9月4日(月)
ごとうさんと『青の輪郭』リブートのためのMTG。シャインマスカットの乗った素晴らしいチーズケーキを食べる。フルーツとクリーミーなもの、水分と乳脂肪の取り合わせが昔からあまり得意でなくて、フルーツの乗ったケーキを避けてきたけど、このお店のこれはとてもいいものだった。今書いてるときの感じ、感じてること、進め方を話すと、なんとなくの算段が立った。なんとなくの算段、というのが大切で、ガチガチに段取りすると、それが達成されなかったとき、致命傷を負ったような気持ちになってしまう。
夜、師匠と新宿。久々にゴールデン街を回遊しながら、最近のそれぞれの仕事のこと、柔術とMMAのことを話す。5件くらい河岸を変えながら。今日のぼくたちはサイバーパンクがテーマで、東京のことをナイトシティ、クライアント企業のことをコープと呼びながら比喩を駆使して話していくと、都市にまつわる文化的な仕事のあらゆる課題は、サイバーパンクで語ることが可能だと気づく。ぼくは何があるか、何が売りか把握しかねるお店では、ハーパーのソーダ割りを頼みがち。
9月5日(火)
『ミルクの中のイワナ』について、新しい上映会希望の方と打ち合わせ。あさとくんと手分けして進めるケースが増えてきて、スタンドアロンコンプレックスのことを思う。2011年にはじめて会社をやったときも、この映画を撮り始めたときも、この話をした。何か、組織だって、小さくことをはじめるとき、ぼくたちは一生このことを話すのかもしれない。
丸山健二『夏の流れ』、絲山秋子『薄情』、山内朋樹『庭のかたちがうまれるとき』を買う。
9月6日(水)
TIMCOさんの計らいで、社員と関係者向けの上映会。場所は墨田区のミニシアター・Stranger。ここはMOTIONGALLERY CROSSINGでも紹介した場所で、シートと音響にこだわった墨田区唯一のミニシアター。自分で紹介するための原稿を読みながら、一回行ってみたいなあと思ったら、まさかのこのタイミングだった。
こういう時に限って、ぼくは名刺を忘れてしまう。
ジョナサンでかずやくん、あさとくんと待ち合わせ。チキンをトマトで何かした日替わりを頼み、話す。思わぬいいニュースを聞き、この映画はどこまで行けるのかわくわくする。『ミルクの中のイワナ』はもちろん自分自身の作品だけど、チームがあってこそのもので、だから自分と作品とにはある一定の距離がある。その距離感が、最近は心地よい。コーヒーが飲みたくて、コンビニで買って飲みながら映画館の入るのもな、と思ってたくさん減らしたけど飲みきれず、映画館に入ったら「武田さんもなにかお飲み物を」といわれ、おいしそうだったのでアイスコーヒーをお願いしてしまい、両手にアイスコーヒーという状態で、来場者の方たちにロビーでごあいさつをする。名刺がないのに、アイスコーヒーは2つも持っている。
トークをしながら、ぼくにとっての釣りって、釣り具ってなんなんだろう、と考えてた。メディアとしての釣り具、身体の拡張としてのロッドとリールとライン。その拡張した腕の先で、ぼくたちは自然に触れる。アタリっていうのはそういうもので、それを心地よく感じる。より大きな魚、よりたくさんの魚、とかじゃなくて、ただアタリを心地よく感じること。世界と自分の関係を、その振動によって感じるということ。ロッドのこちら側でも向こう側でも、生きているということと、死んでいくということの、ただそれが続いていることの絶対的な肯定というか、肯定も否定もできない、ただその営みが現状はある、ということの再確認というか。
そういえば朝から、左目がおかしかった。行きの電車で、読んでいた本の一部がかすんで見えた。ジョナサンあたりから、そのかすみが広がっていって、いま、壇上にあがったら、照明のふちがぜんぶ虹色のホログラムみたいに光ってて、降りたら視界のほとんどが白くなっている。
じゅんちゃん経由でたかちゃんに相談。脳神経系のうたがいもあるから、すぐに診察を受けた方がいいとのこと。自宅最寄り駅まで戻って、まだ空いてたとこで診てもらう。おそらくぶどう膜炎で、4種の目薬をもらう。左目の眼圧が40とかでけっこうやばい。この病気はほかの病気(難病ふくむ)の初期症状としてあらわれることも多いらしく、明日の朝一で大学病院で診察を受けるための紹介状を書いてもらう。
9月7日(木)
電車とバスを乗り継いで、大学病院に行く。車で行きたかったけれど、瞳孔がひらく目薬を打たれると思うから、公共交通機関で行ってくださいね、と昨日のクリニックのおばちゃん先生にいわれたのだった。瞳孔がひらく目薬?って?
