武田俊

2021.9.5

空中日記 #54|レンタカーショプの鍋焼きうどん

8月16日(月)

朝、成城石井のカンパーニュに禁断のヌテラを塗って食べる…。減量時代からすると完全に処刑もののギルティメニューだが、今なら食べれるのだ。どうだ!という気分。

ジム、上半身。クレアチンのローディングが終わってさて何か変わるかなと思ったら、ずっと途中で死んでいたベンチ45kが10回3セットしっかり出来てて驚く。これがクレアチンパワーか……。ラットプルもシーテッドロウも心なしか軽い感じ。帰り道、グレイトフル・デッドのラグランTにベルボトムのデニムを合わせたおばあさんとすれ違って、いいね、と思う。

『新潮』2018年3月をなぜか読みかえす。100人のリレー日記特集。それでこの時期にある仕事で一緒になった人のものが目に入ってしまい落ち込む。もともとファンだったので一緒に仕事をすることが楽しみだったのが、その現場での彼の目に余る振る舞いと、ぼくへの攻撃的な対応(もうこればっかりはこの場ではとうてい詳しく書くことはできない)がひとつのトラウマになっているようで、そっと閉じた。2018年、なんだか自分はそこからまったく進歩も進展もできていない気がしてくる。
たかくらに教わったサービスで、日記執筆の配信をしてみる。たのしい。これ日課にして続けたい。
https://0000.studio/stakeda/broadcasts/9922a740-598d-4a35-8a94-354e112d3077/time-lapse

気圧とさっきの日記特集のせいで落ち込んだまま。力が出なくてじゅんこの仕事部屋に「キャンプサイトをつくって」と頼んでマットレスを敷いてもらい、ずっとそこで寝転んで過ごす。じゅんこ「なんでずっといるのー」と言いながら図解。Twitterにポストしたら人気を集めたよう。ぼくのおかげである。

夜、オンプラ。テーマは「最近撮った写真」ということで、髙木美佑ちゃんの『きっと誰も好きじゃない』をセレクトして持っていった。この本は、まだ世界がこんなでもない頃に彼女から「武田さんに渡したいんです!」と連絡をもらって、ただもらうのは忍びないのでぼくも『空中日記2019』を持って下北沢で待ち合わせてお魚を食べたのだったと思い出す。その後、トラブルピーチにも行ってジン・トニックとハーパーのソーダ割を飲んだのだった。

ゲストはHOMEYさん。久々におしゃべりが出来て楽しい。プレイリストは「雨のおうちBGM」。自分でもすごく聞きそうな気がする。作業用にもいいね。

8月17日(火)

ラジオ明けの時差ボケで起きてリビングのソファでだらっとしてたら、妻がリモートMTGをやっていた。目をつむりながら、6人くらいいるな、と思って終わった頃「君の他に6人いた?」と聞くと、的中でたいそう驚かれたけど、ぼくはこういうの気配でなぜかわかる。
妻の語りのパターン、相手の話が展開されているだろう間の長さ、議論が展開していくスピードからわかる対話の構成──そういうものが聞こうとしてなくても自分の中に内在していくから、そう、だから火曜のこの時間にMTGをしないで、という約束をしていたのだった! と思い出して、感情が押さえられなくなってくる。

こういう場合、まずその場から逃れて自分の部屋とかベッドルームに移動して、なんとかやり過ごせばいいのだけど、なぜかその場で耐えることを選んでしまうのがぼくで、めんどうなことにその後できた傷を見せつけるようにして「ぼくはこんなに傷ついたんだ!」ということの証明にしてしまう。我慢が自分のでも相手のためでもなく、結果的には相手を批判する材料づくりのためにそこで耐えてしまう。これも「逃げる」というコマンドなど存在しない、という野球部時代の呪いによるものなんだろうけど、っていう考えに至ることができたのはこの2日後だから、この時はただ消耗戦のようなケンカをぼくから仕掛けてしまったというだけだった。

ぼくたち夫婦は認知特性がかなり異なる。健常者同士のスペクトル、というものから実質的に離れていて、その得意領域と苦手領域のすれ違い幅のようなものが否応なしに大きくなる。WAISがそれを証明している。で、それはある面では幸福なことでもある。自分が苦手なところが相手の得意なところ、になるわけだから、うまくやれば補いあえるからだ。

