武田俊

2021.3.10

空中日記 #40|ディストピア居酒屋は本日も朝まで営業中

2月19日(金)

ブックストアエイドのリターンについての最終局面の、したがって重要なMTGのあとに、阿久津さんからの相談に乗るっていう体で、ひさびさにたくさんおしゃべりをする。

もうめったに酒を飲むことはなくなったのだけど、こういう時にはって感じでジャックダニエルを注いで机の前に戻る。
「ねえ、ウィスキーを50対50で割るのは、トゥワイスアップ?」
「それ氷入ってるの?」
「うん」
「じゃあそれはハーフロックだねえ」
「そうかあ、ハーフロックかあ。でもトゥワイスアップって言いたいなあ」
「言いたいのね、わかるw」

それぞれの仕事の話をする。
ぼくたちはいつだって、顔を合わせばそれぞれの仕事の話をしてきて、それは優くんと阿久津さんと毎月の定例飲みの時だっていつもそうで、そうやって飲みながら話すような関係になって何年経つのかなと思いながら直近のぼくたちの話を交わす時に、途方もなくここまで生きていてよかったなあ、と思う。

仕事の話をすることのおもしろさは、それは単純に仕事にまつわる悩みやよろこびを話すという実態にあるのではなくって、きっと社会と関わりあいながら生きてゆく、生きてゆくしかない絶望を前提に、その中で希望をなんとか見ようとストラグルする時の、工夫や課題や楽しみや悩みを互いに交換しているような実感にあるのだと思う。

会わない時間が話したいことを育むから、それぞれに具体的に何個か話したいことをやりとりしたあと、気が抜けたような時間に思い思いの話題が開陳される。それでその時は、なぜか俺たちの性欲とは、みたいな話になった。発端はしばらく前の千葉雅也さんの、女性の生理と男性のマスターベーションについてのツイートの話から、なにかが喚起されたようだった。

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なぜか否定的な盛り上がりを見せていたこのツイートを、ぼくは大いに首肯しながら読んでいて、そのことを話した。射精に向かう欲っていうのは、その時々にそれが内包する感情の割合は様々だけれど、どうしようもなく刹那的な暴力性みたいなものを免れ得ない実感がある。それはどれだけ大切な相手と大切な時間を過ごしているときですら逃れられなくて、といってもすべてがおどろおどろしいものでもない。

何に向けてかもわからない、ぶっ殺してやる、ぶっ壊してえ、っざけんな、やってられるか、もっと速度を! なにもかもわからなくなるような速度を! それで、この輪郭なんか消えて、すべてが溶けてつながって、世界と自分の境目なんかなくなって、無、無でいい、その先のことなんかどうだってよくて、あれ、なにこれ、あれ、俺、なんか死にたいかんじ?

そういうものにただ身を任せるしかない時っていうのがあって、だからきっと谷川俊太郎「なんでもおまんこ」は人の心をつかんだろうし、ぼくらの世代の多くがGOING STEADYや銀杏BOYZになにかしらただならぬ感情を持ったんだと思う。そういう話をしたような気がする。

それは今更すぎて、ダサくって、でも少なくともぼくにとっては30代にもなっていまだ切実な感情で、だからめちゃくちゃいい会話だった。

2月20日(土)

2月はとにかく管理しきれないタスクの山に襲われて、何度か久々に底まで落ちていくような時間で、昔だったらそのままノックアウト。そういう状態を支えてくれたのはおそらく高照度光療法だった。朝10000ルクスの光を30分浴びる。すると松果体からメラトニン分泌を12時間ほど阻害してくれるようで、これが自分には大層効いた。オンプラ空けの火曜もなんとか活動できているのは、完全にこの効果だろうと思う。

それでも体力の、とくに認知資源の枯渇は逃れられないようで、久々にまとまったフリーの時間のとれる土曜も身体があまり動かない。同じく入試と業務のハードワークにじゅんこをぐったりで、それでもなんとか一緒にBONUS TRACKの冬市に出かける。

15時、気温が高かった。
どういうわけか休日にBONUS TRACKに行くと、照れくさいような気持ちになる。
はなちゃん、ししだくん、きしょうくん、奈良くんは楽しそうに、忙しそうにしている。かれらの顔をみると、じんわりとあたたかいものが身体の末端から胸の中心あたりに向かって流れていくのがわかる。

