武田俊

2021.12.14

この町を守るためのラストスパート

11月29日(月)

昨日夜にろうどうしたから、今日は積極的には働かないことを誓う。

ごとうさんと神社のそばのイタリアンに、熊手を渡しにゆく。かわりに北陸みやげに、かわいいビールともなかにお味噌の入ったやつをもらう。もなかって、溶けたらどうなるんだろう。なかったことに、なる?

ランチコース1980円をええいままよと頼むと、「お店のアニバーサリーで100円でスパークリングワインをつけられます」と言われ、またええいままよ、をしちゃう。メインはシュニッツェル。シュニッツェルはドイツ語でたしか発祥はオーストリアだから、イタリアンだけども?と思ってたけど、今調べたら発祥は北イタリアだそう。

夜、じゅんこポトフをベンガルカレーに転生させる。異世界だ。追加した手羽元をていねいに下ごしらえしたのもあって、歴代スパイスカレー5傑に入るようなできばえ。天才!と言い合うけど、目分量なので再現できない。こういうのをパルプンテカレーと呼ぶことにする。

11月30日(火)

もう年末ですよ早いですね、って3年言い続けてる気がする、ラジオで。オンプラからの帰路の電車、そこに一定時間居ざるを得ない環境はじゅうぶんに執筆を支援する、と思う。日記は移動中がいい。キータイプとフリック入力、ぼくはどっちが早いのかな、とふと思う。

12月1日(水)

マチソワが徹底できず、MTGが4つになってしまう
柔術に行く体力、ちゃんと温存しましょう。

12月2日(木)

新しい町にはたくさんのジムがある。
エニタイムはフリーウェイトコーナーこそダウンライトだが、有酸素エリアは蛍光灯が中心のようなので、しばらく使ってみていい気持ちになれなかったら退会して、広々としたところへ乗り換えてやろうと思って消極的な気持ちで向かっていると、なんとここにも最寄りの地獄と呼んでいたエルゴマシンがあることに気づいて気持ちが揺らぐ。

この船を漕ぐ動き(ローイング)をたんたんとこなしていくマシンは、ゆったりやればなかなかに楽しい全身運動なのだけど、ぼくが格闘家の方たちに教わったのは、3分なり5分なり、つまり試合時間にタイマーをあわせ、その時間の限りに全力で漕ぎ続けるというシンプルかつエゲツないものだ。それをインターバルを挟みながら3セットすることにしているのだけど、これだけただただきつい運動はあまりないのではないか、というくらいきつい。

どれくらいきついかといえば、マイセット最後の方は脈拍180、息も絶えだえという状態になるので、ラスト10秒などは「今……全力で漕ぎ続けないと……この町は滅んでしまう……!誰も気づいていないこの未曾有の危機を……救えるのは……ぼくだけ……!!!!」と頭の中で自分に叫び続けなら漕ぐことでなんとか乗り越えられる、というくらいきつい。この町を守るためのラストスパートだ。

エルゴマシンはただでさえ漕いでる間に、ぶううんん、と低く唸るような音が鳴る。
このマシンを使うひとはほとんどいないから、ゆったりとエアロバイクを漕いでいるひとたちが、なにごとかと凝視する。そこには滝のような汗を流し、喘息のときのようなひゅうひゅうと喉を鳴らしたぼくが太ももを痙攣させながら倒れ込んでいる。
見てはいけないものを見てしまった、という表情を浮かべてみんな視線をもとに戻す。
そのときに全身を駆け巡るのは「ああ、よかった……この町を救えて……誰も気がつかないままに……」という、変態めいた達成感で、ちょっと自分がしんぱいになる。

12月3日(金)

とんかつさんに誘ってもらって、うまれてはじめて都市対抗野球を見に東京ドームに行く。
都市対抗野球は、各地域の企業が予選を行って、地域の代表企業として東京ドームに出かけ、その頂点を決めるというもの。どのチームも同地域の他チームから3名の強化選手、というのを連れてくることができるルールで、ここになにかロマンチックな物語の破片を感じる。

10時から第一試合、14時から第二試合、18時から第三試合がある。
「例年なら通しで見れたんだけど、今年は感染症予防の意味も込めていれかえなんだよね〜」と教わって、それでもブラスバンドを入れた応援が復活している、というのが楽しみだった。

いろんな町があって、いろんな大企業がある。
地方にとって大企業というのはきっと、町ぜんたいの経済と、人の生活に密接に関わるようなものなのだろう。かつての日本は、今よりももっとその度合が強かったのだろう。サービス業ではなくて、もっと実業、ものをつくって売るような質量と実態を伴った商売が基本で、それが様々な地域にあったのだろう。終身雇用というものがあって、そこで働いてそこで死んでいく生活の中で、大企業の部活というものは、きっと地域と仕事と生活を潤滑につなぐような役割を担っていたんだろう。

