武田俊

2021.11.25

ハンバーグラプソディー

11月15日(月)

最後の自転車でのスタジオ入。
オンプラの今日の放送は、たくさん自分でしゃべる時間をもらえたのでうれしい。
本の紹介で永井玲衣さんの哲学エッセイ『水中の哲学者たち』を紹介したあとの楽曲が、macicoの「essay」で、月の写真を撮るのがマイブームですってメッセージを紹介したあとのが無雲(ムーンと読む)というラッパーのもの、最後のメッセージの鍋についてのもののあと、明日火曜のメッセージテーマを紹介すると、またそれが鍋についてのもので笑っちゃう。

カフを下げてディレクターに「なんかすごい偶然だね!」というと、かれは「……さて、ほんとうにこれは偶然かな!?」と溜め込むようにいって、みんなでけらけら笑った午前4時。

 

#11月16日(火)

旧中川にまたハゼを釣りに行く。
行きの電車、途中からテニスラケットを抱えた中学生男子2人組が目の前に座る。ノイズキャンセリング状態のAirPods越しにでも目の表情だけで楽しさが伝わってくる、そんな感じでしばらく会話をしたあと、スマホを横に倒して集中している。

時折それぞれの画面を見せあっていることから、おそらくオンライン対戦型のゲームをしているのがわかる。集中しはじめたかれらの膝同士がくっついていて、でもそれを気に留めない。あああ。あれくらいの年齢の時って、なんだかまだ自分と他人、あるいは世界との間に明確な輪郭線が今ほどなくって、だから同性の友人の体に触れ合うときの、変な警戒心とか違和感とかがなかったよなあ。

ぬるいようななまあたたかいような、自他が渾然一体となったような心地よさがあの時たしかにあって、ぼくにとってのそれは部活の試合前に組む円陣だったり、遠征帰りの道中でチームメイトのアイスを奪い合いながらじゃれあっていた時間のことだった。二度と戻らない時間の尊さみたいなものが、すぐそばで展開されていて、じんわりと涙ぐむ。

11月17日(水)

MTG4本の日。
「今日は打ち合わせ6本こなしてきたよ」なんて人の話を聞くたびに、「ぼくは4本もやったらヘトヘトだよ。まだまだだめだな…」と単純に見比べて感じてきたけど、よく考えたらぼくが参加するMTGのほとんどは、自分自身が場をつくるためのファシリテーションを行うものだから、単純に比べちゃだめだよな。

4本は限界。あいだの時間が休憩になってしまって作業にならない。じゅんこさんにそれを話すと「あなたは体全体で会話をつくる俳優みたいな感性なんだから、MTGは1日2個まで!」と言われる。

1日2個なら、マチネとソワレだなって思う。MTGの最中にもう冷え切ってしまったお気に入りのコーヒーを口にふくんで、「MTGはマチ・ソワ、マチ・ソワ」と刻み込むようにいう。

 

11月18日(木)

釣り先生の横田さんが東京に来ていたので、MTGと称してランチをする。
ちゃんとしたお魚をちゃんと仕立ててくれるお店のありがたさ、というものを考えると、そのお店はだいたいにおいて和食屋さんとなってしまうのだけど、たまにはそうじゃないお魚も食べたいということもある。そういう時によいよ、というイタリアンに行く。代々木上原にある。

久々に上原の坂じゃない側を歩くと、毎日ここを通っていた日々が懐かしい。
前に食べたタコをミンチにしたラザニアがなくて、今日のパスタはしらすと白菜とフレッシュトマトだという。「スペシャルランチはなんですか?」と聞くと「今日はもう終わっちゃったんです、すみません」という。終わったことはしかたないけれど、ないのは承知の上でぼくはお献立を知りたかったので「あ、そうなんですね。ちなみに後学のためにうかがいますが、どんなお皿だったんですか?」と聞きたいな、と思うも勇気がでない。勇気の出ないふたりは、マグロのテールステーキを選ぶことにした。

カウンターにタジン鍋みたな大仰な鍋があるのは見えていて、なんだか楽しそう、というおかしな感想を持っていた。で、しばらくまって運ばれてきたプレートには、サラダとつけあわせのみが乗っている。横田さんに
「ほら、おばかには見えないステーキが乗ってますよ」
と言ってふざけていたら、さっきのタジン鍋がやってきて
「アップルのチップで燻製にしました〜」
といってお兄さんが蓋を空けてくれる。
ほわあと煙が少し飛び出して、横田さんはそれをじっと見ていた。
ぼくはお兄さんの「燻製にしました〜」に呼ばれるようにして、マスクを顎までさげて顔を近づけてにおいをかいでいた。
ふたりで、キャンプのにおいだキャンプだ、と盛り上がった。

カウンターに代々木上原〜って感じのマダムがやってきた。ワンアイテムだけで、ぼくの全身の服より高そうなものをお召しである。こういうのを見ると、なんか元気がでる。高くて下品なものも高くて上品なものも、ある種の力に満ちていて、ぼくはそういうものを身につける趣味はないけど、人が着ているのを見るのは好きだ。

マダムはランチメニューをアテに白ワインを楽しんでいて、いいぞいいぞ、もっとやっておしまいなさい! と思う。

 

11月19日(金)

