武田俊

2023.6.14

空中日記 #89|ロードサイドと横丁

6月7日(水)

前日から想像してたとおり、具合悪い。ひらきなおって、昨日買ったばかりの『ディアブロ4』を朝からやる。昨晩遅くにやったら怖くなってしまったので、ダークファンタジーは日中にやるのがいいっぽい。自分なりに考えたビルドに疑問を感じて、攻略情報のリサーチを解禁。ぼくの選んだクラスは二刀流のダガーでの素早い攻撃と、弓での遠距離が得意なローグというクラス。渓流で暮らしていくにはいちばんいい気がしてこの選択をした。それで弓矢に特化したビルドを組んでいたのだけど、攻略によればダガー特化のビルドがおすすめらしい。なるほど、その通りにスキルツリーを巻きもどして組んでみたら、わお、たしかにめっちゃ火力の効率がよい……!……のだけど、すぐ飽きて戻した。効率だけじゃ楽しくないのも、なんだか渓流の釣りに似てる。

ウーバーでマック頼んだら、コーラがこぼれてタダになった。

午後以降の今日の過ごし方を悩んで、またひらきなおって今日はだらだらコンテンツお楽しみデイにすることに。映画『ファイトクラブ』をU-nextで見る。パラニュークの原作を読んでいたのに、家の中でなくしてしまったのだ。よいよい。90年代のいろんな要素を感じつつ、それが何周か巡ってすごく今に刺さるテーマになっている。今、あらためて観てよかった。

絲山秋子『ばかもの』読み終わる。力が抜けながらそれでもすごくテクニカルで、思ったいた以上にすごい作品。西崎憲さんのあとがきもぐっとくるあじわい。そうかあ、自由間接法かあと思う。これを使えば三人称ってぐっとあじわいが増す。三人称で文章を書きたくなる。絲山さんはこの『ばかもの』と『海の仙人』、それとエッセイしか読めていないけど、この2作だけでも同時代の国内作家個人ベスト3に入るのではないかと思う。ソウウツの偉大な先輩!

6月8日(木)

重たさを感じながら起床。えいやで一通りの家事を片付けて、朝の散歩。11時から新宿で定例MTG。出がけにはるやくんがたくさんがんばったというストリートアート特集の「美術手帖」を買っていく。監修はSIDE CORE。これは買うべき号。最近(というかずっと?)雑誌は特集買いになっていて、それも「この雑誌でこんな特集組むのか!」という本来の主題からそれたオルタナティブな号ばかり買っていて、あらためて雑誌とは?を考えたい。文脈を見せるメディアの、脱臼された文脈号ばかり買う行為とははたしてなんなのか、みたいな。

IさんとMTGおわりにふらんす亭でランチ。ふらんす亭のチェーンとしてのあり方、について話す。首都圏メインの出店だったので、ぼくの最初のふらんす亭体験は、大学生のころの中野店。そのときは、欧風カレーをあまり食べたことがなかったから、ステーキよりも(安価だったこともあるが)カレーをチョイスしていた気がする。そのころから、自分でつくり方の想像ができて、自宅で再現できそうなものは外で食べていなかった。もっとも、大学生の考えることだから「ステーキって牛肉焼くだけだよな」くらいにしか思っていなかったけれど。

6月9日(金)

参院で改正入管法が可決。おとといと昨日、国会前のデモに参加している知り合いがたくさんいて、ストーリーで見ていた。実際ひどい改悪だと思うし、少しでも阻止したいと思うものの、学生時代にデモほか直接行動の現場におけるジレンマをたくさん見聞きしたことで、「阻止」や「反対」を標榜することでの様々な欲望のバリエーションに敏感になってしまって現場に行くことができなくなった。シュプレヒコールも、あんなに声高にしたりしていたのに、今じゃもう、とても気持ちが悪い。

見なければいいのにYahoo!ニュースのコメント欄を見に行くと「不法滞在している方が悪い」「ルールを守らない外国人を送還することの何が人権侵害だ」「ただしい規則になっただけ」という意見がたくさん並ぶ。かれらのコメントだけ切り取ってみると、一見論理的でまともにすら見えるが、メディアが報じる表面的な改正の話題を切り取って反応しているだけに見える。規則自体に悪が組み込まれていることに無自覚で、規則は規則だから、という認識でしかないかれらひとりひとりに、この改正の何が問題かを説くことは、はたして可能なんだろうか。というか、意味があるのだろうか。なんとなく、ぼくが学生だったころよりも、規則というものを自分たちが決める、変えられる、という実感が社会ぜんたいからさらに希薄になったように思う。

紙もの編集の仕事が佳境で、途中まで進めていた授業のスライドをなんとかまとめ、へとへとのまま大学へ。来年は金曜5限をやめたい。高速代と駐車料金がもったいないけど、帰りのラッシュに耐えられないと思い、車で行く。車は移動時に、運転しかできないのがいい。すき間時間って豊かなようでいて、ぼくにとっては複雑な時間。それしかできない時間は、豊かだ。

授業は自分のキャリアの解題。来週からのゲスト回にそなえて、学生にたくさん質問するようにいいながら、トークセッション風にやる。5年目だけど毎度すこし緊張する時間。でも、とてもいい時間。

帰路は下道でいって、高速代を浮かせつつ、途中にある安くて人気のスタンドで満タンに入れる。ハイオク163円はかなりやすいと思う。スタンドによってこんなに値段変わるのはなんでだろう? 輸送コストだけじゃ納得できないくらい、場所に寄ってひらきがある。山間はもちろん高いけど、海辺だと安いわけじゃないし不思議。ロードサイドのリンガーハットによって、からまろちゃんぽんていうの食べる。ノンアルビールを頼んだら、やたらしょっぱいショウガの醤油漬けみたいなのがついてきた。そこで福田和也『保守とは横丁の蕎麦屋守ることである』を読む。大病でやせても福田先生、それなりに食べられている。

夜、最近の絲山秋子まつりの続き。『逃亡くそたわけ』を読み終える。逃避じゃなくていいから、車でだらだらと旅がしてみたい。

6月10(土)

3時くらいまで『逃亡くそたわけ』を読んでいたので、体が重い。湿度と梅雨と疲労もあるかも。シリアル食べて、ぐったりとしてすこしねる。起きて『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』読了。往年の、坪内さんと福田さんの対談の数々を読み直したくなる。そしていつしか手放してしまっていた『作家の値うち』をポチッと。

午後、ゲラ作業。6人相手に素材を整理して、間違えないようにメールをしたため送る。だけの作業なのに、とても疲れてしまう。編集の実務部分って、じつは認知特性的に苦手なんだと思う……自分がちょっとだけふびん。