部屋の物の配置、スーパーで買ったものを袋に詰める、混乱したときにビジュアライズで整理する。そういう視覚的な処理能力でサポートしてもらって、ぼくはかわりに言語的な部分でサポートし──といって事例がぱっと出てこないのは、ぼくはサポートしてるつもりはなくってただ会話しているだけなのだった。その中できっと何かしら特性を使ったサポートが完了し──ているんだろう。

その反面、なにかコンフリクトが起こったときにどうしても揉めがちだ。自分にとって得意な領域が得意であるのは、つまり意識せずとも行動できるようなものだからで、一方で意識してもうまくできない相手のアクションが理解できなくなる。そして苦手な行動はどうしても繰り返される。それは得意な側からすると、単純なヒューマンエラーが繰り返されているようにしか見えない。だから疑念が湧いてしまう。「この人は、自分と誠実に向き合ってくれていないんじゃないか」「いや、そうに違いない」「ずっとずっと、そうだったんだ」「だとしたら、なんて悲しいんだ──」。悲しみはすぐ怒りに転じやすい。だから声が荒く大きくなったりする。

でもそれって、言われた側は八方塞がりにしかならない。苦手なのに理由はなくて、なんで繰り返すのと言われたらどうしようもない気分になる。そういう気持ちを、ぼくもたしかに味わってきたわけで、だから気づいた瞬間、心はその時間軸にふっとばされる。責められ、恫喝され、みっともなさで死にたくなってしまったようなあのくらいくらい時間の中に戻される。

それでもなんとか仲直りができるようになったぼくらの成長だ、と思いながらふたりともくたくたで9時とか10時とかに寝てしまう。

 

8月18日(水)

やらなければいけない雑務、仕事に追われて、それに追われ続けたまま終わった。柔術はお休み。工事できれいになったという上原ジムにまだ結局行けていない。

 

8月19日(木)

午後、「MOTION GALLERY CROSSING」収録。月に一度のリモート収録。ごごいっぱいしゃべり続ける。体内時計が整ってきているのか、全項目、全コーナー時間ぴったりに終えることができて「すごいです!」とほめてもらってうれしい。楽しさはつまり筋トレで言えばオールアウトできたからやってくるものでもあって、終わった後、リビングに移動してドタっとソファに倒れ込んだ。知恵熱、冷えピタ。

休憩したあとじゅんこと一緒に近くのセブンに行く。マンションのエントランスを出たところでふたりとも冷えピタを貼ったままなことに気づき、そのままでいっかと思いつつ、いやこれじゃ病気としての発熱を疑わせてしまうと思う。ふたりとも貼ったばかりでもったいなかったので、それぞれ背中にいったん貼って難を逃れることにした。にやにやしながらセブンに入って楽しかった。

 

8月20日(金)

MTGと作業を午前からこなして、おひるレンタカーを取りに行く。明日の釣りのためAM3時に出発したいからいつものところとは違うとこにしてみたわけで、聞けば「前日に店舗に来てもらえたらそこで鍵をお渡しするので、好きなタイミングで出発しちゃってください〜」という。ありがたいけどちょっと不安。

で、お店につくと接客用の机でおじさんが3人出前でとったとおぼしきお昼を食べている。接客のおじさん、エンジニアなのだろうつなぎを来たおじさん(というかおじいさん)、強面のなにを担当するのかわからないおじさんが、それぞれきつねそば、カツ丼、鍋焼きうどんを食べている。お、おいしそう……。おだしのいい匂いが店内にしていて、その感じにどういうわけか「地方だなあ」と思う。普段食べない鍋焼うどんが、異様にうらやましい。人が食べているものは、自分が食べるよりもおいしそうに見える魔法がかかってる。まだ準備ができてないらしく、夕方に出直すことにした。

なんかいっこ、楽しいことしたいなと思って減量期には禁断だったモスバーガーに入ってみる。オニポテセットが砂糖をやばい油で揚げたものにしか見えなくなっていておもしろい。チリドッグをサラダセットにしてドリングどうしようかなと思う。クラフトコーラというのがはじまっていて、最近はどこもかしこもクラフトコーラブームだ。成城石井はともかくとして、いまやセブンでも売っていた。興味はあるものの、砂糖を炭酸で割ったものにしか見えず、アイスコーヒーにする。

夜、学生の編集アシスタント希望者に合同説明会のようにして話す。前記最後の講義のときに「興味のある人がいたら連絡してみてね〜」と軽く話したら4名やってきて、ありがたいけどちゃんとフォローできるか少し不安になる。その少しの不安が共鳴するのか、彼女たちも不安そうで(なぜか全員女性というのもおもしろい)だから授業のときよりもていねいにはなす。

