武田俊

2023.7.10

空中日記 #91|郊外には、遊歩が入る余地がない

6月25日(月)

ミルクの中のイワナ』の試写会のおしらせリストをつくって、それを手分けしながら送る日。長大なスプレッドシート、メディア向けメールのひながた、プレスリリースシート、2種類のコンタクトフォーム、メールやメッセンジャーなど相手に合わせた連絡手段。流れ作業で進めていくべきところに、これらの組み合わせの中で最適なものを都度選ぶための思考が必要になるので、全然流れていかない、ということにやりながら気づく。これは……なんていうか、ヒューマンエラーの温床みたいなことになってしまってて、そういうときに最初にミスをするのがぼくの役目だったりする。で、やっぱりミスる。それで落ち込む。こういう作業、昔はむしろかなり得意だったのに、病気をしてからてんでだめ。って思うとループにはいるので、シンプルに、昔のぼくは処理能力がずいぶん高かったんだな、と感じるようにする。すると、だから抜け落ちていた情緒的な側面も見えてきて、だとすると、自分が失った力と、それによって顕現してきた特性がぼんやりと浮かび上がってくるような気がする。

夜、FF16のつづき。ほんとうに演出がすごい。劇伴もいい。毎回のボス戦がラスボスみたいに感じる。

6月26日(火)

昨日送りきれなかった試写会お誘いの連絡の続き。こういう仕事をしてると、いろんなお誘い連絡が日々くるもので、中にはアリバイ的にコピペをとてもずさんな形でばらまいている人も少なくなく、そういう風にことばを扱うことは絶対にしたくないな、と昔から思っていた。

だから「ごぶさたしております」からはじまり、最近の自分のご報告と、相手の最近の活動に関しての感想を、ひとりずつそれにぞれにしたためてから、試写会の案内入らざるを得ない。そうやって残りの担当分をやっていたら、3時間以上かかって午前中が終わってしまった。量をさばくにも、削減しちゃいけないコストがあると思ってて、それは自分の自分による自分のための倫理に基づくべきだと思う。それを毀損する仕事のしかたはしちゃいけない。

6月28日(水)

ごぜん、新PJのMTG。あるクライアントのもと、漫画を描いたことのないアーティストと、漫画を担当したことのないぼくが、それぞれ漫画家と漫画編集者になって作品をつくってみるというもの。とってもおもしろいし光栄。これまでメディアをつくったり、それを回すためのビジネスつくったり、その上で記事をつくったりしてきたけれど、作品づくりっていうのは、たぶんじつはいちばんやりたいことなんじゃないかしら? 書籍編集者として、作家と二人三脚で本をつくっている平行世界の自分をぼんやりと感じながら、1日のらりとすごす。

6月30日(金)

作品づくりとしての編集から打って変わって、新規事業のコアの部分としてメディアをどう活用できるかって仕事の日。ぼくはこういうビジネスオーナーの横っちょにいて、アイディアをばんばん出したり、リレーションをつなげたり、カルチャーの側とビジネスの側で相互のコアバリューがうまくつながるように「翻訳」したりするのはけっこう好き。好きっていうのは、きっと得意だということなんだろう。

この「翻訳」の課程でいちばん大事なのは、それぞれの倫理を知っておくこと、だとも思っている。何かを犠牲にした上で、カルチャーをビジネスにつないでいくことだけはしたくないことだ。局面局面で「武田くんがことばをつないで、ひらいてくれるからほんと安心だわ~」と言ってもらえてとてもしあわせな1日。

そのMTGが予定より1時間うしろに倒れたので、オフィスの横のドトールに入る。新宿だからとても混んでいるのだけど、いやな混み方じゃない。回転もはやいので、都会のいい活気というかんじ。常連さんがバイトの女の子と「いやあ、暑くなってきたねえ」「あれ、○○さんもう日焼けしてる?」「そうだよー、室外機の取り付けって、この季節やばいんだよ」なんて話してる。こうやってチェーン店の中で、個別具体的な対話の営みがなされている光景が好きだ。そんな会話を聞きながら、再読のために持ってきたテジュ・コール『オープン・シティ』を読んでいた。この本を読むのに、こんなばっちりなシチュエーションある? ってかんじでこうふんした。フラヌールは、やっぱり都市文化ですよねえ郊外には、遊歩が入る余地がない。思索のための散歩はあれど。