ジビエのキッチンカーで、鹿とイノシシのソーセージを買って、月日で買ったビールと一緒にたべる。鹿は蛋白な赤身だからソーセージにしたらぼそぼそするかな、と思いながらかじると、おそらく加工する段階で脂身の部分を加えているのだろう、しっかりとした噛みごたえの奥から脂が染み出してきて、スパイスの香りのあとにほのかな野趣を感じさせてくれる。とってもおいしい。朝、ベンチプレスとダンベルフライをやったこの胸に効いてくれ、と思ってわしわしかじる。

無人販売をしていた恋する豚研究所さんの、3種のコロッケ、じゅんこが食べたことないので買ってあげる。無人販売、有人とは違うどきどきとした楽しさがある。
発酵デパートメントで、いかのいしるとかんずりを買って帰る。
いろんな料理の隠し味にするつもり。
それを隠すつもりで買う、というのが手品みたいで楽しい。

そのまま裏手を歩いて、下北沢をくるくるする。
暖かさが人を呼ぶのか、町に人が多い。
一時期ならばそれは恐怖を呼ぶ光景だったのが(昨年の緊急事態宣言下で、ぼくはそう感じるばかりだった)、今日は町が生き返ったような、光に満ちた風景に見える。
休日にインスタのストーリーを家でみていると、調子がいいときは「みんなが思い思いにでかけてて楽しそうでうれしい!」という気持ちによくなるが、それが足を進めて町を進むたびに、その一歩ごとに足元から立ち上がってくるような感じがする。

さっきのソーセージたち以外にまともなものを食べてなかったので、そるとでつけ麺を食べたら一瞬で眠くなる。
「やば、急にめちゃくちゃ眠いよ……」
「わたしも……」
「ここでもう寝たいわ」
「2000円で、そこの床にふとんして寝ていいよ、ってサービスあったら今払うね」

そういうふうに言いながらなんとか食べ終えて帰路。

帰宅して少し作業。
そのあと思い立ち、ずっと習慣にしたかった英語学習を日課に取り入れようと思い立つ。
日常会話レベルなら聞くも話すもある程度はできるけれど、旅先で、出張先で出会ったひとたちと、もっと仕事や文化的な話をたくさんしたかったんだ、と急に思い出す。
あともっと原文で海外のニュース記事やコラムを読みたい。

具体的な学び方を自分で開発するのが、この手の語学学習の醍醐味でもあるのだろうけど、そこはさっさとすっ飛ばしたい。あとリモートでのコミュニケーションをこれ以上増やしたくないから、DMM英会話的なのはパス。だいたいリスニングはなんとかなるのだ。抜けてしまったのは単語と文法とイディオムだ。ならば──TOEICを受ければいいんじゃね?

重要なのは習慣化で、だからできる限り手軽で、本とかすら持ち歩かず隙間にどんどんゲームのように取り組めるものがいい。

そう思って調べていたら、結局スタディサプリのTOEICのためのアプリケーションに行き着く。これだけまずやろうと思って、ざっと課金して使い始める。たくさんの講師のレクチャー動画、問題集にフルアクセスできるようになる。見ていると、これがなんとまあよくできている!

基本的な学びの方法論が確立されていて、それをなぞっていけばよいようになっている。
とりあえず毎日100単語を繰り返し、ディクテーション、シャドーイング、それで問題を説いて、間違ったり不安なものはチェックボックスをつけられて、それだけまとめて復習することができる。これは、いいぞ……! 規律訓練型の知識向上環境にいた中学受験のときの、そのゲーム的な楽しみを思い出す。

左脳がぱかっとひらき、夢中で2時間くらいやる。
寝る前には読書猿『独学大全』を少し進める。読書猿さんはすごい。人生何回目? と思うほど。この本も自己啓発でありながら、人文書でもあるというような『アイディア大全』と近い手法で書かれていて、よりツールとして使える本になっている。
「行動記録表」の項目を読んで、スタープランナーを再開させることに決める。

2月21日(日)

8時頃起床。
予定通り、バキバキにスタープランナーを組み立てて、向こう1週間分の確定している予定を記入する。そして今日の予定を具体的に。これに沿ってできるだけ行動しつつ、終わったあと振り返って何ができたか、できてないかを確認する。つまり、理想と現実のギャップを書いてやるうという魂胆。

