武田俊

2023.3.2

空中日記 #88|管理釣り場のジレンマとキリングジョーク

2月13日(月)

午前、あたらしい仕事の仕込みMTG。

去年からずっと仕事の量減らしてきたので、久々にシノギ、という感じ。時間をかけたぶんの進行が保障されているから楽しい。うまくできるといいな。お昼はレトルトのポークビンダルー。ほんもののポークビンダルーをお店でもっと味わいたくなるから、レトルトは文化の入り口になりそう。食べながら「釣りびと万歳」のグレの回、ゲストは葉加瀬太郎さん。天候も悪くて大苦戦しててかわいそう。タイラバとかやりまくってる葉加瀬さんが苦戦するんだから、どうしても無理なコンディションだったんだろうなあ。グレ、めっちゃ神経質らしくて、水温さがると全然活性しないみたい。

午後、車にのって郊外のスタバに行く。意外に混んでる。こういう車じゃないとこれない場所のスタバが、平日の昼下がりにこんなふうに混んでるなんて知らなかった。ドライブスルーの車も多くて、「見えないお客」が多いからオーダーにも時間がかかる。あとスタバ、郊外店舗に行くといつも休憩時間のスタッフがオーダーして客席でくつろいでいる光景をよく見る。都心型店舗だとあんま見ない風景。気づいていないだけ? ホットのアメリカーノとチャンククッキーで2時間くらい作業して、キャスティングへ。釣具屋はやっぱり郊外の方がたくさんあって楽しい。木曜日に向けていくつかのルアーといくつかのラインを買う。

夕方にじゅんちゃんのお迎え。まだ運転するのに理由が必要みたいで、人のお迎えが楽しい。そのまま帰路、バーミヤンに行ってみる。ほとんど来たことない。注文はタブレットで、これが広告的な映像を常に流してくるから裏返す。麻婆豆腐、あんかけ焼きそば、シウマイ、最後に揚げパンにアイス乗っけたみたいなの。猫のロボットが持ってきた。食べながらバーミヤンって業態が出てきたくらいのころに、家族でこういう郊外の店舗に車で行ったことを思い出す。あのとき、たぶん人生で初めて担々麺っていうのを食べた。肉味噌の楽しさをそれで知って、でもこれ全部回収するにはスープ飲まなくちゃいけないの、と不安に思ってたら穴の空いたレンゲというのがあって、これにすっごく感動した。

寝る前、今日一日でしたかったはずの作業がそこまで進められなかったからか、妙にもんもんとする。うまく寝つけない。日記もつけられていない。それで枕元に置いてある武田百合子『富士日記』といしいしんじの『ごはん日記』を読む。めっちゃシンプルでたのしくて、日記はこうだよなあと思ってすぐ元気になった。このふたつはぼくの日記のお手本です。食べたものと読んだものは、必ず書こう。

寝つく前、自分でもどういうわけかわからないんだけど、じゅんちゃんに「じゅんちゃん、ぼくの顔を見て。これを覚えて眠ってね」といって、しばらく目があったあと、ぱちんと電気を消すということをしたら、爆笑された。ロマンチックになるかな、と思ったけどぜんぜんならない。爆笑はうれしいから、2回それをやってねた。

2月16日(木)

ゆうたろうと一緒に王禅寺へ。1年以上ぶりの管理釣り場です。去年あれだけ熱中していたのに、今年は全然出かけることがなくなったのは、自然渓流の魅力にとりつかれちゃったから。そこからイワナのドキュメンタリーを撮る、ってことにまで進むなんて、誰が予想できたでしょう。1年あれば状況はどんどん変わる。

平日なのにめちゃ混んでいて、なんだか去年よりもはやっている気がする。コロナになると人は釣りをしたくなるのか。事前に復習して、スプーンのローテーションを考えていたけれど、横でそうそうにゆうたろうが釣ってしまうものだから、すぐ「何投げてる? レンジは?」と聞いてしまってプランは崩れた。めちゃ細のナイロンになれず、ライントラブルも多発。結局6時間やって、キャッチできたのは2匹のみ。とほほな数です。それでもサイズは40オーバーと、60くらいのもの。

ぐんと竿がしなって、それをいなしながら近づけてくるのはやっぱりおもしろいんだけど、ネットに入った巨体はただ太って体高があるって感じのニジマスなわけで複雑な気持ちになる。それでも赤身の可能性も高いから、どちらも持って帰ることにした。

鮭科の魚は骨がとてもやわらかいから、大きくてもナイフで簡単に頭が落とせる。腹を空けると内臓脂肪たっぷりで、でもそれが人工的なものだから、頭の中では小学校の時に見てトラウマ的に記憶している、フォアグラをつくるためにガチョウに強制給餌している時の映像が流れた。

自然渓流の中で釣ったイワナやヤマメをさばくとき、ひとつひとつの所作がていねいになる。彼らが育った環境の中に身を置いて、そこにお邪魔して、一匹の魚を手にしている。手の中のぶるぶる。今、ぼくの手で絶たれようとしているひとつの命が、この形に育つまでふれあい、もがき、格闘してきたすべての世界を感じながら、その神経を刃物で遮断するとき、ただ自然と涙が流れていきそうになる。

