武田俊

2022.2.1

中央フリーウェイとASD

1月24日(月)

自分にとっていちばんやっていきたい釣りってどんな釣り?と考えている。昨年いちばんやったのは、ハゼのミャク釣りでこれは親しみを持てるものだけど、なんか違う気がする。やっていきたいけど、ここで究めていくのはもっとおじいちゃんになってからでいい感じ。和竿にこだわったりしながらハゼを釣る人生の終盤、いい感じである。

やっぱりルアーでかけたいのかな、と思う。
渓流でスプーンでレインボートラウトやアマゴを釣ったときのうれしさは、えさのそれとは段違いにうれしいものだった。加えて、体が動くうちにいろんな場所に行く釣りをしたいのだと思う。じゃあ海は?SLJ(スーパーライトジギング)は?と思うと、これはやっていきたいけど、なんせまだ海でルアーで魚を釣ったことがない。まずそこからだな、と思う。海でのルアーフィッシング、そして山や川でのそれだろう。

つり人別冊『渓流』、桜庭一樹『少女を埋める』を買う。ベイトフィネスタックルが気になってる。

1月25日(火)

新しいものが生活の中にやってくると、初めて連れてこられた部屋に戸惑う動物のような気持ちになってしまう自分がいる。先週末やってきた新しいダイニングテーブルに、やっと慣れてきた。この先10年も20年も使えるものがいいね、そういうふうにして買ったのは飛騨高山の樹木を使った円形のダイニングテーブルで、円形のものははじめてなので余計に緊張していた。

やってきたのは直径が105センチで、これはお客さまがきても対応できつつ大きすぎないサイズのはずだった。同じく円形ダイニングテーブルを使っている友人に使い心地をリサーチしたし、いろんなサイトも見比べた。事前にじゅんこさんにお願いして105センチの直径にB紙を切ってもらい、それを置く予定の床に敷いてシュミレートもしてみた。入念だ。なのに、やってきたそれは想像よりも大きくて大げさなものに思えてしまう。

じゅんこさんは「いいつくえだ〜」と届いたそばからしっくりきているようでうらやましい。「ぼくは1週間くらい大きすぎたんじゃないか、とか言い続けるからごめんね」とあらかじめ言っておく。

なんでもそうなのだった。
新しく買ったものに傷がつかないか心配でろくに使えなかったり、ネットで買った靴のサイズが気になって返品したくなったりする。それでもちょっと慣れれば次第にどうでもよくなるのも常なのだけど、そんな自分の特性を知っていながらも慣れるまでずっとわなわなしている。緊張に近い。強い自分のこだわりがもともと体の芯のあたりにあって、それが外部としての新しいものにフィットするまでにとても時間がかかるのだ。バキバキのHSPだしASDの傾向がかなり強い。

寝る前ぼくのASD傾向の特殊さ・奇妙さについてふたりで話した。山中湖から帰る途中、じゅんこさんは久々の高速道路を運転するぼくを気づかって「ゆっくりでいいんだからね〜」と声をかけた。それに対してぼくは「高速道路で速度を落としすぎると危険だから、最低80キロ、100キロくらいで巡航すべきなんだよ」と答えたという(あんまちゃんと覚えてない)。「厳密!(笑)」と思っておもしろかったらしい。

他にもこういうことはあるようだ。固有名詞を訂正したり、なんだり。で、彼女が不思議がっているのは「おうちにいたり、二人でいたりするとき以外の対社会モードの時は、こういうふうにならなくない?」というところらしい。

たしかにそうだ。対社会のときにぼくはむしろ、そこに示されていない情報や感情を読むことを優先している気がする。だから当然「ゆっくりでいいんだからねえ」に込められているのが「低速で走れ」ではなく「気づかい」であることはすぐにわかる。力を抜いてるとASD的な傾向が強くなるのかな。あるいは、ある意味歪な認知同士のふたりが暮らしている生活だから、相手の偏りを補うように自分と得手とする領域での認知が加速するのかな。いずれにしてもとっても興味深い。

1月26日(水)