さらに、行動記録をしっかりとるためにtogllを導入してみる。これは行動に全部タイムスタンプを押していくようなアプリで、後から何にどれだけ時間を使ったかを確認するためのもの。時間は気をつけないとすぐに溶けるので、これで固着化できないかな、というところ。

午後、MAD City取材2本立て。移動中は全部TOEICのやつをやる。
スマホで講義のビデオを見て、その要点に関連した問題を解き、単語を覚える。
ミスしたもの、理解が完全でないまま正解しちゃったものなどはにはチェックボックスがつけられて、それだけをまとめて後で復習できるのがすごい。繰り返すようにして、身体に覚えさせていく。もちろんtogllで学習記録をとることも忘れずに。

taka×寺井さんのmcg21xoxoについての対談も、空き時間に晴矢くんとした散歩も、ヌケメとのつもりつのったおしゃべりも、いろどりマンションも、全部いい時間で、丘を上ってから下っていくと向こう側には江戸川が見えて、道が左にカーブしていく。左にカーブを曲がると光る海が見えてくる、ってフレーズを思い出したら晴矢くんが
「ああ、いい坂だ」
と言って、ぼくが列から遅れてカメラを取り出すと、自然と二人は歩調を合わせるように隣に並びその坂を下っていく。たまらない気持ちになってぼくはシャッターを切り、唐突にこれが物語の続きの風景なんだな、と確信めいた気持ちで思う。

帰りの電車でも英語。帰宅したら頭がぽっぽしてる。でも決めたことだから、と筋トレもする。今日は胸。ダンベルプレスとフライをゆっくりやって寝る。

2月25日(木)

朝、不調。
一旦ストップしている自分の本の会議。内沼さんと後藤さんと。
カレンダーに予定を入れるとき、だいたいにして「◯◯MTG」と入れているのだが、今日の予定は「本の会議」と入れていた。自分の中になにかしらの特別感を演出したい気持ちのようで、その子どもじみた考えが、それを肯定してやれた感覚もあり楽しい気持ち。

後藤さんにここまでの流れを説明。年表のリンクと既存の1章まで書いた(ドラフトなのだけど、8万字強あるというもの)を送って、あらためてどんな本がいいのかみんなで考える。

なんとか今年出したいなーと思う。
ここまで書いてきた中で、それは精神的なリファレンスにもしていたから当然なのかもしれないが、椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』にどうもやっぱり親しい気がして、それを話す。
この本は記憶によれば『さらば国分寺書店のオババ』でデビューした椎名誠、の、初めての書き下ろし長編。構造として1つの節が1万字弱くらいの、単独した短編小説のように読めれるものになっていて、それがダーっと続いていくようになっている。
20代前半のまだ何者でもなかった椎名誠と、沢野ひとし、木村晋介たちの小岩のアパートでの貧乏共同生活が描かれているのだけど、もともとは1冊で完結する予定が書いている間にあれもこれもとなって、最終的には単行本では上・中・下の3分冊でリリースされた(文庫は上下巻)。

この本にならったわけではないけれど、ぼくの本の企画が立ち上がった時に野口さんと内沼さんと話して、まず構造を決めましょうということにし、それでタイムフェーズに沿って
・全6章
・各章に3節が入る
・1節が10000字程度の独立したテキスト
という構成を考えたのだった。
そして現在1章のみ初稿ができあがり、それが8万字強ある、という状態なのだった。

ぼくが書きたいと思うので、文学、編集、企業、友情、冒険、事件、闘病、みたいな書いてみたら熟語で表現しやすいパーツたちだったのだけど、それをトータルでくるむ時、やっぱりそれが、その熟語的な個別のテーマにそこまでの深い興味のない人でも、青春小説のように読めるものであったらいいなと思ってる。
その時に書くモチベーションになるのは、というか自分の基軸として置いておきたいのは、「ぼくの物語を聞いて!」ではなく「ぼくたちの物語はたしかにこうであったよ」という感覚。
mixiからInstagramへ、ガラケーからiPhoneへ。
他にも枚挙にいとまがないほど、メディア空間の変化の間に青春期に立ち会った(それは時代の価値観の推移を大きく共にするものだったろう)世代としての、ぼくらの物語を書けたらと思っている。
その時に思うのは、武田百合子がなにだったかの著作のエピグラフで「いなくなった人たちへ」と書いていたあの感覚。今一緒にいる人も、もう二度と会えなくなった人たちも、ぼくが忘れたり、忘れられたりした人たちも、全員この本で連れてゆく、そういう気持ちで書きたいんだってことを話した。