今やずいぶんと減ってしまったそんな関係性の片鱗、みたいなのがここにあって、プロ野球なら内野の一等席の場所にステージが組まれ、チアリーダーとリーダーがローテーションを組んで舞う。手前にはブラスバンドがいて、ドラムセットも組まれている。応援の練度はチームの規模や歴史と比例していて、キレのいい動きをするチアリーダーやリーダーたちを見ると、このひとは普段どんな部署でどんな仕事をしているのかな、と思う。会社の飲み会とかでも花形なんだろーか、とか。なら、かれらを囲むようにして団扇を振っている老夫婦たちは、いったいどんな働き方をこの会社でしてきたのだろーかとか。

こんなふうに生きてみたかったと思う。
自分の手掛ける仕事が最後、質量をともなったものとなって現れて、それが意識されるかされないかはさておき、まったく縁もゆかりもない人々が生活の中で使っている。
それらが動かした経済によって、暮らす町が成り立っていて、その大きな屋根の中にたくさんの生活がある。そこに、たとえば野球がある、ということ。
そして勝ち上がっていくと、みんなで東京ドームでユニフォームを着たりして、応援する。
そういう生活。
「わかるよ〜それ。でもさ、そうしていたら平日のこんな朝から、こうやっていろんな野球は見られなかったんだよね」
そうなんよねえ、と言い合った。

グラウンドでのプレイを見て、席の上部のモニターでそのリプレイや球速や回転数を確認して、応援を眺めて手を鳴らし、そしてかれらの人生の物語を想像する。いそがしくていそがしくて、でもそれがおもしろい。

夕方、法政授業。ゲストは石井くん。
同じキャンパスでいっとき同じ時間を過ごしてきたひとの、これまでの仕事と最新の仕事の話を聞くことは生徒にとってもだが、ぼくにとってもすごく刺激的な時間で、そのことにうっとりする。
終わったあとのご飯では、話題が途切れることがなくって、今の話も昔の話も混在して、ぼくたちの今って「今」「昔」「未来」が混在したものなんだよなって思う。

母校って、あまくあたたかな泥のようなもの。
そこにたくさんの記憶がうずまいていて、どれだけ時間が経ち、校舎の形が変わったとしてもその堆積された物語は懐かしむことで、いつでも引き出せるアーカイブなのだ。そこにいたぼくたちが、それぞれ交わりを減らしながら新しい仕事をつくっていった過去も今も未来も、ここに立ち返ることでまた過去とともに交わりをともにすることができる。
しばらく触れていなかったから冷え切っている。
でも、その場所に一度身を浸すことができたら、すぐにこの体温を移すことのできる、あまやかな泥だ。

2004年、入学前年に壊された学生会館の跡地に建った校舎でぼくたちは育った。その場所で、かつて学館から発掘されたというサミュエル・フラーの作品をテレシネしていたのは、2008年。新校舎の壁に映されていたのは、時代をまたがった光だった、それをデジタルに変換して閉じ込めた、未来のために。卒業したのが2009年。石井くんが卒業した2011年にぼくらはKAI-YOUを創業して、2019年に兼任講師として招聘された。そしてその、かつて学館があったその場所のセブンイレブンでおろしたお金で、今日飲んで食べたもののお金を支払った。

そのお店──魚竹というお魚の扱いがとってもていねいなすてきな居酒屋──にはじめて入ったのは先週の金曜で、こんな近くにこんないいとこがあったのかよ! これからここ使おうな! とはしゃいだ。未来の行きつけだ。それで、今日、三岳のボトルを入れた。そのあとに、来週この店が閉店するということを知った。ボトルどうしよう……と言いながら別れたけど、今、飲みきれないままでよかったのかもと思う。

飲みきれなかったボトル、その処理のされ方も処遇も知らないまま半分くらい残っていた三岳がそこにあった、そして突然の閉店で飲みきれなかった、その記憶は、瞬間を永遠に近づけてくれるひとつのトリガーとなると思った。いつかまた今日のメンツで再会することがあれば「あのときに入れたボトル、どうなったんだろうな」って、ずっとぼくたちは懐かしみ話すことができる。その、確定しない未来の瞬間の到来によって、今日のできごとは永遠になる。

移動中に野呂邦暢『愛についてのデッサン』
良すぎる……。なんでいままであまりいい読者でいなかったの!

12月4日(土)

ベラトールバンタム級チャンピオンマッチ、終始ゲームメイクしていた堀口がたった一発のバックハンドブローに倒れて、3時間なにもできなかった。右ハイ見切ってからの、その流れでとんできた裏拳、それ一発で全部終了してしまう格闘技のおそろしさ。

なんとか食事をして、ジムにいこうと思う。
駅の向こう側のエニタイムに行かなきゃいけないのがシャクだったけど、駅前がこれだけすてきな新しい町だから、運動を起点に買い物などのタスクを組めば楽しく効率のよい運用ができるのでは、と思いちょっとだけうれしくなる。

『愛についてのデッサン』が良すぎたので、先日見送っていた『野呂邦暢 古本屋写真集』松村圭一郎『くらしのアナキズム』を買う。氷室冴子といい、最近のちくま文庫、すごすぎる。『愛についてのデッサン』は4刷だとか。目のつけどころが最高にかっこういい。1時間ちょっとカフェで読んで、エニタイムへ。文から武へ。この流れ、いままでになかったいい感じ。