武田俊

2023.7.23

空中日記 #93|あのとき、全部のはじまりは町だったね

7月11日(火)

新しいジムで、はじめて昼の柔術クラスに行く。平日の昼間なのに、15人くらい来ていてみんな、やる気である。柔術のときは裸眼。昔コンタクトをしていたけれど、密着型の攻防でぜったいにずれてしまうので、直前までめがねをかけて、スパーの時には壁に貼り付けられているマットの上などに置いていた。新しいジムには置きやすい場所があまりなく、マットスペースへの入り口付近に置かれている、スチールラックに置くしかない。なので、みんなの顔を全然見分けられない。なんせ視力0.1弱なのだ。

それでも白帯の人たちがやたらいい体格なのに気がつく。それに若い。MMAガチ勢なのだ。そういう人とスパーで組んで、序盤、ある程度技術で押さえられる部分はあるものの、後半ガス欠してしまい、フィジカルで押し切られてしまうのがくやしい。スパー5本でゲロゲロ。帰り道、スパーで組んだ同じくらいの背丈の若者を見かける。ぼくの2倍くらいの二の腕をタンクトップからはみ出させて、悠々と歩いていて、こりゃだめだと思った。

夜、『ミルクの中のイワナ』試写会をヒューマントラストシネマ渋谷のスクリーン3で。各回満席、終わってからもロビーで絶えないおしゃべり。お金をかけてちゃんとやってほんとうによかった……。上映終わり、いろんな人にお礼の声をかけながら、すきまであさとくんとねぎらいあった。とっさにハイタッチの手が出なくて、なぜかふたりでお互いの背中をさすさすしあう。関係者と仲間内で近くの土間土間で打ち上げ。ひさびさの飲酒。こういう時のチェーン店って楽しい。

終電をもはや意図的になくしてしまったので、あさとくんとあと数人の先輩とで山家へ。こういう時に結局山家に流れるのって楽しい。何年ぶりだろうか。山家と英鮨で渋谷で最後までみんなといるっていうの、20代にやりまくっていた。あのとき、全部のはじまりは町だった。家とか地元ではなにもはじまらなかった。そういう20代の出会いとか、仕事で培ったスキルとか、それと何より貯金とか。そういうものを使って、ぼくたちはこの映画をつくったんだよな、と思う。朝までいたのに、ほかの話をいっさいしないまま、『ミルクの中のイワナ』についてみんなで話す。始発まで少しだけ時間があったから、待つのもめんどうであんどうさんと幡ヶ谷まで歩く。これも懐かしいイベントだった。変わったことがあるとしたら、朝まで過ごしてもぼくはひどく酔うことがなくなった。酔わない方が楽しいと気づけたのか。トータルで飲んだのは4杯。昔だったらどうだっただろう、20杯とか飲んでいたのじゃないかしら。あまりにも無謀である。

7月12日(水)

ほぼ死体。午後にひとつMTGを完遂できた自分をほめたい。
夜、明日の大正大学でのゲスト講義に向けて準備。これくらいで十分でしょ、と思っていたkeynote、途中から「もっともっと!」となり、明け方まで追加作業してしまう。結局105Pぶんができあがる。

7月13日(木)

仲俣暁生さんにお呼ばれして、大正大学の表現学部でゲスト講義。100分まるっと任せてもらう。ぼくが仲俣さんの著書に最初に触れたのは、高校生の時、朝日出版社から出ていたカルチュラルスタディーズシリーズ『ポスト・ムラカミの日本文学』だった。同時代の小説家を論じている評論が全然見つからない中、やっと見つけた一冊で、その後も彼の著作を読み(この印象的な装丁の同シリーズもよく読んだ)、彼のブログを読み、大学生になってつくった雑誌『界遊』の創刊号の巻頭で、田中和生さんとの対談を企画させてもらったのだった。そういうこれまでのストーリーを伏線として回収してもらえるようなオファーで、とってもうれしい。