引っ越し作業の戦力外通告を受けたので、ホテルに2泊することになった。

法政で授業があるので、飯田橋近辺でと考えて、安くなっていたメトロポリタンエドモントに2泊とる。ちゃんとしたホテルを使うのは久しぶりで、ロビーの大きなクリスマスツリーとていねいな接客がうれしい。

部屋に入ったらまずテレビをつけて、CNNかBBCにする。午後の地上波なんて耳に入れたくないから、なのだけど、出張のなくなったこの世界で、かつて出張のたびにやっていたルーティンを起動すると、これまで出かけた色んな都市がぜんぶつながっていく感じする。そしてこの部屋もまた、どこでもない場所になっていく感じ。ミラノ、ヒューストン、イテウォン、オースティン、ゲイラン、飛騨高山、八幡浜──そこに飯田橋が並んでいて、ここではない場所でつながっていく。

夜、新見とケンスケと神楽坂。
まだまだ飲み会に出かける機会がぜんぜんないので、そうでもない二人と比べて会話の運びがぎくしゃくしている。

想像以上に遅かったホテルのWi-Fiを使ってダウンロードして、『メガトン級ムサシ』をプレイする。前日仲間たちと「レベルファイブの新IPって不安だよな」と話していたけど、なかなかよいかもしれない。思っていたよりシナリオが良く、RPGパートはライトな『十三機兵防衛圏』って感じ。RPGパートのグラは、この数年スマホのゲームとかでも良く見る「キャラの体の部位ごとに切り絵みたいなモジュールをつくり、それぞれが独立して動くことで、体の動きを表現する」方式。これなんて名前の技法でいつからはじまったんだろうな、と思う。

 

11月20日(土)

ホテルの朝食、今日は和で攻めた。昨日より乗せるのがうまい。
神保町まで歩いていって、東京堂書店。東京でいちばん好きな新刊書店だ。中公文庫から出ている『昭和の名短編』(荒川洋治が編集)と氷室冴子『新版 いっぱしの女』を買う。野呂邦暢の『古本屋写真集』も買っちゃおうかと思ったが、『昭和の名短編』との食べ合わせが良すぎて、「やっぱ古本っていいよねえ」って言いながら新刊ばっか買ってるファッション古本ファンみたいになりそうで、よした。

東京堂に入る前に小宮山書店の前を通ったら、ガレージセールの用意をしていたので、ちょっとコーヒーでも飲んで時間が経ってから寄ってみる。写真集以外は岩波の赤背と青背が中心で、あまりテンションが上がらない。奥の棚の方に進むと、気になる文庫サイズの本を見つける。背に「ハンバーグラプソディー」とある。カバーにマットPPがかかっていて、触ったかんじはまるで講談社文芸文庫だ。ひらくと、毎回ワンテーマのメニューや食材を掲げて、そのルーツを解明したりシェフが対談したりしている。ひとめでフィルムで撮ったとわかるフルカラーの写真も豊富で、巻末にはレシピも。刊行は昭和63年。ハウス食品がつくっていたこれは、今でいうなら「オウンドメディア」だ。すごいすごい!とコーフンし、そこにあった3冊ぜんぶ買う。1冊でも3冊でも500円、というのがこのガレージセールのルールだから。

荷物が重くて肩がいたい。
おひるの時間をゆうにすぎていて、どっかでなにかを食べようと思う。
とっさに共栄堂と思って、でもあそこじゃこの本を眺めながら食べる余裕やリズムなんて到底ないだろうなあと思いつつ足がそっちに動いていて、気づいたらお店の前まで着ていた。そっか上がランチョンだ、と思って階段を上がる。1000円の方のランチは、メンチカツとトマトグラタンだった。なにかたずねないまま頼むのも楽しい。

通された窓際のはしっこからは、この店にはじめてきた時に座った席が見える。
14年前で3席前だ。はじめて自分たちで雑誌をつくり創刊号を出した時期で、それを手にとってくれた「ほんものの編集者」のお姉さんにメールで呼び出されたのだった。緊張した。なぜか怒られるものだと思っていたら、すんごい褒められた。

「わたしは今ファッション誌を担当してるんだけど、30歳までに文芸に異動できなかったら退社します、って上司を脅迫しているの」とその人は楽しそうにいって、ふふふと笑ってランチビールを飲んだ。ボブに揃えられた毛先がふわりと巻き上がって、そこに午後の光が差していた。その日のランチには、小さなカキフライがついていて、ぼくは最後までとっておいていたそれを、一口で食べた。メインディッシュは忘れた。

11月22日(日)

新居にエアコンのおじさんがくる。
はじめてエアコンが実装されていない部屋に住むので、買ったのだ。それも3台も。
それでおじさんがやってくる。
家に他人がやってくる、何か作業をして帰っていく、それを迎え入れる、ということが生活の中で何よりも苦手でこれまでぜんぶじゅんこさんマターとしてきたけど、彼女は仕事でいない。ここまでの引っ越しのほとんどをやってもらっているので、ここはやらねばと奮起する。

結果的に、なんか大丈夫だった。
新居が新居すぎて、自分の家って実感がなかったのかもしれない。
おじさんは途中からヘルプのおじさんもやってきて、ふんふんとがんばっていた。それにいい影響を受けて(手仕事・手作業はいいものだ)、ぼくの本棚の整理もけっこう進んだ。