めちゃくちゃ混んでいる。初診で紹介状あって予約なし、というステータスだから、まずはカルテと診察券を発行してもらう。まずこれが完了するまでに1時間半かかる。できあがった診察券を入れてもらって5Fまで上がり、眼科の窓口のひとに渡す。「眼科の初診は特に時間かかるので……」といわれる。最初に視力、や眼圧、瞳のおおきさその他のデータを集めるためにまとめて検査をする。そこに呼ばれるまで1時間、検査をして、診察までさらに1時間、若い先生に診てもらったあと、教授の確認の必要が生まれて、それでさらに1時間待った。
お昼をまわるのが決定的になったので、窓口のひとにきいたら、お昼行ってます券みたいなのをもらった。これを出した人は、順番が来てもきっとスルーされるのだろう。心が慌てる。
ひとつ上のフロアがレストランで、思いのほかちゃんとしてる。ビーフカレーかハヤシライスかで迷って、ハヤシライスを食べた。家でつくらないし、かといって外でも食べることはほとんどないから、たぶん最低でも5,6年は食べてない。ひょっとしたら10年食べてないかもしれない。ハヤシライスは薄くてひろいお皿に、ソースのように盛られて出てきた。これだとすぐに冷めるから、ほんとうは深さのあるものに入れてほしい。
再び待合室へ。待ち時間が長くても、本が読めるからいいやーと思ったのもつかの間、左目だけ瞳孔がひらきっぱになっていて、つまり「絞り」が固定されているので、ピントを合わせ直すこともできない。左だけ視界が明るくて、大きく開いてもいられない。こういうときはオーディブルを試してみるか、と思ったけど、イヤホンをしたら呼び出すのアナウンスが聞こえないのだった。なにもできない、ただ耳だけ起動して名前が呼ばれないかを注意して過ごすだけの時間。これはなかなかの修行。
結果は、変わらずぶどう膜炎。幸い、薬のおかげか視界はマシになっていた。ぶどう膜炎には感染症性のものと、そうでない何か重大な病気が原因のものがあって、後者かどうか判定するために、地下1Fでいろんな検査をすることに。尿、心電図、レントゲン、血液サンプル3本ぶんとる。だいたいの大きな病院って地下が検査のためのフロアになってる。ここは棟がわかれていて、心電図は外来棟ではなく、入院患者などがいる棟にあった。そっちにはコンビニも入っていて、人の雰囲気もみんな顔見知り感がある。生活のにおい。手術と病気で1週間ずつ、合計4回くらい入院経験があるけれど、そのとき病院は家みたいだし、町みたいだったことを思い出す。
病院を出たらもうすぐ日が沈みそうだった。リアルに1日仕事だった。今日すべてをがんばった自分とこの1日を祝福したいけど、なにしよう、と思ったとき、目の前に二郎インスパイア系のラーメン屋さんがあった。二郎っぽいラーメンって、ちゃんとお店で食べたことないから、入ってみることにする。麺が小で300グラム強あるみたいで、少なくしてもらう。野菜とかは普通。わしわし食べる。存外に食べられるし、なにか元気のありあまっているオスのいのししになったような気持ちで、病気っぽさがからだから抜けてうれしい気分。
帰宅したら、「にんにくが……」といわれる。体中からにおいたつらしい。たしかにどこか、呼気に熱さを感じる。この熱い部分がきっとくさいんだと思う。最近じゅんちゃんは後期つわりですこし気持ちわるそうでで、ちょっとだけふざけて息を吐きかけたりして遊んだけど、よくないことをしたので少し落ち込む。夜、小刻みに起きてしまう彼女に釣られて、ぼくも起きて眠りが浅い日が続いていたので、せっかくだから、別々に寝ることにしてみる(くさいし)。
9月8日(金)
夫婦が別々に寝る、ということをはじめてしたら、快適だった。ぼくらの関係の感じだと、別々に寝ること自体で何かが変わってしまう、なんて心配はまったくないのだけど、それでも「明日から別々に寝ることにしよっか」という提案は、それはそれで引っかかるし、変な感じがする。でも別にしてみたら、なんという快適さ。にんにくくさくもなってみるものである。
