武田俊

2021.8.8

空中日記 #51|「ぼくたち競技者は─」と彼は言った

6月9日(水)

10時起床。
こないだ内沼さんに言われて、活動時間のあり方を変えて見ようと思った。ネックになるのはやはりオンプラで、月曜日は普通に過ごしつつ0時になったら半蔵門に行き、打ち合わせ、放送を終えると4時。それで電車の場合5時まで押くんとプレイリストをつくったりして、帰宅。6時前。話し続けて脳がコーフン状態なので、眠りにつけるのは7時くらい。そうなると火曜日はジェットラグみたいになって、ほぼ機能できなくなってしまう。それだけでなくって、なんだか自立神経全般はおかしなまま過ごすことになってしまう。

これはよくないよなあと思い、毎日寝る時間を3時くらいにして、0時から3時間創作の時間にあててみることにした。それで10時くらいに起きて、午前中はいろいろ準備の時間にしてみるテスト。

某社代表とのコーチング、そこから派生したあるWSの最終準備を進めていると、ぱっと天啓のようなものが訪れた。それをkeynoteに反映していく。するとkeynoteの扉部分が、ちょうど雑誌の特集扉のようなものになって、そこにコラムの見出しを書いていくような気持ち。まさかこの仕事で谷川雁やフーコーの引用をするとは思わなかったなあ、とうれしい気持ち。時流に関係のない読書が、いつしかこうしてある課題に向き合って思考する時にリンクし、切り結び合うような瞬間があって、これが読書の力なんだと思う。

昼、へぎそばを茹でて、わさび昆布のだし(山形のやつ)と納豆と卵黄を乗っけて食べる。最近昼食がそばになりがちなのは、明らかに鍵っ子さんの影響だ。

午後、さらにkeynote。もともと好きなツールなだけに、それが雑誌編集の感性でよいものになるとわかったことがうれしい。しばし作業を続けた。あいまに冷蔵庫で一晩調味料をなじませた鶏むね肉を鶏ハムに錬成させる。そろそろ低温調理器がほしいきもち。

夜、ナポリタンと鶏ハムとサラダ。

で、柔術。クラスはキーマスターガード。これは恐らく最先端の技術で、それを白帯のぼくが学んでいることがおもしろい。できるできないはさておき、ある業界の先端的な技術トレンドに触れられることは端的に知的な快楽がある。スパーは3分制のものを8本。相手のパスガードを防ぐ技術があまあまでやになっちゃう。練習あるのみ。でもいいこともあって、シザースウィープが何回か決まる。これは下から相手を投げる技なわけだけど、脊柱の回転と並進運動を組み合わせるもので、野球の動作に似ているから得意なのかも? と思う。最後に相手を組んだニコラスさんと、お互いのいい部分を褒めあってほっこり。

帰宅、プロテイン柔軟。じゅんこはソファで眠っていてお疲れの模様。それで執筆。眠る前、引き続き佐々木中。

 

6月30日(水)

8時起床。気圧のせいかどんよりでなかなかベッドから起き上がれない。

昨日のカウンセリングをもとに、最初のパーソナルトレーニングに向かう。高校生ぶりのウェイト。今日はスクワットとデッドリフト2種。初回なのもあり軽重量で、しっかりとフォームを見てもらいながら行う。脊柱と頭を一直線に、がスクワットだとできるけれど、デッドリフトのナローバージョンだとなかなかうまくいかない。考えるパートが多いからか。

今日から食事制限もしっかり。水抜きなしで6キロ強を8週間で落とすのはかなり厳しいことのようで、運動をまったくしない日(できるだけ存在してはいけない日)は1000kcal、柔術やトレーニング時は1500kcalで過ごすことになった。オートミールor玄米を基調にして、大量の鶏ハムと野菜を食べていくことは味気ないかもしれないけれど、目的が明確なアクションなので楽しい気持ちも強くある。

 

昼、玄米、鶏ハム、キムチ、ほうれん草のおひたし+じゃこ。じゃこは細かくタンパク質を増やせる良いツールのよう。午後、作業。あまいものがほしくなってしまう。作業の合間に鶏むね肉3つぶんの鶏ハムを仕込む。下味をつけてラップでくるんで寝かして、っていう工程はたぶんもう維持できないので、塩だけして、ぐらぐらにストウブで沸かしたお湯にそのままどぼんして、ふたをし、タオルでくるんで冷めるまでひたすら放置するやり方を採用してみた。ネギの青いところと生姜を一緒に入れて、茹で汁をスープにし、それに漬け込みながら保存する作戦。