8月21日(土)

2時半起床、レンタカーを取りに行ってじゅんやさんとしょうぶさんを迎えに。久々の運転はちょっとびびっていて、車幅感覚がなかなかインストールされない。プリウスは走り出しがしずかでそれが、なんだかこわい。待ち合わせ場所の駐車場に頭から突っ込んでみるも、斜めのまま。それでいいやと入れて「じゅんやさん、ぼく夜に運転する機会あまりなくて行きお願いします!」という。じゅんやさんは運転上手で、このときからぼくがすることになる帰路の運転が心配になる。

4時半ごろ、上総湊のセブンイレブンに到着。アクアラインってやっぱり便利なんだなあ。1時間でついてしまう。今日のために買った道具は、ロッド、リール、グローブ、4種類のテンヤ、船にもろもろを持ち込むための防水のバック、プライヤー、そしてライフジャケット。それをひとつずつ取り出して身につけていく時、まず全部がピカピカであることの恥ずかしさが身体を駆け巡って、それが一段落すると、じんわりとした歓びに変わっていくのがわかる。冒険がはじまる──という感じに。

船出はいつも感動的で、ぼくの情緒はいつだって過剰でマシマシだから、愛おしい陸地よさようなら、もうぼくは二度と戻れないかもしれないんだ、っていう気持ちになる。船室から漏れ出てくるひたすら周囲のお天気や海洋情報を伝える放送が、なじまない耳をつうじて楽しい気持ちにさせる。語尾を上げる独特のイントネーションが、ここがいつも過ごしている空間とまったく違う場所であるという事実を確かなものとして伝えてくれる。

今日は大潮。テンヤ釣りではまず着底させ、そこから50センチ、あるいはもう少し、と探っていくのだけど潮が早くて底なのかなんなのかわからない。手繰り寄せたはずの底感が、流されて流されて、不安になってスプールを起こすとどんどんラインが出てしまう。横田さんが見かねて13号のテンヤを貸してくれたのでチェンジ、それでもまだ漂うばかり。

横田さんに鯛がヒットする。くーッと思う。最初にあたりがあったのはカサゴだったか。もったりと重たい感じであまり動かない。持ち帰っていいサイズ、と判定していけすにしまう。またじんわりうれしい。コツが少しずつわかりはじめる。そして何より大切なのが、テンヤにきれいにエビをつけることなんじゃないかと思い、焦らず時間を使ってつけることにしはじめたら、そこでメインターゲットの鯛がきた。ビビットな感じのあたりで、竿のしなり具合で鯛とわかる。それがうれしい。しなりでぼくにも鯛のあたりだとわかるのがうれしい。

限りのある釣行時間の中で、どこに時間を使うべきか。その運用が難しい。いったん上げて餌の状況を確認するべきか、それとも……というような。竿先へ送る目線はそのまま海中への想像力のアンテナの精度を高めることになるから、すぐ過集中のような状態になる。すると船のゆれを体幹と膝を使って逃がす意識がおろそかになるから、気を抜くと海に落ちるんじゃないかと感じる。感じたらそれは具体的なイメージを引き寄せるから、その時ぼくはもう竿先を伝って海中の中に引っ張り込まれた。買ったばかりのライフジャケットが反応し、ぷかぷかと浮かんでる。そういうイメージの断片がどんどん広がって、にやにやしながら釣りを続けた。

最終的に、真鯛1、カサゴ2、イラ1を釣り上げる。船頭さんがほうぼうをくれた。小さながカサゴ2、トラギス2はリリース。
陸に上がるとくたくた。帰路、なぜか運転感覚が戻っていて、無事帰宅できた。ひとりレンタカーを返却すると身体全体から抜け落ちない疲労感がやってきて、あーもう今日さばきたくないようーと思いつつ、下処理は全部済ませる。

興味があったから、イラを食べてみた。背身をあぶりにし、腹は薄造り。さばいた段階で脂があまりないのはわかっていたけどきれいな身で期待して口に運ぶと、びっくりするくらい旨味がなくて笑ってしまう。釣り物で船上で活け締めにしてこれだから、生で食べるものじゃないんだなあ。魚のうまさ、というものが何によって規定されるのか、逆にすごく気になってくる。ポジティブな気持ち。