武田俊

2023.1.23

空中日記85|終わりを終わらせる

1月11日(水)

ポメラを昨日踏んだ。純正の充電器じゃないとうまく充電できなくて、直接コンセントからとっていたので床に置いていたのだ。筋トレ用の黒いクッションマットの上で、ポメラは地面に溶け込んでいて、それで膝で踏んだ。液晶が割れて、物を大事にできない自分のことが何よりも好きじゃないから、それでいっぱつでうつになりそうだった。

pomraが使えないから、空中日記を何で書こうかと思って、iPadを取り出してきた。これでまた楽しくかけるといいのだけど。

かなしい気持ちのまま、アマプラで「ドキュメント72時間」の過去の放送回から、西成で夫婦で24時間営業の食堂のやつをえらんで観る。たまらない気持ち。その場にいたい、と強く思うのはいったいどういう心の動きなんだろうか。別にこれが西成でなくてもいいと思う。酒場というものが町で担っている機能、みたいなものにぼくはずっと惹かれていて、それが1日の疲れを癒すささやかな楽しみでも、日々のことや過去のことから目を離すためでもいい、その人の物語がだらっと流れ出てきてしまうような、そういう空間に酒をほとんど飲まなくなった今も惹かれ続けているみたいだった。

寝る前、今日も『走ることについて語るときに僕の語ること』。かの有名な村上春樹が小説家を志した日の話(完璧な春の陽気の中、4月に神宮球場で天啓をえたってやつ)はこの本に収録されていた。なんか想像の中ではしゃれぶったいやなイメージのエピソードだったが、読んでびっくり全然そんなことなかった。2作書き終えて『羊をめぐる冒険』で専業作家となったときの生活の選びかた、住まい方は、ほとんど今のぼくが社会に対してとろうとしている距離感と重なっていた。当時村上春樹は33歳、ぼくは36歳。このとき、彼は走ることをはじめている。なるほどね。

 

1月12日(木)

6時半起床、7時「青の輪郭」の執筆開始。今日はごとうさんの入れてくれたえんぴつを反映しつつ整える作業。どうしても前後を読み直すことになるから、手入れしたくなって何箇所か推敲して反映する。連載段階では、基礎工事的な部分はできるだけ推敲しきらないようにしていきたい、ってか、してかないとすでにストックがなくなってはっきりと週刊連載になってしまったので、無理なのだ。

そしてやっとペースがわかってきた。6時半起床、7時〜11時まで執筆。11時からラン。これでいけそう。ほんとはもっと早く起きて、起きた瞬間にラン、そのあと執筆開始、の順にしたいけど冬は寒すぎて無理。

そのあと、このあとにつづく章とエピソードについて考えながら、目次のチューニング。それでもう2時間以上経っている。編集やライティング、あるいはエッセイとも違って、フィクショナルな要素を含むテキストをつくっていくときには、経過した時間に対しての具体的な生産量が伴わないことが多い。時間かけてもかけないことがあって、しかし文字数が増えていないからといって「進んでいない」わけではなかったりする。そんなことが最近理解できてきた。これたぶん、大学の時とか、まじめに小説書いたりしてた友人たちは、みんなとっくに知ってることなんだろうなあ。

すでに頭がぼおっと熱を帯びてきたので、『多崎つくる』のつづき。あとちょっとなので、そのまま読み終えてしまう。よかった、とてもよかった。36歳の名古屋出身で大学から東京にでた多崎つくるが、ある過去の出来事の謎を解くために過去に対して「巡礼」をする、というのはまさしく今ぼくが「青の輪郭」でやろうとしていることだし、なにより、つくる自身がかなりぼく自身と交差する。一人称で群像劇でそれを会話主体で進めていく、という形式もおおいにリファレンスにできそうだ。勧めてくれた荻堂さんに感謝かんしゃ。