夜、その鶏ハムと、茹で汁のスープで戻したオートミール、キムチ、ほうれん草、もやしのナムル。そのあと柔術。今日はワンレッグエックスからのスイープ各種。スパーは5本。1本は尾崎さんとノーギでやってみた。襟や袖がないと、こんなにもできることが減る!という発見。足関節、タックルに入ったあとのギロチンで簡単に極められるも、タックルをほめられてうれしい気持ち。今日はじめて来たという方がいて、それを知らずにスパーでマウントをとってエゼキエルを極めてしまい申し訳ない気持ち……。そのあとパスゲームで1本ご一緒する。ぼくが先輩にしてもらっていたように、優しく接してあげられたらいいな。

あいまの読書は、引き続き佐藤究『テスカトリポカ』。どんどん話の規模が大きくなっていって、壮大さに笑ってしまうようなすごい小説。

7月1日(木)

午前、ジムに行くために服やシューズの用意をしながら、パーソナルトレーナーの方のあきらさんとカウンセリングの時に話していたことを思い出していた。食事面でのアドバイスを求めたぼくに、彼が理想的なPFCバランスを説きながら「だから、ぼくらスポーツ選手は過度な糖質制限はNGなんです。普通の人よりはるかに動いてるわけですからね。だから武田さんも炭水化物は減らしても1日150グラムはとってください」と言った時、全身をあたたかなものが包んだのだった。

それがなんでうれしかったのかといえば、柔術の試合出場を決めた、それで減量をすることになりパーソナルトレーニングを選び相談にやってきた、そのようなぼくを彼は彼と同じ「スポーツ選手」つまり、この時の文脈で言えば格闘家、その枠に属する一人として認識して話してくれていたことのようだった。

柔術を初めた今年のはじめ、たくさんのうれしいできごと──ジムの先輩たちに優しく教えてもらったこと、しぶさんがいつもアドバイスをくれること、今まで観ていたものを実際に自分が体を使って体験していること──があったが、その中でも一際特別なものになっていたのが、これまで憧れていた格闘技、その世界の歴史の末端に自分が競技者として参加できたことに他ならなかったはずだった。

エニタイムフィットネスの最初の入会手続きを終えるとちょうど有酸素エリアに尾崎さんがやってきて、一緒にエルゴをやることに。これはタリバンの兵士たちもやっているという、船を漕ぐような動きを繰り返すシンプルなマシンだ。これをできる限りのスピードで3分引き続ける、を3セットやる。はじめてなので、勝手がわからないまま3セット目、ようやくコツを掴んで出来るだけ追い込むとそのまま寝込みたくなるくらい疲れる!

高校の時のインターバルランを思い出す。あれは最悪な経験で、目標タイムをひとりでも切れないと全員が連帯責任でおかわりをさせられる仕組みで、喘息がまだ落ち着いてなかったぼくはよくお荷物になっていた。でも今は違う。自分のために自分で立てた目標を完遂するべきだから、そこには自分一個の責任しかなくて、そのような設定で自分をできるだけ追い込んでいくことはとても難しいことだけれど、そこには未来のための歓びがほんのひとかけらだけあるような気がした。

帰宅してもろもろの作業。下半身は昨日のスクワットで強い筋肉痛に襲われていて、それを心地いいと思うような余裕はなかったけれど、でもやはりひとかけらの歓びがあるように思われた。

夕方、とある素晴らしい才能を持った若い友人から相談。
この仕事をしていると、「ああ、これが天才ってやつか……」と遠い目をするような、そんなうれしい時間があるもので、これまでにそんな天才とぼくは20人には届かないにしても10数人には出会ってきたように思うけれど、彼はこの数年で出会った直近の天才の一人で、だからふいに相談をもらったことがうれしい。

相談はぼくの事業ドメインに、そして直近のプロジェクトにも関わるものだったらテンション高く熱弁をしてしまったが、その最後に年齢も立場も違う非対称な関係にあるぼくらだということを思い出し「って熱弁してしまったけど、どういう手段を選ぶかはプラグマティックに決めてくれていいからね。それでぼくらの関係が変わったりはしないから、アーティストとしていいな、と思うものを選んでほしいよ」と伝えられたのは、ぼくにとって多いなる収穫のようだった。

夜、減量食を食べ終えてアーロン・バスター二『ラグジュアリーコミュニズム』を読み始める。加速主義者にどう対抗するか、というのが目下の自分の関心ごとのようで、この本は大きなヒントを与えてくれる気がしている。

 

7月2日(金)

7時に起きて、BCAAとバナナだけ摂ってエニタイム。7時半からエルゴをやる。朝のエニタイム有酸素エリアは通勤前とおぼしき女性ランナー、ややふんわり体型の大柄な白人男性、それとぼくの3人だった。あとから屈強な金髪マッチョのお兄さんがやってきたが、荷物だけ置いてウェイトエリアに移動していった。

