武田俊

2023.6.28

空中日記 #90|たまごのようなお好み焼きのようなのです

6月13日(火)

まったく新しいひとたちを相手に、2件の打ち合わせの日。しかも、ひとつは水族館、ひとつはこれまで足を踏み入れたことのない大学である。それだけで楽しい気分。それぞれの場所が離れているので、車で向かう。外に出て日なたの部分があまりにも暑くて、あ、と思い出す。車のクーラーが故障しているのだ。しかたない。意を決して乗り込むも、時間は13時。モニターで見てみると外気温30度越えで、どんどん車内も暑くなってくる。窓を大きく開けたら、髪の毛がぼさぼさになって、せっかくツヤは出るけど固まらないっていう最近お気に入りのジェルでしあげたスタイリングが見るもむざんにな感じに。

初対面の相手だ。せめて背中汗まみれだけは防ごうとして、シートを倒しつつも、体は背筋をピン立たせることで、背中が設置しないように工夫する。そのまま各1時間強の運転。終盤、さすがにつらくなって、イライラしてきたのでsupercarを爆音でかけて、大きな声で歌って乗り切る。creamsodaから順にかけたら気持ちがよい。

夜、大学の先生方と飲み会。ノンアルビールが案外おいしい。お店は鉄板焼き屋さんで、みなさんも普段はこないところのよう。
「○○先生は、よくとん平焼きってのを頼むそうだけど、なんでしょうね」
「ほう、とん平焼き。どんなものだろう」
という会話が。
ここはばっちり説明して、「さすが武田さん!」と言われたい、と思って口をひらくも
「とん平焼きは、あのう、その、なんかたまごのようなお好み焼きのようなのです……」
とすっとんきょうなことを言ってしまう。とん平焼きをひとことでうまく説明する技術を持っていたかった。

6月14日(水)

とうとう本格的に鬱がやってきてしまった。世界中のきたない湿度(世の中には気持ちのいい湿度もあると思うのですよ)を全身が吸い込んで、灰色のだぶだぶとした汚水をたくさんふくんだスポンジになったような感じ。あるいは、灰色の、にごったおもたーいスライム。鬱って漢字はこわいからあまり普段使わないようにしているのだけど、昨日Twitterで誰かがその語源を「木や草の陰に人が隠れている様子、らしいから、鬱って別におかしなことじゃない」なんて書いていて、だから漢字を使ってみている。

なんで鬱になるのかといえば、それは身体と脳のエネルギーが枯渇しているから休ませるため。強制終了させられてるわけで、じゃあそれを防ぐにはどうすればいいか、というのが難しい。エネルギーの枯渇って、単純に活動量が多いとなるわけではない、っていうのがぼくのこの病気との9年になる付き合いからの学びだったりする

これは坂口さんがほとんど同じことをいっているから、おそらく双極的認知を持つ人に共通しているのだけど、ぼくたちは心にフィルターを張ることができない。扉もついていない。だからいつでも心はぜんかいにむき出しで、感じてる世界のぜんぶをひろうし、感じてる感情ぜんぶが外の世界に解きはなたれる。そして、それを特別なことだと思っていない。多くのひとが場面で自分を使い分けたり、いやだなと思うことがあったら心のドアのようなのを閉じて、意識をシャットアウトする、ってことをしているのを、ぼくは最近まで知らなかったくらいです

だから、いいものもわるいものも、ぼくたちは全部ひろって、持って帰ってしまう。それをコントロールできないから、気がつくとわるいものに身体が支配されてて、そのままばったり倒れる、なんてことになるみたい。今日はそんな日で、灰色のスライムに浸かっている。

母に電話するけどでない。

うつのとき(やっぱり漢字はこわかった)、できないことはグラデーションのようになっていて、まず身体が動かなくなり、最初に文字が読めなくなる。なんだかんだゲームが最後までできることなのだけど、今日はゲームもしたくないので、そこそこ重傷。こういうとき、坂口恭平さんはなにをしているかなと思う。ツイートをさかのぼると、かれは5月末うつだった模様。そこから抜けたときのツイートで、チャゲアスの「Walk」という曲を弾き語りしてる。知らない曲だ。ふとんの上で、目を閉じたまま聞く。それで涙が落ちてくる。

なんか見ようと思って、映画をあまり見返さないぼくが、それでも見返す数少ない映画森田芳光の『間宮兄弟』を見る。何回見てもよいもので、このふたりのことがまた大好きになる。じゅんちゃんが帰ってきたあと、沖田修一『さかなのこ』も見た。

夜、坂口さんと千葉さんの対談を見る。知っているはずなのに、いつも自分に自信がなくて、それで忘れてしまうたいせつなことを、ふたりがそれぞれのことばで教えてくれる。なんでぼくたちは創作する必要があるのか、それがだんだんと思い出されてくる。こういうときの人称って、ふつうは一人称だと思うけど、ぼくは三人称で語りたくなる。この世界に散らばっている、いきづらい認知特性を与えられてしまった仲間たちのひとりとして、自分を位置づけたくなるみたい。それですこし元気が出た。ほわんとスライムの輪郭が溶けたみたい。

6月15日(木)

それでもやっぱり身体は重く、午前、福田恆存特集の『文学界』読めなくて寝る。昼が過ぎてなんとか作業を進めて、昼、じゅんちゃんと駅前でオムライス。オムライスを待つ時間に読むために本屋にいって、『永遠と横道世之介』を買うも、オムライスはすぐに到着してしまった。