そこで11時になったのでラン。緑道を行って帰っての4キロで、アドバイスをもらったように鼻呼吸をしてみるも、心拍とくに上がったままで変わらず。30分で5キロに満たないゆっくりペースなのに、脈拍150まであがっちゃうのやはりへんな気がする。それなら体に負荷きてるはずなのに、もっとペース上げて走りたいって体はいってる。じゃあ、このmi bandの脈拍測定に大きなずれでもあるのかなと思う。ちゃんとしたランとアウトドアで使えるスマートウォッチ、やっぱりほしい。

午後のMTGがリスケになったので、吉祥寺に行くことにした。NIKEのラン用のラインをまとめたっぽいお店があることを調べていた。しゃれた坊主の店員さんがいる。菅田将暉にちょっと似てる。アパレルのお店でいつも尻込んでしまうけれど、スポーツやアウトドアのものだとなぜかぼくはどうどうと振る舞えるので、「ちょっと相談に乗ってもらえますか?」といって、自分の手持ちのギアと、冬のランニングのかっこうで悩んでいることを伝える。なるほど、といっていくつか商品を出してくれる。もっとがんがんインファイトの接客をしてもいいんだよ、と思いながら、今持っているものよりちょっと分厚いパンツとウィンドブレーカーを買った。

ブックスルーエに行って、百年にはなぜか上がれなくて、そのまま流れるようにかつてよく通った道々を歩いた。それでふと商店街のいちばんはしの、あの2階のちっちゃなモスバーガーに行ってみようと思った。あそこで、友人や女の子とよく待ち合わせをしていたのなんだったんだろう。その疑問を解消してみたくって、足を伸ばすと、モスはあのときのままあった。その向かいには全然見覚えのないラウンドワンがあって、数秒固まったのち、ああ、ここにバウスシアターがあったんだって思い出した。頭ではたぶん先に思い出していて、体があとから追いつくようなかんじで、だから衝撃が強かった。ふだんは行かないモスで待ち合わせしてたのも、まさに目の前にあったからだし、その時よく一緒に出かけていた女の子はかつてモスでバイトしてたことがあって「モスバーガーのソースには、隠し味で味噌が使われているんだよ」と教えてくれたのだった。

路地を進み、一歩踏み出すたびに、その足跡から思い出の芽のようなものが、ぱあっと芽吹いていくようで、歩くほどに伸びていくその蔦に絡まれる。最終的にぼくはその蔦に全身を包まれて、寄生植物にのっとられた樹木が立ち枯れするように、涙を流しながら死んでしまうのだと思った。

だから、立ち枯れする前に、吉祥寺から離れた。帰り道の西日がとてもとてもきれいで、GRでたくさん採取した。西日、昔は体に浴びるととたんにうつっぽくなっていたから逃げていたのに、今はとても好きな光だ。何度でもいうけれど、およそ冬のもたらすもののほとんどが苦手だが、浅い角度から差し込んでくる光だけは、さいこう。

 

1月13日(金)

寝過ぎて早朝執筆に失敗。習慣になっていないことと、昨日ランニング含めて2万歩近く歩いて疲れがたまっていたのか。ごとうさんと「青の輪郭」定例MTG。実名問題について検討するも、どう判断すべきかなかなか難しい。実名を出すことで伝えられる部分と、実名を出すことで描けなくなることがある。メディア風景論×私小説っていう体裁で、どの距離感で打っていくのか。書きながら検討することに。

あと課題は台詞。

口語そのままでは台詞にならないが、台詞口調では台詞にしかならない。現実の人物が会話をするときの様子を、テクストにした時、なにがいちばん自然に写るのか。ぼくの無意識の中に、「物語上のコード」みたいなものがインストールされていて、それが勝手に出てきた結果、現実ではこうやって話さないよなあ、という文体で会話が構成されてしまっている気がする。これをどうチューニングしていけるか。処方箋ってたぶんなくて、書きながら、少しずつ理解されていく気がする。書かれたものを、自ら読んだときに、書き味と読み味の違いが知られる。イメージのバッティングフォームが、実体とずれていることを録画した自分のフォームを見て知るときのように。