はじまりの気配を告げる対話はいつでも楽しく、みんなでにやにやと語り合った。
その中心にぼくたちの物語があるわけで、それがうれしい。
2週後に参考になりそうな本を持ち寄ってまた話すことに。待ち遠しい。

夜、「M.E.A.R.L. ASSEMBLE」の2回目。
これは毎月最終木曜にオンラインでトークをしようというもの。参加費は500円。
ゲストは大高さんに続いてフクヘンの後藤さん。昼に会議をして、夜トークをするのは不思議な感じ。前回同様、みんなで歯に衣着せぬ感じで、メディアと編集、編集というマジックワード、アソシエーションとしての編集部、などについて話す。
小田さんが
「今日は終了時には視聴者数ゼロを目指そう!」
という謎の提案をしてきて笑う。
それくらいビビらずやばいことも話そうということのはずだけど、そして結果トークはけっこう際どい話をたくさんしたけれど、スタートから視聴者数は1人も欠けなかった。ありがたい。
モデレーターを務めながら、何個も新しくトライしたい企画や展開が浮かぶ。
知性も発想も、個人の中で完結しないってまた思う。

2月26日(金)

朝8時起床、即バーンアウト。
コールタールのようなまっくらで重たい沼から抜け出せない。身体を起こせない。
あとで気づくことだが、実に4年ぶりくらいの急性症状がやってきてしまった。
いつもどおりの倦怠感。いつもどおりのディスレクシア。いつもどおりの味覚症状。そしていつもどおりの幻聴めいたざわめきと希死念慮。

トリガーになったものはだいたい想像ができた。このところの多忙すぎる予定と消えてしまった土日と、とある発言──自分に向けられたものではなかったが、ある尊厳を毀損するようなもの──に対してその場で批判できなかったこと、などの影響だと思われた。
MTGの参加をキャンセルさしてもらう。

16時半、重要なプレゼンがあって、そこだけに向かって、そこにすべての残りほぼないエネルギーをかき集めるようにして休んでいた。大丈夫、どんな鬱の底でだって、ぼくはしゃべる仕事は穴を空けたことがないじゃないか、と鼓舞する。
プレゼンは開始1分、スライド2枚目で
「武田さん、完璧です。最後まで一応聞きますけれど、もうこの段階で最高です」
と言われる。
自分の能力や特性がいまだに掴みきれず、笑ってしまう。

2月27日(土)

夜、横浜で取材がある。
なので、そこまでひたすらにチャージだと思い、アナグマのようにしてじっとしている。
15時くらいにえいやと飛び起きカフェにいって、今日の取材現場「RAU」の冊子をあらためてひらいて取材ノートをこしらえる。
電車乗っている間は「RAU FES」の配信をzoomで見ながら移動する。
画面の先で三宅唱さんが山川陸さんと一緒に、その日受講生が撮影したという映像素材を前に、編集作業をしている様子が写った。トークをしながら1本の作品を完成させるという。
見ていたら、自由が丘、うれしくなる。惹きつけられて大倉山、横浜に近づくほどに、創作のただ中にいる二人に心が同期されていくよう。
この喜びは三宅さんの過去作『THE COCKPIT』のそれにほとんど相似形だった。
「崖、崖だよね。次の場面に行きたいところだけど、このディティールを楽しんでいこう」
「そうだね、もう少し味わいたいね」
たくさんの映像素材を前に、正解なんてない。
正解なんてない上で完成に持ち込むには、その時に採用する「良さ」の設定が必要で、ふたりの間にはその「良さ」をすり合わせるためのバイブスを整える対話が絶え間なく行われていて、それがぼくの心を単純に癒やし、子どものように躍動させる。