管理釣り場だと、これがただの殺害って感じになる。さばき場のステンレスの汚いシンクの中に、太らされたニジマスをぼおん、と置く。釣られ、殺されるために人為的につくられた命。人が人の楽しみのために、つくった命。それを見ていると苦しいような気持ちになるから、早くそのループから切り離してやりたくて「早く死んで!」と思いながらさばく。だから、雑になる。彼らの眼から光が消えていくと、内臓を抜くずいぶん前から、食材にしか見えない。そして、切り離してやりたいと思っているループそのものに、自分が今日加担していることを改めて感じて、ぞっとする。何か悪いことをしている感じがして、その食材になった死体を隠すようにしてクーラーボックスに入れるとき、いったいこれは何をしてるんだろうな、と思う。

ニジマスを入れたクーラーを車まで運ぶ間に、釣り人を見る。ぼくらなんかまだかわいい方で、トーナメンターみたいなおじさんたちは、ここでたくさんのニジマスを釣るために、何本ものロッドをそろえてる。それを人工池のほとりにスタンドをつかって置き、何十、何百というルアーを、カスタマイズしたタックルボックスにしまってる。港区のマンションの駐車場に、それ見たことかと並べられている高級車のように、そんな道具たちが池のほとりにずらりと並んでいる。醜悪やな、と思いながら、今日ぼくらはここに並び立って釣っていたわけだ。

ゆうたろうと焼き肉食べて、車で送って、ひとりになったあとの帰路。あたまがぼんやり熱を持っている。もう、管理釣り場行くのやめた方がいいなと思う。けど、けど、どんな釣りだって殺生で、楽しみと尊さと死の関係がある。そのジレンマを極大化したひとつの実験場、ともいえるのが管理釣り場で、手軽な楽しさと引き換えに命が軽く雑になる。これって、まんま資本主義のジレンマやんけ。人だけじゃなくて、魚も資本に包摂されてしまう。ひょっとしてそれからちょっとでも逃れるために、ぼくらは山に入ろうとしているのかな。

夜、寝る前にいしいしんじの『書こうとしないで「かく」教室』を再読。最近再読ばかりしている。

2月17日(金)

起きても昨日の熱がまだ残ってて、ずっとぼんやりしてた。夜の予定をキャンセルさしてもらって14時からのMTGにそなえる。

『ミルクの中のイワナ』のMTG2本立て。あさとくんがこれまでがんばってくれてたものを改めて感じつつ、ここからぼくのターンが始まるなって感じで、すこし元気が出てくる。冷えピタ張ったままやって、その理由を説明するとみんなが笑った。

仮編集版が整ったので、字幕の校正を進めていく。これは楽しい。字幕では読点は半角スペースになるとか、知っているようで知らず、でも無意識になじんでいるルールに親しむ時間。1行の文字数が通常ではだいたい13文字なんだけど、ぼくらの作品ではカタカナや固有名詞、専門用語も多いので17文字にしてみることにする。久々にやればやるだけ成果のでる作業をしている感じで、つい他のことよりも優先させてしまいそうに楽しい。報酬系が早い感じがする。

夜、なぜか『ダークナイト』を見直す。ジョーカーのことを改めて考えたいのだった。見るたびに、その時期の自分によって注目するポイントが違うみたい。何度みてもおもしろい。

2月18日(土)

朝、石川昂弥のインスタで、何人かの選手がオフの日になんかのお店で肩を組んでる写真みて、最初「こんな高校生男子たち、ぼくフォローしてたっけ?」と思った。若手のプロ野球選手たちは、かわいい。それでこれこれ、と思う。これぼくもやっていた、男子校的な身体性。自他がいまよりもあいまいで、友達とくっつくのが自然だったりした。そしてそれがなんだか心地がよかった。そこにはかわいらしさを感じるひともいれば、ホモソーシャルな気持ち悪さも感じるのかもしれない。「青の輪郭」では、男子校的な身体性を描きたいと思っているのだけど、それがホモソーシャルな気持ち悪さをどう回避できるかまだよくイメージできない。男子同士での連帯って、いますごく描きづらい。男性の抱える表面化されない弱さ、みたいなものの方がよっぽど描きやすい。

お昼、代官山に車でいく。三菱アートゲートプログラムの展示がはじまって、アーティストトークの取材。この2年の試みについて、メンターがファシリテーションを務める形でトークが進んでいく。スカラシップの学生さんたちの交流会が夕方からあるようで、それに前乗りしてトークにも参加してる人が多くって、にぎにぎしてる。

車で行くのに迷っていたのは土日の代官山の駐車場が、どれくらい混んでいるかわからなかったから。で、タイムズのBっていう、タイムズの野良駐車場予約サービスみたいのを見つけて、それで予約できたから使ってみた。打ち止めで3800円。すごいなあ、と思いつつ勉強代と思って経費にして払うことにした。