 

1月20日(金)

今は23日。先週は「青の輪郭」にとてもとても苦労していて、日記が完全に抜けてしまっていた。毎週締め切りがある中で、それを1日破ってしまって19日になんとか書き上げて、この日の定例を迎えていた。なんとかなって21日に配信できたから、今はなにをどれだけ苦しかったのかあまり覚えていない。思い出せ。思い出す。

迷ったのはシーンの切り替わりだ。

プロットを書くときにするのはまず、その週のメインとなるエピソードを配置する。もちろんエピソード単体で仕上げることはできないので、前後、そこに至るためのシーンを想定していく。いくつかのシーンが、メインのエピソードへの連なりをつくってくれる。これでプロットは終わり。

で、実際に書き出していくと、書くたびに思い出すことがあって、そいつらが「おれも入れてくれよ!」といってくる。ので、無視できないので採用すると、どんどん文字数が増えていったりする。すると、シーンの切り替わり、どんなふうに終わらせ、どんなふうに次のシーンをはじめたらいいのかわからなくなる。

接続詞って、じつはなくても読者はつなげて読むことができて、だからそういう時、接続詞は存在するだけでステレオタイプなテキストのように見えてしまう。だから脱臼させたい。そこで何かしらの「詩」を持ち出さなければって思って、そこで膠着してしまう。この先に書きたいことの連なりはすでにイメージができていて、できるだけ早くそこに到達してしまいたいのに、「詩」がやってこないから、そこに縫い付けられてしまう。物語上でのくさびのパスが、自身をしばるものになってしまう。

今回そこを抜け出せたのは角田光代『愛がなんだ』を読んでみたことが大きいような気がする。すごくよい意味でラフな文体で、進行する。連載しが「ダヴィンチ」だった(はずだ)からなのか、リーダビリティに重きが置かれている。装飾や比喩も少なくて、ソリッドで、だから展開と会話に視線が向く。こうありたい、と思った気がする。

で、今日は新見と担当する情報メディア演習の最後の授業だった。4年やった最後、ひとつの書籍を選んで1ツイートでPRせよ、という課題の講評をやった。それぞれ5つほど選んで講評していくとき、お互いのフィードバックがほとんど重なるとき、ぼくたちが歩んできた道の重なりのことを思うし、そこが少しずれたときに、ああその視点いいなあと思う。たぶんそういうふうにぼくたちは、最初にであった19歳のときから一緒に歩んだり別れたりしたのち、母校でこうして再会して、それから4年たったのだ。

終わってから3年ぶりくらいに教えた学生と飲んだ。試験期間だけど5人やってきて、最初は魚金、さいごに竹子に行った。学生の悩みを聞くのがおもしろいのは、それが昔の自分たちに重なるからだと思っていたのだけど、はてはたしてほんとうにそうだろうか。今日聞いていて、彼らの悩みは、個人が社会と向き合う中で生まれてくる普遍的なもので、それは昔というより、今の自分自身にとっても切実な問題だからじゃないか、というふうにアップデートされた気がする。彼らはまだそれをうまく語るすべを持っていないから、聞いていてたまに恥ずかしいような気持ちになったりもするが、そのこと自体をとてもとても愛おしいと思う。

新見ともう一緒に教壇に立つことがない。そうなった日に、ぼくは2008年に高円寺の風呂なしアパートで、かれとふたりでこれからつくる雑誌の名前を考えている、というシーンを書き上げた。ちょっとしたその因果めいた事実が、帰路、胸の中をあたたかくする。そこそこに飲んでいたから心配になって「ちゃんと降りれた? 大丈夫?」とLINEをすると、無事降りれたという返答のあとに

楽しかったなー

やめたくなかった

とふたことだけ届いて、それが胸の奥の奥のやわらかい部分をぐっと潰すように握った。

 

