武田俊

2022.2.17

生きのびるための注釈

1月31日(月)

「オンプラ」ゲストにokkaaaくん。
番組でかけた楽曲にぐっときて、それで来てもらった前回。彼と話していてふと「大学の時のぼくと会って友達になってあげてほしい」と思ったのだった。こうやって書いてみるとなんかキモいのだが、切実にそー思った。それで今回のゲストの時間のときに思わずご本人に伝えてしまう。恥ずかしそうに笑ってくれた。

音楽、映画、短歌、写真、小説……。この世界に対してなにかを表現をしたくって、でもそのアートフォームのうち何が適切なのかわからなかった、から全部やった。全部やってみると、自分のセンスの置き所がしっくりくるものもそうでないものもあった。少しやってみるとどれも先をいく人たちはとんでもない才能たちだということに否応なしに気づく。

で、せめてたくさん見て読んでつくろうと思う。すると見る目はある程度まですぐ肥える、若いから。するとどうなるか。楽しそうに映画つくったり音楽つくったり小説書いてる大学生が、とてつもなくしょーもないものに見えてくる。そういうものと一緒になりたくないから、実制作から離れてしまった。そういうぼくと友達になってほしかったのか?

才能とよい身軽さ、ジャンルを越境した興味と誠実さはほんとうは同居可能だ。作品と世界にまっすぐ衒いなく向き合う限り、ということを20分にも満たない対話でokkaaaくんから教わったような気がするのだった。世界が落ち着いたら必ず集おうね、と約束した。

2月1日(火)

※またしてもえげつないウツがやってきてしまった週でした。われわれは躁と鬱、それぞれの極で体験した身体感覚や細かな記憶が適切にセーブされないように設定されているので(でないとたぶん死んじゃうんだと思う)調子がめっちゃいい日も悪い日も、どんな感じだったのか思い出せないのです。

よって以下は、2月16日に生き残っていた武田俊が、今年から手書きで自分のために書いている「Red Stone Diary」と「3年日記」に残されていた断片的な記述を解読し再編集してみました。()内は2月16日時点の武田俊によるツッコミです。

村田基のキャスティング動画がたくさんYoutubeに落っこちていたので、片っ端からみる。

ベイトフィネスというベイトリールでライトなタックルを扱うっていう釣りのしかたが気になっていて、これは昨年に河津でやったアマゴ釣りでの経験から。

川幅のせまく流れの早い川では、ひたすら手返しよく投げられたらいいなあって思って、スピニングリールのベールを起こして……って流れがすごくめんどうなものに思えたから(あと、単純にベイトリールってかっこいい。バス釣りをやってこなかったから、ベイトをつかったことがないのです)。
そしたら開眼したかも!早く投げたい!

永井玲衣さんの「OHTABOOKSTAND」での連載「ねそべるてつがく」。いい。写真もおもしろい。ひとじゃないみたい。ちょっと黑田菜月の写真のなにかに似ているような気がした。

2月2日(水)

長嶋有『ルーティンズ』読みはじめ。
とんかつさんに『ゆきあってしあさって』と津村記久子『つまらない住宅地のすべての家』をもらうランチをする。めあての蕎麦屋さんがお休みで、中華料理屋へ。表におおきく「鉄鍋餃子」って書いてあってすっかりその気になっていたら、ランチメニューには鉄鍋餃子がなかった。

啓文堂で鈴木涼美『JJとその時代』、池澤夏樹篇『わたしのなつかしい一冊』買う。

(『わたしのなつかしい一冊』はその後、今期のおトイレブックスに採用された)

2月3日(木)

1日『UFC4』と『ポケモンレジェンズ アルセウス』。
ダメな日にゲームをし続けるより他の方法もとりたいな。

(ん、ダメな日? 何があったのか具体的に知りたいぞ……)

2月4日(金)

今日できたこと、郵便局に不調だったAnkerのドッキングステーションを持っていく。うどんを食べる。最寄りの丸亀製麺には小上がりの席があって、そこのことを「お部屋」って呼んでる。そういうささいな楽しいことを忘れないでね。

オカヤイヅミ『みつば通り商店街にて』読む。
RGMの新しいロッドが届いていて、リールをセットしてみる。竿先がぷるぷると柔らかいウルトラライトのロッドを目を閉じて振ってみるとすこし元気が出る。

2月5日(土)

冬に都心部でできるライトな釣りは、どうやら夜釣りに向いているものが多いみたい。そういう釣りのためにシーズンも終わりだけどあたたかなアウトドアウェアがほしいなと思って、じゅんちゃんと郊外のアウトレットに行ってみる。それが大失敗だった。

アウトレットモールって、資本主義の墓場。
何か専門的な用途に特化したわけでもないマス向けのアイテムのうち、マーケティングの敗残者が一気に集められて安く売られている。建物も安い建材をつかったフェイクなテーマパークって感じで、1周回って見出そうとするおもしろみすら宿らない。

その虚無感が肌の中から全身に染み渡ってくるよう。どこか飲食店に避難しようも、入りたいと思えるものなんてなく、かつその上どこも混んでて居場所がなかった。道に座り込んで下を向いて動けなくなってしまった。ひさびさの感じ。

(初めて行く場所なのに、事前にフィールドの雰囲気とか飲食店にどんなものがあるのとか、リサーチしなかったのが失敗だよね。なんで普段なら外さないことを、こういう時にしちゃうんだろう)

2月6日(日)

(今思えば昨日のアウトレットモールの衝撃が完全に失調の理由なんだけど、それも思い出せなかったんだね)

きっかけがなんだったのかもうわからないけど、うつ大爆発。
久々マックスの-5。

(「3年日記」には認知行動療法的に、-5から+5まででその日のエネルギー量を書いてる。どっちの極に振れてもよくないわけです)

すっごい希死念慮。このつらさをなくしたい。全部の機能を停止したい、この人生のターンでこれが続くってこと自体が耐えられない。泣く。じゅんちゃんを困らせてしまって、それも申し訳なく、より消えてしまいたい気持ちが増す。

こーゆー時は坂口恭平『躁鬱日記』だった、と思って音読してもらう。
(うつの時はゲシュタルト崩壊のようになり、活字がいっさい読めません)

聞いていると、そうだったそうだった、と対処のしかたを思い出し、ぼくよりもより強烈かつ多い回数のうつエピソードを経験していて、この本を書き残してくれた坂口さんのことをありがたく、また同時に不憫のように思って、また泣く。

いったいなんだってぼくら、こんな解けない呪いみたいなものをかけられてしまったんだろうか。
ゲームだったらリセマラしたい。
泣きつかれて寝る。

(優しく接してくれていたけど、じゅんちゃんは眠れず、ぼくが寝たあとずっと泣いていたそうだよ。またかわいそうなことをしてしまった。でも今はすこし元気になったから落ち込まないで、いいお返しをしたいと思えるね)