昨日の反動で1日オフに。
9月9日(土)
『青の輪郭』再始動!ついでに、過去回を読み直してみると、カチカチ。「過去の……重要な記憶を……ここに書き記すぞ……しかも……私小説として!!!」みたいな気合いがみなぎりまくってて、全身に力が入っているのが、ありありとわかる。もっと日常的な行為として、たんたんと書きたい。
助産師外来というのにゆく。今日の助産師さん、なにか話し方の要領を得ない。「つまり」とか「ようは」とかの後に、全然サマライズされた情報が置かれなくて、むしろ最初に話したことよりもとっちらかったものが伝えられる。これは混乱するな、と思いながらじゅんちゃんの顔を見ると、目が大きく開いているのに、どこも見てない顔をしてる。これは……朝礼の校長先生の話を聞くときの目だ……。じゅんちゃん、たまにこれになる。これのときは、もうなーんにも聞いてない(本人いわく、聞けてない)ことを、ぼくは知っている。てか、たぶんなんか、おこってる? 助産師さんにムカついてる?
「お仕事、なにされてるんですか?」
「大学教員ですー」
「へー、何教えてるんです?」
「えー、パソコンとかー」
え、なにその会話!
「あ、彼女、デザイナーでして、デザインのあれこれを教えてるんです」
あわててフォローを入れた。いま、この空間にまともにコミュニケーションできる存在が、たぶんぼく以外いない! これはやばいことになった、と思って、助産師さんが「つまり」というたび、聞き返し、自分の理解度を相手に示すことによって、メタ的な立場から対話全体をリデザインするようにした。
帰路、さっきの会話なによ、とふたりで話す。じゅんちゃん、体重の増え方を指摘されて、その言い方とかがいやだったようす。ちょっと泣きながら、笑ってる。
じゅんちゃんの部屋で川端康成『山の音』を見つけて、これをぼくのにしてもいい? と聞く。もらって読む。15年ぶりくらいの川端作品かもしれない。ちょうど『青の輪郭』の最新話で、成瀬巳喜男の『山の音』を見に行く話を書いたのだ。タイムリーな再読は、しかしびっくりするくらいおもしろかった。こういう余白のある、仰々しくない文章を書きたい。ってか、理想的な文体では? それくらい大こうふんして読む。
Netflixでガメラのアニメを見る。序盤、テンプレみたいなスクリプトが展開されてあせる。全くノれない、っていう以上に、大丈夫か? と心配になる。なんていうか、キャラメイクとかナラティブの構造のリファレンスに、明確に『ストレンジャーシングス』や新しい映画版の『IT』が置かれていて、それが見えすぎてちょっと恥ずかしい。でも、ガメラが出てきたら、大丈夫になった。平成ガメラシリーズが好きだったことを思い出した。ガメラは、「ガメラは地球を守ってるんだよ。だから攻撃しないで!」って自衛隊とかに思いながら見るものだったと思い出す。
9月10日(日)
UFC293見る。こうやってほぼ隔週くらいで、全世界向けに配信してるってすごいこと。どういうシステムとオペレーションで事故なく回すことができているんだろう。そこではミスなんてぜったい許されるわけなくて、こわい、そこでは仕事したくない。いい試合が多かった。そしてメインは想像してなかった! アデサニヤはああやって封じることができるのか、という。展開の少ない渋い、でも戦略的な打撃戦はそれはそれでおもしろかった。
日本語の、抜けのあるテキストを探している。特に抜けのある小説を探している。
千葉さんと速水さんの対談を読んだ。千葉さんの語り、小説でもエッセイでも対談でも魅力的。こういうふうに、語りたいな、と思うものの「こういうふうに」が自分の中で言語化されていない。
夜、新しい仕事のためのエスキースをまとめる。