大正大学は編集の実践的なプログラムが豊かで、大学のときのぼくが受けてみたくなるようなすてきな取り組みばかり。事例たっぷりにたくさん話す。講義の中でもたくさん質問してくれ、うれしい。終わったあとみなさんで西巣鴨駅そばの串揚げやさんへ。1/3以上の学生さんが残ってくれる。串揚げ、揚げてしまうとなにがなにだかわからない。みんなでクイズのようにして食べる。れんこんだけ、すぐわかる。たくさんの相談に乗って、相談に乗るのはやっぱり好きだ、と思う。自分の経験してきたことが、失敗も含めて彼女たち(ほとんど女の子たちだった)の役に立ちうる、そのことがうれしいのだ。板橋ICから高速に乗っての帰路、ぜんしんを穏やかなあたたかさがくるんと包む。

7月14日(金)

朝、定例のMTG。もろもろ間に合わなくて、泣く泣く妊婦健診にはじゅんちゃんひとりで行ってもらう。午後、今度は法政の春学期ラストの講義。企画書課題についての講評をやり通す。ひとりでしゃべり続ける講義って、ラジオ以上に躁に近づいていく感じがする。注意。

夜、昔からお世話になっていて、なぜか殺し屋と呼ばれるクリエイティブディレクターの先輩とひさびさのご飯。いつもぼくには優しくしてくれるから、殺し屋と呼ばれる理由は忘れてしまっていた。牛タンのお店で、いろんな食べ方で楽しめる牛タンのプレートのようなのを食べる。会話が、かけ算のようにどんどん発展していくから、そのスイングを楽しんでいると牛タンの味がわかんなくなっていく。おいしいお店での会食は、これだから難しい。今度、牛タンを食べるためだけに、行きたい。そのあと、店名のない謎のスチームパンクなバーへ。扉がまずなくて、ピンポンを押すと、壁が開いてそこが扉だとわかる。ゲームみたいな場所。なかもぜんぶスチームパンク。でも、飲みものはまあまあ普通のバーだった。時空がゆがんだようなところで、明け方までえんえんと話す。

7月15日(土)

いろいろ使いはたし、11時間寝たみたい。

7月16日(日)

ROTH BART BARONの自主企画「BEAR NIGHT4」を野音に見に行く。途中で電車が止まって、ギリギリOPアクトの水野蒼生くんに間に合う。先についていた押くんが、座っていて、一緒に並ぶも、ぜんたいを見たくって一緒に下がって立ってみる。去年もたしか途中からそうしたのだった。去年と同じ売店で、去年と同じ500円の缶のハイボールと、去年は買わなかった200円のチーカマを買う。

ステージ脇で踊りながら見ていたブルーの髪と白い衣装があおいくんで、見つけたおさえくんがLINEして、あおいくんがやってくるから、チーカマをみんなでわける。それで、一緒に踊り、声を上げる。3人になると恥ずかしさの行き所が見えなくなるから、それぞれきっとほんとうにしたいやり方で音楽に身を任せることができる。そうなるとぼくはいつも目を閉じる。暗くなり始めた野音に、蝉の声が響いていて、それを最背面に移動させるようにしてしてロットの音楽が重なっていく。かき消していくように、ではなく、折り重なるようにして聞こえてくるのは、たぶん目を閉じたから。音が像になって色彩を持つから、こうやっていつも目を閉じるんだなあと、これまでのたくさんのライブのことを考える。野音は100年経ち、2024年に改装工事に入る。そこまで縁のあるハコではなくって、ぼくにとってはかつてROVOの企画をよく見に行った場所で、近年はROTHのライブを見る場所だった。工事まであと何回来られるかな。

終わって、下北におさえくんと流れ〈ばん〉に行く。下北でははじめて。レバかつともつ焼きを食べながら、4年間一緒にやったラジオ番組の現場のことを話す。ひたすらパーソナリティとしてのぼくの良さをほめられる。声の質とインタビューの技術のこと。それだけ彼にとっていい仕事ができていたのなら、やっぱりこれを無駄にしてはいけないね。ラジオやMCの仕事をもっとやりたい。力があるのなら、この力を誰かのなにかのために使いたい。誰か利用してほしい。それで自分がどうなりたいとかがないのは、ぼくが輪郭を持たないからなのだろうか。ただ声をつかって、相手との対話の場に溶けていきたい。溶けて溶けて、完全に輪郭を失って、世界と自分の区別がなくなって、それが電波に乗って、いろんなところにただ飛んでいけばいい。