午前意気揚々と日課をこなしていたら、午後から急にドーンと重力が増えてばったり。かなしい気持ち。かなしい気持ちは歌を呼び込みやすくって、今日のそれはフェイ・ウォンの『Eyes On Me』だった。どういうわけか評判が芳しくない『FFⅧ』だけど、中学生になってはじめてちゃんとRPGを自分にひとりで完走したタイトルということもあって、テーマ曲のこれと併せて個人的にとても大切な作品になっている。そして、ほんと名曲。ちゃんとワンフレーズ「Fantasy」が比喩として出てくるのもいい。作曲は植松伸夫、作詞は染谷和美。

Youtubeの連なりに身を任せていた1999年の彼女の舞踏館ライブの映像に行き当たる。インタビューパートやバックステージの風景を見ていて、なんてすてきに笑う人だろうと思う。まっすぐな命がそのまま形になったようなひと。女性ボーカリストでたまにこういう人がいる。日本人だとCoccoとか。そういうふうになりたいなあと思って見ていると、じゅんこさん「わたしからみると、俊くんはこんな感じだな」と唐突にいう。なんで思っていることがわかるんだろう。

それからテレサ・テンへと派生して、気がついたら映画『芳華 Youth』を見ていた。上映当時映画館に見に行った。

文化大革命期の文藝工作団の話。いろいろ「ん?」と思うことは多々ありつつも、政治と暴力と青春が組み合わさって若さが翻弄されてしまう物語に、どうしてもぼくは弱い。「生きる時代を間違った!」と叫びながら、知りもしない時代を懐かしみつつゲバ字を立て看に書いていたのは、きっとそういう部分からだろう。個人、組織、世界、そのままならなさの中に閉じ込められてしまったが故に一瞬だけ輝いてしまう鈍いひかり、のようなもの。

1月27日(木)

文字が溶けて本が読めない、脳が動かずゲームすら重たい。そういう日に映画はくすりだってことが昨日わかったので、今日も映画を観る。たぶんこういう時には未見のものではなくって、けっして派手ではないがなぜかじんわりと好きだなあ、という過去に見たものがよろしい。それで侯孝賢の『珈琲時光』が選ばれた。

1月28日(金)

くりばやしくんと小名木川に行く約束をしていたので、がんばって原稿をひとつ仕上げる。くりばやしくんはイヌイットのひとがかぶるような耳付きの帽子をかぶっている。キスチョコをひとつあげたらお餅をくれた。新潟のおばあちゃんがくれるおいしいお餅だそうだ。

前回『つり人』の記事の通り16時半から釣れたからその時間にあわせていくも全然釣れない。「こないだはこんなんじゃなかったんだよー」と言い方を変えながらなんども話していたら、18時あたりになってあたりがポツポツ。結局最後まで渋かったけど、ふたりで10匹ほどそこそこカタのいいマハゼが釣れた。このポイントがいいのはダボハゼがあまりかからないところ、ミャク釣りにちょうどいい深さなところ。13匹持ち帰り、内臓と下処理だけして熟成に回す。

1月29日(土)

1日中、『ポケモンレジェンズ アルセウス』。発売日に買ってすぐプレイするという体験は何年ぶりだろうかとてもよいものだ。そしてこのタイトルの体験は特別なものになりそう。これは別でエッセイとしてさくっと書くのがいいな、と思いながらひたすらプレイした。対人戦が存在しない、クラフトでモンスターボールほか多くのアイテムが制作可能、ポケモンは人類の友ではなく危険な野生。このあたりが特にすばらしいポイント。

御三家からは水タイプのラッコ・ミジュマルくんを選んだ。写真館で1枚。

1月30日(日)

熟成ハゼをどうしようかと朝から悩んでいた。
背開きにして天ぷらにするのはめんどうで、でもからあげもあきた。それで調べたら白焼にして干す、そしてそれで出汁をとると驚くほどすばらしいスープになる、さらに出涸らしは佃煮にできる、と聞いてそうしてみることに。とったお出汁はおそばかお雑煮にする予定。ハゼが保存食になるぞ!