エルゴ、昨日よりかなり追い込めてタイムが縮まる。目安にしているのは500メートル進むのにかかった平均タイムというもので、昨日最速で2分9秒だったものが、2分ジャストにまでなる。大体人間は大きな筋肉に頼ってしまうもので、エルゴの場合それは大腿四頭筋にあたると思うのだけれど、体を縮ませた時に肩甲骨をぐっと開き手を伸ばすようにして、それを下半身を伸ばし始めた直後に、一気に肩甲骨を寄せてハンドルを引き込むことで恐らく効率的な推進エネルギーを生み出せるようだった。それに気づいて最終セットでタイムを縮められたような気がする。次は1分代を出すのが目標。

帰宅して9時前。シャワー、プロテイン。このルーティンが確立されたら最高だなあと思いながら休んで、コーヒーを淹れて10時から作業開始。大量に溜まっている連絡、調整をたんたんとこなす。こういうことばっかりやっていると、ほんとうになんのための編集なんだ? という気になるが一旦忘れることにする。

お昼、玄米120グラムの上に、黒豆納豆、刻んだたくさん、しらす、長ネギ、全卵、乾燥わかめを混ぜ込んだものを乗せて食べる。パッションフルーツみたいな気持ちの悪い見た目になってしまったけど、これがとってもおいしい。おいしさや食べごたえには味覚がもちろん一番優位となるわけだけど、見過ごせないのは食感でこれが脳を喜ばせる。そう考えて刻んだたくあんを入れたのは大正解だった。やや塩分過多だが、たくさん汗をかいているのでまあよいだろう。これで300kcalを以下のお昼ごはんだ。おやつは仕込んだ鶏ハムと昨日の枝豆の残り。二切れを大事に食べる。

午後、臨時のリモートMTGをひとつ挟んで法政大学へ。前期の講義も12回目で、今日は最後のゲストの日。編集者、とひとことに言ってもほんとうに多様な世界だなと、人の仕事を解題させてもらいたながら改めて思う。そして35歳、もう一度自分の仕事をアップデートし直す時期に来ているとひしひし。

帰宅、夕食はじゅんこお手製のチョップドサラダ、ぼくの鶏ハム、こんにゃくの煮たの、オクラと山芋のなにか、枝豆豆腐の冷奴。本日のトータル摂取カロリーが1300を割って、運動時には最大1500まで摂れることになっているので、これは貯金をしたような特な気持ちに。そして運動をしているので、逆に平時よりも空腹感はないのだった。

夜、天啓。そしてたかくらにLINE。天啓が正しいことをまた知らされ、そしてふとやってきた天啓はやっぱり対話によってより解像度を高めていくことを再発見した。こういう夜は今までだいたい酒場での会話の中にふと降りてきたもので、だからぼくはそれを酒場の効能だと勘違いし積極的に飲み歩いていたわけだけど、今日そうではないってことが証明されたみたいだった。これはつまり、これまでぼくたちが培ってきた経験と知識の存在が偶発的に生んだ発見を、友情が育んだひとつの結果だということのようだった。それが決して大げさな美談でないことは、これまでのぼくらの仕事がすでに証明しているはずだった。

 

7月3日(土)

初めて田町のジムで中村さんのクラスを受けようと、朝から張り切る。田町、全然行ったことのない町だよなあと思いながら、ぼくを東京に連れ出してくれたある女の子のことを思い出す。慶応に進んだ彼女は、21歳、22歳の2年間をこのそばの三田で過ごしたはずで、でもその時ぼくはそばにはもういなかったのだった。

田町まで電車を乗り継ぐ時間と自転車で行く時間、ほとんど一緒なので往復22キロほど、チャリで行くことにする。東北沢から東大前に抜け、渋谷、六本木、広尾、芝、と進んでいくルートは久しぶりに感じる町のグラデーションが味わえて、東京都心で坂を下るということは、それが海に向かっているという単純な事実を感動的に伝えてくれるものだった。

中村さんクラスで、自分は基礎が全然足りないんだなあと痛感。パスがとにかく粗いので、鍛錬したい。田町のジムは外の風も入ってとっても気持ちのいい場所。暖房をつけながら練習し、最後には補強という名のHIITトレーニングをみんなでこなす。これは、ケトルベルを振り上げる、バーを上げる、メディシンボールのようなのを使った腹筋、ブラジリアンスクワットみたいなやつ、をそれぞれ20秒全力でやりきり、10秒のレストのあと、次の種目に移るというのを繰り返すもの。まさに今のぼくが必要としてる運動で、がんばって追い込む。

帰り、渋谷がいかにつまらない町かを痛感。ださい建築、走りづらい道路、金を払わないと何も楽しめない公共性を勘違いしている公園──。こんなところから新しい文化は生まれないので、文化事業を行う企業は一刻も早く引っ越したほうがいいと思う。

 

7月4日(日)

全身だる思い。昨日の運動をパーソナルトレーナーに報告すると「オーバーワークです……。今日はオフにしましょう!」とのことで、スパーリングをお休みする。1200以下にカロリーを定め、ひたすらダラダラ。

7月6日(火)

オンプラ空け、午後、パーソナルトレーニングへ。