午後、えいやで作業。たくさんのアカが届いて、それをまとめるのにてんやわんや。あっというまに夜。牛肉のチゲをつくった。最近、豚汁じゃなくてチゲをつくるのがブーム。坂口さんのまねして、ノートに「今日のほめること」を書くことにした。5個くらいあった。久々に手で文字を書いたら、筆圧が強すぎてつかれた。ぼくは字は汚くないけど、ペンの持ち方にクセがあって疲れやすい。手で文字を書くのは、力を抜く訓練になりそうだ。

6月19日(月)

ほんとうなら車で取材に行きたいのだけど、クーラーが壊れてて修理が今週金曜なので、がんばって電車で向かう。も、日付を間違えててなぜか笹塚で過ごした。1年ちょっと前にすんでいた町なのに、もう他人の顔をしている感じ。そういう状態で町を歩くのはおもしろくて、この感覚はなにかに近いなと思ったら内見のそれだった。住む前に見た町と、住んだあとに見る町の近さと違い。

6月21日(水)

ひるま、ロバート・ブラックフォードの『リバー・ランズ・スルー・イット』をU-NEXTで見る。よいものは、いつ見てもよいもので、今日もいい。釣りの映画であり、家族の映画であり、もの書きの映画であり、信仰についての映画であり、愛憎半ばする故郷の映画である。若いときのブラピが恐ろしく美しい。そして、ドラマの中に必然的に組み込まれている釣りのシーン。魚が釣れるカットで泣く、というのはなかなかすごいことではないだろうか。

夜、体調急変。急性症状が出る。人生で出会ったひと、すべてに迷惑をかけ続けてるから、いますぐ消えてなくなって罪ほろぼしをしたいといって寝込む。そういうふうに、思うしかない状態にされている感覚。体中に毒のようなのが回って、それが酸のようで、ふとんを溶かし、床を溶かし、マンションの地階まで身体が落ち、さらに地中に落ちていく。とんぷく入れてい落ち着く。感じていることを、じゅんちゃんにずっと話す。生きていて感じる違和感や苦しさをずっと話していて、それなりにいいことを言っていた様子(今は抜けてしまったので、そこでの切実な、身を切るような感覚は忘れてしまっている)。

いわく
「資本主義は心や魂と生活を遠ざけるからつらい」
「資本主義下での人生の目的は、お金を稼いでものを買って豊かになる、でそればかりが推奨されていてつまらない。ぼくはなぜかそれに適応できる力があるけれど、でもそれでは生きてる感じがしない」
「稼ぎたいという欲望は否定しないが、そうでない欲望が軽視されていることが気に入らない」
「『リバー・ランズ・スルー・イット』の時代は、人が生きる欲望をもっと動物的に感じている気がする。いまの社会は、誰も動物的に生きていないように見える」
「社会に関わりたくない、自然の中に身を置きたいというのは、その違和感から離れたいからだと思う。でもそれを言葉にしてみると昔のヒッピーみたいでいやだ」
「編集者はつらい。資本や社会のそばでしか仕事が機能しづらい」
「ものを書くことでやっていきたいのかもしれない。それならライターとしての仕事にフォーカスして、もっと自分の分野でのプロップスをあげるのもいいかもしれない」
ひとしきり話して安心して寝る。

6月22日(木)

朝いちばんで資料づくり。そのあといわなミーティング。
いつものコーヒーショップで水出しコーヒーを家で淹れることを勧められる。水に対して12.5パーセントの豆を細かく挽いて、それを12時間浸水させてってってやるらしい。今使ってるポーレックスの手回しミルは1回で20グラムしか挽けない。そろそろ電動のグラインダーを買うかと思うも、そういえばポーレックスを買ったのはセラミックの臼みたいなやつで豆を挽くから、金属の歯より高温にならず、豆の風味を損なわないからだったと思い出す。そしてセラミックで電動のやつは、たしかとても高いのだった。さて、どうするか。

6月23日(金)

大学の日。仕事もひとつ佳境のものがあって、それの対応と講義スライドの制作で死にそうになりながら、ミル問題について考える。アイスコーヒー飲みたいので、1杯分、手で回して、それを水出しにするわけにもいかないから、いつも通りエアロプレスで淹れた。

6月24日(日)

この土日で電動ミルのよさげなものを調べて買おうと思うも、なぜか調べる気が起きない。土日はコーヒーを朝飲まないから、ウィークデイに感じていたこのタスクの重要性を体感できないのかも。

昼、クーラー不調で修理中なので代車で出かける。なぜか代車に以上に期待してて、「きっと最新型のポロで、色はブルーだと思うなあ」なんて話してたら、Bluetoothもないくらい古いポロで、色はなんの変哲もないシルバーだった。それでもクーラーがつけば快適だ。ランチは未知のイタリアンのチェーン店。いわしのラグーパスタにして、カサレッチェとなじみのないものが書いてあって、調べたらショートパスタの種類だった。家庭的な、って意味で、形は円形になりそこねたペンネみたいな感じ。その円になりそこねた部分がいわしをつかんでくれて、楽しい。

夜、FF16やる。森を中を目的地に向かって抜けていくところの川が気持ちがよくて、釣りをしたくなる。いいヤマメかイワナがいそうなんだよな。傾斜がゆるいこともあってか、遠野の琴畑を感じる。リファレンスはどこの川なんだろう。