武田俊

2022.6.11

空中日記 #75

6月9日(木)

この空中日記のほかに、手書きの3年日記をつけている。そこに記されるのは自分の行動記録と体調についてで、つまり認知行動療法のためにやっている。できごとの上の段には-5から+5までの数字を記していて、これが体調というかエネルギーのゲージ。最初はこれに加えて気温と天気も書いていたけど、それをルールにすると継続率が下がることがわかったので今は除外している。そういう仕組みで運用しているから、それぞれに書くことは同じ日でも全然違う。そこには編集があり、もっと大げさにいってしまえば明確な作意がある。

日記の虚構性とはなんだろう。
あったことを書くのが日記だとして、そこに書かれることを選ばれなかった出来事は、いったいどこへ行ってしまうんだろう。書くことでぼくは記憶する。少なくとも書かれなかったことよりも、書かれたことを記憶する。あるいは──書いている中で思い出された感覚や、書いている時間の中でそれまでふわふわと言語化できなかったものを活字に定着させられることがある。いや、それよりも言語化できなかったものをむりやり活字に定着させてしまったものの方が、多いのかもしれない。口語だとそういうことは起こらない。何度もその場で相手と場所のムードに合わせて、言い直すことができるから。活字は、書かれたその場ですぐ定着する瞬間接着剤のようなもので、ほんとうにほしいのはもっと可塑性の高い言葉だったりもする。

今日は調子がおかしくなってしまっていた。ここ最近の不調の中の、ひとつの落ち波にぶちあたったのだろう。とんぷくを入れた。穏やかに効いていった先で落ちて夢をみた。ダウンライトが暖かな店内。内装は黒い石造りのモダンな割烹のような店にいた。席は扇状の白木のカウンターで、全部で10席程度。その一席に座っている。食事はお任せになっているのだけど、ぼくの前にだけドリンクがなく、オーダーしようと声をかけるも声が届かない。なんせ喉が渇いていて、今にも焼けつきそうだ。だからなんども板前さんに声をかける。
「すみません、なんでオーダーしてもらえないんですか?」
やっとこちらを向いてくれるが、苦笑しながら「だって……ねえ……?」と他の客に目配せをすると、ぼんやりと黒い闇に覆われて表情のわかりにくい客たちが「わかりますわかります!」と嬌声をあげた。どういうことだろう? その悪意を読み取れないまま店内を眺め回す。天井と壁が交わる隅に小さな神棚のような棚があり、そこに1匹の灰色の猿がいた。石像なのか生きものなのかわからないな、とその灰色の猿を眺めていると、どういうわけかそれに強い見覚えを感じ始めた。これは──なんだっただろうか。確実に見たことがある、この猿はなんだったのか。思い出そうとするほどに、だんだんそれがこの世に存在してはいけないほどの邪悪なものだったような記憶が渦巻き始める。