帰り道、ごとうさんを乗っけて一緒に帰る。首都高の混み具合が読めなくて、ナビに従ったら富ヶ谷から乗ってみたら、そこがけっこうな渋滞。結局初台を過ぎるまでに30分超かかって、これなら下道で高井戸くらいまで走ったほうがよかったんじゃないかしら。でも乗ってみないとこの混み方まではわからないわけで、これがきっと運転の時の「読み」の難しさなんだろうなあ。

帰ってきてずいぶんと疲れていて、じゅんちゃんがココイチを買ってこようかといってくれたので、ソーセージカレーにほうれん草をトッピングした。Netflixを立ち上げたら『エルピス』が配信されていたので見る、おもしろい。マスメディア批判と、マスメディアだからできる権力に対してのアプローチを、マスメディア上で放送されるコンテンツでやる、時のバランスに誠実さのようなものを感じる。これ、メディア人が見るとおもしろいんだろうなあ。

権力に対しての視点、そこへの青臭い理想論と切実さ、みたいなものの描き方が好みで、このおもしろさなんかに似てるなあと思ったら、たぶん『ペルソナ5』のそれな気がした。

寝る前、アラン・ムーア『キリングジョーク』を読む。おもしろい。おもしろいんだけど、グラフィックノベルって、なんかやっぱりぼくには読みにくいみたい。

2月19日(日)

朝、田中優子の『江戸の想像力』を読む。出だしからおもしろい。

今日も代官山へ三菱アートゲートプログラムのアーティストトーク。ろばとがファシリテーションを担当するトークのアーティストのお一方が、体調不良で休んでしまった。それで彼女の用意していたスライドを、それがなんなのかわからないまま読み解く、という時間が生まれたのだけど、どうしてこれがなかなかおもしろい。美術鑑賞を何人かで一緒にやっているときのような、自分はこう感じるけれどどうだろう、という会話の応酬。そこにはなんか切実な想像力と、でもそれがたしかでなくてもしかたないという気取りのなさから生まれる、ちょっとしたおかしみとかわいらしさ、みたいなものが宿ってる気がする。

車で、武蔵中原ってところにある釣具屋さんへ。釣り仲間(なんて彼のことをいってしまっていいのかわからない。だって釣り歴50年以上の大先輩なのだもの。でもそれを仲間と簡単にいってしまえる感じに惹かれるから、あえて乱暴に書いちゃいたい。なのにここまでエクスキューズをしてしまう自分もいる。たかが日記なのに……)の和田さんが、ここにぼくが探してたロッドがあったよっていっていた、ってことを釣り師匠の横田さんが教えてくれて、それで電話をして取り置いてもらったのだ。

メタリアカワハギってやつ。これは竿先がメタルで、めっちゃ細かいあたりを感じ取らせてくれるらしい。カワハギの釣りは専用のロッドじゃないとだめって感じで、何度かやらせてもらってそのゲーム性の高さを理解して、それにこんなにおいしい魚だし、今後もやりたいから専用のロッドを買おうって思ったのだった。

取り置いてもらったメタリアは175センチでワンピース。ワンピースってのは継ぎ目のないやつで、これ以上小さくならないのだ。継ぎ目がなければアタリの感度は上がるし、竿の強度も上がる。継ぎ目が増えれば、コンパクトになる。物理的な道具は、いつだってメリットがトレードオフだ。さて、これが車にちゃんとに入るのか、入ったとして運転のじゃまにならないかが気がかりだった。今まで出会ったおじさんの中で、たぶんいちばんやさしい声をしてた店長さんが、信じられないくらいやさしい口調で、この竿の特性とカワハギ釣りのコツを教えてくれる。感動。20分以上接客してくれて、ぼくが車の心配をしてたら、「今日くるまで来られてるなら、今一緒にいって試してみましょう!」といってくれて、助手席の間に竿先を通したり、いろいろしてくれる。何ら問題なさそうなので購入。とっても気持ちがいい。なんかずいぶんと、買い物の楽しみを忘れていたみたいで、それを思い出せてもらった気持ち。

帰り道、車の窓を開けたら春だった。それ以前に外を歩いてるときにもあったかかたはずなのに、窓から風が入り込んで、初めて春って今日を思った。この曇りと湿り気と温度と風は、お花見のときのそれだ。久地ってところの駅前をはじめて通ったとき、なんだか町に生活感がほどよい感じで溶け込んでいて、おんぼろビルの一階に個人経営の焼きとんやさんがあって、16時半、すでにオレンジの光が灯ってて、その前を通ったときに、きゅうっと胸がしめつけられて、すこし泣きそうになった。春のこの、人がアクティブになりはじめた感じのとき、毎年こうやって泣きそうになる。泣きそうになるこの春のはじめが、好きなことを、毎年冬にわすれて、こうしてまた思い出す。kan sanoのアルバムがその時かかってて、そのぜんたいをとても好ましく思った。

夜、『エルピス』の続き。また『ペルソナ5』を思い出す。テーマもそうだけど、進行とナラティブがちょっとゲームっぽくて、さらに大友良英の劇伴がまた『ペルソナ5』の何かを思い出させるみたいだった。またあのゲームをやって、みんなに会いたいなって思って、ずいぶんぼくはあの作品のキャラクターたちを好きなんだなっておもう。