17時半にBANK ARTに到着すると、すてきな天井の高いフロアにコの字型にテーブルが並べられていてその中心で三宅さんが作業をしていた。2つの自立型スクリーンが立てられていて、そこにはこれまでのWSで受講生が対話を繰り広げた痕跡としてのmiroの画面と、三宅さんの作業モニターの様子が映されている。
テクニカルスタッフだけでもたぶん6名は越えていて、すてきだなあと思う。
さくらさんが椅子を出してくれる。奥に安東さんがいて、ぼくに気づいてひらひら手を触ってくれる。さくらさんが、配信が前提だからみんなの声が聞き取れないので、zoomにつなぐとよいですよ、と言ってくれて現場でもzoomで音声を聞く。視線をうろうろさせながら意識を9割を聴覚に持っていく。
カメラを持った記録写真のカメラマンと思しき女の子が、ぴょんぴょん移動しながら、なぜかこっちを時折見ていることに気がつく。マスクは表情を隠し、目を強調する。だから目元の涼やかなすてきな人だなあ、と思っていたら近づいてきて
「武田くん、なんで気づいてくんないのよ!」
と小さな声で、しかし親密さの込められた調子で話されて、よく見てみたら黑田菜月だった。
そのあと後藤さんがきて、晴矢くんもきた。みんなで横浜にいるのが不思議で特別なきぶん。

すべての演目が終わって取材の時間。
窓際の席に三宅さんが来てくれる。三宅さんがパーカーの上に来ているジャケットが紺色で、ともすればドカジャンに見えなくもなく、そこにこの日PJのテーマである「土木と詩」(しかしあらためて書いてみてもわかったけれど、なんて素晴らしいフレーズだろう)の土木が現れているようで、そんな軽口を叩いてみたりする。

調子はやっぱり良くはないので、吃音が出たりする。
でもそれが会話の中で正確さを選んで言葉を運ぶようなムードにつながったのか、三宅さんもぼくも自分の言葉を確かめ味わうようにして話あっていった。いや、三宅さんはそもそもそういうふうに常に自分の感覚に対して選んだフレーズがフィットしているか確認しながら話し、それが確かじゃないと感じたらすぐにパラフレーズしたり比喩でつなげたりする人だったと思い出す。そんなかれの話し方が、昔からほんとうに好きだ。
晴矢くんが
「三宅さんと武田さんは、以前からお知り合いなんですか」
と聞いて三宅さんが
「武田くんとはさ、長いよねえ。10年くらい? 頻繁に仕事をしているわけじゃないけど、武田くんの取材はおぼえてるんだよ」
と話してくれる。その言葉が吃音をいくらかなめらかにさせてくれる。終盤、舌はなめらかになった。

晴矢くんと駅でわかれて、安東さんと後藤さんと、時刻20時30分。
野毛ならワンチャンあるんじゃね?と行って歩いていくも、野毛ですら店は閉まっていた。
ディストピア、ディストピア、とみんなで話し合いながら、都内まで戻ることにする。
渋谷はいくらかやっているだろう、と思ってマークシティ近辺をうろうろするも、山家ですら閉まっている。ほんの少しやっているお店はあるものの、むしろ店の外まで若者で行列ができていたりする。

1件、こんなところに物件あった?という地下のお店を見つけてトライすると、ちょうど人が出たところで入れることに。新しい、ネオ大衆酒場といった趣のきれいなお店。
若いスタッフがみんな友達のようなバイブスで、みんな雰囲気が似てて、同じバンドのひとたち?って思う。
店内はほぼ満席。
全席フルで喫煙可、でどうやら朝まで営業らしい。
ふしぎな気持ちでおっかなびっくりメニューを見て頼む。
おとおしはオクラを炊いたもの、その他白レバーのレバニラ、ハムカツ、おしんこ、とろたくを頼む。飲みものはれんとのお湯割り。
居酒屋ってひさびさだよねえ、こんなふうだったんだね、なんか禁酒法時代のスピークイージーみたいな悪いことしてる気がするね、SFっぽい、サイバーパンク、なんて話していると比較的すぐサーブされる。
レバニラは刻んだネギが美しく、ハムカツは円形の厚切りハムをピザのようにスライスして揚げられたのが形としてわかる楽しさがあり、とろたくは海苔でまきまきするスタイルで、おしんこにはいぶりがっこが入ってる。
これは──むしろけっこういい酒場のスタイルなのではないだろうか……!
それで楽しくなって、たくさんしゃべる。
心の内にあったちょっと話す相手を選ぶようなややシリアスな話を、信頼する相手にやや楽しげに打ち明ける、というのがぼくが飲み会で選ぶスタンスで、それが楽しみであり救いのある時間だったことを思い出す。
居酒屋って、いーねーとみんなで言う。
帰り道、ひとりになってから「かつてこの世界には居酒屋ってものがあってじゃな……」とディストピアSFに出てきそうな老人の声まねをした。けっこううまくできた。