武田俊

2021.4.26

空中日記 #047|アキレス腱固めの誘惑

4月22日(火)

おさえくんに教えてもらったレシピでスンドゥブをはじめてつくる。
いかの塩辛を入れるというもので、やってみるとたしかに濃厚な海のうま味が溶け込んだ。ベースのスープは煮干しでしっかり自らだしをとる。調理方法が簡単なレシピに、ちゃんと手間を加えるっていうの、好き。
その他に、新玉ねぎ、あさり、白菜のキムチ、ニラ、豚肉など。
お豆腐を間違って木綿にしてしまったので、リベンジしたい。

夜、本の作業。
「毎回書きはじめる前の、きみへ」の推敲を完了させ、送稿した。
着実に進んでいくのが心地よい。
だいぶ執筆に入るための精神的なハードルが下がってきた感じがする。

 

4月21日(水)

「MOTION GALLERY CROSSING」のMTG。これからの番組のつくり方などのあれこれについて、色々提案をする。インディペンデント魂を見せつけよう、なんてことを言う。ぼくの役割はどんな場所でもリーダーシップでひっぱりあげるのではなく、ボトムからエンパワーメントすることのようだ。みんなそれぞれの認知に合わせた得意領域由来のパフォーマンスが向上すれば、自然と現場はよいものになるはずなのだ。

夜、柔術。今日はラペラを使ったスイープをいくつか。
ずっと「まだ早い」と思っていた尾崎さんとのスパーを、自分の中で解禁する。ぼくなりに色々勉強してきたことを見せられたら、と思うも、引き込みがうまく行かず、互いにシッティングガードになる展開に。そこからラペラを取られると、もう何もできなくなってしまった。サイドに回ろうにも半身の自由を奪われているので、全然膝を越えられない。
どうしたらいいかなと思っているうちに前重心になってしまい、きれいに三角を取られる。それが2回。注意しているはずなのに、一瞬悪い癖が出るとそこに尾崎さんは逃さない。
残り時間が短くなってきたから、起死回生狙えるかと思って無理やりアキレス腱固めを狙うと、外掛けで入ってしまう。
「あ、外掛けだ、すみません!!」
「いや、全然いいっすよ」
と言った瞬間に、アキレス腱固めを返されて、それがガッツリ入ってたまらずタップする。これが痛かった! 安易に行くとこういうことになるよ、というのを痛みで持って知らされる。
しかし痛快なほどの、圧倒的な技術とフィジカルの差!
当然といえばもちろん当然なのだけど、それをしっかりと体感できることには不思議な心地よさがある。

夜、本の作業。
1章の推敲スタート。

 

4月22日(木)

フォントのモリサワの会員向けトークで、NOSIGNER・太刀川さんと。
前回は佐藤亜沙美さんだったので、また違う展開になりそうで楽しみと思いながら外苑前のnote placeへ。ここは気がいい。久々にたくさんの人と会うと、自分の中の生き物としての感覚が蘇ってくる感じ。他者への好奇心と警戒心。それがバランスよく整うと、社会が出来上がっていく、というような。

トークは大成功。聞き手として、新しい感覚を得た気がする。太刀川さんと控室でもずっと仕事やガジェットの話をしていて、本番終了後も話せなかったことをしゃべり続けていた。それはもっとしゃべりたい!という強い感情に支配されていたものではなくって、気がつくと静かに熱くふたりとも会話を続けていた感じに近い。

杉本さんがフォトグラファーの方に「このふたり、たぶんずっとしゃべってるんで、スキ見て声かけて撮っちゃってください」と言っていて笑う。笑いながらも、頭は次の話題の方へと向いていた。

タクシーで帰宅。色々感じたことをまとめてツイートしていた。

 

4月23日(金)

新しいPJがスタート。これから週刊でやっていくので、どんなふうに対話が育っていくのか楽しみ。カウンセリング、あるいはコーチングのメソッドをうまく活用して「編集的な対話」をつくっていくのが目標。とはいえ、同様のアプローチで素人診察みたいなことをやっている人やサービス事業者もしっている。一歩先に海千山千、魑魅魍魎が跋扈する道が平行して走っていることを忘れないようにしなくっちゃいけない。

授業準備でAirPods proの修理また行けず。Genius Bar予約は便利だけど、うまく自分のスケジュールにはめることができないのが辛い…。

夕方、授業で市ヶ谷。風が通り抜けるように流れて、外堀通りを夕日が染める。ほんとうにこの場所にくると、その季節のキャンパスの思い出が駆け抜けてくるよう。
3回目の授業は、メディアごとの商流を感じてもらうためのワーク。今年はmiroを使った。学生たち、みんなはじめてだったがスムーズに使いこなしていく。miroやっぱりサービスデザイン素晴らしいなあと思う。