1月21日(土)

早起きして、パシフィコ横浜で開催されている「釣りフェスティバル」にあさとくんとゆく。行ったことがないけど、TGSみたいなものだろうと思っていて、実際にそうだけど、釣りに関するものたちが一同に会している場、というのは想像以上に興奮させられるもので、「やば!」「エグう〜」といいながらまわる。

「あさとくん、これぼく今日見ながら何回も『釣り行きたいなー!』っていうと思うわ」
「せやな、100回くらい、いうやろな」

と話していて、100回は行かないにしても、たぶん30回くらいいったと思う。
あさとくんは、「今日はおれらが釣られる日やな」といっていった。

シマノ、ダイワの2大巨頭の新製品、というのはこのイベントの前後に釣りメディアで見たりしていたけれど、その他、もっとインディーな感じのブランドのブースも楽しい。pazdesignのブースで、シューズと、ハンドメイドのミノーと新作のスプーンの説明をしてもらい、来シーズンはスプーンでもいろいろ釣りたいな、と思う。1回の釣行で、ルアーチェンジ、どうするかっていつも迷うな。

午後、そこから永原康史先生の最終講義を受けに、多摩美へ。横浜線で横浜から橋本に向かうのは40分とかで、思ってたより早い。1つの駅間が広いんだ、ということに乗っていて気がついた。

美大で行われているメディアデザイン論が、どういうものかということには前から興味があって、だからそれだけでおもしろいのだけれど、数十年とってきた教鞭をどう置くのか、教えるということをどう終わらせるのか、というところも気になっていた。静かにはじまり、静かに終わって、たくさんの発見があった。じゅんちゃんがおしまいのアナウンスをし、永原先生がしっかりとした深い角度で腰から折って長めのお辞儀をしている。そうやって終わっていくものなんだ、とじんわりとした余韻に包まれた。

 

1月22日(日)

2日間、かなり色んな人にあったり、人の多いところに出かけたので今日は自粛。昔はこれができなかった。UFC283をメインカードから見る。ほんとうはプレリムも見たいけれど、そうすると比喩ではなく日曜の日中すべてを費やすことになってしまうのだ。

じゃあ、細切れで後日見ればいいかと思うとそうではなくて、こと格闘技はオンタイムで見るのがいちばんいい。結果を目に入らないようにすれば確かに新鮮なまま見られそうなものだけど、そうはならなくて、今ここで彼らが決死の戦いに挑んでいるのだ、それを見届けなければ、という気持ちが観戦をより高次の体験へと持っていってくれるというものだ。

午後、来年度の授業の用意。

永原先生の最終講義でDropbox paperが使われていて、これは、と思い、これまでつかってきたKeynoteの教材をpaperに移してみた。最終講義で思ったのは、講義というものの主要な部分は、ナラティブで、それ自体が価値なのだということ。あくまで教材はサブテクストで、図や見出しでナラティブを補強してくれるものであるべきだ。

スライドを使って授業を行う場合、それは紙芝居なので時間がリニアなものになる。前のページに戻りにくいし、ギミック的な要素やあしらいを用いて、目を引くスライドに仕上げよう、という意識が勝手に立ち上がってしまう。永原先生は時折「さっき見せたように」といいながら、paperで先ほどの図版を登場させたりしていた。巻物上のpaperならそれがやりやすい。

そう思って整えていくと、他にもいいところがたくさん見つかる。PDFを埋め込めばスライド形式で見ることができるし、ページという概念がないので、動画や画像を埋め込んでも図鑑のように眺めることができる。ほんとうは「青の輪郭」の執筆にあてようとしていた時間だったけど、こっちやってよかった。気が向く、というとなんだか適当な気分やぽい感じがしていやだったけれど、向けようと思わずとも向いてくれた気の方向を信じて進めることは、ひょうっとしたら高いパフォーマンスを生んでくれるのかもしれない。