすめのそば屋さんを伝えたりする。下北沢が好きらしくって、古着屋とラーメン。それでどこのラーメンがいいかとなって、麺と未来、虎徹、一龍などが上がって、一龍の話をしているときぼくはほとんど、あの西口徒歩30秒のアパートに住んでいた時期の自分になっていた。27歳だった。
 改札で別れて、21歳かあ、と思う。
 21歳でぼくは雑誌をつくりはじめた。
 専門学校のかれは社会に出る。たまにその、大卒と専門卒の人生におけるとても多感な時期のうちの実働2年の差について考える。なんだかそこにはたくさんの物語がすれちがっているような、そんな気が毎回する。

 

1月19日(火)

 いつも通りどんより。というか、先週から調子がまだ戻ってない。思考を止めるためにお風呂に入ってウツを溶かし、出て『UFC4』やる。
 柔術を初めてからキャリアモードでつくっている、日系ブラジル3世という設定のTakahashiというキャラクターの育成を進める。階級はフェザー。得意技はダースチョークとオーバーハンドフック。マックス・ホロウェイを倒してランク2位まできた。いい調子。

 午後、内沼さんとMTG。本について。ウツが抜けきってないのと、今日誰とも会ってもしゃべってもいないので、最初顔がちょっとヘンな感じになっているの気づく。それでを取りつくろうとしたのか、ばーっとしゃべりだしてて、でもそれを若干メタにも見下ろしていて「ああ、こういうふうに対処しているのかー」と感心したりする。
状況の確認と今後の方針。思いもしなかった選択肢がうまれて、ちょっとした企画会議みたいになる。ブックストア・エイドの時に、こうしてアイディアが重なり合っていって、大変だし無償なのにずっとみんなでにこにこしていた。その感じが今をまた支援している感じがする。
 10年だ。10年ぶりに、この本でぼくは何かを取りに帰るのだ。
 苦楽をともにした仲間、淡い恋、まるでごっこ遊びのような生活や、文字通りの貧しさ、喧嘩、少しずつ上達する料理、起業、本、映画、音楽、事件、もう二度と出会えないひとたち。
 その思い出の中に取り残してしまった、自分の一部のような何かを、今回収しにいくのだと思う。
 だからそれは、もうぼくだけの物語ではない。人間が一人で完成しないように、この物語もぼくだけでは完成しない。ぼくはただ書き手であるだけだから。全員引き連れていく。そういう書き方をしようと思うから、だから作り方も売り方も、そんなふうになったらいい。
 MTGを終えたらからだがじんわりとあたたかかった。

 北村みなみ 「友達のいない女の子」をぱらぱらひらく。
 イラストを閉じた3つの小さな冊子が入っている。ソフトクリームを舐める女の子、スーツケースを引きずってタバコを吸う女の子、クラブのような場所で壁に持たれてひとりでスマホをさわる女の子、河原でゲームをする女の子。
 その中のひとつの中に、鮮烈に刺さったイラストがあった。
 和室の窓辺。それも古めのアパートにあるような、低い位置にある窓で、そこには中途半端な柵があり、そこに植木鉢が乗せられている。窓は開いていて、サッシには丸い灰皿がひとつ置かれている。そこで敷かれたままの布団の脇に、あぐらをかいてタバコを吸っているショートカットの女の子がいる。足元はにはひらかれたままの本。窓からはゆるく風が入り込んでいることが、ゆれるカーテンが伝えている。
 この場所に、いたことがある。
 2009年の5月の高円寺で、ぼくは『界遊』をつくるために風呂なしのアパートに引っ越していた。そこでこの風景を見たことがあった。というか、この風景の中にいた。
 そしてこのイラストとほとんど同じ角度から、ぼくはあの時、その子を見ていた。5月の緑色の光がよこがおをなでていて、それがあんまり美しいから見とれた。それで、一緒に吸っていたタバコの火種を落として畳を焼いた。
 その子は真顔でぼくに注意をしたあと
「君、これからここに住むのよ? はー、しんぱい」
 といって気だるそうに笑っていた。

 夜、笠井瑠美子『日日是製本』を読む。
 ひとりの本に関わる仕事をする女性の、生活と、仕事で関わる職人的な人たちとの関わりが、たんたんと記されている。たんたんと記す、ということが難しいことを知っているから、うんうんうんうん、とうなずくようにして読む。
 依頼されてつくられたわけではない本には、そういった本だから帯びる光のようなものがある。この本にもそれがあった。著者自身の手製本で綴じられた紙片が、その生活と仕事の手触りとして、いまぼくの手元にある。それが奇跡的なことのように感じる。

 

1月20日(水)

 先週からちょっとやばい感じがするな、と思っていたらこの日その予感が全部結実したかのように急激に体調を悪化させてしまう。
 昨日から万全に今日の過ごし方を決めていて、水曜は柔術の日だから、ギとBCAAを入れたボトルを持って朝まずカフェに行く。そこで日記と本の執筆と計画を進めたら、昼食をとってRAILSIDEに行く。仕事のタスクはたくさんあるから、それを整理して順番に進めよう。夜は、新しいというか自分にとっての初めてのギ(aestheticの白を買った!)を初めて使うんだ。それはとびきり楽しみな予定だった──!

 起き抜けから視界が完全灰色。このレベルの不調は2020年ほとんどなかったので、突然のことでびっくりしてしまう。それでもなんとか光に満ちているはずのリビングに這うようにして出る。なんとかお風呂をあたため直し入る。そして着替える。上出来だった。トリガーはボトルだ。
 ここのところウォーターサーバーが不調で、ネルゲンボトルに水を入れてそれを冷蔵庫で冷やしてしのいでいた。前日夜かこの日の早朝、じゅんこがその作業をしてくれていたんだろう。2本あるボトルはどちらも冷たい水で満たされていた。だからぼくはBCAAをそこに入れて用意することができない。きれいな天然水1リットルを捨てることもできない。そしてその時点ですでにパニックに陥っているから、他の容器を探したりということもできない。
 
 あとはいつもと同じように絶望感、喪失感、寂寥感がないまぜになったような、最悪なブツを食いすぎてODした時のようなバッドさに包まれる。これは毎回体で記憶できないから、個別具体的なキツさに襲われる。学習が活かせないことが、性格的にももっともつらい。
世間から完全に見放された気分になって、好きなものでも瞬間的に興味や熱量が失われていく。それでみんなから嫌われてしまう気がして恐ろしい。ふだんたくさん出している(自発的に出てしまっていると思われる)感情が完全に停止して、矛盾のようなことがたくさん起こっている。そういう自分を承認できないし、したくない。そして毎回、もう二度と前のようには戻れないような、すでに八方塞がりのような感じがしてくる。
 それより先に行ってはいけない。それは危ない。そのことだけは身体が記憶していて、だから全てをシャットダウンさせて横になった。

 ここで記憶が抜けた。
 夜、柔術はとてもいけない。
 新しく届いたギを使えない。それをぎゅっと胸に抱えることくらいしかできない。

 たかくらにLINEでする。
「エネルギー出力の低い趣味を武田は見つけるといいよ」「おれはレゴ」と言われる。
 積んだままの『オーバーウォッチ』のレゴがあったことを思い出して、ラインハルトを組むことにする。
 すると少しずつ心が落ち着く気がする。でも組み上がったころには、肩で息をしている。