終わって新見と簡単に次週の打ち合わせをしたあと、すぐに東京駅へ。駅弁をどこで買うか、というのがまずひとつの戦いだけれど、あまり時間がなかったので駅ビルの中にする。シャケのハラミといくらが乗ったようなやつ。これがひどいシロモノで、社内でひらいたらハラミは本来なら破棄すべきような、あぶらまみれの部位ばかりだった。養殖物のハラミの、さらにあぶらっこい部分なんて食べられたものじゃない。でももったいないから、全部詰め込む。

今週は忙しかったから、車内では手をつけられていなかった原稿のエディット。忙しいと本来はたのしいはずの作業が、苦行のようになってしまうからつらい。それでもやりはじめれば、大体の仕事は楽しいものだ。そういう仕事だけを手元に残せている今の自分は、以前にくらべてずいぶんいい感じだなあと思う。

22時名古屋着。1週間の疲れがたまっていて、タクシーで実家へ。

 

4月24日(土)

AM10:00に定期検診。あるプロジェクトから自主的に離脱したことと、柔術を始めたことを話す。主治医から「今までだったらもう少し我慢して仕事していたんじゃないですか? 撤退のスピード感いいですね」と言われる。「趣味の時間を減らすことのないよう、仕事量の管理に気をつけてください。つまり頑張らないことを頑張ってください」とのこと。oss!という気持ち。

久々に運転すると、やっぱり頭がはっきりする。忙しないぼくの脳にとって、運転くらいの分散型の集中作業は心地のよいタスクのようだ。やっぱりどこかのタイミングで今年車を買えたらいいなと思う。帰宅しておばあちゃんの形見わけ。大量のジュエリーが出てきたらしい。アンティークのものも好きだったから、どれもすてきなものばかり。いくつかの指輪とネックレス、ブレスレットなどをいただく。ネックレスはおばあちゃんの絵の先生だった方の作品。これはチェーンを変えてぼくがつけたいと思う。

夕方、堀田へ。青木さんがみつくろってくれていた「どての品川」へ行く。堀田、降りたことがない。何なら桜通線かとすら思っていたが、名城線で一本だったので助かる。駅に到着して地上にでると高速道路が上を走る大きな通りがあった。しばらく進むとブラザーの本社がある。

目的地は一本裏の通りにあって、しかしそこは旧街道とおぼしき商店がちらほら見える通りだった。しばらく進むとお店の前のカウンターで、青木さんとトクマルさんが手を降っている。奥の小上がりは予約で埋まっているらしく、道路に面したカウンターで立ったままいただく。どては2つの鍋でマグマのように煮えていて醤油ベースの「てり味」と「味噌味」。
そこにたくさんの串が煮えていて、横にあるバットには揚げたての串カツが並んでる。客は好きなものをピックしたり、串カツをその煮え立つ鍋に自分でどぼんして食べる。串は一律100円で、会計はその数を数えてもらうという方式。

そこでひたすらにわしわし食べる。瓶ビールとハイボールで、甘い味噌ダレを流し込むと、ああこういう幸せってずっと味わえてなかったなあと思う。にこにこしながらお互いの最近の仕事について情報交換。こういうのも随分できてない。
ごちそうになってしまって、駅まで。帰りは名鉄に乗っていく。市内の移動でほとんど乗ったことがないから、遠足のような気持ち。車内には広告が全然なかった。そのまま新幹線で帰京。
帰宅してもなんだか気持ちが高ぶっていて、じゅんこが寝た後もテレビにYoutubeを写してfugaziとかを聞いていた。
おばあちゃんの指輪とネックレスをしたままうつらうつらしていると、画面にはいつのまにかカーペンターズのスーパースターが流れていて、おばあちゃんちで過ごしたお茶の時間が思い出された。身につけたものが記憶を呼び起こしたようだった。それで少し泣いて、泣きつかれて眠った。

4月25日(日)

3度目の緊急事態宣言初日。弾丸移動で疲労困憊していたので、柔術スパーは休み。今日だけはやって、以降宣言が終わるまでジムは閉めるしかないらしい。しばらく柔術ができないのが、すごく寂しいし、運動不足がやばそう。中断していたウェイトのメニューを組み直す。

夜、2日間空いてしまった本の作業。
1章の推敲を完了させて、送稿する。自分の文章を読み直すときについてまわる、気持ち悪さがだいぶ減ってきた。
沢木耕太郎『一瞬の夏』を再読。